ユア ストーリー ネタバレ。 映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』ネタバレ感想 賛否あってもガンガンいこうぜ!│今日も映画ですか?

映画紹介「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」ラスト大炎上?感想

ユア ストーリー ネタバレ

もくじ• 評価:15点 Twitterで話題騒然、暴動寸前のこの夏最大のディザスター映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』観てきました。 あまり観る気なかったのですが、先日映画仲間から猛烈に 「あれはヤバイっすよ」とおすすめされ、職場の後輩から「先輩の感想お待ちしてます」と期待されてしまったのでこれは逃げちゃダメだと挑んできました。 ブンブンは『ドラゴンクエスト』シリーズで遊んだことありません。 せいぜい『いただきストリート』でスライムをフルボッコにしたぐらいしか接点がありません。 それでも、この映画がラブレスな映画であることがわかりました。 これはライムスター宇多丸が叩くようになり、映画ファン共通敵、サンドバッグとして山崎貴を叩きに叩いた結果生まれてしまった悪魔の映画です。 魔王、いや勇者である山崎貴が魔物をイオナズンで焼き殺すある種の復讐とでも言えよう。 ここに、ブンブンのネタバレ酷評を書いていく。 とにかく地獄絵図がそこにはありました。 『ラゴンクエスト ユア・ストーリー』あらすじ 1986年の第1作発売以来、シリーズを重ねて国民的RPGとして人気を誇る「ドラゴンクエスト」の5作目で、92年に発売された「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」を原案に3DCGアニメ映画化。 総監督に山崎貴、監督に八木竜一、花房真と「STAND BY ME ドラえもん」を手がけたスタッフが結集し、オリジナルゲームの生みの親である堀井雄二が監修、同じく「ドラクエ」テーマ曲などで知られる作曲家すぎやまこういちが音楽を担当した。 声優は佐藤健、有村架純、波瑠、坂口健太郎、山田孝之ら豪華俳優陣が務めた。 少年リュカはゲマ率いる魔物たちに連れ去られた母マーサを取り戻すため、父パパスと旅を続けていた。 しかし、道中での魔物たちとの激闘により、パパスはリュカの目の前で非業の死を遂げてしまう。 それから10年後、故郷に戻ったリュカは「天空のつるぎと勇者を探し出せば、母を救うことができる」と書かれた父の日記を発見。 パパスの遺志を受け継ぎ、冒険へと旅立つ。 次々と立ちはだかる試練の数々、ビアンカとフローラをめぐる究極の選択など、リュカの壮大な冒険が描かれる。 彼はライムスター宇多丸が毎回のように彼の作品を叩いていたことで、それに追随するように映画ファンがサンドバッグとして彼の作品を貶していった。 しかし彼はインタビューの中で自分の映画の戦略について疑問を呈していた。 有名なところで言えば、『』や『STAND BY ME ドラえもん』の副題に英語を入れるところに関しては下記のように発言している。 「頭に英語が付いたタイトルは、僕ではなく、ほとんどがプロデューサーの阿部(秀司)さんのアイデア。 その結果、作品が若い層にも届いたんです。 なるほどすごい戦略だなと思いました。 世間ではそこに反感を覚える人もいるみたいですけど、まあその気持ちは僕も分からなくもないです(笑)。 そもそも泣くか、泣かないかは観客が決めることでしょう。 それを最初から『泣けますよ』と言い切るのはなかなか思い切った戦略です…。 しかし史上最強のコピーでもあります。 そして、今年の彼はその間で生まれた憤怒や葛藤、モヤモヤを2つのベクトルで爆発させてしまった。 『アルキメデスの大戦』では菅田将暉演じる天才数学者の運命に自分を重ね合わせ、天才的才能でもって国を支えるポジションにまで登りつめたはいいものの、どんなに頑張っても最終的には組織に飲まれてしまう哀しさを描いた。 あれは、東京五輪や消費税増税、7pay問題と今の日本が抱える組織的汚職を象徴させ、「これぞ日本だ」という映画ではあるのだが、その原点は山崎貴本人の生き様にあったのだ。 だがら妙に熱量が高い作品でした。 山崎貴本人の苦悩を語った『アルキメデスの大戦』に対して、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は今まで散々暴言を吐いてきた映画ファンに対して、資金力と名声でもって高品質に作られた世界観の中で焼き殺すイオナズンでありました。 我々からしたら山崎貴は魔王に見えたことでしょう。 だが、彼からしたら僕たちは魔物だったのだ。 彼は勇者として、徹底的に魔物を焼き殺してみせたのです。 彼は恐らく広告会社や映画会社から 「ノスタルジー系やりましょうよ。 ドラクエ懐いですねー。 じゃあ納期来年ってことでお願いしますわ。 」と言われ幻滅したのでしょう。 彼は本当はゲームの映画化なんてやりたくないし、ドラクエなんて無茶だ ひょっとするとまともに愛もってRPGゲームなんかやってないのでは? と思っているのだろう。 でも仕事だから一応やる。 ほれバトルシーンだよ。 モンスター倒すとゴールドやアイテム貰えるんだろう? とりまスライム仲間にすりゃいいだろ? 結婚シーン入れておきます。 フローラ派? ビアンカ派? そんなのどうでもいいわ、両方に告る展開にして保険をかけておこう。 といった感じで全てが事務処理で終わり、到底2時間で終わらないゲームプレイは冒険のダイジェスト映像でzip圧縮されている。 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』をやったことないブンブンですら、違和感を抱く。 ポンッ、ポンッ、と『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の重要イベントだけが乱雑に並べられ、叙事詩、あるいはパソコンなんてない世界の一期一会と再会のカタルシスが皆無となっているのだ。 ドラクエといえば、モンスターが仲間になるのだが、これもスライムとヒョウのモンスターに留まっている。 スライムに関しては、魔王の労働施設からずっとリュカの側をついてくるのだが、彼と遭遇するまで異常に時間がかかっているし、船に乗ってまで彼に会いにいっているのだが、それに関する説明がないので、ただのストーカーにしか見えないのだ。 保険をかけてフローラとビアンカに告白するという脚本になっているのですが、これが鬼畜すぎてドン引きするものとなっている。 フローラにリュカは結婚を申し込み有頂天になる。 フローラはビアンカこそリュカのパートナーにふさわしいと考え始め、老婆に変装し彼をビアンカに告るよう仕向ける。 そしてリュカはフローラとの結婚を取り下げ、ビアンカに告白するのだが。 それをビアンカがすんなり受け入れるとはあまりにも都合がよくないだろうか? ビアンカがブチギレて出て行き、リュカが一人でダンジョンに挑み自問自答し、成長し再び告白してOKとかならまだ分かるのですが、ビアンカが単にリュカの都合のいい女のように軽く扱われているのには流石に腹が経ちました。 そしてこの作品を観て感じるのは、山崎貴がRPGゲームというものを分かっていないというところです。 RPGゲームの醍醐味は連携プレイと心理戦である。 初心者は、戦闘を早く終わらせようと「こうげき」or「こうげきまほう」一辺倒でモンスターに立ち向かう。 しかしながら、中級者になってくると、回復係、強化魔法係と各キャラクターのポジションを明確に分け、連携プレイを覚えてくるものです。 これは『ドラゴンクエスト』を遊んだことないブンブンでも『ポケモン』や『MOTHER』で学びました。 何か一つRPGゲームを愛したことがあれば、そういった連携プレイを魅せてくれるはずなのですが、ここでは戦略が皆無だ。 常に「こうげき」or「こうげきまほう」しか使わない。 また、敵の大抵がワンパンチで倒れる仕様だ。 一撃必殺のチート取り入れたプレイを魅せられている程つまらないものはない。 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はまるでYoutuberのつまらないゲーム実況を観ているような虚無が漂っていました。 衝撃のラストと『天気の子』の意外な共通点 そんな退屈地獄なイバラ道を2時間耐えたブンブンは最後の最後に、山崎貴渾身のイオナズンに精神が大爆発しました。 ラスボス・ミルドラースを倒したかと思ったら、急に画面がフリーズし始め、異次元から棒人間的魔物が現れる。 そしてこの世界はプログラミングに過ぎないと語り始め、この映画の構造が明かされるのだ。 これは『ドラゴンクエスト』のVRの世界で、この旅はプレイヤーの没入感が生み出した世界に過ぎないということが明かされていくのだ。 これが副題の《ユア・ストーリー》の正体だったのだ。 棒人間魔物が語る「永遠に思えた時間は、現実世界では2時間しか経っていないんだぜ」という言葉は、この映画に没入してきた観客を逆撫でするものであり、逆撫でした上で貴方の物語なんだと言われてもドメスティック・バイオレンスだ。 暴力ふっておきながら、あなたの物語だよ。 ハッピーエンドでしょと言われても精神的苦痛は癒えることはない。 だが、これは『天気の子』と同じ手法でもある。 『天気の子』も、『君の名は。 』で散々気持ち悪いと叩いてきた映画ファンに対して、納期さえ守ればなんでもできる名声と権力でもって意地悪な街・東京を沈没させてから帆高と陽菜が結ばれてハッピーエンドという自己中心の極みをもってくる厭らしさがありました。 本作も、形式上魔王を倒し、世界は平和になりましたというオチがつくものの、その前に観客の心を粉砕するディープインパクトを与える仕組みとなっている。 映画ファンに対する憎悪は、山崎貴の方が上手なので災害レベルは桁違いのものとなっている。 災害起こすなら脚本を… そんな映画ファン、ドラクエファン悶絶のクライマックスですが、折角やるならそこの脚本をしっかり練って欲しかった。 棒人間魔物は、ドラクエの世界に没入する勇者を現実に引き戻そうとするウイルスという設定だが、そもそもそれってスマホゲーム中毒になってしまった人を更生させるためのウイルスのようなもんだ。 むしろ善玉なのではないでしょうか。 ドラクエの世界に熱中し過ぎて現実に戻れなくなった人を救う救世主のように見えてしまうのです。 そこにとってつけたように相棒のスライム通称・スラりんが現れ、急に山寺宏一ボイスで語り始める。 「俺はYouの側でずっと見守っていたんだぜ。 このアンチウイルスソフトをぶちこむのだ」というのだ。 ほうほう、『』の執事描写やラストのあれを意識したんだね…ってちょっと何いっているのかわからないんだよ。 とってつけた感があまりにも強くて、蹴りをつけるのが勇者の劔でもなんでもないアンチウイルスソフトなんてあんまりです。 そうだよ。 ゲームは所詮0と1の電気信号だし、結末なんか製作者によって決められている。 虚構に過ぎないさ。 でも、その虚構がいいんじゃないか。 現実とは違った世界の住人になれる、現実は変われなくてもゲームの中なら変われる。 それがいいんじゃないか。 じゃあ百歩譲って、あのエンディングを肯定するにしても、全てがとってつけたようで中途半端に見える。 なんだったら、リュカが走って現実世界に戻り、退屈で陰鬱とした現実世界を勇者として駆け抜けていく 『幕末太陽傳』の幻のラスト的な展開をもっていった方がまだ《Your Story》に魂揺さぶられるものを感じたのですが、結局仮想世界にしがみつくことを選んだ。 山崎貴はゲーム好きなの? 嫌いなの? そもそもこのテーマについて考える気ないでしょと思ってしまうのだ。 山崎貴はドラクエ愛すらすっ飛ばしてゲームに対してもラブレスな態度で決着をつけてしまったのです。 ドラクエに思い入れのないブンブンですら精神が灰になるまで燃えて燃えて燃え尽きる思いをし、目の前が真っ暗になりました。 これだったら苦手監督の福田雄一の『勇者ヨシヒコ』シリーズを観ていた方が良かったし、アフリカ・マリで作られた実写版ドラクエ的映画『ひかり』を観たかった。 ここ数年で最大威力のテロに発狂したブンブンでした。 そして山崎貴監督にお願いです。 『MOTHER』を映画化しようなんて考えないでください。 広告代理店や映画会社からお願いされても断ってください。

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ユアストーリーのオチがひどいと話題に!ネタバレ感想で評判をまとめ|ごろーの色々総合ブログ

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ドラクエ映画を観ました。 1800円あればポリオワクチンで小児マヒの子供を90人救うことができるそうです。 — たけすへ spitzbergen215 この映画はかなりの酷評を叩きつけられているのだが、 僕としては駄作と一つも思えなかった。 映像が本当に綺麗だった。 あの映像を見ていた時、僕は確かにあの世界をリアルに感じていた。 音楽も素晴らしかった。 本家の音楽の使い方とか、最高の場面をしっかり選んでいた。 脚本もかなり練られていた。 そういう話だと認識して観れば、どこもかしこも伏線だらけだ。 クオリティ自体は高いのだ、この作品は。 しかし、ファンには受け入れられなかったのだ。 この制作陣とファンにある溝の正体はなんなのだろうか? 僕はこれを 「監督のマイストーリーは、ファンのマイストーリーと違っていた」というものだと解釈した。 今回はこの考えについて書こうと思う。 良ければお付き合い願いたい。 このNoteは ネタバレ を含んでいます 未視聴の方は回れ右! 『ファンが望んだドラゴンクエスト』 「ドラゴンクエストが映画化します!」 僕はプロメアを観に行ったとき、この告知を始めて観た。 その時のことはよく覚えている。 ……いや、そんなことはないだろう。 きっと期待に胸を膨らませながら 「あの場面をどう再現するんだろう!」 「ちょっと想像とCGが違うなぁ」 「エモいなぁ、あの思い出がこんな綺麗になるなんて」 とか思うことだろう。 そう、どちらにせよ 僕は「ドラクエの映画」を期待したのだ。 「ユア・ストーリー」を「主人公 勇者 の物語」だと解釈してね。 ドラクエのファンも同じことを感じたのではないだろうか。 事実、前評判では「自分の子供に自分が愛したゲームを見せたい」なんて書かれていた。 公式ビジュアルの公開に対しては「自分の想像したデザインと違いを申し立てる人」で溢れていた。 みんな、 「ドラクエが再現された映画」を求めていたんだよ。 ユアストーリーというタイトルに違和を感じる人はいたが、それでもその人もドラクエを望んでいたね。 だから制作陣は、「純粋なドラクエ」を提供すればよかったんだろうな、と僕は思う。 ……しかし。 実際に提供された映画はそうじゃなかった。 『実際に提供されたノットユアストーリー』 では実際に何が提供されたのだろう? 「例の場面」「魔の10分」と呼ばれる、恐らく多量の観客を虚無に陥れた最後のシーンが、この提供されたものを如実に表している。 この映画は最後のシーンでメタフィクションが展開される。 そしてそのメタな作品を遊ぶプレイヤーという概念を描き、最後の山場を作っている。 つまりこれは 「ドラクエを遊ぶプレイヤーの映画」である。 プレイヤーの物語、だからユアストーリー。 本来提供されると期待していたのは「ドラクエの映画」。 ……えらく期待と別物だな。 しかし提供されたものはそれだけではないのだ。 タチが悪いことに、この「ドラクエを遊ぶプレイヤー」を「映画を見に来たあなた」と同一化しようと試みてしまった。 これが先の問題と相まって、かなりの悪手となってしまった。 最後の場面にて、主人公はプレイヤーで、この世界は虚構だと明かされる。 でも「映画を見に来たあなた」はドラクエを見に来てるわけだから、ドラクエは虚構だ!って言われるわけ。 そんな状態で、そんなことない!と叫ぶ「ドラクエを遊ぶプレイヤー」になれるだろうか? 答えは否だ。 「映画を見に来たあなた」は「なんか急にドラクエの映画だと思ってたものがドラクエを否定する映画になったと感じた人」であり、「ドラクエという存在が否定されて苦しむプレイヤー」にはなれない。 この感情の乖離が、映画を見に来た人の物語=ユアストーリーという式を崩す原因となる。 そうなればもう、これは 赤の他人ストーリーだ。 ちゃんとドラクエという存在を否定されて苦しむ人になれれば、ユアストーリーなんだけどね。 ラストシーンに留まらず、様々な場面でこの感情の乖離が発生してしまったのだろう。 まとめると2つの要素に収まる。 視聴者が期待したものと全く違うテーマ 2. 1による感情移入のトリガーの起動ミス これが、この作品が提供してしまったものだ。 ところで、評価を見ていると「ドラクエを遊ぶプレイヤーの映画だとわかる場面」があまりにも唐突すぎると苦言を漏らす人が多い。 しかしこの映像がメタフィクションであるという伏線はいくらでも発見できるのだ。 それは「物分かりが良すぎる登場人物」であり、「プレイヤーの理想が反映されている世界」であり、「ゲームの設定を語る場面」であり、「幼少期の設定を思い出し起きている事象をすんなり理解する主人公」である。 これらはメタフィクションという今では広く認知されたジャンルを取り入れたコミカルな場面を描いただけの表現ではない。 このゲームっぽいご都合主義感がメタフィクションの伏線の全てなのだ。 そう捉えると、非常によく練られた脚本だと僕は思うよ。 ただ、視聴者が求めたコンセプトと作品のコンセプトが一致してないだけ。 「いや、ラーメン食べたいんだけど??????」ってなるじゃん? その漫画が滅茶苦茶面白くてもさ、違うじゃん? 900円払って漫画を買わされたんだよ、文句言いたくなるじゃん。 しかも店主に 「その主人公の気持ち、お前のラーメン好きな気持ちと一緒だろ?」とか言われてみろよ。 「いや違うけど?????てかラーメン作れよ???????????」 ってなるじゃん。 いや、実際には主人公の気持ちと客の気持ちが一致してたかもしれないよ。 でも違うじゃん? 違ったんですよ。 お客さんは「ドラクエの映画」が見たかった。 実際には「ドラクエを遊ぶプレイヤーの映画」が出てきた。 その時点でもう、駄目だったんです。 その上で急にドラクエを否定されるのですから、まぁ不快だったでしょう。 残るのは「虚無を遊ぶプレイヤーの映画」だけ。 これが、ユアストーリーだったのかな、と。 『どうすればよかったん?』 ファンが満足するものはなんだったんだろう。 〇お客さんにメタフィクションを見に来てもらう メタフィクションという伏線が「ゲームだから」という見ていてイメージしにくいものだったから、そこを修正してみる。 ドラクエのストーリー中にバグがちらほら現れ、この世界を徐々に壊していく。 主人公も、仲間も、敵すらもそれを恐れ始める。 バグは世界を侵食していき、主人公の思い出を壊そうとする。 しかし主人公は「この世界の住民」として、この世界を守ろうとバグに立ち向かう。 だがプログラムでしかない主人公はバグに侵食されてしまう。 そこにバグに強い耐性があったスライムが正体 ウィルスバスター を明かして現れる。 主人公は「この世界の住民」のまま、バグを葬ることを達成する! 予告編も、世界が侵食される!という宣伝方法を取る。 ドラクエが映画化するんじゃなく、ドラクエという世界VSバグと戦いを描いた映画にするの。 そしたら、まだ納得感あったんじゃないかなぁ。 〇メタフィクションを二次創作で使わない メタフィクションって簡単に言えば「作品の存在を否定する」ジャンルなんだよね。 架空は架空だって割り切っちゃう。 だから、そもそもの前提として二次創作でメタフィクションを使うことはファンを傷つける可能性が高い。 だから創作世界の中だけで完結する話にする。 ドラクエだったら、ドラクエ アナザーストーリーってかんじでね。 そしたらまだファンが納得して喜べる作品になったはず。 〇そもそもドラクエでやらない メタフィクションで架空のゲーム世界VSバグという構造を使い、ゲーム世界という思い出を守る!というテーマだったら、ドラクエの映画化に関して言えば邪魔になりやすいね。 だったら、いっそのことドラクエじゃなく、最近はやりのVR系オリジナルゲームをシナリオ内に制作して、そのVRゲームを起点にしてメタフィクションを展開すればよかったんじゃないかなぁ。 いやドラクエだからって話なんですけどね、でも回避法としてはこうかな。 という感じです。 ちらほら書いたけど、僕はこの作品の出来は文句ないと思っているよ。 この作品に対して込められた情熱の量が半端なかったからね! 作品に対する愛がなきゃ、あれだけのものは作れないよ。 ただ、その見せ方が悪かったなぁと。 ただそれだけです。 この作品に対する酷評は覆らないかもしれないが、この作品に対する見方が少しでも変わればいいと、僕は思うのです。

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映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」ネタバレあらすじと感想結末/天空の剣を操る勇者をさがせ

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映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、国民的RPGゲームである「ドラゴンクエスト」シリーズの傑作と名高い「ドラゴンクエスト5」をもとに、3DCGで新たに製作された同作の初映画化作品です。 しかし、結論から言ってしまえば本作は評価に値しない映画であると筆者は考えていますし、恐らくその考えに共感してくださる視聴者も多いと思われます。 少なくとも「ドラクエ5」のファンであればあるほど、この作品を受け入れることは難しいでしょう。 今回の記事では『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の「良かった探し」を試みた後、この映画がなぜこれほどまでに残念な出来になってしまっているのか、という点を論じていきたいと思います。 そのため、ネタバレおよび作品に対する批判意見には注意してください。 少年リュカは、魔物によって連れ去られた母を救うべく、父のパパスと共に旅を続けていました。 父の背中は実に頼もしいでしたが、魔物たちとの戦闘で不覚を取ったパパスは、自身の能力を発揮することができないまま殺害されてしまうのです。 それから10年の歳月が経過し故郷へと帰還を果たしたリュカ。 父の遺品を整理していると、そこには「天空のつるぎ」と「勇者」の存在が母を救うことにつながると記されていました。 父の遺志を知ったリュカは、これを受け継いで旅に出ます。 まず、本作も映画を名乗って商業的に公開されている作品ということで、当然ながら良かった点がないとは言い切れません。 そもそも「良かった探し」を頑張らなければならない時点で作品の出来が酷いものであることは明らかなのですが、批判一辺倒では何かと不公平に思われますので、頑張って本作を褒めていきます。 個人的に感じた評価すべき点は、原作で「負けヒロイン」に選ばれることの多いフローラが、実に魅力的な女性として描かれている点です。 原作プレイ済みの方はよくご存じだと思いますが、映画と同様に原作でも「プレイヤーが結婚相手を選択する」という場面が存在します。 ここではやはりフローラとビアンカが候補に挙がるのですが、幼少期から共に冒険し思い出深いビアンカに対し、あまり人間性が描写されず「ぽっと出」感が強いフローラは、やや魅力に欠ける面がありました。 そのため、体感ですが大半のプレイヤーはビアンカを選んでいる印象が強く、原作者の堀井雄二も「普通に進めていればビアンカが選ばれるという体で制作した」と語っているほど、いわば「出来レース」的な側面があったのです。 しかし、そういった観点から本作を振り返ってみると、原作とは様相を異にしていることが分かります。 まず、ビアンカが選ばれる決定的な要因となった「幼少期の思い出」という面は、尺の都合によってバッサリとカットされています。 もちろんこの製作スタイルもツッコミどころは満載なのですが、とりあえずここは一旦置いておきましょう。 その後は「伝説の勇者」と「剣」を探すという、比較的オーソドックスなストーリーが展開されていきます。 この映画の終盤までの展開は、良くも悪くも無難で面白みに欠ける一方、致命的な欠陥は少ないように感じました。 この過程において結婚の選択を迫られるのですが、この映画ではビアンカよりもフローラのほうが魅力的に描かれているように感じました。 原作では彼女が当て馬になっている印象のほうが強かったので、この路線転換は悪くないと思います。 もっとも、せっかくフローラを魅力的に仕立て上げたにも関わらず、最終的にそれほど決定打のないビアンカが選ばれてしまうので、映画としての説得力は皆無なのですが。 終盤で原作を滅茶苦茶にするのであれば、逆にここを変えてみてもよかったのでは?と思わずにはいられません。 さて、良かった探しを早々に終えて、本作の論評へと入っていきます。 まず第一に気になったのは、原作者のキャラクターデザインを務めた鳥山明の画風に全く似せる気のない本作キャラクターたちの造形です。 パッと見た感じは、アメリカの3Dアニメ映画に近く、ピクサーなどの影響を感じさせるデザインになっています。 しかし、言うまでもなく原作ファンは鳥山明のドラゴンクエストが好きなのであって、普通に考えればキャラデザを一新する意味が分かりません。 特に、ドラクエは近年3Dゲームと化しており、ドラクエ8以降は3Dアニメとの親和性を見せ続けています。 となれば、ファンの反発があるのは製作陣も十分に予測できたことでしょう。 そこで、この項では「本作のキャラデザ刷新は大失敗であった」ということを前提として、一歩進んだところにある「なぜ、見えている失敗路線を邁進してしまったのか」という点を考えていきます。 そもそもの前提として、本作を手がけた山崎貴という監督は、原作のキャラデザを往々にして無視する傾向があります。 これは以前に大ヒットした「STAND BY MEドラえもん」や、本年末に公開予定の「ルパン三世」の3Dアニメ映画にもいえることで、あまり原作のキャラデザを尊重しようと考える監督ではありません。 そのうえで、本作のデザインが「アメリカナイズ」されているという点から、「海外ウケを意識したのでは」という可能性が考えられると思われます。 確かに、ドラゴンクエストという作品は国内での人気に対して海外での人気が低いことで知られており、一般に「国内二大RPG」とされるファイナルファンタジーシリーズに国外知名度では大差をつけられているのが現状です。 こうした事実から、製作陣は「鳥山デザインは海外でウケにくいのでは?」とあたりをつけ、キャラデザの刷新に踏み切ったのではないでしょうか。 ただし、残念な事実として鳥山明が書く「ドラゴンボール」シリーズは海外人気も高く、彼のデザインが海外でウケないというのはお門違いな指摘なのです。 ゲーマーの間では、ドラクエのゲームシステムが海外との相性に問題をきたしているとみられることが多いため、仮にこう考えていたのであれば認識が不足しているでしょう。 もっとも、監督の作品遍歴から考えれば、ただ単にオリジナリティを出したいがためにキャラデザを刷新した可能性も否めません。 仮にそうであったとすれば、それは自身が作成するオリジナル映画でしてほしかったですね。 この映画が評価を決定づけた最大の要因が、終盤に明かされる「衝撃」の種明かしでしょう。 主人公一行がラスボスであるミルドラースと対戦している最中、リュカを除く世界全てが急速に崩壊していきました。 その光景に驚いている彼に、「今までお前が生きてきた世界は全てVR(仮想空間)であり、これはゲームだったのだ!」と告げられます。 しかし、それを知らされたにもかかわらずリュカはその歩みを止めず、ラスボスにとどめを刺すという展開が描かれていました。 このシーンを要約すると、「しょせんは作り物に過ぎない『ゲーム』という世界でも、その思い出は残る」というようなメッセージを我々に伝えたかったのでしょう。 実際、監督は「衝撃的なラストシーンを思いついた」ために映画製作を決意したと語っており、おそらくこれは事実だと思います。 このメッセージを届けられた筆者は、主に二つの点で怒りを覚えました。 まず、一つ目は「ドラクエ5を冒涜している」という点です。 監督による改変は、言うなれば「ドラクエ5のシナリオはつまらないから、俺が楽しくしてやった」という意図を感じないでもないですし、作り手側の驕りを象徴しているように思えます。 もちろん、長編ゲームを2時間映画にまとめるには多少の改変はやむを得ないですし、そこは致し方ない面もあるでしょう。 しかし、原作の伝えたいメッセージとは似ても似つかないような「衝撃的なアイデア」を我が物顔で伝えられても、こちらはただただ呆然とするよりほかにないのです。 繰り返し言っていますが、好き勝手やりたいのであればオリジナル映画を作るべきですし、それが叶わないのであればせめて原作にリスペクトを持ったうえで、原作付きの映画を製作してくださいと伝えたいです。 もう一つの腹立たしい点としては、「肝心のメッセージも時代遅れで凡庸」という点です。 百歩ゆずって原作とは全く異なる展開になっていたとしても、それが映画として魅力的に仕上がっていればまだ評価できます。 確かに原作ファンには受け入れられないかもしれませんが、一つの良作映画として評価を得られると思います。 ところが、本作で伝えているメッセージは「ゲーマーを冒涜する」ものでもあり、同時にやや古臭い発想でもあります。 「仮想空間にムキになっちゃって」という意見は昔からゲーマーに向けられてきたものですし、「思い出は残る!」という答えもゲーマー側が持ってきた矜持のようなものでしょう。 最近でも、ソシャゲへの課金をいぶしがられることの答えを用意する方は多いです。 つまり、言ってしまえば「ゲーマーにとってのアタリマエ」を、「こんなアイデアを思い付いた!すごいでしょ?!」と見せつけられているのが我々と本作の関係性であり、非難が殺到するのも全くもって道理でしょう。 ここまでの内容からも分かるように、基本的に「原作が好きであればあるほど、出来にイライラする」という映画になってしまっています。 ただ、これについては製作陣もハナから既存のファンに対するサービス精神は感じられないので、もしかすると想定内であったのかもしれません。 では、仮にドラクエシリーズに全く思い入れのないファンが本作を鑑賞すれば楽しめるのかというと、残念ながらそれも難しいと思われます。 なぜなら、長編ゲームを無理矢理圧縮しているせいで展開がかなり駆け足であり、世界観に対する理解やキャラへの思い入れが全く醸成されないためです。 先にも触れたように、例えばビアンカの結婚をとっても幼少期の思い出が全部カットされているため、初見の方ではなぜ彼女が選ばれたのか納得がいかないでしょう。 この点に関しては、むしろ原作を知っているファンこそ「まあ、ビアンカと過ごした時間も長いしな…」と納得できる始末です。 しかしながら、既存ファンはストーリーを理解できるのでなおさら腹が立ってきます。 それは終盤の展開もそうですし、キャラクターデザインもそうです。 本作の評価をまとめてしまうと、「見ることによって誰も楽しめない映画」になってしまっていると思います。 ハナから原作ファンを捨てていくのであれば、人物の設定や世界観だけを借りて全く別のストーリーを作ってしまっても良かったでしょう。 しかし、実際のところは無駄に原作要素が残ってしまっており、どこまでいっても中途半端な映画としか感じられません。 もっとも、これを裏付けるのがネット各所における酷評の嵐です。 仮に「原作愛を感じる内容」または、「改変だらけだが映画としては見どころのある内容」であれば、本当の意味での「賛否両論」が巻き起こったはずです。 しかし、大手メディアは賛否両論と口を濁してはいますが、その実態は「否非全論」といえるものであり、あまりにも救いようのない映画と断じてしまってもいいかもしれません。 さて、本作に対する評価は非常に残念なものにならざるを得ないということはお分かりいただけたかと思います。 ただ、現実の問題として、このように「失敗が濃厚な作品」を世に送り出した製作陣がいるわけで、我々からすると「どうしてもっと早い段階でストップがかからなかったのか」と思わずにはいられません。 そこで、本作が生み出されてしまったことからも推測できる、現代邦画が抱えている問題点を考えていきます。 まず、個人的なレベルから行くと、監督の山崎貴は「原作付きの映画を、非常に早く撮ってとりあえず形にすることができる」という能力を有する人物です。 実際、今年は今作を含めて彼が制作に携わった映画が3本ほど公開される予定で、その早撮りテクニックは関係者に高く評価されているのでしょう。 残念ながら昨今の邦画は「とりあえず原作をつけて、とりあえず人気の俳優を起用し、とりあえず公開する」という手法で作品を制作しており、彼はトレンドとの相性が非常に良いのです。 次に、そもそも残念な邦画が市場にあふれる理由として、「観客の質が低い」ことと「制作側の怠慢」という二つの可能性を検討してみましょう。 まず、個人的に最も大きな原因として「観客側の映画を見る目が衰えている」というものが挙げられます。 そもそも、当然ながら観客側が質の低い作品にNOを突きつけ、そうした映画を見に行かなければ、市場の原理から自然とそうした映画は退場していくのです。 しかし、実態としては「とりあえず作ってみた」と言わんばかりの映画を見に行く観客が絶えないばかりに、製作陣もそれに甘えて適当な映画を世に生み出し続けてしまうのです。 では、結局なぜ観客側の映画を見る目は衰えてしまったのでしょうか。 個人的な考えでは、「趣味としての映画」が下火になっていることを原因として挙げてみたいです。 そもそも、質が低く量産される映画は、カップル向けの映画またはファミリー向けの映画が非常に多いように感じます。 これは「映画をデートや家族サービスの一環として利用する」という流れが裏にはあるわけで、「映像作品として映画を鑑賞する」という文化そのものが衰退しつつあることを示しているのかもしれません。 残念ながら、本作の登場はこうした流れを否応なく我々に見せつけることになりました。 個人的には、「これでいいのか映画人よ」と思いますし、改めて邦画界への失望を禁じ得ません。 (Written by とーじん).

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