アブ シンベル 神殿。 世界遺産第1号!アブ・シンベル神殿を見に行こう(アスワンからのツアー)|sea moon

水没から救われた巨大神殿「アブ・シンベル」の歴史と概要

アブ シンベル 神殿

神殿(しんでん)• を祀る。 寺院が宗教者によるの場、教会が民衆に対するの場であることを強調した言葉であるのに対して、神殿は神に対する の場であることを強調した言葉である。 日本の、仏教の 、中国の、キリスト教の 、の(カーバ神殿)、・の宗教施設(または、など。 英語では(に由来)の語も当てられるが日本語のに合わない物も多い。 現在知られている最古の神殿はであるとされている。 詳しくは、へ• 固有名詞としての「神殿」。 単に「神殿」と呼んで、特に次のものを意味する。 にある神社。 名称を単に 神殿という。 宮中祭祀の中心の 宮中三殿の一つ。 を祀る。 詳しくは、を参照。 にあった神殿。 の至高の聖地。 を祀る。 に登場するソロモンの第一神殿、およびエズラの時代以降の。 詳しくは、を参照。 神社建築の種別としての「神殿」。 の中心となるところで、を奉安する社殿。 本殿, 宝殿などともいう。 詳しくは、を参照。 神殿(こうどの)• の(旧)にある地名。 を参照。 のにある地名。 脚注 [ ].

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アブ・シンベル神殿

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この記事の目次• 世界遺産「アブ・シンベル神殿」 アブ・シンベル神殿は、歴代ファラオ(国王)の中でもヒーロー的存在の、 ラムセス2世により紀元前1250年頃に造られました。 大小2つの神殿からなる、砂岩をくり貫いた 岩窟神殿で、大神殿入口にある、4体のラムセス2世の座像がインパクト大!また 「世界遺産」という概念を作り出した大事な遺跡でもあります。 アブ・シンベル神殿の概要 新王国時代第19王朝に君臨したラムセス2世は、当時にしては珍しく180㎝もの長身を誇り、20代で即位後、果敢に外征を行い 征服王として名を馳せました。 100人以上の子供ももうけ、90歳まで生きたラムセス2世は、歴代の古代エジプトファラオの中でも特に 権威のあるファラオとして有名です。 ラムセス2世がエジプト中に建設した神殿のなかで、トップクラスで規模が大きく、また美しいとされるアブ・シンベル神殿。 1813年にスイス人ブルックルハルトが砂に埋もれたアブ・シンベル神殿を発見し、イタリア人ベルツォーニが発掘し内部に入れるようになりました。 アスワン・ハイ・ダムの建設計画により、 水没の危機にありましたが、 ユネスコの協力により危機を免れました。 この事がきっかけで、世界の遺跡や自然を守る 「世界遺産」という制度ができました。 アブ・シンベル神殿の行き方・アクセス方法 アブシンベル神殿の場所はアブシンベル空港から車で10分。 エジプト南部、スーダンとの国境近くにある ヌビア遺跡にあります。 一番近い空港は、 アブ・シンベル空港です。 日本からの直行便は出ていないので、カイロからの乗り継ぎとなります。 アブ・シンベル空港からアブ・シンベル神殿までは、 無料のシャトルバスが運行されているので、シャトルバスを使えば迷うことなくすぐに行く事ができます。 飛行機以外の選択肢だと、 アスワンからのアクセスになります。 アスワンからの 所要時間は車で約3時間。 バスに乗る方法と、ツアーを利用する方法とあります。 道中砂漠を走って行くので、砂漠の途中でバスの故障などもありえなくないので、車の整備がしっかりされている ツアーで行く方が安心です。 アブ・シンベル神殿の見どころ ラムセス2世像の圧倒される大きさや、内部のレリーフの繊細さなど、アブ・シンベル神殿の見どころは実に沢山あります。 またその歴史のなかで失われた部分が紀元前からの建物だと実感させてくれます。 アブ・シンベル大神殿 大神殿の正面入口にある、高さ 約22mのラムセス2世像4体は圧巻!存在感抜群のこのラムセス2世の像は 左から順番に自身の若いころ順に並べられています。 中央には「太陽神ラー」の像があり、また、 足元には王家の人々(自身の母や子供たち)の小さな像も添えられています。 内部に入ると自信のファラオ戦争での活躍を示す レリーフが刻まれ、またここにもオシリス神のポーズをとる、左右4体ずつのラムセス2世像があり 「列柱室」と呼ばれています 最深部には 「至聖所」があり、ここには4体の神がまつられています。 アブ・シンベル小神殿 大神殿から北に100mのあたりにある、アブ・シンベル小神殿は 王妃ネフェルタリのために作られたと言われています。 小神殿とは言うものの、正面入り口には大神殿同様、巨像が掘られていて、2体のネフェルタリ像と4体のラムセス2世の像が並んでいます。 またこちらも大神殿同様足元には王子や王女の小さな像がそえられています。 神殿内部に入ると列柱室があり左右に3本ずつ 牛の耳をしたハトホル女神の顔の柱が並んでいます。 壁や柱には、レリーフが描かれており王妃とラムセス2世が対等に描かれているのが印象的です。 夜の音と光のショー アブシンベル神殿は夜も楽しめるようになっています。 午後7時頃からスタートする 音と光のショーはとても幻想的!アブシンベル神殿に関わる歴史を、プロジェクションマッピングでドラマチックに映し出し、ロマンチックな雰囲気に。 右から太陽神ラー、神格化されたラムセス2世、王の守護神アメン・ラー、メンフィスの守護神プタハです。 この像は 年に2回朝日によって照らされる設計になっています。 本来はラムセス2世の生まれた日 2月22日 と王に即位した日 10月22日 に起こる現象でしたが、移築後、若干のずれが生じてしまい、今は年によって、 日にちがずれる時もあります。 また、左端のプタハ神は地下に住んでいる神であるため、 光が当たらないように設計されているのもすごいところ!古代エジプトの人々の技術に驚かされます。 アブ・シンベル神殿ツアーについて アスワンからやや距離のあるアブシンベル神殿には ツアーで行くのがおすすめ。 アスワンからだと、バスで3時間程度かかり、暑い砂漠の中では不安も多いです。 ツアーならエアコンの効いた車内で楽々移動。 また 日本語ガイドも付きますので、アブ・シンベルの詳しい歴史も聞けて人気です。 アブ・シンベル神殿の気候・ベストシーズン 年間通して日差しは強く、乾燥が激しいですが、 ベストシーズンは10月~4月のいわゆるエジプトの冬がベストです。 ただし、12月~2月の冬場の夜や明け方は冷え込むので注意です。 また、3月~5月の間は、砂嵐が数回吹くことがあるのでこの時期は避けるのがベター。 アブ・シンベル神殿観光の服装 基本的に 夏の服装でOKです。 朝晩の冷え込みと、冷房対策のため薄い上着があると安心です。 またイスラム教徒の国ですので、 女性の方は、 過度な露出(ノースリーブやミニスカート)は避けた方が無難です。 日差しが強いので、日差し対策も万全にしてください。 世界遺産のきっかけ!アブ・シンベル神殿を観光しよう アブ・シンベル神殿は、エジプトを代表する遺跡です。 また世界遺産のきっかけとなった遺跡ですので、エジプト旅行に行くならば必ず観光しておきたい場所です。 ラムセス2世のその強大な力の片鱗をぜひ肌で感じてください。 夜のライトアップも、朝日に照らされたアブシンベル神殿も美しいので、アブシンベルで1泊するのもおすすめです。

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切迫した危機に、ダムに水が満たされる8年間、これら遺跡を水没から救うべく、ユネスコは国際的キャンペーンを展開! そのハイライトが アブ・シンベル大神殿の解体、高台への移動・復元にありました。 解体と輸送の大事業は、巨大な岩山に刻まれた4つの巨像を一断片20トン以下のブロックに切り分け、200m上部地点へ輸送、ジグソーパズルの様に組み立てられました。 因みに巨像の高さ20m、顔の幅4.2m、膝の上に置かれた手の長さ2.6mです。 更に、60mも岩をくりぬいて造られていた内部聖堂や各部屋も裏山を削り取り、山そのものを移す大掛かりなものでした。 近くの小神殿、ラムセス二世の王后ネフェルト・アリも同時期に移設されています。 なお、ラムセス二世は少なくとも男児79人女児59人をもうけたとのこと。 当時、これらのニュースは世界中に発信され、新聞報道などで記憶されている方も多いかと思います。 中型機でカイロを飛び立ち一時間余り、眼下に映るアスワンハイダムの一角に米粒の様なアブシンベル大神殿が見えてきました。 外気は既に40度を超え、神殿内は蒸し風呂の様でした。 アブシンベル大神殿へようこそ! カイロ南700キロのナイル川上流、ヌビア地方の岩肌に刻まれたラムセス二世の巨像が三千年の時空を超えて迎えてくれます。 一滴の雨も降らず、土漠と岩場にふりそそぐ40度の熱射のもと、ナイル川を配したアブ・シンベル大神殿 前面の玉座に座る四体の像は、88才の長寿を全うしたラムセス二世の巨像です。 正座した高さが20mの四体、左から少年期、青年期、壮年期、老年期の順に並んでいます。 (青年期の頭・胴部は崩れ落ち欠損) それら像の中央部から砂岩の崖をえぐって建造された大 神 殿へ入ると、大広間に身の丈6mの八体の立像が神具を持ち両腕を胸に合わせ、通路を挟んで互いに向い合っています。 その異様さに、まずは圧倒されるでしょう。 また、それを取り巻く周囲壁には、色鮮やかな壁画とヒエログリフ(象形文字)で埋め尽くされ、照明の下で怪しく輝いていました。 直線的に奥につながる3つの部屋(聖堂)まで山中を60m以上も掘り進んでいます。 当画像は大 神 殿入口のラムセス二世像(青年期)足元付近の台座です。 画上部、ラムセス二世の左足から足首の一部が見えますが、台座には捕虜と思われるヌビア人?の彫像(2m余)が互いの首を縄でくくられ、数珠つなぎの列を組んでいる姿が見取れるか、、、と思います。 ヌビア人はアフリカ北東部、ナイル川の第一急流アスワン以南に住む民族ですが、ラムセス二世第19王朝当時、ユーフラテス川からヌビア地方まで領土の拡張をはかっていた時代でもあり、エジプトとは敵対関係にありました。 しばしば侵略を受け、古くからヌビアは奴隷と牛の供給源としてエジプトの重要な位置を占めていた訳です。 一説に、 アブ・シンベル大神殿の意図は南限の砦として睨みを利かせていたと云われています。 1813年、砂に埋もれた大神殿を始めて発見したブルクハルトは、砂の除去は不可能とみて引き返しています。 その後、神殿内部を最初に探検する人間になろうと決意したベルッオーニとその仲間が2年後に挑戦しますが、次のような言葉を残し去っていきます。 「神殿を見下ろす岩山を北から吹き付ける風が、積る砂を少しづづ神殿前面に押し出し入口を埋め尽くしている。 神殿に近づいた途端、余りにも膨大な堆積砂に、取り去る希望を完全に失ってしまった」とある。 3年後、彼は再び訪れ目的を果たしています。 1956年、アスワン・ダムに続くアスワン・ハイダムの建設が決定。 これに伴うナイル川沿いの遺跡が壊滅的危機に直面しました。

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