志賀 廣太郎。 志賀廣太郎の出演ドラマ一覧!花のち晴れや半沢直樹に陸王も!

志賀廣太郎さんを偲んで『三匹のおっさん』傑作回を再放送

志賀 廣太郎

高田文夫さんが2020年5月1日放送のの中で亡くなった志賀廣太郎さんについてトーク。 中学校の同級生だった志賀さんを偲んでいました。 (高田文夫)まあ、いろんなことがあるなと思ったけどさ。 そしたら昨日、ちょっと訃報が流れてね。 あれ、志賀くんだよ。 志賀廣太郎。 俺、中学の同級生だからね。 (松村邦洋)千歳船橋中学のね。 (高田文夫)すごいんだよ、俺たちさ。 同窓会があるとさ。 本当、あそこよく三軒茶屋の一番上でやるんだけさ。 船橋中学の同窓会ってさ。 全員がもう面白がってさ、「おう、高田と志賀、司会やれ! おもしれえからやれ!」って(笑)。 かならず俺と志賀なんだよ、同窓会(笑)。 それで2人でマイク持って出てくるとウケるじゃない? それだけで。 「うおおーっ!(拍手)」なんて。 それで2人で第一声が「ああ、どうも文夫ちゃんです」「廣太郎ちゃんです」なんつって2人でやってさ(笑)。 それで俺がパッと見てさ。 「なんだ、お前? そのバーコードは?」って突っ込むんだよ。 いきなり(笑)。 (松村邦洋)フフフ(笑)。 (高田文夫)「お前、老けたな? いくつになった?」「同い年だよ!」って。 これがオチなんだよ(笑)。 これがね、かならずウケるんだよ(笑)。 (磯山さやか)さすが! (松村邦洋)面白い!(笑)。 いつも同窓会で司会漫才をしていた (高田文夫)同窓会の2人の漫才が。 「お前、なんだそのバーコードは? 老けたな。 いくつになった?」「同い年だよ、バカ野郎! 同窓会なんだから!」「ああ、そうだった」って。 そこからいつも始まるんだよ。 それで2人で司会をやっていたんだよ。 (松村邦洋)いやー、いいですねー。 (高田文夫)いやいやいや、でも彼もね、お芝居が本当に好きで。 学校でずっと教えていたんだよね。 お芝居を。 (松村邦洋)南果歩さんも? (高田文夫)そう。 それで40をすぎて表に出るようになったけどね。 「そろそろバーコードを世間に出そうかと……」って。 でも『陸王』とかでね、始動をして。 あれ、役所広司さんも嬉しいコメントを出してくれていてさ。 「現場に来ると志賀さんが先生みたいにちゃんとみんなに教えてくれた」っていうね。 それがすごい嬉しかったね。 それで2014年11月24日に志賀廣太郎がバーコードをよけながら……バーコード、壁ドンのCMをやっているんだよ(笑)。 出演してくれた時の音があるから。 ちょっと聞いてみましょうか。 志賀くんと僕です。 同級生トーク。 <志賀廣太郎さんゲスト回音源スタート> (松本明子)本日のゲストは俳優の志賀廣太郎さんです! (高田文夫)はい、よろしくお願いします。 (志賀廣太郎)よろしくお願いします。 どうも。 高田・志賀の同級生トーク。 なんか泣けてくる…(ニッポン放送・高田文夫のラジオビバリー昼ズ) — ヘルベルト• フォン• 世田谷に千歳船橋っていうのがあるんだけどもさ。 その船橋っていうところに中学が新しくできて。 船橋中学っていう。 そこの同級生。 それで中学の時はお芝居とかやっていたの? (志賀廣太郎)演劇部。 (高田文夫)ああ、そうだったの? (松本明子)「そうだったの?」って(笑)。 (高田文夫)お前、演劇やっていたの? ああ、そうなの? お前の芝居、見たことないよ!(笑)。 (志賀廣太郎)フフフ(笑)。 サボってたんだろ?(笑)。 (高田文夫)俺、お前の芝居なんか見てないよ。 やってたの?(笑)。 (松本明子)アハハハハハハハハッ! (志賀廣太郎)うん。 国語のシイザキ先生っていうのがやはり、ご自分で書いて演出をするっていう方だったんですよ。 (高田文夫)ああ、そんな先生、いたっけ? (志賀廣太郎)うん。 国語のね。 (高田文夫)その先生がなに? 演出をしてくれて? それでお芝居をやっていたの? (志賀廣太郎)うん。 (高田文夫)どんなお芝居やってたのよ。 中学生の時。 (志賀廣太郎)オリジナルで。 (高田文夫)オリジナル? それをみんなで稽古して発表したわけ? (志賀廣太郎)うん。 学芸会みたいな。 なんかあったでしょう? (高田文夫)じゃあ生徒たちがみんな見たわけ? (志賀廣太郎)そうそうそう。 (高田文夫)俺、見てねえのよ。 (志賀廣太郎)フハハハハハハハハッ! (高田文夫)ああ、そう?(笑)。 <音源おわり> (磯山さやか)まさかの「見ていない」っていう(笑)。 (松村邦洋)「俺、見てねえ」って(笑)。 (高田文夫)あいつ、真面目なんだよ(笑)。 真面目だからね、最後は1人で死んでいっちゃうんだよ。 ダメだよ、本当にダメだよ(笑)。 71歳な。 本当に……「老けたな」「同い年だよ!」っていう(笑)。 (松村邦洋)先生って本当に同級生とか、いろんな方がいらっしゃいますね。 人を大事にする (高田文夫)俺は人を大事にするんだよ。 昔の友達とかずっと付き合っているんだよ。 人間が一番面白いじゃない? 結局さ。 だから最近、よくみんなモメてるけどさ。 いろんな、謝罪をしたりとか。 岡村くんなんかも謝罪して。 岡村くんの発言も悪かったかもしれないけども。 それをまた叩いたりとか、こうしてこうしてとか。 人が人を憎むじゃない? 今、ピリピリするから。 敵はコロナなんだよ。 俺たちはコロナと戦わなきゃいけない。 人間同士は笑顔がなきゃいけないんだよ。 (松村邦洋)揚げ足取りばっかりじゃいけないですよね。 (高田文夫)足、上がっちゃってんだよ。 (松村邦洋)上げすぎですよね。 (高田文夫)どんな感じ? (松村邦洋)フラミンゴみたいな。 「オオーウ!」みたいな。 (高田文夫)それ、ちょっと比喩、下手! (磯山さやか)アハハハハハハハハッ! (松村邦洋)いや、ちょっと……『サウスポー』みたいな(笑)。 <書き起こしおわり>.

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志賀廣太郎の若いころや結婚歴・子供は?住んでいた団地はどこ?

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Contents• スポンサーリンク 志賀廣太郎(しがこうたろう)が結婚・離婚していた!? 志賀廣太郎(しがこうたろう)さん30歳代のころに結婚していて、40歳代で離婚しているそうです。 ドラマ陸王に出演していたときに志賀廣太郎(しがこうたろう)さんが語っています。 志賀は2年ほど大学に残った後、私費でドイツへ留学する。 当時は翻訳劇の舞台が多く、役者は外国人を演じることになる。 志賀は、ヨーロッパ原作の劇が現地でどう演じられているのか、興味を持ったのだという。 「現地では最初、語学学校に通った後、シュトゥットガルトの専門学校で学びました。 実はそこは体操の学校でした。 なぜ体操かというと、芝居の身体表現、つまり演技の基礎がそこにあるのではないかと考えたんです。 意外かもしれませんが、私は体操が好きなんです。 体が硬いので連続ではできませんが、バク転もできましたよ。 その学校には1年弱ほどいましたね。 その後、あちこち回って、ウィーンでは日本人学校で小中学生に国語を教えていました」 30歳を目前にして、交際していた女性と結婚するために帰国する。 その後、母校で非常勤講師を務めることになる。 ドイツ留学をしていましたが、結婚をするために帰国したそうですね。 志賀廣太郎(しがこうたろう)さんは、その方のことを本当に愛していたからこそ結婚のために帰国したのではないでしょうか。 だが、学生に演技を教える日々のなかで、40歳を目前に行きづまる。 吸収することがなくなり、自らも演じることが必要だと感じ始めていた。 そんなとき、劇作家・演出家である平田オリザ氏(54歳)が主宰する「青年団」の舞台を見にいき、共感した。 志賀が語る。 「最初は授業の教材として作品を使わせてもらいたいとオリザに会いにいったんです。 知人の紹介で青年団の打ち上げに参加して、オリザにお願いするとすぐにOKが出た。 ですが、酒を飲んでいるうちに、自分で演じたこともない台本を使って学生に教えられるのかと不安になり、自分も舞台に出ようと思いました。 そこで、酔った勢いもあり、オリザに『次の公演に出たい』と言うと、あっさりOK。 ほかの劇団員との年齢差があるので大丈夫かなと悩みましたが、オリザは気にする様子はありませんでしたね」 '90年、志賀は青年団の舞台に出演。 すでに41歳になっていた。 その後、正式に劇団員となる。 青年団の同期である女優・山村崇子が語る。 「志賀さんは舞台設営の作業から、皆の食事作りまでなんでもやってくれる面倒見のいい人でした。 飲み会では演劇論で熱くなることはありませんが、若い人の輪に積極的に参加していました。 稽古でたまに居眠りをすることもありますが、そういう姿も自然体で、場の雰囲気は良くなりましたね」 平田オリザ氏は当時の志賀をこう評する。 「あのころ、メンバーは20代ばかり。 当然、すごいおじさんが入ってきたと思いました。 劇団内では『志賀さん』、あるいは『志賀じい』と呼ばれています(笑)。 最初からいまの雰囲気でしたからね。 他の劇団員と年齢差があるなかで、決意を持って入団してきたんだと思います。 やはり本人は舞台が好きなんでしょうね。 出演していなくても、いまでも受付の手伝いに来たりしますよ。 志賀さんの役者としての魅力は、いろいろな役ができることでしょうか。 うちの劇団は緻密に舞台をつくりあげるスタイルです。 志賀さんも演出家の期待に対して、的確かつ瞬時に応えられるということです。 そして、基礎がしっかりしているから重宝されているのだと思います」 志賀は青年団に入団後も、変わらず大学の講師を続けた。 当時の教え子である映画監督の佐藤徹也氏が思い出を語る。 「志賀さんはドイツ語も教えていたのですが、いまでも最初の授業のことは強烈に覚えています。 『イッヒ・リーベ・ディッヒ』(あなたを愛している)。 あのビジュアルでそれから始まったんですよ。 僕は劣等生で、単位をもらうために志賀さんに直談判をしたことがありました。 すると、『授業に出なかった理由をレポート100枚で表現しろ』とチャンスを与えてくれました。 そこで僕は授業をサボって観た映画のリストと感想を書いて、アポなしで自宅を訪問したんです。 志賀さんは『ホント迷惑だよ』ってこぼしながら、単位をくれました。 格好いいですよね。 飄々として、面白いことは特に言わない。 でも、それも志賀さんの色だと思います。 生徒にとって良い先生でしたよ」 志賀は46歳のとき、アップルコンピューターのCMに出演して、注目を集めた。 それを契機として、オファーが増え続け、'00年代に入り、引っ張りダコの名脇役となった。 大学で演劇を体系的に学び、海外留学、演劇講師、劇団員のキャリアがある。 それを土台に、深みのある声で「真面目な小市民」を巧みに演じるのだ。 その一方で、ふだんの志賀はマイペースを貫く。 志賀のマネジャーである牧内彰氏が明かす。 「役作りに悩む姿を見たことがありません。 本番直前までいつものまま。 スマホでゲームをしていることもあります。 本番のときに初めてスイッチが入るって感じでしょうか。 それどころか、撮影中もふだんと変わっていないと思ってしまうことさえありますね。 志賀さんの言葉で印象に残っているのは、『明日できることは明日やる』だったかな。 基本的に仕事は選びませんし、お酒とお風呂が好きな良い意味で普通の人です。 電車に乗っていても気づかれることが少ないですね」 いまも週1コマ、大学で授業を行い、電車の中で台本の表紙を隠して、セリフを覚える。 楽しみは一人でフラリと居酒屋やバーに行くこと。 行きつけの居酒屋、世田谷区の祖師谷大蔵にある「サクラ」の店主・勝木美子さんが目を細める。 「いつも夕方6時ごろから、遅いと終電間際までいらっしゃいます。 テレビを見たり、若いバイトの女の子と世間話をしたり。 テレビは『なんでも鑑定団』が好きですね」 この自然体こそが、志賀の演技を支えている。 最後に志賀は自身の演技論についてこう語った。 「どんな作品においても、過剰な演技はせずに、その人物がそこにいて自然に見えるようにしているだけです。 大学で学んだ観世銕之丞さんの教えは『自分を客観的に見ろ』というものでした。 世阿弥の伝書にある『離見の見』ですね。 演じながら演出家としての目線も持つようには意識しています。 演技論なんて特にありませんね。 スマホ?本番前のゲームは気分転換ですね。 あとはゲームをやったあともセリフが入っているかなって。 ちゃんと覚えているかの確認作業でもあるんです」 40代で離婚して、いまは気ままな一人暮らしを楽しむ。 来年で70歳。 そして、志賀廣太郎(しがこうたろう)さんは40代で離婚されました。 40代ということは、志賀廣太郎(しがこうたろう)さんがちょうど演技に本格的に挑戦しだした時期ですね。 妻(奥さん)は、志賀廣太郎(しがこうたろう)さんが俳優業をするのに反対していたのかもしれませんね。 それで意見が合わずに離婚ということになったのではないでしょうか。 スポンサーリンク 志賀廣太郎(しがこうたろう)の妻(奥さん)は誰?子供はいるの? 志賀廣太郎(しがこうたろう)さんの妻(奥さん)が誰なのかを調べてみました。 調べてみたところ、志賀廣太郎(しがこうたろう)さんの妻(奥さん)が誰なのかの情報はどこにもありませんでした。 次に志賀廣太郎(しがこうたろう)さんに子供がいるかどうかですが、こちらも同じくどこを調べても情報はみつかりませんでした。 志賀廣太郎が結婚・離婚していた!?妻(奥さん)は誰?子供はいるの?まとめ.

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志賀廣太郎「誤嚥性肺炎」で死去 年間4万人の命奪う、恐ろしさ新型コロナ並み: J

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【映画】 ・ワンダフルライフ ・僕の初恋をキミに捧ぐ ・沈まぬ太陽 ・麒麟の翼 ・謎解きはディナーのあとで ・魔女の宅急便 ・昼顔 ・銀魂 ・亜人 ・ちはやふる これだけではありませんが あまりにも多すぎるので割愛させていただきます。 ドラマ100本以上 映画40本以上 これだけ多くの作品に出演している 俳優さんは多くはないでしょう。 世間の反応 志賀廣太郎さん亡くなられたのか。 名脇役で、親しみやすい印象でした。 陸王の時が一番印象に残ってます。 御冥福をお祈りします。 — つぐ tsugu1606 志賀廣太郎さんが亡くなられた。 ドラマ降板されて、またいつか復帰していただけるかと思っていたのだが。 あの柔らかい語り口と、あたたかい眼差しが大好きで、ドラマ拝見してました。 ご冥福をお祈りします。 あちらでもお芝居なさってください。 いつかあちらで舞台を拝見したい。 ご冥福をお祈りいたします。 名前を聞いてピンとこない方でも 顔を見れば誰もが知っている そんな俳優さんでした。 今まで本当にお疲れ様でした。

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