第四号海防艦 掘り。 【艦これ】E4で第四号海防艦掘り(甲作戦) 2020梅雨イベント

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第四号海防艦 掘り

6 tweets 前回の一番くじまだ残ってるお店もある… posted at ダブルチャンスやってみたけど全部ハズレ。 まあ、そうなるな posted at クリアートはダブりまくって、サム1、ジョンストン2、春雨2、長波2、夕雲1、満潮1、大井1、祥鳳2、夕張2 posted at 本当はA賞も引いてたけど、先に引いてた他の方がC賞を2つ引いてたので、交換してもらいました。 その後、お互い1個ずつ引けてなかったちょこのっこも交換。 1990年に屋敷伸之九段が樹立した18歳6カ月の史上最年少記録を30年ぶりに更新した。 支援なし。 初戦のBマスがやや重いので、基地は陸攻4を1回だけここに。 残りの3回はボスへ。 陸偵入れるかどうかはお好みで。 支援なし。 消費資材は超軽いけど、索敵条件が厳しいし道中空襲マスが怖い。 ボスの開幕雷撃+砲撃+雷撃で運が悪ければ3隻中大破。 TPも稼げない。 分岐条件を満たすために水母を追加、索敵を確保するために水偵電探を積めば戦闘自体は普通の水上マスなので問題なし。 支援なし。 潜水マスだけなので主砲は不要。 嫌な奴がいますねー。 やっぱりボス集中の方がいいかな posted at これ雷巡入るかな posted at E5甲1ゲージ目編成(水上打撃)。 支援なし。 ギミック編成を組み替えただけ。 道中支援あり。 基地はWマス集中。 Vマスのような編成制限は無いし、敵編成もVマスより弱いので、そちらでS勝利取れたのならこっちは楽勝。 道中支援あり。 基地はVマス集中。 機動高速統一で駆逐3以下だと通れる模様。 プリンツ大鷹神鷹はサブ艦。 支援なし。 FマスとQマスの途中は潜水マスなので、先制対潜を多めに。 Fマスは能動分岐で直行できるので基地は不要。 Qマスの方は、MとQに陸攻4それぞれ集中。 Mマスは念のため警戒陣、Qマスは単縦で。 局戦が揃ってれば防空も同時進行可能。 防空も2回目OK。 ついでに防空も1回目OK。 前のページ•

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【艦これ】E4

第四号海防艦 掘り

艦歴 計画 度() 起工 1月21日 進水 1943年7月18日 就役 1943年11月27日竣工 その後 4月7日戦没 除籍 1945年5月10日 性能諸元 基準:2,077t 公試:2,520t 全長 119. 3m 全幅 10. 8m 吃水 3. 76m 主缶 3基 主機 2基2軸 52,000hp 最大速力 35. 0kt 航続距離 18ktで5,000浬 燃料 重油:600トン 乗員 225名 武装(新造時) 50口径12. の16番艦である。 戦艦()の沖縄水上特攻作戦()に参加したが機関故障により落伍、米艦上機の攻撃により大破したあと行方不明となった (沈没認定。 概要 [ ] 一等駆逐艦 朝霜(あさしも)は、日本海軍がで建造した夕雲型駆逐艦。 (昭和18年)11月27日に竣工し 、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した。 (昭和19年)2月10日、夕雲型3隻(朝霜、岸波 、沖波 )は隷下の 第31駆逐隊に編入され 、など船団護衛任務に従事した。 2月下旬、護衛中の輸送船崎戸丸を撃沈されたが、朝霜も潜水艦を撃沈した。 5月中旬にはタウイタウイ泊地に進出し、第31駆逐隊は6月中旬のに参加した。 内地に戻ったあと、第31駆逐隊(長波、岸波、沖波、朝霜)は7月中旬にリンガ泊地へ進出する。 では第一遊撃部隊(通称「栗田艦隊」)に所属した。 10月23日、米潜水艦の雷撃で第二艦隊旗艦が沈没すると、朝霜と岸波は生存者を救助した。 また重巡が大破したので 、朝霜と長波 は高雄を護衛してブルネイに撤退した。 朝霜と長波はレイテ沖海戦に参加できなかった。 つづいて第31駆逐隊はに従事した。 11月11日の第三次多号作戦では駆逐艦(第二水雷戦隊旗艦) や 等が沈没し、朝霜は姉妹艦(第32駆逐隊) の生存者を救助して撤退した。 11月15日、朝霜は 第2駆逐隊に転籍した。 12月下旬、第2駆逐隊はに参加、 を喪失した。 (昭和20年)2月、朝霜はに従事して内地に帰投した。 2月10日、第2駆逐隊の解隊にともない朝霜は 第21駆逐隊に編入された。 4月上旬、第二艦隊(旗艦「」)による沖縄水上特攻攻撃に参加する。 4月7日、朝霜は機関故障を起こして艦隊から落伍 、米軍空母機の空襲を受けて撃沈された。 第21駆逐隊司令をふくめ全乗組員が戦死した。 艦歴 [ ] 建造経緯および就役後 [ ] 1942年度(マル急計画)仮称第344号艦としてで建造。 (昭和18年)5月25日、姉妹艦(沖波、岸波)、のや、標的艦等と共に命名された。 3隻(沖波、岸波、朝霜)は同25日付で夕雲型駆逐艦に登録された。 11月1日、日本海軍は駆逐艦・・艦長等を歴任した少佐を、臨時朝霜艤装員長に任命した。 11月2日、藤永田造船所に朝霜艤装員事務所を開設。 本艦は同年に竣工し 、朝霜艤装員事務所も撤去された。 同日付で正式に籍となり 、前川艤装員長も朝霜駆逐艦長(初代)となった。 竣工と共に訓練部隊のに編入される。 瀬戸内海に回航された「朝霜」は、訓練部隊(、〈12月15日付で第32驅逐隊編入〉 、〈12月3日編入〉 、《12月10日編入》 、朝霜〈11月28日編入〉)に所属。 第十一水雷戦隊所属艦および臨時所属艦 と訓練をおこなった。 12月15日付で司令官少将は第十一水雷戦隊司令官に任命される (着任12月25日)。 12月29日、で十一水戦に(第27駆逐隊)が合同した。 駆逐艦4隻(、春雨、沖波、朝霜)は戦艦を護衛して呉を出発した 、31日、横須賀回航部隊はに到着した。 (昭和19年)1月4日、沖波と朝霜は横須賀を出発、内海西部に戻った。 以降、第十一水雷戦隊(龍田、朝霜、沖波、岸波)は臨時編入艦と共に内海西部で訓練に従事する。 1月27日付で少佐(海軍兵学校第57期) は朝霜駆逐艦長(二代目)に任命された。 2月10日、朝霜(藤永田造船所建造艦) 、(浦賀船渠建造艦) 、(舞鶴海軍工廠建造艦) は(司令官:旗艦)隷下の 第31駆逐隊に編入された。 第31駆逐隊は前年11月下旬ので31駆司令大佐および構成艦 と を喪失して夕雲型4番艦(藤永田造船所、昭和17年6月30日竣工) 1隻となっており、夕雲型4隻(長波、岸波、沖波、朝霜)で再編された。 第31駆逐隊司令大佐(海兵48期、前職第19駆逐隊司令) も朝霜・沖波・岸波編入の直前に任命されたばかりである。 トラウトを撃沈する [ ] 2月26日、第31駆逐隊3隻(朝霜、岸波、沖波)はを出港し、へ派遣される(司令官陸軍中将、通称号「雷」) の陸軍兵士 と装備品を乗せた安芸丸(、11,409トン)、東山丸(、8,666トン)、崎戸丸(日本郵船、9,247トン)の3隻の優秀貨客船を護衛する。 2月29日未明、船団は の地点に差し掛かった所でアメリカの潜水艦 USS Rock, SS-274 の発見するところとなった。 朝霜は左舷斜め後方約5800mに敵潜らしきものを電探で探知した。 朝霜はを照射した後、12. 7センチ砲15発を発射する。 砲弾は潜航しかけたロックの潜望鏡支柱に命中し、潜望鏡が昼間用と夜間用の両方とも破損、またレーダーマストに浸水するなど大小さまざまな被害を受けていた。 朝霜は午前6時45分まで爆雷攻撃をおこなったあと、船団に合流した。 17時53分、ロックの通報により船団を追跡していたアメリカの潜水艦 USS Trout, SS-202 は 、 のの南方200キロの地点で輸送船団に対して魚雷を3本発射した。 魚雷2本を被雷した崎戸丸は沈没し、乗船者約3900名のうち歩兵第18聯隊長を含めた約2200名が戦死、1720名(重傷者570名)が救助された。 もう1本が安芸丸に命中して航行不能に陥らせた。 撃破された安芸丸は8ノットの速力が出せるまでに回復し、沖波に護衛されて先行、朝霜と岸波でアメリカ潜水艦の掃討をおこなう。 17時55分、朝霜は自艦の左舷1,200メートルに潜望鏡を発見した。 2分後に60メートルに設定した12発の爆雷を投下、を使用し、さらに深い深度に設定した7発の爆雷を投下した。 その結果18時16分に海中の誘爆音を聴取、爆雷を一発投下した後水中探信儀を使用して探索したものの、反応はまったくなかった。 これがトラウトの最期だった。 船団はやに立ち寄った後、内地に帰投した。 詳細は「」を参照 3月20日、第31駆逐隊(岸波、沖波、朝霜)は行きの 東松三号特別船団、輸送船3隻(、、)を護衛してを出航する。 28日、船団部隊はトラック泊地に到着した。 その後、4月14日にに進出し、5月中旬からは前進根拠地の方面に移動して、同泊地周辺で対潜警戒に従事した。 また僚艦と共にタンカー船団(日栄丸、建川丸、あずさ丸)の護衛任務にも従事した。 6月19日のにおける第31駆逐隊 は丙部隊(第三航空戦隊〈、、〉、第四戦隊〈愛宕〔第二艦隊旗艦〕、高雄、鳥海、摩耶〉、第七戦隊〈熊野、鈴谷、利根、筑摩〉、戦艦〈、、、〉等。 海戦後、6月22日にに立ち寄った後 、朝霜と島風は戦艦(対空戦闘で被弾、舵損傷)の佐世保回航を護衛した。 榛名を送り届けたあと、28日になって呉に到着した。 ただちに対空機銃の増備、レーダーの改良と設置作業をおこなった。 この頃、朝霜は機関部()に若干の不安を抱えた。 7月8日、第31駆逐隊(岸波、長波、沖波、朝霜)は遊撃部隊主隊(甲部隊、旗艦「愛宕」) として呉を出撃する。 沖縄ので仮泊したあと(武蔵から朝霜、岸波、沖波、長波に対し燃料補給) 、を経て7月19日までに甲部隊全隻がリンガ泊地に揃った。 同泊地滞在中に、従来の遊撃部隊は第一遊撃部隊に改称した。 第31駆逐隊は従来どおり各艦・各隊と共に訓練に励んだ。 臨時にタンカーの護衛をおこなうこともあった。 フィリピンの戦い [ ] 10月18日、発動に伴って司令長官海軍中将を指揮官とする第一遊撃部隊(通称 栗田艦隊または 栗田部隊 )はリンガ泊地から出動し、で補給の後、10月22日に出撃した。 しかし翌10月23日未明にパラワン水道において第二艦隊(2番艦)がアメリカの潜水艦 USS Darter, SS-227 の 、第四戦隊僚艦(高雄型重巡4番艦)が USS Dace, SS-247 の雷撃でそれぞれ沈没し 、同じく第四戦隊(高雄型重巡1番艦)がダーターの雷撃で大破して航行不能となった。 愛宕が被雷した時、朝霜は第一部隊陣形中央後方に位置し、朝霜右舷(左舷)に戦艦大和・武蔵(長門)、朝霜の後方にが航行していた。 朝霜と岸波は、共同で午前7時頃に沈没した愛宕乗組員の救助をおこなった。 岸波は第二艦隊司令長官(第一遊撃部隊指揮官)や二艦隊参謀長を救助する。 その後、第一戦隊司令官中将座乗の戦艦大和(第一戦隊旗艦)に栗田司令長官以下第二艦隊司令部を移乗させると 、二水戦旗艦に従って僚艦沖波と共にシブヤン海へ向かった。 朝霜は愛宕艦長以下准士官以上29名、下士官兵463名を救助した。 朝霜は愛宕生存者を救助した後、第31駆逐隊僚艦とともに応急修理をおこなう高雄の警戒と護衛にあたった。 朝霜は高雄の護衛をやめて栗田艦隊を追いかけたが、宇垣司令官(大和座乗、この時点で栗田長官は岸波座乗、宇垣が臨時の第一遊撃部隊指揮官を務めた)からあらためて高雄警戒任務の続行を命じられ、朝霜は高雄の護衛に戻った。 ダーターとデイスの2隻は高雄にとどめをさそうと追跡を続けていたが、修理後に発進した高雄水上偵察機や 、朝霜と長波の警戒により攻撃機会を失ったという。 21時44分、高雄は速力6ノットで航行可能となった。 高雄は12時間も敵潜水艦伏在海面を漂っていたことになる。 一方、ダーターは座礁して行動不能となり、乗組員をデイスに移して放棄された。 10月24日午前4時前後、、特設駆潜艇御津丸が合流した。 午前9時、護衛部隊2隻(長波、鵯)はボンベイ礁に座礁したダーターの調査のため分離し、朝霜と御津丸で高雄を護衛した。 そのあと長波は対空戦闘で被雷した重巡の護衛の為に去り 、鵯だけが3隻(高雄、朝霜、御津丸)の所へ戻ってきた。 10月25日夕刻、高雄護衛部隊はブルネイ湾に帰投した。 この時、朝霜には第二艦隊の通信担当部員が乗ったままであり 、では第二艦隊はやむを得ず、第一戦隊(司令官中将・海兵40期、大和座乗)の通信担当部員を使うこととなった。 ブルネイ着後、朝霜幹部は第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)を追って出撃しようとしたが、大佐(愛宕艦長、朝霜に救助)・高雄艦長の助言を受け、中止した。 実際にブルネイを出撃してスルー海を北上したあと、途中で反転したという朝霜乗組員の回想もある。 詳細は「」を参照 レイテ沖海戦の後、朝霜以下は行きの 多号作戦に投入される事となった。 10月27日から29日にかけて、栗田艦隊と小沢機動部隊の残存部隊から駆逐艦が第二遊撃部隊(指揮官第五艦隊司令長官)に編入され 、二水戦各艦はマニラに移動した。 と6日、米軍機動部隊艦載機はマニラ湾周辺の日本軍に対し、大規模空襲を敢行した。 さらに朝霜とも損傷し、作戦に参加できなくなった。 朝霜では、安藤文彦砲術長以下戦死者9名、重傷26名・軽傷多数が出たという。 曙の代艦として夕雲型姉妹艦(第2駆逐隊)が多号作戦第四次輸送部隊に編入された。 朝、第一水雷戦隊司令官少将(海兵41期)は第四次輸送部隊第一梯団(駆逐艦〈〔一水戦旗艦〕、、、、朝霜、秋霜〉、第七護衛隊〈司令官少将:海防艦4隻〔沖縄、占守、11号、13号 〕〉、輸送船3隻〈高津丸、香椎丸、金華丸〉)を指揮してマニラを出撃した。 本来なら先に出発するはずだった第三次輸送部隊(指揮官第二水雷戦隊司令官)はマニラ空襲により準備に遅れが生じ、第四次輸送部隊が先発することになった。 第四次輸送部隊は翌11月9日夕方にに到着するも、が揃わなかったため海防艦を代用に用いたが 、兵員しか陸揚げできなかった。 11月10日、輸送部隊はオルモック湾を出撃してマニラに向かったが、間もなくと の攻撃を受けて高津丸(山下汽船、5,657トン)と輸送船香椎丸(、8,407トン)、第11号海防艦が沈没する。 松山司令官は第13号海防艦に移乗した。 輸送部隊を指揮する木村一水戦司令官は3隻(霞、朝霜、長波)を率いて救助作業にあたり 、秋霜以下の艦艇を輸送船金華丸(大阪商船、9,305トン)の護衛につけてマニラへ先発させた。 このあと、第四次輸送部隊護衛艦(霞、長波、朝霜、若月)は、第二水雷戦隊司令官少将(旗艦島風) 指揮下の第三次輸送部隊 と合流し、駆逐艦3隻(長波、朝霜、若月)と駆逐艦2隻(初春、竹)を交換した。 霞に香椎丸生存者を移した朝霜は長波とともに第四次輸送部隊から離脱し、21時に東方のブラックロック水道で第三次輸送部隊に合流した。 第三次輸送部隊の駆逐艦は5隻(島風、長波、朝霜、若月、浜波)となり、そのままオルモックへ向かった。 なお、せれべす丸は座礁し駆潜艇46号の護衛下で取り残されていた。 第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に(中将)の347機による空襲を受けた。 輸送船は全滅した。 護衛部隊も健在艦は朝霜だけになった。 朝霜は航行不能となった第二水雷戦隊旗艦島風に接近しようとしたが、再三にわたる機銃掃射のため接近を断念した。 島風艦上では早川二水戦司令官が既に戦死しており、松原瀧三郎先任参謀が朝霜に帰れと命令したという。 また朝霜は沈没寸前の姉妹艦に接舷すると、第32駆逐隊司令大佐を含む生存者を移乗させた。 この後、島風は沈没し第三次輸送部隊は朝霜一隻を残して全滅した。 12日、朝霜はマニラに帰投した。 11月12日、緊急輸送作戦のためマニラに入港していた空母、重巡、第30駆逐隊(、)からなる小艦隊は、西村艦隊唯一の残存艦を編入してマニラを出港、日本本土へ向かった。 それまで隼鷹隊を護衛していた軽巡は、第一水雷戦隊旗艦となるためマニラに残った。 翌、マニラは第38任務部隊の空襲を受ける。 この空襲で、軽巡木曾、駆逐艦複数隻( 、、、)等が沈没もしくは大破着底状態となった。 第二遊撃部隊(第五艦隊長官、第一水雷戦隊司令官)は残存駆逐艦(霞、潮、初霜、朝霜、竹)を率いて同日深夜にマニラ湾を出発、ブルネイに移動した。 レイテ沖海戦と多号作戦で、夕雲型駆逐艦は大打撃を受けた。 第2駆逐隊はレイテ沖海戦でのの喪失 とマニラ空襲でのの喪失 により、夕雲型19番艦(浦賀船渠建造艦、昭和19年5月15日竣工) 1隻となった。 また第31駆逐隊僚艦のもタンカーを護衛中の12月5日 、アメリカの潜水艦 USS Flasher, SS-249 の雷撃で撃沈され 、第31駆逐隊司令福岡大佐は12月11日付で免職となった。 第31駆逐隊は翌年1月10日に解隊された。 同駆逐隊に所属した夕雲型はこの時点で本艦以外全隻が沈没した。 礼号作戦・北号作戦 [ ] 11月15日、朝霜は第31駆逐隊から 第2駆逐隊(駆逐隊司令大佐) に編入され、同隊は清霜と朝霜の2隻編制になった。 朝霜はリンガ泊地に回航され、11月28日から12月5日までセレター軍港で修理を行った。 この頃、昭南には11月19日にアメリカの潜水艦 USS Hake, SS-256 の雷撃で損傷した旗艦の軽巡洋艦がおり、で本格的な修理が行われる事となった。 朝霜が途中まで護衛を行う事となり、12月5日に昭南を出港 、12月8日にリンガ泊地に帰投した。 12月9日以降、朝霜は旗艦となった。 続いて航空戦艦2隻(〔第四航空戦隊旗艦〕、)、巡洋艦2隻(、)、駆逐艦2隻(朝霜、清霜)はに進出した。 カムラン湾移動後、二水戦旗艦は朝霜から軽巡大淀に変更された。 詳細は「」を参照 12月24日、アメリカ軍に対する殴りこみ作戦( 礼号作戦)が開始された。 挺身部隊(指揮官第二水雷戦隊司令官)はこれに呼応して挺身部隊の巡洋艦2隻(足柄、)、駆逐艦6隻(霞〔木村少将座乗、挺身部隊旗艦〕 、、朝霜、、、)を率いてカムラン湾を出撃する。 2日後の12月26日夕刻、挺身部隊はの爆撃を受けた。 朝霜では機銃掃射により3名が戦死し、艦に大なり小なりの損傷を受けた。 また、第2駆逐隊の僚艦清霜は空襲で被弾、沈没した。 朝霜は清霜が行方不明になった事を木村少将に報告したが 、木村少将は作戦終了後に救助するのでに沈没位置を記しておくよう命令した。 やがて砲撃を終えた挺身部隊は、霞と朝霜を清霜乗員の救助にあたらせるため残留させ 、初霜以下は先にカムラン湾に向かった。 霞と朝霜は機関を止めて航空機とに警戒しつつ救助活動を行い、木村少将自ら双眼鏡越しに海上に浮かぶ清霜乗員を数えた。 第2駆逐隊司令や清霜艦長をふくめ258名を救助した(朝霜は167名収容、ほかに米軍に5名救助)。 2時34分まで救助作業を行った後 、12月28日18時30分にカムラン湾に帰投した。 木村少将は二水戦旗艦を大淀に戻し、朝霜と霞に対して燃料補給をおこなった。 (昭和20年)1月3日、第二水雷戦隊司令官は少将から少将へ交代した (着任・退任1月4日)。 1月10日、かつて朝霜が所属していた第31駆逐隊は解隊された(前述)。 第2駆逐隊からも、書類上在籍していた早霜と秋霜が除籍された。 前年末〜2月初めごろの朝霜は、セレター軍港での整備とリンガ泊地での訓練および待機に明け暮れた。 米軍機動部隊がに進入しやが大損害を受け、大本営は燃料や物資の緊急輸送作戦実施を下令する。 2月5日、(司令官少将・海兵44期)に対して、、などの貴重物資を搭載して内地に回航するよう連合艦隊から命令が出された。 作戦名は「」 、部隊名を「完部隊」とした。 から脱落した「朝霜」には攻撃が集中し、「朝霜」は誰に見られることもなく沈没した。 1945年(昭和20年)2月10日をもって第2駆逐隊は解隊され、朝霜は第二水雷戦隊所属の 第21駆逐隊(駆逐隊司令大佐) に編入されていた。 2月20日付で第二水雷戦隊各艦で人事異動が行われ 、朝霜航海長大尉はへ転勤、後任の航海長として戦艦より中尉が着任する。 また朝霜機関長機関大尉は3番艦機関長へ転任。 戦艦より機関大尉が朝霜機関長に任命された。 2月23日、第二水雷戦隊旗艦は霞から軽巡洋艦に変更される。 朝霜以下第二水雷戦隊各艦は整備と訓練に従事した。 3月19日ので対空戦闘を実施、大和や二水戦各艦の被害は軽微であった。 なお、3月18日付で石井大佐は第21駆逐隊司令の職務を解かれ 、後任の司令には3月25日付で大佐 が任命された。 3月27日、朝霜は第21駆逐隊の司令駆逐艦となった。 3月28日、第一遊撃部隊指揮官第二艦隊司令長官は第一遊撃部隊(大和、矢矧、駆逐艦12隻)の佐世保回航を各方面に連絡した。 だが、アメリカ軍の機動部隊が九州地方を襲撃したため第一遊撃部隊の通過佐世保回航は中止された。 3月29日、に移動した。 この日、同じく周防灘へ移動中だった駆逐艦(第7駆逐隊所属)が触雷して損傷したため、朝霜は響の警戒艦を命じられる。 響を曳航して一旦呉に向かったが 、響の動力が回復して自力航行が可能になったため朝霜は周防灘に引き返した。 触雷した響を曳航・護衛したのは初霜だったという響乗組員 および初霜乗組員 の証言も残る。 出撃前の作戦会議で、杉原(朝霜艦長)は「生死は問題ではないが戦果の期待できない自殺作戦には反対である。 駆逐艦1隻といえども貴重な存在であり、国家は誰が護るのか、国民は誰が保護するのか、無為で死んではたまらない」と反論したという。 15時30分、第21駆逐隊(朝霜、初霜、霞)は沖縄水上特攻作戦()に(戦艦、旗艦)、第二水雷戦隊旗艦(司令官少将)、第17駆逐隊(、、)、第41駆逐隊(、)とともにを出撃した。 しかし、翌早朝、遊撃部隊が巡航速力22ノットで航行中 、朝霜は機関故障を起こして速力12ノットしか出なくなり落伍した。 朝霜側は呉工廠における減速機の修理が原因と判断していた。 だが、第二水雷戦隊司令部は機関故障の原因を故障にあったと推定している。 朝霜の落伍は、大和 を含め遊撃部隊各艦から目撃された。 3月まで朝霜機関長だった原田隊(涼月機関長)は、涼月より朝霜の後落を目撃している。 朝霜では応急修理(予定五時間)を実施したが復旧せず 、正午過ぎに『我敵機ト交戦中』『90度方向に敵機30数機を探知す』との無電を発した後、連絡が途絶えた。 単艦戦闘であった上、生存者がいない為に各艦が砲煙らしきものを確認しただけで、その最期は明らかではない。 涼月砲術長によれば、大和以下本隊から約30km離れていた朝霜は水平線上にマストだけが見えていた。 アメリカ軍機の大編隊は第二艦隊を完全に包囲、旋回しながら攻撃タイミングをうかがっていたが、やがて一群が朝霜に急降下爆撃を行い、戦闘は数分で終わったという。 アメリカ側の記録では、空母 USS Bunker Hill, CV-9 の10機が大和の攻撃に向かう途中、「北の駆逐艦(朝霜)をやれ! 」との命令を受けて近海を北上して朝霜を発見した。 朝霜は左方向に逃げ続けたものの至近弾数発を受け、さらに爆弾3発(煙突の間、二番煙突後方、艦尾部)が命中した。 艦後部(3番主砲付近)に爆発が起きたあと後部に傾斜していった。 だが、アメリカ軍機は雲によりそれ以上の観測を妨げられたという。 また空母艦上爆撃機により、艦尾より沈没していったとの記録も残る。 朝霜は消息不明となり、駆逐隊司令小滝大佐以下乗員326名全員が戦死と認定された。 御蔵型海防艦乗組員の回想では、哨戒任務中の屋代は漂流する朝霜を発見して曳航を申し出た。 朝霜は「機関の故障復旧次第沖縄へ突入する」「貴艦のご好意を感謝す、航海の安全を祈る」と断わり、屋代側は健闘を祈って別れたという。 初霜艦長の酒匂少佐は、朝霜が落伍・沈没した時に(司令長官大将、参謀長中将、参謀大佐ほか)がの手配など朝霜生存者を救助する努力をしなかったことに「突っ込めという命令は出すけれど、自分たちがやらなければならないことは何一つやっとらん。 何という幕僚どもだということですよ、私は。 」「武将としての務めを怠っていると言われてもしようがないと思いますがねえ。 」と回想している。 一連の戦闘で大和及び第二水雷戦隊5隻(矢矧、朝霜、磯風、浜風、霞)が沈没、4月20日には解隊された。 第21駆逐隊で唯一生還した初霜も同日付で第17駆逐隊に編入された。 5月10日、第21駆逐隊は解隊された。 同日、朝霜は夕雲型駆逐艦 、帝国駆逐艦籍より除籍された。 また、朝霜の沈没により19隻は全艦喪失、また霞の沈没により10隻も全艦喪失、19隻建造されたも1隻を残すのみとなった。 7月30日、初霜は触雷して擱座沈没し 、第21駆逐隊に所属した駆逐艦6隻(、、、、、霞、朝霜)も全隻喪失した。 駆逐艦朝霜戦没者之碑、妙法華寺境内隣に愛宕慰霊碑 現在、玉澤のに、朝霜・愛宕・の慰霊碑が建立されている。 歴代艦長 [ ] 艤装員長• (臨時)前川二三郎 中佐:1943年11月1日 - 1943年11月27日 駆逐艦長• 前川二三郎 中佐:1943年11月27日 - 1944年1月27日• 『重巡 摩耶 元乗組員が綴る栄光の軌跡』学習研究社〈学研M文庫〉、2002年1月(原著1986年)。 井上理二『 波濤の中の青春 駆逐艦磯風と三人の特年兵』光人社〈光人社NF文庫〉、2011年10月(原著1999年)。 『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官新装版』光人社〈光人社NF文庫〉、2011年11月。 『海上護衛戦』株式会社KADOKAWA〈角川文庫〉、2014年5月(原著1953年)。 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。 (島風機関長)『海軍は生きている』、2000年8月。 岸見勇美「第一章 海防艦「屋代」」『紅顔海を渡る 海防艦「屋代」と陸軍航空士官学校生の終戦』原書房、2001年8月。 『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌』〈光人社NF文庫〉、2010年12月。 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年• 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年3月。 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年3月。 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』、1989年、• 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。 木俣滋郎『第二水雷戦隊突入す 礼号作戦最後の艦砲射撃』潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2003年3月(原著1972年)。 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2016年5月(原著1989年)。 倉橋友二郎『 駆逐艦隊悲劇の記録 海ゆかば・・・』徳間書店、1967年6月。 倉橋友二郎『激闘駆逐艦隊』95、朝日ソノラマ〈航空戦史シリーズ〉、1987年12月(原著1967年)。 小島清『栗田艦隊退却す 戦艦「大和」暗号士の見たレイテ海戦』光人社〈光人社NF文庫〉、2009年9月(原著1979年)。 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、• 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社〈光人社NF文庫〉、1993年5月(原著1983年)。 209-211頁 海戦の原則 レイテ沖海戦、多号作戦時、第32駆逐隊司令として夕雲型駆逐艦乗艦• 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』光人社、1984年4月。 118-131頁 貴重な勝利• 218-227頁 本領発揮• 志賀博ほか『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』潮書房光人社、2016年4月。 当時「響」水雷科員・連管長藤本清『駆逐艦乗りたちの忘れえぬ戦場体験 初春型「初霜」と神風型「朝風」と防空駆逐艦「秋月」と特型「響」の奮戦』• 当時「朝霜」航海長・海軍大尉芦田収『夕雲型「朝霜」多号作戦オルモック輸送 敵機の集中攻撃をかいくぐり三次四次レイテ輸送から生還した航海長の体験』• 当時「初霜」砲術長・海軍大尉藤井治美『われ初霜沖縄の海上砲台とならん 大和水上特攻作戦の顛末と初霜の最後を砲術長が克明に綴る戦闘日誌』• 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後』• 菅野昭 原文 、嶋田潤 編 『最後の戦没艦・第13号海防艦戦記 ~終戦前日、香住漁船団の懸命な救出~ 菅野元水兵長の手記から』ブイツーソリューション、2014年2月。 ほか『重巡十八隻 軍縮条約が生んだ最先端テクノロジーの結晶』潮書房光人社、2015年4月。 寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年9月。 戦史研究家佐伯玲治『北方から南方へ第二十一駆逐隊の栄光 初春、子日、初霜、若葉。 第一水雷戦隊の初春型駆逐艦四隻の転戦譜』• 当時「矢矧」艦長・海軍大佐原為一『最後の駆逐隊八隻の沖縄水上特攻 十七駆 磯風、浜風、雪風)二十一駆(初霜、朝霜、霞)四十一駆(冬月、涼月)の奮戦』• 当事「雪風」水測士兼艦長付・海軍少尉小早川真行『十七駆逐隊「雪風」」は死なず死闘あるのみ 十六駆逐隊の僚艦大破沈没、十七駆逐隊に転じた雪風の最後の大海戦』• C・W・ニミッツ、E・B・ポッター『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。 能村次郎『慟哭の海 戦艦大和死闘の記録』中央公論新社〈中公文庫〉、2017年4月。 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』、1981年7月。 原勝洋『猛き艨艟 太平洋戦争日本軍艦戦史』文春文庫、2000年8月。 魔のパラワン沖・高雄型重巡戦隊の落日 「高雄」型重巡• 「大和」特攻に殉じた「矢矧」絶望の対空戦 軽巡洋艦「矢矧」• 『帝国海軍の最後 復刻新版』河出書房新社、2011年7月(原著1955年)。 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦 1 マリアナ玉砕まで』第6巻、朝雲新聞社、1967年7月。 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦 1 臺灣沖航空戦まで』第37巻、朝雲新聞社、1970年8月。 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C14061106400『S士官の手記続篇史実調査部』。 多号作戦第四輸送部隊 第一水雷戦隊司令部『多号作戦戦闘詳報第二号(自昭和十九年十一月八日至昭和十九年十一月十一日第四次輸送作戦)』(昭和19年9月1日〜昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030087600• 第二水雷戦隊戦時日誌『自昭和十九年十一月二十日至昭和十九年十二月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年11月20日〜昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030102400• 第二駆逐隊『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第二駆逐隊(清霜朝霜)戦時日誌』『自昭和二十年一月一日至昭和二十年一月三十一日 第二駆逐隊(朝霜)戦時日誌』(昭和19年12月1日〜昭和20年1月31日 第2駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030144900• 第二駆逐隊『昭和十九年十二月三十一日 第二駆逐隊(朝霜清霜)礼号作戦戦闘詳報』(昭和19年12月1日〜昭和20年1月31日 第2駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030145000• 野村留吉『第四航空戦隊 戦時日誌抜粋』(昭和19年5月1日〜昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋 (旗艦日向行動等)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030742100• (issuuベータ版) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 当時の第31駆逐隊は夕雲型4番艦 単艦となっており、2月10日に3隻(朝霜、岸波、沖波)が同時に編入されて4隻編制(長波、朝霜、岸波、沖波)となった。 長波は途中で重巡の護衛にまわり 、別行動となった。 第2駆逐隊と第31駆逐隊は11月11日の第三次多号作戦で長波 を喪失、11月13日のマニラ空襲で沖波 と秋霜 を喪失、12月4日に岸波 が潜水艦によって撃沈された。 当時の第十一水雷戦隊は、司令官少将が11月20日付で退任。 そのため(46期)が臨時司令官代理を務めていた。 第二戦隊(、、) 、修理復帰艦艇(、、)。 杉原輿四郎少佐は、駆逐艦や艦長《沈没時》等を歴任。 当時、駆逐艦艦長。 このうちの一人が伍長であった。 第31駆逐隊所属の長波は、呉で損傷を修理中のため不参加。 第二艦隊司令長官直率の甲部隊は、第四戦隊(愛宕、高雄)、第一戦隊(大和、武蔵)、第七戦隊(熊野、鈴谷、利根、筑摩)、第二水雷戦隊(第27駆逐隊〈時雨、五月雨〉、第31駆逐隊、浜波、島風)。 多号作戦第三次輸送部隊のマニラ出撃時の編成は、護衛艦7隻(、、、、駆潜艇46号、掃海艇30号)、輸送船5隻(せれべす丸、泰山丸、西豊丸、天照丸、三笠丸)。 第四次多号作戦で行動を共にした海防艦3隻(占守、沖縄、第13号)も時を同じくしてマニラを脱出、北部に向かった。 当時、小滝大佐は戦艦副長。 出典 [ ]• 4-6〔 達第百二十一號 昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦二隻、驅潜艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年五月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 沖波 オキナミ 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 岸波 キシナミ 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝霜 アサシモ 佐世保海軍工廠ニ於テ検図 伊號第四十六潜水艦 三菱重工會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號代四十五潜水艦 呂號第四十七潜水艦 日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 平戸 ヒラト 日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 御藏 ミクラ 日立造船所株式會社因島造船所ニ於テ建造 第四十六號驅潜艇 川南工業株式會社香焼島造船所ニ於テ建造 第四十七號驅潜艇 株式會社播磨造船所ニ於テ建造 特務艦 波勝 ハカチ 〕• , p. 94a朝霜 あさしも• 49-50〔 七. 機関 イ 艦隊速力二十二節巡航運転中朝霜ハ會敵約二時間前ヨリ舟左巡航「タービン」減速装置温度過昇シ 温度不明 巡航「タービン」ヲ离 離 脱セントシニ离脱ニ約五時間ヲ要スル應急作業トナリ 同艦ヨリノ信號報告ニ依ル 解列シ艦隊ノ視界内続行中對空戰闘トナリ遂ニ行方不明トナリ 〕• 227-228朝霜 あさしも• , pp. 86-88「朝霜」の要目および主要装備• 46〔 11sd 一一. 二八朝霜11sdニ編入 〕• 226b-227岸波 きしなみ• 226a沖波 おきなみ• 222長波 ながなみ• 18〔 内令第三百十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年二月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、巻波、大波」ヲ「長波、岸波、沖波、朝霜」ニ改ム 〕• , pp. , pp. 217-218. , pp. 380-381リンガ泊地進出準備• 141-142旗艦愛宕の被雷沈没• , pp. 250-251愛宕」と「高雄」の被害状況• 152. 151a-152「高雄」、ブルネイに回航• 228a秋霜 あきしも• 450-453フィリピン沖海戦直後の水上部隊• , p. 229島風 しまかぜ• , pp. 79-80若月 わかつき• , pp. 225-226浜波 はまなみ• , pp. 287-288オルモック湾十一月十一日• 4-5〔 内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ 第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫 第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル 〕• 228b-229清霜 きよしも• , p. 291北号作戦 内地へ物資輸送• , pp. 238-239第一線指揮官の切実なる叫び• 20-21〔 内令第一一一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、朝霜」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項中「桃、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「桑、」ヲ削ル 〕• , p. 292-293「朝霜」の最後• 103-105. 127「朝霜」攻撃から沈没まで 84爆撃中隊• , p. 327. , p. 、pp. 4-5〔 内令第千二十七號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十八年五月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|駆逐艦、一等夕雲型ノ項中「濱波」ノ下ニ「、沖波、岸波、朝霜」ヲ加フ 以下略 〕• C13072094200• 「」 Ref. 「」 Ref. 8-9〔 内令第二千五百九號 驅逐艦 朝霜 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル|昭和十八年十一月二十七日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕• C13072094600• 36〔 二七 天候略 朝霜當隊ニ編入 〕• 「」 Ref. C13072094500• 5〔 二. 濱波十二月十五日附32dgニ編入 〕• 5〔 一. 岸波十二月三日附、沖波十日附11sdニ編入 〕• 4〔 ロ 軍隊区分 自十一月二十四日至十一月三十日 〕、同戦時日誌pp. 5-6〔 麾下艦船部隊ノ行動 〕• 10〔 四 麾下艦船部隊竝ニ訓練部隊一時加入艦ノ行動 〕• 「」 Ref. C13072094900• 7〔 イ 主要職員氏名 〕• 37〔 三十日〇八一五山城艦長 宛略 山城時雨春雨沖波朝霜横須賀ニ向ケ内海西部発〇六三〇 〕• 73〔 三十一 天候略 27dg 時雨春雨 一五三〇横須賀着 27dg 時雨春雨 山城ヲ護衛横須賀着 〕、 p. 46〔 三一日 天候略 山城朝霜沖波時雨横須賀着 〕• 68〔 四 天候略 沖波朝霜内海西部ニ向ケ日一〇〇〇横須賀発 〕/ p. 55〔 四日一〇〇〇沖波 宛略 沖波朝霜内海西部ニ向ケ横須賀発 〕-〔 五日一九〇二11sd司令官 宛略 沖波朝霜内海西部着 〕• 51〔 四 麾下艦船部隊竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動 〕• , p. C13072095500• , p. 223b大波 おおなみ• , p. 223a巻波 まきなみ• , pp. 94-95第三十一駆逐隊• , p. 「」 Ref. C13072094800• 「」 Ref. C13072095700• , pp. 300-307第二十九師団の派遣と第一派遣隊のサイパン転用• , p. 101b. 305. , p. 101. 242b. 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102100, pp. 13,40,41,51• 102. , p. 306. , pp. 363a-364東松三号特別船団• , pp. 363b-364. 58〔 二八 「トラック」着 人員及軍需品ノ陸揚搭載 〕• , p. 179艦隊の移動• , pp. 180-183. , p. 207沖縄島• , pp. 208-209佐世保軍港へ• , pp. 214-215佐世保から呉へ• , p. 220「朝霜」の工事• 50〔 略 同艦ハあ號作戰以来巡航「タービン」減速装置ノ音響大ナリシ爲今次出撃前呉工廠ニ於テ減速装置ノ中心險査竝ニ片當リ部分ノ摺合ヲ施行シタリ今回ノ故障ノ原因ハ秓上ノ工廠修理ノ不具合ニ依リ減速装置焼損シタルガ如ク信號報告アリタルモ左ノ諸項ヨリ判断シ嵌脱接手部ノ故障ト認メラル 〕• , pp. 223-224内地を後に• , pp. 382-383遊撃部隊主隊• , p. 383呉から中城湾までの行動• , pp. 384-386中城湾以後の甲部隊の行動• , pp. 390-391第一遊撃部隊の編制• , p. 232訓練の内容• , p. 234ボルネオへ• , pp. 145-146「摩耶」轟沈す• , p. 144「高雄」の被雷• , pp. 153a-154付記 米潜水艦の戦闘状況• , p. 143挿図第八 「愛宕」被雷時の隊形• , pp. 256-257. 142. , pp. 144-145. , pp. 149-150旗艦を「大和」に変更• 151b. , p. 153b. , p. 154. , pp. , p. 260. , pp. 167-168「妙高」、被爆落伍す• 御協力ヲ深謝ス 〕• , p. 259. 木俣『日本水雷戦史』511ページ• , pp. 231-232. , pp. 261-262スルー海を抜け本隊と合流へ• , p. 266-267再びブルネイへ集合• , pp. 448-449増援兵力の輸送• , p. 521二水戦のマニラ進出• , p. 278マニラへ• , pp. 521b-524米機動部隊のルソン来襲• , pp. 37-38. , pp. 280-282. , pp. 232-233. 529-530. , p. , p. , p. , p. 531. , p. 40第4図、第4次輸送作戦戦闘図• , p. 109. , pp. 42-43. , p. 532. , pp. 233-234島風に賭けられた多号作戦の成否• , pp. 43-46壮絶、第三次輸送部隊• , pp. 218-219. , pp. 536-537「長波」等の合同• , p. , p. 537. , pp. 45-46. 538. , pp. 233-234集中攻撃を受ける朝霜• , p. , pp. 235-238生存者を救助してマニラへ• , pp. 234-237苦しい作戦をむりやり強行• 136頁• , pp. 216-219乗艦との永遠の別れ• , pp. 220-221. , pp. 237-238ついに快速艦も姿を消す• , p. 542. , pp. 794-795. , pp. 603-605木曽、マニラに死す 十一月• , pp. 543-546. , pp. 267-269炎の海にのまれた初春• 451. , pp. 50-54. , pp. 548-549ブルネイに避退す• , p. , p. 228b早霜 はやしも• , p. 454. 「」 Ref. C13072102300• 7〔 内令第二五號 驅逐隊編制中左ノ通改訂セラル 昭和二十年一月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四驅逐隊ノ項ヲ削ル|第七驅逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十驅逐隊及第三十一驅逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル 〕• 「」 Ref. C13072100600• , p. 453. 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102400, pp. 14,15• 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102400, pp. 12〔 清霜亦急速整備ヲ完了シ十二月九日将旗ヲ之ニ移揚「リンガ」ニ進出ス即日将旗ヲ朝霜ニ移動揚ス』• , pp. 30-32. 607. 14〔 二 自十二月一日至十二月三十一日第二遊撃部隊麾下艦船部隊行動一覧表 〕/ p. 12〔 朝霜探照燈反射鏡破損シ之ガ換装ノ爲十一日昭南ニ回航整備ノ上十二日「リンガ」出撃ノ2YBニ合同北上十三日初霜霞ヲ合同十四日「カムラン」着将旗ヲ大淀ニ移揚ス 〕• , pp. 456-459ミンドロ島上陸と禮号作戦• , pp. 134-136. , p. 609. , p. 186. , pp. 180-183. , pp. 593-594「清霜」の沈没• , p. 591. , p. 181. 木俣『日本水雷戦史』597ページ• , pp. 130-131. , pp. 222-223. , pp. 212-213. 木俣『日本水雷戦史』605ページ• , pp. 594-595乗員救助• , pp. 213-215. , pp. 226-227. , p. 595. , p. 235. 「」 Ref. C13072102800• 10〔 四日新司令官古村啓蔵少将着任交代ヲ了ス 〕、同部隊戦時日誌 pp. 16-17〔 二. 人員ノ現状 イ 司令部 一 主要職員官氏名 〕• 『第二駆逐隊戦時日誌』pp. 30,31,32,33,34,35、『第五艦隊戦時日誌』pp. , pp. 467-472燃料並びに重要物資緊急運送作戦• , pp. 859-867第四航空戦隊、奇跡の生還 二月 日向、伊勢の北号作戦• , pp. 545-546北号作戦• , p. 861a北号作戦部隊 完部隊• , pp. 616-619大淀から見た北号作戦 二月• , p. 861b. , p. 546. , pp. 862-864• , pp. 618-619またもや潜水艦に追わる 二月• 866. 9〔 …十五日一九三〇馬祖島泊地ニ假泊朝霜ニ二五〇噸重油ヲ補給シ曩ニ海南東東方海面ニテ護衛隊ニ入リシ第一駆逐隊ヲ分離シ十六日〇〇〇〇假泊地發… 〕• , p. 620. 10 MODELART• 「」 Ref. C13072100500• C13072103500• , p. 11〔 20日呉ニテ2F 大和 ト会シ回航部隊ハ第二艦隊長官麾下ニ復シ23日旗艦ヲ霞ヨリ矢矧ニ復帰セリ。 爾後麾下各隊艦ノ実状ヲ確ムルト共ニ大部ハ呉、一部ハ内海西部方面ニ於テ夫々急速整備及各隊艦単独訓練ニ従事セシム… 〕• , pp. 14-15. 「」 Ref. C13072103900• 「」 Ref. C13072104200• 53〔 三)麾下艦艇ノ行動 〕• 30〔 二八日一九五五 将旗 1YB 宛略 1YB機密第二八一九五五番電 発1YB指揮官宛軍令部總長 通報呉鎮長官 佐鎮長官 佐世保防備隊 呉防備戰隊司令官 本日敵KdB九州及豊後水道方面來襲ニ鑑ミ予定ノ豊後水道出撃ヲ見合ハセ周防灘ニ於テ待機ス 〕• 66〔 二十九日一七三〇 将旗 1YB|朝霜ハ響ノ警戒艦トナレ 信號 〕• , pp. 70-73響乗組員の回想では、響は自力航行し朝霜が護衛に従事した。 , p. 190特型駆逐艦「響」日本海の戦い 藤本清• , p. 242. , p. 23能村(大和副長)は、響の触雷は4月4日夕刻、曳航艦は初霜と記録している。 , pp. 296-298杉原輿四郎「朝霜」艦長 海兵第五十七期島根出身• , pp. 40-47いよいよ出撃• , pp. 223-224なぐりこみ決戦• , p. 242-243朝霜と機関の故障• 69-70. , p. 142. 386• , p. , p. 246. , p. 322朝霜、浜風の悲運と涼月の闘魂• 166-167. 木俣『日本水雷戦史』629-630ページ• 125-126. , p. 294. 31〔 朝霜:分離行動中ニシテ敵機ト交戦中ノ電ヲ発進後消息不明、船体沈没総員戦死セルモノト推定ス。 准士官以上18名、下士官兵308名 〕• , pp. 59-61不沈艦「屋代」の伝説• , p. 295. , p. 227. 52〔 4月20日第二水雷戦隊戦時編制ヨリ除カレ1330将旗ヲ徹ス 〕• 33〔 内令第三三六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年四月二十日 海軍大臣|第十七驅逐隊ノ項中「雪風」ノ下ニ「、初霜」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項中「初霜、」ヲ削ル 〕• 2〔 内令第四〇四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年五月十日 海軍大臣|第二十一驅逐隊ノ項ヲ削ル 〕• 、pp. 24-26〔 内令第四一一號 横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 朝霜 呉鎮守府在籍 驅逐艦 霞 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 以下略 昭和二十年五月十日海軍大臣 〕• , p. , p. 298. 「」 Ref. C13072106900 関連項目 [ ]•

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【艦これ】E7

第四号海防艦 掘り

マップ情報 ドロップ 艦名 甲 乙 丙 丁 甲Sドロ率 第四号海防艦 S 1. Johnstonが2隻制限(3隻目はでない。 他のドロップでめぼしい艦は特になさそうです。 第二ゲージを撃破して、2つ目のギミック Z3を出すギミック クリア以後? ボスマスにネ級改がいなくなる模様。 輸送量も少ないので連合艦隊でやったほうが良いでしょう。 空襲マスで警戒陣にし、を活用しながら突破します。 噴進弾幕使えなければ輪形陣に。 3戦目の通常戦闘も、警戒陣が適しているでしょう。 1スロで出来なければあってもなくても良いでしょう。 初月の対空カットインは好みですが、基本的にはいらないかと。 火力不足なら、不知火とか火力のある駆逐艦に変更して下さい。 初月は火力不足ですね。 艦載機の全滅リスクが増えますが、 改二乙だと九三一装備で対潜先制爆雷攻撃の条件を満たすことが可能です。 ボーキの消耗が気になるので、2スロ目はのあるなにかのほうがいいかも。 木曾のところは触接等も考えると特効重巡の方が良いかも知れません。 旗艦は連撃できる艦の中でcond維持にローテしても良いかも。 なお、記事例ではSaratogaを使いましたが、 本攻略中に赤城を採用しているのであれば、赤城を採用したほうが良いでしょう。 赤城を採用していれば、瑞鳳か赤城に夜襲攻撃させることも可能なので、 S勝利の安定性が上がると思います。 また、 山城 特効戦艦 を採用すれば、ボーキは大分節約出来ると思います。 ボス戦2巡するのでバケツが少し気になりますが、許容範囲でしょう。 基地航空隊 基本的に2部隊とも待機を想定しています。 鎮守府次第では火力が足りないと思うので、その場合は基地も活用してください。 1部隊出す場合は制空値を熟練度込95以上に調整し、拮抗調整すると良いでしょう。 2部隊目を出す場合、64戦隊を2部隊目に持ち込み、優勢での調整を狙ってください。 参考例:• 基地装備が揃ってる場合、補給せずにほったらかしで良いと思います。 まとめ 基地無しでも十分掘れそうなのは魅力…に見えますが、 Johnston複数保有だと副産物が全然いなくて辛いですね。 素直に友軍が来てから3ゲージ目を掘ろうかなーと思います。 (コンプ継続したいんで掘るつもりですが、掘る順番は最後になりそう…) 【侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦】• 第一海域• 第二海域• 第三海域• 第四海域• 第五海域• 第六海域• 第七海域• 掘り1 E11 E12 E21• 掘り2 E42• 定期任務・EOリンク• 【侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦】• 第一海域• 第二海域• 第三海域• 第四海域• 第五海域• 第六海域• 第七海域• 掘り1 E11 E12 E21• 掘り2 E42• 【最近の更新】• II 実装• 【各海域紹介リンク(二期)】 EO海域と鎮守府海域・5-2から先は個別記事のほうが充実しています。 【マンスリー任務リンク()】 【クォータリー任務リンク()】 【戦果任務】.

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