小説家 読書量。 読書量がスゴい!本が好きな芸能人まとめ【男性編】

ナポレオンが嗜んでいた読書の量とは

小説家 読書量

羽田:幼少の頃は読み聞かせをしてもらっていました。 夜寝る前に母親に『となりのトトロ』の絵本版を何度も読んでもらっていて、自分でも暗唱できるようになっていたので母親が面倒くさがって途中を飛ばしたりすると「飛ばした!」と指摘する、超面倒くさい奴だったみたいです。 だったら自分で読めよ、って感じですよね。 羽田:いや、がさつですよ。 作家になる人って、早生まれで身体が小さいからうまくサバイバルする術を身に付けたり、内向的な世界を膨らませてきたようなタイプが多いと思うんですけれど、僕は幼稚園の頃からずっと、クラスで背の順で並ぶと後ろから2番目、3番目くらいだったんです。 野蛮で、暴力でなんでも解決する傾向にありました。 ガキ大将みたいな感じだったんですか。 羽田:そんなでもないですけれど、身体がデカいからサバイバルするのに知恵を絞らなくていいんですよ。 僕、小4くらいで一度太ったんですけれど、休み時間にサッカーをやる時なんか、サッカークラブに入っている友人がテクニックで僕からボールを奪おうとするのを殴って倒して、サッカーを続行してました...。 だからスポーツ少年でも勉強熱心でもなく、ただがさつだった記憶があります。 羽田:憶えているのは小3か小4の時に読んだ子供向けの『あゝ無情』ですね。 それが、結末が載っていなくて「この結末がどうなったかは、将来君たちが大人になってから原著で読みましょう」とか書いてあって、子供ながら「ふざけんじゃねえ」と思って。 児童文学で読んだのはそれだけかもしれません。 羽田:若い二人が気づいてジャン・バルジャンのもとに向かうところで終わるんです。 で、そこで「この結末がどうなったのかは... 」と書いてあって「なんだこいつ」と思って。 羽田:それもありましたし、それを抜きにしても、子供のくせに子供向けに書かれた本が嫌いだったんですよ。 「児童文学ってあれでしょ、子供が読むやつでしょ」って思っていました。 教室のうしろの書棚に置かれている本にはまるで興味がなかったんです。 だから小学校低学年くらいの頃はあまり本は読んでいなかったんですね。 羽田:小学校の頃って本も満足に読んでいなくて音楽もあまり聴いていなくて、でも映画は何か見ていました。 テレビでホラー映画をやっていたりすると、見ていました。 羽田:なかったですね、全然。 ただ、小学校3年生の時に国語の授業で、選ばれた3人が黒板の前に出ていって文章を要約するという課題があった時に、僕の要約が先生の持っている見本の例文と一文字しか違わなかったらしいんです。 それって小説家になる能力とは関係ないんですけれど、自分の文才を勘違いするきっかけではあったかなと思います。 要約つながりで言うと、その後小学5年生の夏休みに、中学受験のために通っていた塾で、国語の先生が保護者に対して「天声人語を要約させるように」と言って、家で無理矢理やらされたんです。 はじめは全然要約できなかったんですけれど、夏休みが終わる頃には添削する母が何も指摘をしてこないので、「もう、この人に教わることは何もない」って思いました。 夏が終わる頃には、超生意気になっていました。 将来何になりたいと思っていたんでしょうか。 羽田:医者とか弁護士を考えていました。 医者とかって格好いいって思っていました。 中学受験は自分の意志ではなかったんですが、受験勉強をしていると公立の小学校の勉強が馬鹿馬鹿しくなるんです。 その優越感を持つための一種の技として嫌々ながらも勉強をしていました。 だから当然このまま、受験してどこかの私立学校に行ったほうがいいんだろうなと思っていました。 でもやっぱり勉強をしたくないので、している振りをして親に隠れて小説を読んだりするようになりました。 当時流行っていた妹尾河童さんの『少年H』とか浅田次郎さんの『鉄道員(ぽっぽや)』とかを読んでいました。 本屋さんの目立つところに置いてあるものからフィーリングで選んだとか、そんなことだったと思います。 『鉄道員』なんて泣きませんでしたか。 羽田:泣きませんでした。 むしろ小学生なんて人生経験ないから、泣けないです。 でも、「小説って面白いな」って思いました、やっぱり。 それまで考えたことのない風景が自分の中に入ってきた感じがありましたからね。 同世代の奴と遊んでいてもそんな世界観なんてないですし、映画とはまたちょっと違いましたし。 羽田:しません。 読書ペースがそんなに速くなかったので。 でも小学校6年生の終わりには読むのも速くなっていたので、中学受験が終わってから卒業間際の頃までには『リング』とか『らせん』などの角川ホラー文庫を読んでいました。 読書ペースが速くなっても親にたくさん本を買ってもらえるわけではなかったので、小6の終わりから古本屋で100円で買える文庫などを買っていた記憶がありますね。 羽田:中学に入ってからは、なぜか新潮文庫が好きだったんです。 新潮文庫で揃えたいと思って、しかも背伸びして、日本や海外の古典的な小説ばかり選んでいました。 100円で買える文庫って、名作が多かったりしますし。 メルヴィルの『白鯨』とか、宮沢賢治とか。 岩波文庫ですけれど、ヴェルヌの『地底旅行』とか...。 古典とは別に沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読んで「自分もバックパッカーになるぞ」とか思って貯金箱にお金を貯めていました。 結局、高3の時にその金でギターを買っちゃうんですけれど。 10万円くらい貯まっていました。 羽田:そんなに積極的な理由ではなくて、埼玉の自宅から東京の私立学校に通うまでの通学時間が往復で毎日2時間あったので、電車のなかで時間を潰すのに、まあ本読むか、という感じでした。 だから夏休みや冬休みの間の読書量は少なかったんです、電車に乗っている時間がないから。 読書は本当に、時間潰しでしたね。 休み時間に本を読んでいるタイプではなかったです。 積極的に参加していたのでしょうか。 羽田:中高ともに軟式テニス部です。 でも校庭が狭くて、水曜と土曜しか校庭練習できなかったんです。 中学と高校とが合同でやっているので、中1とか中2の頃は球拾いばかりで「なんかつまんねーな」と思って、あまり参加していませんでした。 で、校庭が使えないかわりに、皇居のまわりのランニングばっかりやっていたんです。 僕、途中からそっちのほうが楽しいなと思うようになって。 夕方の皇居の周りの、社会人とかの匂いのする、経済や社会が回っている感じがするなかで、汗だくの自分たちがランニングしているという感じが面白いなと思っていました。 それは結構好きでした。 羽田:椎名誠さんの本とか。 中学受験の勉強の時に、過去問で『岳物語』が引用されていたのが最初の出合いだと思います。 それで中2くらいから「あやしい探検隊」のシリーズを読むようになりました。 出版社の経費で無人島に行って、酒飲みながら原稿を書いてというのが楽しそうに書いてあったりするので、「作家って職業は羨ましいな」と思いました。 作家のライフスタイルに憧れたきっかけは椎名誠さんです。 羽田:そうですね。 中2の時に、隣の市に新しい図書館ができたので夏休みに見に行ったら「小説家になるための本」というのがあって、ああ、「小説って書く側になることもできるんだ」と気づきました。 それで「いつかは小説家になってみるか」と思い始めたんです。 でも具体的に書くことはなくて、ただひたすら通学時間に小説を読むだけでした。

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作家の読書道 第165回:羽田圭介さん

小説家 読書量

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。 今回のテーマは「お金の使い方」です。 特別給付金の10万円を何に使うか考えている方も多いかと思いますが、今回紹介する5冊の中にそのヒントがあるかもしれません。 この選書連載を追ってくださっている方は薄々勘づいておられるだろうが、わたしは本を買いまくっている。 いや、仕方ないのである。 そもそも小説家は小説界の動向にアンテナを張っておかなくてはならないし、歴史小説家はさらに歴史的なトピックスに興味を持っておく必要がある。 それゆえ、気になった本は片っ端から手に入れ、読むのである。 かくしてわたしの家の本棚(金属製)は地震の度に軋み、わたしの後ろで妙な存在感を放っているのである。 買い物は個性の発露である。 その人の仕事や嗜好、生き方とも連動している。 その人の買い物レシートを見れば、その人の心象風景を復元することだって可能なのだ。 というわけで、今回の選書テーマは「お金の使い道」である。 まずご紹介したいのはこちら。 『お金さま、いらっしゃい!』(高田かや・著/文藝春秋・刊)である。 諸般の事情で大量消費文化に接してこなかった著者(その辺の事情は同著者『カルト村で生まれました。 』『さよなら、カルト村。 』に詳しい)が、少しずつお金との付き合い方を覚えてきた道程を描いたコミックエッセイである。 本書の主人公である著者は大人になるまでまとまったお金を持ったことがほとんどないという変わった経歴の持ち主ゆえに、大人になってから大量消費文化の洗礼を受けるという得難い体験をしている。 多くの方が子供のうちに当たり前のこととして受け入れてきた様々な当たり前が、著者にとっては新鮮な体験なのである。 彼女は、堅実でありながら、お金を使うこと、お金を通じて人と繋がることを楽しんでらっしゃる風がある。 これは、お金のやり取りが当たり前であるわたしたちにはあまり持ちえない視点かもしれない。 コミュニケーションのかすがいとしてのお金の使い道を教えてくれる一冊である。

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ナポレオンが嗜んでいた読書の量とは

小説家 読書量

評論家だったら普通。 しかし、自分が今何冊読んでるかとか、わからなくね? ついでに言うと、 絵本・漫画・(文字の多い)雑誌・子供向けの本・ゲーム攻略本 ・ゲームノベライズなんかを入れるかどうかもよくわからんし。 と子供向けの小説含めると1000〜2000冊の間だろうなぁ。 入れないと、ぎりぎり1000いかないかも。 とは思うけど、1000冊も2000冊もタイトルを並べて確認なんてできないからなぁ。 連投すまん。 てか、その冊数ってマジ? 1年365日、毎日1冊読んで10年で3650冊でしょ。 子供時代から1日も欠かさず毎日読みまくりなら、20歳くらいで5000冊。 でも、社会人になって、新人賞狙いなりデビューして兼業なりをやりながら 毎日1冊読書って至難の業じゃない? 俺の場合、死ぬまでに5000冊がいいとこだな。 通勤の電車の行き帰りで1冊。 会社の昼休みには原稿を書いて、 帰ってきてからは奥さんと一緒に食事。 子供と風呂に入って、11時に寝て、 朝4時に起きて7時半まで執筆。 土日にはまとめて4冊くらい読んでいくと、 1年で400冊くらいになる。 ただ、勝負はやっぱり学生時代だな。 大学卒業までに2000冊ほど読んで、読む力を身につけておくとあとあと楽だ。 結局、読書も原稿書きも読まない、書かないから遅いんであって、 ある程度(数年)毎日やってるとかなりスピードがつく。 332みたいな意見を目にするにつけ、本末転倒という言葉が浮かぶ。 作家になりたいから、その手段として本を読む…… こういう発想そのものが決定的に間違っているんじゃないかなあ。 「気がついたら」なんて悠長なことを言ってたら、 いつまでたっても「気がつかなかった」わけなんだよ。 本気で小説を書くつもりなら、ある程度意識して「トグ」とか 「習作」をはじめていかないといけないし、 読書の幅も意識的に広げていかなくてはいけない。 まだ読んだことはないけど、今度は、女性のロマンス小説をまとめて読んでみよう、 とか、ミステリ作家を50人1冊ずつ読んでみようとか。 小中学校の頃は、好きな本だけ読んでたから、嗜好がかなり偏っていた。 これではいけないと思ったんで、高校時代に「意識して」 年表順に、流れを追って小説を読みはじめた。 そうすると、おおむねうすぼんやりとだが、 「」がなぜ軽いと言われるか、とか がなぜヒットしたかとかが、なんとなくわかった気がした(あとでこれは間違っていたとわかった)。 大学では暇があったんで、試しに1週間続けて1日10冊ずつ読んでみるとか、 図書館に籠もって句集を片っ端から読みまくるとか、かなりめちゃくちゃやった。 そしたら、の本に「プロになるだいたいの目安は、原稿を1万枚書くこと」と書いてあったので、 「意識的に」やってみようとしたわけだ。 俺はなまけものなんで、 「やってみよう」と思わなければ、 何もしないんだよ。 きみのいう、「王道」とは正反対のところにいるわけだ。 そんで332が今プロだ、というなら、 332のレスにもぐっと真実味が増すんだけどな。 まあ多分、やり方としては間違ってないとは思うけど。 333も間違ってない。 小説じゃなく漫画なんだけど、自分は333の方法でプロになった。 気がついたら、ってことはさすがにないけどねw デビューは明確な意志がないと出来ないから。 でも332の方法でプロになった人間も知ってる。 ひとつ言えるのは、意識的に技術を蓄積する方が効率がいい。 でも無意識的な蓄積の方が、ムダもある分懐は深くなるよ。 読む本にもよるんじゃないの? 5000冊っていうと短編ばかりを読んでいかないことには達成は不可能。 1冊1000ページにも及ぶような長編を1日で読むというのは不可能。 今俺はそれこそ長編ばかり読んでいるので、1日1冊は不可能。 冊数よりも、文庫本で何ページくらい読んだかというほうが実情に沿っている。 5000冊というのは、通常人間の人生の中における読書の総数量だと いわれているよ。 ただし、本の内容にもよるから、多い少ないという 議論はいかがなものか。 田舎だとほとんどいないが、都市部だとけっこういる。 10000冊を超える人はあんまりいないと思うが。 例をあげれば、「クイズ」「週刊ブックレビュー」の司会をしている 俳優のが10000冊以上。 が50000冊。 若手作家で読書家で有名なのは、をとった。 大学時代は1日3冊。 今はミステリだけ数えても年間400冊くらいだそうだ。 5000冊なんてすぐだな。 webdoku. たくさん読む人より、たくさん書ける人の方が凄いと思うが。 ごめん。 俺の書き方が悪かった。 生涯読書数が5000冊以上の人は都会に限らずあちらこちらに存在していると思う。 著名人なら尚の事、かなりの数の読書家が存在していて不思議ではない。 執筆を生業としてる人のデータならば、そこには意味があるのかもしれない。 人の機微に触れる為に小説を読んだり、必要に迫られて専門書を読んだり、 著名人の職業によっても読書をする理由はやはり様々だと思う。 要は、あなた自身、そしてあなたの周りに、生涯読書数5000冊を超える者が、 一体全体何人くらい存在する?自分の周りにはまずいませんよ、って話。 桜庭の家をテレビで拝見したけど狭い廊下が書架に占領されていたね。 部屋が狭くて本の置き場がないとこぼしていたからかなりの読書家なんでしょう。 書店で本を選ぶ桜庭にカメラが密着していたけど、まさしく。 あの場面を見て完全に者だと感じてしまった。 でもこれらのエピソードは桜庭の名前が売れた今だからこそ自慢出来る話でしょ。 大量読書=ベストセラー作家みたいな勘違いに陥ってはいかんと真面目に思う。 人並み以上読書をして、それをよく咀嚼してから流し込み消化させていく。 自分の文章を客観的に読む事が出来て、尚且つ稚拙な部分や陳腐さに気づき 恥ずかしくなれるような人って自然と早く上達すると思う。 へえーなるほどと、小説家志望者が感心するエピソードではあるけれど、 桜庭のあの読書量と作家としての力量は全くの別物だよ。 大きな賞をもらい脚光を浴びた桜庭さんは実はかなりの者でした。 そんな結果でしかないような気がする。

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