コンサドーレ札幌 掲示板。 北海道コンサドーレ札幌とは (ホッカイドウコンサドーレサッポロとは) [単語記事]

北海道コンサドーレ札幌の選手一覧

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北海道コンサドーレ札幌とは、を中心とした全域を本拠地とするである。 概要 北海道コンサドーレ札幌 基本 創設 5年 ・ ・ ・ ・ 本拠地 ・ ・厚別競技場 を中心とした全域 前身 部 前身はを本拠地としていた町部。 本社直営のであったため、には「部」と名している。 その後、旧時代のに誘致されたためにへ移転し「コンサドーレ札幌」と名して化。 に旧初を成し遂げて昇格を決め、にに参戦。 より「 北海道コンサドーレ札幌」に名する。 本拠地は 豊区 と厚別競技場(厚別区。 の最終節()ではにおいて,人の観客動員を記録している。 1試合均の観客動員は10,0人( ででは上位の動員を誇る。 年間のはそれぞれ同数程度。 以前は、でも試合を行っていたが、側の基準に従う形で以降は行われていない。 なお、についてはが開業したの戦で1試合が行われ、当該試合限定ののを着用した。 名の由来は、産子(で生まれた人)を逆さまにして「コン」、そして感をよくするためにの「オーレ」を足し合わせたもの。 の中でも抜群のを誇る名である。 誇らしい。 はとの。 ~にとしてを率いていた信が、コンーレの前身である部時代に選手として所属していたころ、にって変更したもの。 まで受け継がれている。 による にも「たちのの誇り、の」と謳われているものがある。 的な名選手のが在籍したり、がの名前にしたり、衛さんがペをに持っていったり、観測隊員がに旗を持って行ったり、選手寮の元寮がだったりと以外でも豊富なを持つである。 のタンチンくんもコンーレである(きっと、今も)。 的には、毎試合ごとにを編集してくれるがいてくれて、特に外在住のにはありがたい状況である。 スポンサー• の年齢層はかなり高めで、かなりご年配の方もいる。 の割合が高いことが特徴(年齢層は上も下も)。 そのためコンーレは購買があるというのが定説になっている。 や開催の試合ではの「コンーレ号」が、外ア試合のときは、と開催場所によってのチャーター便が飛ぶことがある。 戦で、戦での宣伝が開催されたこともある。 がについていることもあってか、コンサドーレ札幌ので売られるは基本的にはである。 なお、においては一部飲食売店で他社の取り扱いがあり、ア内の飲食売店だけでなく、の飲食売店でも実は他社を購入できるが、熱狂的ながそれを購入することはない。 厚別競技場については常設の飲食売店があるわけではないため、試合ごとの出店状況による。 アを観戦するによって、スタジアム近傍の等からだけ集中的に買われて売り切れることが(特に、スタジアムでが販売されないとの対戦では)常態化しつつある。 また、スタジアムのスタジアムで通常はとが販売されるにおいては戦限定でを販売する飲食売店が存在するが、は所属が違い、にが出場することもないため、を除いて対戦が行われない。 を飲むと、1缶がコンーレへのとしてからに寄付される。 このは料飲店向けの生の売り上げからも拠出されている。 試合後の盛り場では、が飲める店を探して右往左往するコンーレの姿が良く見かけられる。 した試合のあとは「に行こう~」「みんなで行こう~」。 未はノルベサでも可(は営法上入れません)。 は「」で有名な石屋製菓。 なお、の胸の表示は社名ではなく、商品名の「」の方であったが、の命名年記念からHIYA表記が登場し、以降は通常(は特別の設定なし)でもHIYA表記にめられている。 場は、の 石屋製菓工場()に隣接して設けられており、「宮の沢場」という名称がある。 観客3,000人収容。 とその表示位置はにより変動もあるが、基本的には胸に石屋製菓、左袖にを配する。 以降、の上側にあい(に本拠を置く冠婚葬祭業者)、下部に (Eース等の等を行っている)、部にトーホゾート(業)を配置することが通例になっている。 サプライヤーはマ、を経て以降してaが採用されている。 かつて(から)のには、「お、ねだん以上」ので有名な具量販店のがあった。 そして、a……2つを組み合わせるとが浮かぶのだが、きっとコンーレのかのであろう。 そう思っておいた方がである。 関連動画 関連商品 関連コミュニティ 関連項目• (部を前身とする)•

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さっかりん 北海道コンサドーレ札幌 最新情報

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一応7月5日にジギング第3戦に行ってましたが、本命は釣れずソイとフグ一匹づつの貧果で終わってしまったので、更新を見送ってしまいましたその二日後には船中19本とか信じられないような結果を知ってしまいます、今年は魚のヤル気にかなりムラがあるんでしょうかね、、、12、13日の二日間連休で、室蘭の実家へ行っていましたせっかくなので二日目にサビキ釣りへ何も事前情報も知らないまま、取り合えず南防波堤に行ってみましたロックフィッシュの方はおりましたが、サビキ釣りをしている人はいませんでしたねチカもしくは小サバでも釣れないかと、9時50分頃からまずはここでやってみましたが、しばらくやってもチビガヤばかり、、、10時20分頃、少し移動してこっち側へここでダメなら移動しようと思っておりましたが、すぐにチカが掛かります「おっ、いるじ... 室蘭港でサビキ釣り 得点源の鈴木武蔵を欠いたチームは最後の崩しに質を欠き、今シーズン初の無得点で試合を終えました。 アウエー4連戦の内3戦を終えての2勝1分は悪くない結果と言えますし、引き分けという結果以上に収穫があった1戦かなと感じました。 スタメンは前節から2名変更。 鈴木、宮澤に代わり、駒井、田中が入りました。 youtube. ブンデスリーガに所属し、人気・実力ともブンデスリーガのトップクラスにあるビッグクラブである。 バイエルン出身のローマ教皇ベネディクト16世も、このチームのファンクラブ会員である。 2006年1月、日本の浦和レッドダイヤモンズとパートナーシップを締結した(ちなみに、現会長カール=ハインツ・ルンメニゲの実弟、ミハエル・ルンメニゲが浦和に在籍していたことがある)。 優良経営で知られ、クラブは創立以来借金をしたことがない。 また、意外にもブンデスリーガ初年度のメンバーではない。 前会長のフランツ・ベッケンバウアー、現会長のカール=ハインツ・ルンメニゲをはじめ、ゲルト・ミュラー、ローター・マテウス、ユルゲン・クリンスマンなど、ドイツサッカー史に残るビッグネームの多くが所属した。 PSV(Philips Sport Vereniging)は、オランダ・アイントホーフェンに本拠地を置くサッカークラブチーム。 PSVは、現地の発音をカタカナ表記すると、ペーエスフェーとなる。 オランダのサッカーリーグであるエールディヴィジに所属しており、アイントホーフェンに本社を持つオランダの電機メーカー「フィリップス」をスポンサーに持つ。 アヤックス、フェイエノールトとともにオランダを代表する3大クラブチームとして有名である。 現在の監督は、昨シーズンまで名古屋グランパスエイトの指揮を執ったセフ・フェルホーセン。 フィリップス・スポーツ・連合(Philips Sport Vereniging)は、その名の通り、サッカー以外のスポーツのチームも多く持っている。 AFCアヤックス(Amsterdamsche Football Club Ajax)は、オランダ・北ホラント州・アムステルダムに本拠地を置くサッカークラブチーム。 エールディヴィジに所属し、略称はAFCアヤックスまたは単にアヤックス。 1900年に創立された。 ヨハン・クライフの出身クラブであり、UEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)三連覇の実績もある名門クラブである。 日本ではPSVアイントホーフェン、フェイエノールトとともにオランダを代表する強豪クラブとして知られている。 白地に中心が赤色のユニフォームは有名。 育成とスカウティングに優れ、毎年のように若く優秀な選手が輩出されることからスター生産工場とも呼ばれている。 世界でも有数の育成システムを確立し、これまでも数多くの名選手を輩出してきたクラブである。 ユヴェントス・フットボール・クラブ Juventus Football Club s. a は、イタリア・トリノを本拠地とするサッカークラブチーム。 ユヴェントスはラテン語で「青春」という意味。 「ユーヴェ」と略称される場合もある。 愛称はエンブレムやユニフォームからビアンコネッロ(イタリア語で「白と黒」、複数形でビアンコネッリとも)や、シニョーラ(同じく「老貴婦人(イタリアの貴婦人)」)などがある。 クラブ設立当初のユニフォームはピンクであった。 エンブレムの真ん中にいるのは馬ではなく牛。 これはホームのトリノ市の紋章にも描かれていて、トリノの語源が「タウリーニ 牛の人々 」であることが由来である。 セリエA優勝27回(最多)など、イタリアのみならず世界を代表するチーム。 ただしUEFAチャンピオンズリーグの優勝回数2回はACミランの7回には及ばない。 96年から98年には3年連続決勝に進出。 過去7度決勝に進むもうち5度は準優勝に終わっている。 欧州の主要リーグでは、国内リーグの優勝回数が最も多いクラブがチャンピオンズリーグの優勝回数も最多である場合が多いのだが、セリエAに関しては例外である。 ホームタウンという概念が確立しているヨーロッパには珍しく、全国的な人気を持つクラブである。 ただし全国的に人気があることが嫌われてか、地元トリノではトリノFCの方が人気がある。 ホームスタジアムのデッレ・アルピは、平日開催の試合や、コッパ・イタリアの試合などで閑散となる事がしばしばある。 その後、ユヴェントスは「カルチョ・スキャンダル」における八百長に対するペナルティを受け、2006年にクラブ史上初めてセリエBへの降格処分となった。 サッカーオランダ代表(Nederlands voetbalelftal)は、オランダサッカー協会 KNVB によって編成されるオランダのサッカーのナショナルチームである。 旧国旗の色とオランダ王家(オラニエ=ナッサウ家、かつてオランジュの領主だった)にちなんでユニフォームの色をオレンジとしており、世界的に「オレンジ軍団」という愛称で知られている。 オレンジという国旗にない色をチームカラーとする世界でもまれなナショナルチームであり、ほかの例としては日本やイタリアの青、ドイツの白がある。 世界的な強豪国として知られる。 特に1974年W杯に参加したチームはリヌス・ミケルス監督の下、ヨハン・クライフを中心にトータルフットボールと呼ばれる戦術でサッカー界に革命を起こしたと言われる。 しかし決勝では西ドイツに敗れた。 EURO88ではファン・バステン、フリット、ライカールトのいわゆるミラントリオを擁するチームで参加。 準決勝で仇敵西ドイツを下し、決勝ソ連戦では今尚語り継がれるファン・バステンのボレーシュート等で勝利し優勝。 これが現在に至るまでのオランダ代表の唯一の国際タイトルである。 しかしこのチームでもイタリアW杯では勝てなかった。 フランスW杯では一部で大会一と絶賛される試合内容を見せたもののベスト4。 地元開催となったEURO2000でも優勝候補に挙げられるもやはりベスト4に終わった。 さらに日韓W杯では予選敗退の憂き目に遭い、ドイツW杯では決勝トーナメントに出場するものの一回戦でポルトガルに敗れ、ベスト16で終わった。 (もともとポルトガルとは相性が悪い) このように多くの名選手を輩出しながら、ワールドカップ優勝に未だに縁が無い。 それは攻撃的サッカーを志向するあまりの大一番での勝負弱さが原因、という説もある。 また、南米スリナム系をはじめとする黒人選手たちと白人選手との間の人種差別をはじめとして、チームとしてまとまりが薄く、他の強豪国がトーナメントを勝ちあがるにつれてチームが結束し、まとまっていくのに対し、オランダ代表は前評判こそ常に高いものの、トーナメントが進むにつれてそのチームが自壊していく姿が見られることが非常に多い。 サッカーギリシャ代表は、ギリシャサッカー連盟 HFF によって編成されるギリシャのサッカーのナショナルチームである。 1980年のEURO1980に出場するも未勝利に終わったが、1994年のアメリカW杯に出場。 ナイジェリア、ブルガリア、アルゼンチンと対戦したが、ここでも勝利を挙げることができなかった。 その後、しばらくは国際大会への出場機会がなかったものの、2004年のEURO2004では開催国ポルトガルやフランス、イタリアといった強豪を抑えて見事優勝を果たした。 EURO2004を制したことで、2006年のドイツW杯への出場も期待されたが、ヨーロッパ予選でウクライナ、トルコ、デンマークに次ぐ4位に終わり予選敗退の憂き目に遭う。 2006年7月3日から10日間FIFAからサッカーの国際活動を禁止された。 EURO2008予選は、ドイツW杯予選でも同組になったトルコをはじめ、ノルウェーなど実力が拮抗したと見られるグループCに入った。 緒戦3戦は僅少得点ながら無敗を続けたが、第4戦となる2007年3月24日アテネでのトルコ戦にて1-4の大敗を喫する。 翌3月25日が独立記念日(1821年、ギリシャ独立戦争の開戦日)にあたっていた事もあり、トルコのメディアからは屈辱的な報じられ方をしたという。 この敗戦はギリシャ代表チームにとって少なからぬ危機となったが、その後見事に立て直し、逆に第10戦となる10月17日のアウェー戦・イスタンブールではヨアニス・アマナティディスのループシュートで0-1の勝利を収め、ホーム戦での雪辱を果たすと共に予選通過を果たした。 結局敗戦はアテネでのトルコ戦だけ、10勝1分け1敗の勝ち点31で予選首位通過を果たした(なお、予選で勝ち点30を上回ったのはギリシャだけである)。

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2020年「コンサドーレ札幌」 サッカーJリーグ チーム別年俸ランキング|サカマネ.net

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北海道コンサドーレ札幌(ほっかいどうコンサドーレさっぽろ、 Hokkaido Consadole Sapporo)は、のを中心とするをとする、(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 宮の沢白い恋人サッカー場 創部の が前身。 に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として 株式会社北海道フットボールクラブを設立。 同年に承認。 よりJリーグ加盟した。 より運営会社を「 株式会社コンサドーレ」に変更。 ホームタウンは「 札幌市を中心とする北海道」、ホームスタジアムは(詳細はを参照)。 名の「consadole(コンサドーレ)」は道民を意味する「」の逆さ読みと、語の響きを持つ「-ole(オーレ)」を組み合わせたもので 、一般公募によって決定された。 発足当初のクラブ名は コンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ)で、ホームタウンも札幌市1市だけだったが、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「 北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンエリアも拡大された。 は、北海道に生息する日本最大のフクロウ『』を象徴的に図案化。 頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。 シマフクロウがとなり、にマスコットの「」が誕生した。 練習場はオフィシャルスポンサーのが所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」。 クラブ事務所はかつては札幌ドーム内にあったが、に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した。 詳細は「」を参照• 東芝堀川町サッカー部 -• 東芝サッカー部 - 移転経緯 Jリーグブームの高まりを受け1993年10月に札幌青年会議所が中心となりJリーグチーム誘致に向け誘致推進特別委員会を設置し署名活動を開始、1994年1月27日には誘致活動母体となる「札幌SJクラブ」を立ち上げ9月22日までに約31万人の署名を集める。 1995年3月25日には官民の代表を集めた「Jリーグ札幌ホームタウンチーム設立推進協議会」を設立、その後プロ化や実業団チームとしての存続に消極的だった東芝サッカー部に札幌への移転を提案し、7月に受け皿として「札幌フットボール設立企画」を発足させる。 1996年1月11日に東芝サッカー部の札幌移転を正式発表、2月8日に日本サッカー協会が移転を正式承認し3月2日に新チーム名「コンサドーレ札幌」を発表し4月に運営会社「北海道フットボールクラブ」を設立。 1996年 - 1997年(旧JFL) [ ] 1996年 [ ] 「北海道からJリーグチームを」を合い言葉に、(旧JFL)へ参加。 東芝時代からを務めていたが初代監督を務めた。 からJリーグでの実績を持つ選手のとを獲得。 元経験のあるMFを獲得した他、の得点王となったのが入団した。 Jリーグから移籍してきたプロ選手とを含む東芝サッカー部から出向してきたが混在する41人体制のチーム編成となった。 第1節戦で吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。 同年に獲得したFWアルシンドが第2節戦でへの暴言で4試合のとなり、更に第9節戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。 にの一部リーグからヨゼフ、ルボシュを獲得し入団。 これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、国籍を持つがペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。 その後、ペレイラが第20節戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節戦と第24節戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。 残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。 初年度は 20勝10敗の5位(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。 シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。 また、チーム得点王の8点をマークした川合孝治が戦力外通告を受け、からまで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。 1997年 [ ] 元経験を持つが監督に就任した。 茶木裕司(へ移籍)、(へ移籍)、加藤剛とと川合孝治と後藤静臣(へ移籍)、とと(へ移籍)、小池大樹と村田信行(へ移籍)、(へ移籍)、パベル、オテーロ、ら1996年まで所属していた選手の多くが退団した。 新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるのが復帰、から世界的に有名なの実弟である、から、大塚FCからと、からと、から、市原からら数名を獲得し、新人ではから、初芝橋本高校の、からら数名が加入。 『チームはファミリー』をに、リーグ戦前に行われた予選リーグでV川崎、、のJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。 リーグ戦が開幕し、開幕から6連勝と快進撃を続け、の第7節戦(厚別)では後半43分に1-3とされ後半44分から怒涛の攻撃を見せバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦へ、最後はバルデスの延長Vゴールによって4-3で勝利した。 の第20節に等々力で川崎と再び対戦し、後半31分に1-3からバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦でバルデスが延長Vゴールを決めた。 川崎戦の2試合とも1-3からの延長Vゴールで逆転勝利を収めてた。 バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、の厚別競技場で行われた第28節大分戦で2-1で勝利して昇格と優勝を決めた。 リーグの最終戦も勝利して 26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績で JFL優勝、Jリーグ昇格を果たした。 バルデスは40得点でリーグ得点王となり、この年に7回のハットトリックを成し遂げた。 11月18日にJリーグの臨時理事会が東京で開かれ、Jリーグ正会員として正式に承認された。 JFL第10節の鳥栖戦から第30節戦までの2年間、でリーグ戦21勝0敗の成績を残し『厚別不敗神話』『厚別神話』という神話が生まれた。 1998年(Jリーグ) [ ] 戦いの場をJリーグに移したシーズン。 フェルナンデス体制2年目。 工藤英章(へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介(へ移籍)、(V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、とが引退した。 新戦力としてC大阪からと、G大阪から、からとのJリーグ経験者を獲得、からとらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。 1stステージ開幕戦の戦ではいきなり1-4と大敗。 第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、戦ではが4試合連続となるを献上。 1stステージ4勝13敗の16位に低迷。 2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。 後任にコーチが監督に就き第12節から指揮を執った。 10月のシーズン中の補強でから、から、東京ガスからを獲得。 2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は 12勝22敗の14位(全18チーム)となった。 からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるに参加した。 コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況でと福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。 詳細は「」を参照 1999年 - 2000年(J2) [ ] 1999年 [ ] 「1年でのJ1復帰」を目指してで監督として指揮を執っていたを監督に招聘。 1996年から1998年まで活躍したペレイラ、マラドーナ、バルデスと、渡辺卓(水戸へ移籍)、太田貴光(ジャトコへ移籍)、後藤義一と有馬賢二(横浜FCへ移籍)、バウテル(山形へ移籍)、鳥居塚伸人(へ移籍)らが退団。 ディドと赤池保幸と木山隆之と浅沼達也と山橋貴史が引退した。 新たにから、からとと、から、から、の実兄、、クレーベルらを獲得。 からと北海道札幌市出身の、かららが入団。 「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。 外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりに、ジネイを獲得し第15節から出場した。 第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく 17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。 しかし、明るい兆しがあった。 吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。 U-22オリンピック代表に選出、の予備登録メンバーになった。 更にはFW中山雅史が負傷離脱したため(南米選手権)に追加招集された。 2000年 [ ] 岡田体制2年目。 吉原宏太(G大阪へ移籍)、栗田泰次郎(清水へ移籍)、アシスと棚田伸と関浩二ら数名が退団。 期限付き移籍していた林晃平(G大阪)と井手口純(横浜FM)が移籍元へ復帰。 埜下荘司と梶野智が引退。 一方、から 、G大阪から、から、から、V川崎から、福岡から、から、、ブラジルのかららを獲得。 初めて札幌の下部組織(札幌ユース)からがトップ昇格、の、から、かららが入団した。 少ない予算でJ1昇格を狙うためにクラブが採った策は、主力選手をで集めてメンバーを固定して戦うというものだった。 その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成だった。 J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分) を含む 31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。 また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬功治と藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。 2001年 - 2002年(J1) [ ] 2001年 [ ] 創立5周年を迎えた2001年シーズン。 岡田体制3年目。 レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。 増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、のをレンタルで獲得した。 開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。 一時は2位に付け、 10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。 ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がを受賞。 この年も新人のが高卒1年目でレギュラーを獲得した。 シーズン終了後に岡田が監督を退任した。 同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。 2002年 [ ] 監督に元日本代表のが就任。 ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。 また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。 ウィルに替わるストライカーとして、のからブラジル人、東京Vから、G大阪かららを獲得した。 しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、さらにワールドカップ開催による札幌ドームの利用制約からホームゲームすら遠隔地で開催せざるを得ないというスケジュールの厳しさもあり 、チームは開幕から黒星を重ねた。 結局ロブソンは同年加入したと共に5月末に退団。 6月に柱谷は監督を解任された。 後任の監督として 「」のチームコーディネータを務めていたを招聘し、また同じく(現)人、ブラジル人の2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。 後任にが就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。 シーズン通算で 5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。 2003年 - 2007年(J2) [ ] 2003年 [ ] チームスローガン: We Shall Return 1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めたを招聘。 また横浜FMを退団したウィルが復帰し、、という2人の元ブラジル代表選手を獲得した。 一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治がへ移籍した。 シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。 その後、元大分の、元名古屋のを獲得したが、第26節の戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。 後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま 13勝13分18敗の9位(全12チーム)でシーズンを終えた。 2004年 [ ] チームスローガン: 全力蹴球 人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。 中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースからと、高卒で、、、斉川雄介、大卒で、など新人選手8人、テスト生から入団したのを獲得した。 また、磐田元監督のが監督に就任した。 開幕から第4節まで負けなしだったが、が怪我で戦線離脱したことやとの不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから、神戸からを獲得、前年にとしてチームに加わっていたと正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、 5勝15分24敗でJ1経験チーム初の J2最下位(全12チーム 当時は下位リーグとの降格制度はなかった)に終わった。 天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。 2005年 [ ] チームスローガン: 真っ攻勝負! 柳下体制2年目。 GKがG大阪へ移籍した一方、からと、鹿島から、磐田からとを獲得し、大卒の、ユースのとが入団した。 前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、、上里一将、らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から、からを獲得。 西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。 チームは 17勝12分15敗の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。 特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。 シーズン中にクラブが女子容疑でされるという不祥事があった。 3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設。 2006年 [ ] チームスローガン: 闘 創立10周年を迎えた2006年シーズン。 柳下体制3年目。 から、から、からと、水戸から、から、名古屋からを獲得し、ユースからとが昇格した。 リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。 中盤戦以降は状況は改善していったが、 20勝12分16敗の6位(全13チーム)で終了した。 しかし、第41節湘南戦、第42節戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。 「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。 ではJ1の千葉、新潟、を破り初のベスト4に進出。 シーズン終了後に柳下が退任。 2007年 [ ] チームスローガン: Power to 1 元監督のが監督に就任。 フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGKを甲府から完全移籍で獲得。 さらにC大阪からDF、からFW・MF、大宮からGK、高卒ルーキーのとを獲得した。 堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。 一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。 この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手やから途中移籍したが起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。 最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。 また、東京VがC大阪と引き分けたことで J2優勝(27勝10分11敗)も決めた。 2008年(J1) [ ] チームスローガン: Progress 三浦体制2年目。 広島からを完全移籍で、神戸の、清水の、新潟のMFをレンタル移籍で獲得、新人はのと柏U-18のが入団した。 一方でブルーノ・クアドロスが退団。 新加入した元柏のMFはキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにから元名古屋のMFを獲得した。 リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。 FWや川崎からを獲得したが、の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。 の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。 年間順位は 4勝6分24敗の最下位(全18チーム)となった。 三浦は来シーズンも続投を要請されていたが、降格の責任としてシーズン終了後に辞任した。 2009年 - 2011年(J2) [ ] 2009年 [ ] チームスローガン: 戦 大分や柏の元監督のが監督に就任。 ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。 一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。 またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。 具体的には、のからFW、のからMF、アジア枠でのからDF(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。 また、日本人では大宮からGKを獲得した。 新人はからが入団、、がユースから昇格した。 7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。 残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりにが加入した。 さらに、シーズン途中には柏のをレンタル移籍で獲得した。 若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。 勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位 21勝16分14敗の6位(全18チーム)で終了した。 2010年 [ ] チームスローガン: Challenge for Smile 創立15周年を迎えた2011年シーズン。 石崎体制3年目。 6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也がへ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰がへ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。 また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。 一方、新潟から高木貴弘、C大阪から、から、横浜FMからを獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、がユースから昇格し、室蘭大谷高校のが入団した。 外国人では(元京都)、の、ブラジルのクラブから、元徳島のを獲得した。 なお、また、は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。 また、キャンプに練習生として参加していたと契約を締結した。 シーズン中に、アンドレジーニョがのへ移籍、チアゴが退団するも、から、ブラジルのクラブから、が加入した。 J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。 徳島と勝ち点で並んだ、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。 21勝5分12敗の3位(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。 チームスローガン: 「We Go On」 -ただ、ひたすらに- 石崎体制4年目。 山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。 一方で、鹿島から、広島から、大分から、清水から、新潟から、FC東京からのを完全移籍で、をレンタル移籍で獲得。 前年ににレンタル移籍していたキリノが復帰。 さらにユースからシーズン終盤に活躍したをはじめ、、、、がトップへ昇格した。 なお、湘南から完全移籍のはへ移籍した。 なお、とがのスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した。 リーグ戦は第2節から7連敗。 第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。 7月、よりをレンタル それに伴い李昊乗の選手登録を抹消 、からとからを完全移籍で獲得。 一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴がへレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。 その後も成績は伸びないどころか逆に敗退を重ね、これで負けてしまえば自力での挽回が不可能という状態となった9月29日の第27節の川崎戦でも惨敗。 これによってJ2降格が完全に決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。 年間順位は 4勝2分28敗の勝点14で最下位(全18チーム)。 連勝は無く、アウェー13連敗、年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録。 勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低の記録である。 シーズン終了後、石崎は監督を退任した。 2013年 - 2016年(J2) [ ] 2013年 [ ] チームスローガン: 北海道とともに、世界へ 監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた出身のが就任。 財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。 また、3月に札幌OBのが北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。 強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。 中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成(へ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、高柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、がブラジルクラブに、ジェイド・ノースがに、近藤祐介がに、がに完全移籍した。 一方、からを完全移籍で、ブラジルのクラブからをレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、で札幌ユースU-18出身のが入団、前年度にで全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから、、、、、の6人がトップへ昇格した。 3月にのとクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。 シーズン中にはが規律違反で退団(その後へ移籍)したが、2014シーズンの加入が内定しているのをで登録。 7月、練習生として参加していた、のをレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。 契約は継続。 ) 開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。 その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。 第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。 なお、最終成績は 20勝4分18敗の8位(全22チーム)。 天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。 2014年 [ ] チームスローガン: 北海道とともに、世界へ 財前体制2年目。 曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔(へ移籍)が退団、岡本賢明がへ、フェホがのへ、趙成眞がのへ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗がへ、神田夢実と阿波加俊太がへレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。 一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、から、栃木から、川崎から、神戸から、韓国のから、のからを完全移籍で、ブラジルのクラブからをレンタル移籍で獲得、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、のが加入、ユースから、がトップへ昇格した。 シーズン中には、1月に仮契約していたがのから完全移籍で加入、李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。 また、前貴之が富山、古田寛幸が讃岐へレンタル移籍した。 開幕戦で前年J2降格の磐田にアウェーで勝利するも下位に低迷。 一時は17位まで順位を落とし、第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなかったことや、途中加入のの起用に消極的であったことから、8月28日に成績不振を理由に財前監督を解任し、新監督にかつて愛媛で監督をしていたが就任した。 なお来日の関係で指揮を振るうのが第31節の岐阜戦からのため、第29・30節はコーチの名塚善寛が監督代行として指揮することになった。 監督交代後は、都倉が積極的に起用されるようになり、都倉もバルバリッチの期待に応える活躍を見せた。 また、3バックを使用するようになった。 監督交代後4勝2敗5分の成績を残したが、最終的には 15勝14分13敗の10位(全22チーム)の成績に終わり、プレーオフ進出を逃したものの、プレーオフ進出に絶望的な状況であったところを立て直した手腕を高く評価し、バルバリッチの続投が決まった。 天皇杯は2回戦で清水に敗北した。 また、女子サッカーチームとして「 北海道リラ・コンサドーレ」を創設し、宗像訓子が初代監督に就任した。 2015年 [ ] チームスローガン: 北海道とともに、世界へ バルバリッチ体制2年目。 日高拓磨(富山へ移籍)、前年タイリーグにレンタル移籍していた横野純貴(福島へ移籍)、松本怜大(町田へ移籍)、上原拓郎(熊本へ移籍)、丁成勳、ステファノ(のペルシジャ・ジャカルタへ移籍)が契約満了、ヘナンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。 またイ・ホスンが湘南へ完全移籍、奈良竜樹がFC東京へ、工藤光輝が相模原(7月からは)、内山裕貴がのへレンタル移籍した。 シーズン中には、小山内貴哉が、砂川誠が岐阜へレンタル移籍した。 一方、川崎から元日本代表の、岐阜から前年J2得点4位の、甲府からの、C大阪から韓国U-21代表のを完全移籍で、川崎から、ブラジルのから前年東京Vに所属していたをレンタル移籍で獲得、古田寛幸・前寛之・前貴之・堀米悠斗・神田夢実がレンタル移籍から復帰、ユースからがトップへ昇格した。 開幕戦で勝利し、5月には都倉が6得点でJ2月間MVPを獲得する活躍などがありチームも好調。 前半21試合でアウェー戦負けなしのプレーオフ圏内の6位で折り返した。 ところが後半戦に入ると3連敗するなど第19節から7試合勝利がなく、7月24日にバルバリッチ監督を解任してU-18監督のが就任したが、新監督就任直後から4試合連続無得点、前監督時代から含めて12戦連続勝利なしなどチームは勝ちきれず、最終的には 14勝15分13敗の10位(全22チーム)でシーズンを終えた。 天皇杯は3回戦で鳥栖に敗北した。 2016年 [ ] チームスローガン: 北海道とともに、世界へ 創立20周年を迎えた2016年シーズン。 チームは今シーズンより運営会社名を株式会社北海道フットボールクラブから株式会社コンサドーレへ、チーム名はコンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌へ(但し公式記録などの略称については従前に同じ)、ホームタウンを札幌市から札幌市を中心とする北海道へ変更。 また、及びと共同事業契約を結び、「株式会社エゾデン」を設立。 として電気事業に参入した。 また、と7年にわたってクラブビジネス戦略パートナー契約を締結した。 四方田体制2年目。 前年に岐阜へレンタル移籍していた砂川誠が引退、古田寛幸(金沢へ移籍)、前田俊介(へ移籍)、薗田淳(熊本へ移籍)、菊岡拓朗(相模原へ移籍)、ナザリトが契約満了、二ウドがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。 また、FC東京にレンタル移籍していた奈良竜樹が川崎へ完全移籍、長野にレンタル移籍していた小山内貴哉とパウロンが福島へレンタル移籍した。 一方、神戸から、ブラジルのからと、からを完全移籍で獲得。 さらに、阿波加俊太と内山裕貴がレンタル移籍先から復帰した。 またシーズン途中には鳥栖からが期限付き移籍で加入した。 開幕5戦で3勝1分1敗といいスタートを切ると、5月3日の第11節で首位に立った。 試合では先制した後に無失点に抑える1-0での勝利(ウノゼロ勝利が11試合)、5年ぶりの函館開催となった第21節横浜FC戦や第25節岐阜戦のような5点を取っての勝利など、攻守がかみ合い好調をキープし、ホームでは開幕から18試合無敗(16勝2分)で昨年から続いていた無敗記録がJ2タイ記録の23試合まで伸ばした。 しかし、終盤に差し掛かり第37節東京Vにホームで敗戦し、ホーム無敗のJ2新記録を逃してからの4試合を1勝3敗で昇格へ足踏みが続いた。 サポーター3000人以上がアウェーに駆け付けた第41節千葉戦で劇的な逆転勝利。 引き分け以上でJ1昇格とJ2優勝が決まる最終節のホーム金沢戦で引き分けて、 25勝10分7敗の1位(全22チーム)となり、J2最多記録となる9年ぶり3回目のJ2優勝と、5年ぶり5回目 のJ1昇格が決まった。 天皇杯は2回戦で岡山に敗北した。 チームスローガン: 北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:WE LOVE A CHALLENGE) 四方田体制3年目。 11年間在籍していた上里一将(熊本へ移籍)をはじめ、神田夢実(愛媛へ移籍)、内山裕貴(鳥取へ移籍)、イルファン(バリ・ユナイテッドへ移籍)、盛岡へ期限付き移籍していた工藤光輝(引退)が契約満了、前貴之が、櫛引一紀が名古屋、中原彰吾がG大阪、福島へレンタル移籍していたパウロンが水戸へレンタル移籍、堀米悠斗が新潟、小山内貴哉がレンタル移籍先の福島へ完全移籍した。 また、シーズン途中には阿波加俊太が育成型期限付き移籍で愛媛へ、永坂勇人が水戸へレンタル移籍した。 一方で、からと、鳥栖から、神戸から、横浜FMからを完全移籍で、大宮からをレンタル移籍で獲得。 レンタル移籍だった福森晃斗は完全移籍となり、菊地直哉はレンタル移籍期間が延長され、U-18から前年2種登録選手で出場していたとが昇格した。 またシーズン中には、2016年12月に仮契約していた のがのからレンタル移籍で、仙台から6年半ぶりの復帰となるを完全移籍で獲得。 また昨年まで磐田でプレーしていたが加入した(それに伴い外国籍枠の関係で負傷で長期離脱が決まっていたジュリーニョの選手登録を抹消)。 開幕5戦を1勝1分3敗の勝ち点4と2005年以降のJ1昇格チームがJ1残留している勝ち点5に届かず、第11~16節には6連敗するなど前半は残留圏ぎりぎりの15位で折り返した。 後半初戦となる第18節大宮戦では0-2から福森がJ1史上7人目となるでの2得点で同点とし、第24節仙台戦・第25節磐田戦に勝利して16年ぶりのJ1で連勝した。 その後夏以降に加入したチャナティップ、ジェイ、石川直樹らがかみ合うと10月以降も第29節柏戦・第30節FC東京戦でも連勝、第31節鹿島戦では1対2と敗れたものの残り3試合となった第32節清水戦に勝利し、2001年以来16年ぶりとなるJ1残留を決めた。 その後も16年ぶりとなる3連勝で締めくくり 12勝7分15敗の11位(全18チーム)で終了した。 5年ぶりの出場となったはプレーオフステージでC大阪に敗退、天皇杯は2回戦で福島県代表のに敗れ、初戦敗退となった。 2018年 [ ] チームスローガン: 北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:冒険コンサドーレ) 監督に約11年に亘って広島と浦和で指揮し、2017年J1第19節の札幌戦翌日に浦和を解任となったが就任。 前年まで監督を務めていた四方田修平は監督を退任し、ヘッドコーチに就任した。 増川隆洋(京都へ移籍)、石井謙伍(タイのサムットサーコーンFCへ移籍)、マセード(ブラジルのへ移籍)が契約満了、杉山哲が、金山隼樹が岡山、上原慎也が愛媛、前貴之が前年レンタル移籍先の山口、櫛引一紀が前年レンタル移籍先の名古屋に完全移籍した。 また、前寛之が水戸、金園英学が甲府、前年G大阪にレンタル移籍していた中原が長崎へレンタル移籍した。 一方で、愛媛から、広島からを完全移籍で、川崎から、浦和から、京都からをレンタル移籍で獲得。 レンタル移籍だった菊地直哉と横山知伸は完全移籍となり、U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していたが昇格、レンタル移籍だった阿波加俊太、昨シーズン途中でケガにより登録抹消されていたジュリーニョが再登録された。 シーズン開始前の、2018年2月8日と2月10日の2日間、アロハスタジアムで開催された「パシフィックリムカップ2018」に出場し、優勝した。 シーズン中には横山知伸が熊本、ジュリーニョが山口へレンタル移籍、ヘイスは契約解除(のちに新潟へ移籍)した。 フォーメーションは前年までと同じ[3-4-2-1]だが、攻撃時にはボランチの一人が下がり左右のCBがサイドに広がってSBのようになり、両WBが高い位置を取ることで5トップの形になる[4-1-5]、また守備時には両WBが最終ラインまで下がって5バックの形になる[5-4-1]で、いわゆる「」と呼ばれる可変システムを採用した。 また左右CBの福森と進藤の攻撃力を生かすために、攻撃時に両ボランチを1列下げて中央CBと3CBを形成し、左右CBを1列上げる[5-0-5]システムを採用することもあった。 前年までのしっかり守ってロングボールなどで長身FWにあてる形を時折織り交ぜつつ、GKを含めた最終ラインからボールをしっかりつないでいくスタイルをキャンプから繰り返し練習してシーズンを迎えた。 序盤は連携面でのミスが重なりカップ戦を含む公式戦5試合で1勝4敗11失点と結果が出せなかったが、第4節に前年J1昇格をした長崎戦にシーズン初勝利すると第14節のFC東京戦までクラブ最長記録となる11試合負け無し(7勝4分)で第12節終了時には3位に浮上、によるJ1リーグ戦中断前を5位で終えた。 再開後も第23節FC東京戦は0-2から逆転で3-2にするなど好調を維持し、第25節までの3試合を3連勝で9月の中断期間に入った。 中断期間中の9月6日にが発生して北海道全域がとなるなど大きな被害を受け、選手やスタッフは自宅待機となるなど練習やコンデションに影響を及ぼした。 再開後の第26節の川崎戦では0-7と大敗し次節の鹿島戦にも負けて連敗したが、第30節まで暫定4位から7位の間を推移しの影響で延期していた第18節の振替試合 に勝利してクラブ初となる2年連続J1残留を決めた。 第33節の磐田戦に勝利して勝ち点54とすると最終第34節は勝ち点56で2位の広島と直接対決となり、勝利すれば2位となる可能性のあるホームに34,250人が集まる中、試合は前半21分までに2点をリードしながらも後半に同点に追いつかれそのまま引き分けた。 その結果、の出場権は獲得できなかったが、 15勝10分9敗の4位(全18チーム)とクラブ史上J1最高成績で終え、大躍進のシーズンとなった。 なお、は予選敗退、はベスト16だった。 シーズン終了後の2018Jリーグアウォーズにおいて、チャナティップが 、ペトロヴィッチが優秀監督賞 J1 に選出された。 2019年 [ ] チームスローガン: 北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:ミシャ、第2章。 ) ペトロヴィッチ体制2年目。 9年間在籍していた内村圭宏(へ移籍)や8年間在籍していた河合竜二(引退)をはじめ、田中雄大(へ移籍)、菊地直哉(福岡へ移籍)、稲本潤一(相模原へ移籍)、熊本へレンタル移籍していた横山知伸(9月に岐阜へ移籍)、山口へレンタル移籍していたジュリーニョ、水戸へレンタル移籍していた永坂勇人(7月に・へ移籍)が契約満了、三好康児がレンタル移籍期間満了に伴い退団(その後横浜FMへレンタル移籍)、都倉賢がC大阪、宮吉拓実が京都、兵藤慎剛が仙台へ完全移籍、前寛之が前年レンタル移籍先の水戸、金園英学が前年レンタル移籍先の甲府に完全移籍した。 一方で、京都から、長崎から、仙台から、から元広島のを完全移籍で、ECヴィトーリアからをレンタルで獲得。 U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していたが昇格、直前ので優勝したからが加入。 菅野孝憲はレンタル移籍期間が延長され、2年間G大阪と長崎へレンタル移籍していた中原彰吾が復帰、レンタル移籍で加入していたチャナティップ、駒井善成が完全移籍となった。 シーズン中には2020シーズンの加入が内定しているのと札幌ユース出身で筑波大学の、のを特別指定選手で登録した。 小野伸二がに、中原彰吾が仙台に完全移籍、中村桐耶がに育成型期限付き移籍した。 シーズン序盤では第2節アウェー浦和戦に完勝し、第3節ではロペスの4得点の活躍などで13シーズン振りにホーム開幕戦に勝利した。 その後失点が多く3連敗したが、第7節にキム・ミンテを中央CBに入れてから守備が安定してクラブ初のJ1リーグ4連勝を記録するなど前半を6位で終えた。 同時期にクラブの選手が各国代表に選出されるようになった。 3月には鈴木がクラブ20年ぶりに日本代表に選出されると、菅はユース出身で初となるに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に選出された。 また、進藤も11月の国際親善試合での日本代表に選出された。 韓国代表のクソンユン、タイ代表のチャナティップ、日本代表の鈴木はに定期的に選出されるようになると、J1リーグ戦・ルヴァン杯・代表戦で過密日程となり、シーズン後半は1度も連勝できずに最終的に 13勝7分14敗の10位(全18チーム)で終了した。 は2回戦敗退となった。 シーズン終了後のの日本代表に鈴木と菅と特別指定選手の田中が選出され、鈴木は中国戦、菅は香港戦で代表初ゴールを記録した。 初のルヴァンカップ決勝 2019年YBCルヴァンカップ決勝戦 ではグループAを1位で突破。 プレーオフの磐田戦はアンデルソン・ロペスの3得点などの活躍で2戦合計4-2(アウェー:第1戦2-1、ホーム:第2戦2-1)で1997年以来21年ぶりに決勝トーナメント(プライムステージ)に進出。 準々決勝の広島戦でもアンデルソン・ロペスの3得点の活躍や福森の直接FKなど2戦合計4-3 ホーム:第1戦3-2、アウェー:第2戦1-1)で準決勝に進出。 準決勝は直前のリーグ戦と合わせて10日間で3連戦となるG大阪が相手。 直前のリーグ戦で0-5と大敗した同地でのアウェー第1戦は、先制点を許したが後半42分にCKからキム・ミンテが同点ゴール。 終了間際に失点して1-2で敗れはしたが、貴重なアウェーゴールを獲得した。 ホーム第2戦はJリーグ杯でのクラブ史上最多となる15996人の観客動員を記録する中、後半31分の鈴木のゴールを守りきり1-0で勝利。 2戦合計2-2もアウェーゴール数の差で公式戦初となる決勝に進出した。 決勝はJ1リーグ戦でこれまで1度も勝利をした事がない川崎と対戦。 前日の関東地方の悪天候の影響で当日の飛行機が一部欠航する中、北海道から舞台となるまで別の移動手段を急遽手配して何とか辿り着いたり、行けなくなったサポーターも多くいた。 それでもゴール裏を埋め尽くす程の多くのサポーターが駆けつけて48119人の観客動員を記録。 試合は前半10分に右WBの白井からのクロスを左WBの菅が豪快なボレーシュートを決めて札幌が先制するも、その後は川崎が徐々に押し返す展開となりアディショナルタイムに左CKからに押し込まれて1-1で前半を終了した。 後半も川崎に主導権を握られ、後半43分にに決められて1-2となるも、後半アディショナルタイムのラストプレーで福森の右CKに深井が頭でたたき込み、土壇場で同点に追いつき試合は延長戦に突入した。 延長前半4分にピッチ中央付近から個人技で中央突破を図ったチャナティップに対して川崎のが後ろから倒してファールの判定。 一度はイエローカードを提示されたが、が介入しオンフィールドレビューとなった結果、「決定的な得点の機会の阻止」と判断されてレッドカードが提示され一発退場となった。 さらに、このファウルで得たフリーキックを怪我で欠場した宮澤に代わってキャプテンだった福森が直接ゴールに叩き込んで勝ち越しに成功。 しかし延長後半4分に再び小林に決められて3-3のまま120分でも決着つかずにPK戦となった。 PK戦では4人全員(ジェイと入れ替わって途中出場のロペス、6試合出場7得点で大会得点王を獲得した鈴木、2-2に追いつく同点ゴールを決めた深井、白井と入れ替わって途中出場のフェルナンデス)が成功したのに対して川崎は4人目ので失敗し、5人目で3-2と一度は逆転ゴールを決めた福森との交代で出場した石川が決めれば初優勝となる(Jリーグカップが津軽海峡を越える)状況から川崎GKに横っ飛びで阻まれてサドンデスに突入。 川崎は6人目のが決めた一方、決めて同点にしなければならない状況で6人目の進藤のシュートが新井の正面を突いて石川に続いて立て続けに失敗してしまいジエンド。 川崎を10人に追い込み且つPK戦も川崎が先に失敗したにも関わらず、惜しくも準優勝という結果となり、ペトロヴィッチは史上初めて3クラブを跨いで のJリーグカップ準優勝監督となってしまった。 2020年 [ ] チームスローガン: 北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:行先は決まっている、迷わず行こう。 ) ペトロヴィッチ体制3年目。 岩崎悠人が湘南にレンタル移籍した。 一方で、前年までレンタル移籍だった菅野孝憲とルーカス・フェルナンデスを完全移籍で、ブラジルのから、ベルギーのからタイ代表のをレンタルで獲得した。 また、前年特別指定選手の金子拓郎、高嶺朋樹、田中駿汰が加入、2021シーズンの加入が内定している法政大学のを特別指定選手で登録した。 で2月26日(ルヴァン杯第2節)から7月4日まで長期にわたって公式戦が中断となった。 4月6日に大幅な収益減を余儀なくされるクラブに対して、外国籍選手を含めた28人の全所属選手が年俸の一部を返納することを申し出た。 また5月29日に、6年間在籍したク・ソンユンがのため当初の予定よりも早く韓国へ帰国することを決め、韓国のへの完全移籍が発表された。 また新型コロナウイルスを受けてブラジルに一時帰国していたアンデルソン・ロペスは、出入国制限のためにJ1再開までに日本への入国が認められなかったが、7月11日に入国許可が下り2週間の隔離措置を取った上でチームに合流し、8月以降の試合出場を目指す。 感染予防の観点から近隣クラブとの対戦を優先的に実施するJリーグの方針 により飛行機移動の繰り返しを避けるため、6月22日から約1カ月間にわたり千葉県にあるサッカー日本代表の新拠点であるを日本サッカー協会の協力で提供され 、アウェイ4連戦(開幕戦を含めると5連戦)となった。 所属選手 [ ] 札幌厚別公園競技場 ホームスタジアムはである。 過去のホームゲーム開催スタジアムは『の入場者数・主催試合数(年度別・会場別)』を参照。 Jリーグ加盟後に開催したのは(札幌厚別)、およびであるが、函館ではに5年ぶりのホームゲームを開催した一方、室蘭ではから開催されていない。 コンサドーレ札幌発足当初よりホームスタジアムとしていた札幌厚別も、のちにJリーグの基準()を満たさないこととなり、からはJリーグからの許諾を得た特例開催の扱いで数試合に制限して実施しており、Jリーグから2014年度のJ1ライセンス交付時に、札幌厚別の改善計画案について書面での提出を求める「制裁」を受けていた。 から登録上のホームスタジアムは札幌ドームのみとなっており 、札幌厚別での開催はが札幌ドームを使用する場合など、限られた試合数のみとなっている。 道外での公式戦ホームゲーム 札幌厚別の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトマッチ用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦のホームゲームを開催したことがある。 2001年と2002年の高知県での開催は、同年の最初のホームゲームだった。 クラブは高知県を準ホームタウンとして定め、2002年には同県でも実施した。 札幌()と高知()を往復するチャーター航空機利用ツアーなども実施したが、入場者数が伸び悩んだため、2002年限りで高知県との準ホームタウン関係を解消した。 なおの終盤、コンサドーレに(ACL)出場の可能性があった際(最終的には出場権は得られなかった)、2月のホームゲーム を札幌ドームであっても開催できず、北海道外でのホームゲーム開催となる可能性が示されていた。 リーグ戦• 入場者数(年度別・最多/最少入場者数)• 開幕戦・最終戦• 入場者数・主催試合数(年度別・会場別)• Jリーグカップ戦• 入場者数・試合会場 スタジアムDJ [ ]• FMノースウェーブ DJ• 1996-• / 1996-• 1996-• AIR-G' DJ• 2010-• FM-JAGA DJ• 栗谷昌宏(不明) 入場曲 [ ]• Moon Over The Castle - ホームゲーム入場曲(演奏者:、1997年)TVゲーム『』と同じ曲としても知られるが曲調が多少異なる。 配布物 [ ]• ホーム全試合会場入り口にて無料配布。 北海道フットボールクラブ• 2003年 - 2005年 : MATCH DAY PROGRAM• 2006年 - 2008年 : kattare-カッターレ-• 2009年 : -アカクロ-• 2010年 - 2015年 : VOCS-ヴォックス-• この赤と黒の縦縞を発案したのは、当時東芝サッカー部に選手として在籍していたである。 1996年:東芝時代と同じ赤黒の縦縞を使用。 1997年 - 1998年:赤黒の縦縞を基調に白とブルーグレーを追加。 1999年 - 2000年:色が赤黒のみになる。 2001年 - 2002年:赤黒の間に白のラインを入る。 2003年 - 2004年:中央を黒、サイドを赤になる。 2005年:正面を赤一色、背面を赤ベースに黒の三本線へ変更。 2006年:サプライヤーをからに変更したことに伴い、赤黒の縦縞が復活。 2010年:1stユニフォームのソックスを黒へ変更。 2ndユニフォームの前面に赤黒の帯が付いた。 2011年:15周年メモリアルとしてゴールドを使用。 2013年:赤黒の縦縞線が従来よりも細くなる。 2014年:袖とサイドに「」の柄を採用。 2015年:2ndユニフォームのパンツが赤へ変更。 2016年:1stユニフォームのソックスを黒から赤へ変更。 クラブ創設20周年記念と開業に伴い、FPは1stユニフォームを白とグリーンの縦縞でパンツが紫、GKは1stユニフォームを赤と黒の縦縞を函館開催のみ着用。 ユニフォーム右袖にが入る。 2018年:ユニフォーム右袖の北海道旗に代えて、「北海道150年事業 」シンボルロゴマークが入る。 また北海道150年を記念して、8・9月、および最終節の計6試合で北海道命名150年 記念ユニフォームを着用。 デザインはFPが赤と黒の縦縞だが、黒の縦縞部分が北海道179市町村の名前で出来ている。 パンツは黒。 GKはグリーンと黒の縦縞でFP同様黒の縦縞部分が北海道179市町村の名前で出来ている。 パンツはグリーン。 2019年:ユニフォーム右袖に、ホームタウンマークとして「HOKKAIDO」の文字が入る。 2020年:チームとして初めてFPの3rdユニフォームを採用。 これまで2ndとして使用していた白を3rdとして、今までGKの3rdとして使用されていた紺をFPの2ndとしても採用した。 前年まで腹部(胸部下)に入っていた背番号表示が無くなった。 クラブカラー [ ]• コンサドーレレッド(暖かい炎=ファイティングスピリットの)• コンサドーレブルーグレイ(の茂る深い森=冷静なの象徴)• コンサドーレブラック(北海道の大地=のを象徴)• ユニフォームサプライヤーの遍歴 [ ]• 1996年 - 1998年:• 1999年 - 2005年:• 2006年 - 現在: 歴代ユニフォーム [ ] FP 1st アカデミー本拠地(2018年) アカデミー(育成組織)として、以下のチームを保有している。 カテゴリー クラブ名 高校生年代 札幌U-18 (4月) 中学生年代 札幌U-15 (1997年4月) 旭川U-15 (2004年4月) 釧路U-15 (2016年4月) 室蘭U-15 (2019年4月) 小学生年代 札幌U-12 (2002年4月) 東川U-12 (2017年4月 ) 釧路U-12 (2016年4月) 室蘭U-12 (2019年4月)• クラブ名は北海道コンサドーレを省略。 は設立年月。 歴史 [ ] クラブ創設の翌年1997年4月にトップチームが当時の練習場として使用されていたの藤野スポーツ広場を拠点として活動、札幌U-18、札幌U-15も同時に開設された。 遠方から栗山町に通うユース選手のために、1998年4月にユース尞を栗山町に開設したが、2003年3月に活動拠点を札幌市に移すため栗山町のユース尞を閉鎖した。 同年5月に活動拠点を栗山町から東雁来に移しユース専用の東雁来グラウンドを開設。 2005年3月に札幌市に選手寮「しまふく寮」が開設され、トップ選手と混ざり一部のユース選手が入寮した。 同年6月にクラブパートナーでもある進藤病院の院長が練習場運営会社ジャパンスポーツラボを設立し、に練習場「コンサフィールド東川」を開設した。 2016年に釧路で活動していたを母体として釧路U-15、釧路U-12を開設し合同でアカデミー活動を開始。 2017年4月に東川U-12を発足し 、札幌U-12は昨年の活動拠点を更に増やして2カ所で活動。 2019年4月に室蘭U-15、室蘭U-12が発足し、現在活動しているジェネラーレ室蘭と合同で活動する。 コーチ• 及川真行 1997年 - 1998年、2001年 - 2002年• 財前恵一 1999年 - 2000年、2007年 - 2009年• 赤池保幸 1999年 - 2001年、2003年 - 2006年• 四方田修平 2002年• 深川友貴 2003年 - 2010年• 佐賀一平 2005年• 賀谷英司 2006年• 阿部勝弘 2007年 - 2015年• 2009年 - 2012年• 川口卓哉 2011年 - 2014年• 相川雄介 2014年 - 2017年• 関浩二 2015年• 鈴木健士 2016年• 青山剛 2017年• 砂川誠 2018年• 大野貴史 2019年 成績 [ ] 年度 リーグ戦 U-18監督 所属 試合 勝点 勝 分 敗 順位 2001 - - - - - - - ベスト16 準優勝 GL敗退 財前恵一 2002 - - - - - - - 2回戦敗退 ベスト4 ベスト16 2003 7 19 6 1 0 優勝 GL敗退 GL敗退 GL敗退 2004 7 19 6 1 0 優勝 GL敗退 GL敗退 GL敗退 四方田修平 2005 9 19 6 1 2 優勝 準優勝 GL敗退 2006 9 15 4 3 2 予選敗退 2007 9 25 8 1 0 2008 9 27 9 0 0 2009 9 23 7 2 0 2010 7 19 6 1 0 年度 リーグ戦 クラブユース 選手権 Jユースカップ U-18監督 所属 試合 勝点 勝 分 敗 順位 2011 イースト 18 35 10 5 3 四方田修平 2012 18 30 9 3 6 2013 18 29 9 2 7 ベスト8 2014 18 20 5 5 8 2015 18 13 3 4 11 川口卓哉 2016 プリンスリーグ 北海道 14 34 11 1 2 2017 14 36 12 0 2 2018 14 30 9 3 2 2019 14 34 11 1 2 財前恵一 主な全国大会結果 ベスト4以上を記載• 準優勝:• イースト• 優勝:• 2位:• 優勝:• ベスト4:• 準優勝:2001年• ベスト4:2002年、• 準優勝:2005年 主な北海道大会結果 ベスト4以上を記載• 優勝:2009年• 準優勝:2010年• ベスト4:2008年、2012年 2013年よりプレミアリーグとの日程調整がつかず不参加。 2015年より第2種(U-18)チームは出場不可。 国際大会 [ ]• 出場:2005年• ダラスカップ• 出場:2006年• ゴシアカップ• U18部 準優勝:2016年• U16部 準優勝:2013年• 優勝:2016年• U-19ミャンマー国際招待ユース KBZ Bank U19 Cup 2016• 準優勝:2016年• U16 TOYO TIRES CUP 2019• 創設年:1997年• 本拠地:札幌市東区東雁来• 練習場:東雁来グラウンド 所属選手 コーチ• 財前恵一 1997年 - 1998年• 及川真行 1999年 - 2000年, 2003年• 赤池保幸 1999年 - 2002年• 浅沼達也 2000年 - 2001年• 森下仁之 2001年 - 2002年• 冨樫剛一 2002年9月 - 2002年• 賀谷英司 2003年 - 2005年, 2016年 - 2017年• 松山大地 2003年 - 2011年• 関浩二 2006年 - 2012年, 2015年• 池内友彦 2012年 - 2014年• 蛯沢匠吾 2013年• 村田達哉 2013年• 中村拓朗 2014年 - 2017年• 村井一俊 2018年 成績 [ ] 年度 所属 部 リーグ戦 U-15監督 試合 勝点 勝 分 敗 順位 2001 - - - - - - - - - - 三浦雅之 2002 - - - - - - - 準優勝 予選敗退 2003 - - - - - - - 準優勝 - 森下仁之 2004 - - - - - - - ベスト16 ベスト8 2005 - - - - - - - ベスト16 予選敗退 2006 - - - - - - - GL敗退 予選敗退 2007 1部 7 21 7 0 0 優勝 - 予選敗退 名塚善寛 2008 9 27 9 0 0 優勝 ベスト16 予選敗退 2009 10 28 9 1 0 優勝 ベスト8 予選敗退 2010 10 27 9 0 1 優勝 ベスト8 予選敗退 2011 15 39 13 0 2 優勝 ベスト16 ベスト8 - 2012 14 27 8 3 3 3位 初戦敗退 ベスト16 予選敗退 2013 14 42 14 0 0 優勝 初戦敗退 予選敗退 関浩二 2014 14 35 11 2 1 優勝 ベスト8 予選敗退 2015 14 38 12 2 0 優勝 初戦敗退 準優勝 佐藤尽 2016 14 38 12 2 0 優勝 準優勝 ベスト4 森川拓巳 2017 14 31 10 1 3 準優勝 2018 14 40 13 1 0 優勝 主な全国大会結果 ベスト4以上を記載• 準優勝:2002年、2003年 、、2016年• ベスト4:2008年• ベスト4:2016年、2018年• 準優勝:2015年• ベスト4:2016年• 優勝:2002年• ベスト4:2016年 国際大会 [ ]• 中国足協青少年足球U15冠軍杯賽• 準優勝:2016年• BOAL国際U-14大会• 創設年:2004年• 本拠地:• 練習場:コンサフィールド東川 所属選手 コーチ• 川口卓哉 2004年 - 2007年• 松山育司 2004年 - 2018年• 2008年 - 2011年• 柴田慎吾 2012年 - 2015年• 日高拓磨 2016年 - 2017年• 高木貴弘 2016年 成績 [ ] 年度 所属 部 リーグ戦 高円宮杯 U-15 クラブユース U-15 JFA プレミアカップ U-15監督 試合 勝点 勝 分 敗 順位 2004 予選敗退 予選敗退 - 三浦雅之 2005 予選敗退 予選敗退 - 2006 予選敗退 予選敗退 - 2007 ベスト16 予選敗退 - 賀谷英司 2008 北海道 カブスリーグ 1部 9 13 4 1 4 6位 GL敗退 予選敗退 - 佐藤尽 2009 2部 10 13 4 1 5 4位 予選敗退 予選敗退 - 2010 10 18 5 3 2 優勝 予選敗退 予選敗退 - 2011 15 37 12 1 2 B組優勝 予選敗退 予選敗退 - 2012 1部 14 5 1 2 11 8位 予選敗退 予選敗退 - 2013 2部 14 31 10 1 3 2位 予選敗退 予選敗退 - 2014 1部 14 20 6 2 6 4位 予選敗退 予選敗退 - 2015 14 16 5 1 8 6位 予選敗退 予選敗退 - 北原次郎 2016 14 22 7 1 6 3位 予選敗退 GL敗退 - 柴田慎吾 2017 14 25 8 1 5 5位 予選敗退 GL敗退 - 2018 14 28 9 1 4 2位 - ベスト32 - 中三川哲治 主な全国大会結果 ベスト4以上を記載• 準優勝:2014年• ベスト4:2015年、2017年 釧路U-15 [ ] 釧路市を本拠地とするのU-15を母体にして合同でアカデミー活動。 創設年:2016年• 本拠地:・• 練習場:釧路町運動公園など スタッフ 役職 コーチ 前職 在職年 備考 釧路エリアチーフ 安田一行 ジュニアサッカースクール コーチ 2020年 - 釧路U-15、U-12担当兼任 詳細は「」を参照 コンサドーレ北海道スポーツクラブ [ ] 一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブ 創立者 株式会社コンサドーレ、 団体種類 設立 2014年2月14日 所在地 北海道札幌市中央区北3条西2丁目1-13 NC北専北三条ビル7階 主要人物 活動地域 主眼 サッカークラブである北海道コンサドーレ札幌が、サッカークラブの枠を越え、道内の地域活性化やスポーツを通じた子どもたちの心身の育成、生涯スポーツの実現やコミュニティの創出を目指す。 活動内容 スポーツクラブの運営事業 スポーツイベント、スポーツ教室、スポーツ大会の開催事業 スポーツ選手の養成・指導並びに管理業務 指導者及び審判員の講習会の開催事業 スポーツに関する調査、研究、情報の提供事業 スポーツを通じた国際交流事業 スポーツ施設の管理運営事業 活動手段 コンサドーレジュニアサッカースクール 他 一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブは、株式会社北海道フットボールクラブ(当時)と、学習塾「明光義塾」で知られ、首都圏でサッカースクールも展開するの出資により2014年に設立された一般社団法人による総合型地域スポーツクラブ。 代表理事は北海道コンサドーレ札幌ゼネラルマネージャーのが兼任。 コンサドーレジュニアサッカースクール [ ] 2001年に北海道フットボールクラブ(当時)により開始。 2014年のコンサドーレ北海道スポーツクラブ設立と同時に移管された。 「夏」:夏季限定の会場• 「冬」:冬季限定の会場 主なコーチ [ ]• (移管前の2013年就任) 北海道リラ・コンサドーレ [ ] 北海道コンサドーレ札幌 原語表記 北海道リラ・コンサドーレ 愛称 リラ・コンサドーレ 創設年 代表者 三上大勝 監督 浮田あきな 公式サイト テンプレート(ノート)サッカークラブPJ 2014年に、コンサドーレ北海道スポーツクラブを運営母体として、女子サッカーチームが設立 された。 チーム名は一般公募により、ので『リラ』に決まる。 花言葉は『pride(誇り)・beauty(美)』の意味を持つ。 2015年度より活動を開始 した()。 設立当初は目標として『5年でなでしこリーグ参入』をかかげていたが、『時間をかけた育成』へ転換。 セレクション等は行っているものの、設立以来外部からの補強は行っていない。 所属選手は2019年時点ではU-12からU-22世代となっている。 2016年度は、A(一軍)・Bチームに分かれて各リーグ戦に参加。 同年、で全国規模の大会デビューを果たした。 また、札幌市民体育大会サッカー大会(女子の部)にて初優勝し、チーム初のタイトル獲得となった。 2017年度は、所属選手の一部がU-16世代に入り、U-18カテゴリーの試合にも参加。 Bチームが参戦している札幌なでしこリーグにて初優勝し、チーム初のリーグタイトル獲得となった。 2018年度は、北海道コンサドーレ札幌が、Jリーグクラブ初となる女子単独U-12チームを設立し札幌地区のカップ・リーグ戦に参加。 このチームが将来的に当チームの下部組織的な役割を果たす事が期待されている。 2019年度は、社会人世代が加入し、初めて全世代が揃う事となった。 スタッフ・所属選手 [ ] 参照 成績 [ ] 年度 Aチーム Bチーム 監督 リーグ チーム数 試合 勝点 勝 分 敗 順位 リーグ チーム数 試合 勝点 勝 分 敗 順位 2015 札幌地区 8 7 18 6 0 1 2位 - - - - - - - - 北海道予選ベスト8 宗像訓子 2016 6 10 6 2 0 8 5位 札幌地区 8 7 18 6 0 1 2位 2017 6 2 0 8 5位 19 6 1 0 優勝 北海道予選3位 2018 7 9 16 5 1 3 3位 10 9 19 6 1 2 4位 北海道予選ベスト8 浮田あきな 2019 6 10 12 3 3 4 4位 11 10 21 7 0 3 2位 最高成績を記載 全国大会• 1回戦敗退:2018年• ベスト8:2018年 交流大会• JCYレディースサッカーフェスティバル• 準優勝:2016年• 北海道女子サッカーフェスティバル• 3位:2015年• XF CUP 日本クラブユース女子サッカー大会 U-18• グループステージ敗退:2019年 地区カップ戦• 札幌市民体育大会サッカー大会• 優勝:2016年、2017年、2019年• 会長杯札幌女子サッカー大会• 優勝:2017年 フットサル• 全道フットサル選手権大会 女子の部• ベスト8:2016年• 全道女子ユース U-15 フットサル大会• 準優勝:2017年• 札幌女子フットサル大会• 準優勝:2016年 表彰 [ ] 北海道女子サッカーリーグ• フェアプレー賞: 2016年• ベストイレブン• 2016年: 齊藤菜々香• 2017年: 大谷理紗• 2018年: 今立のどか• 2019年: 遠藤美音 世代代表選出選手 [ ] U-15選抜• 宮林桜生(EAFF U-15 Girls Tournament2017、4月16日 - 20日)• 川本美羽(EAFF U-15 Girls Football Festival2019、8月3 - 11日) U-14選抜• 今立のどか(AFC U-14 Girls Regional Championship2016、5月17日 - 22日)• 石屋製菓株式会社、、株式会社、Kappa(ユニフォームサプライヤー) 北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム [ ] 、日本のプロサッカークラブとして初めて、『北海道コンサドーレ札幌チーム』が発足した。 監督は吉田仁。 5月19日のメンバー追加を経て、9名の選手で活動を開始した。 9月24日、同じくJリーククラブを母体とするバドミントンクラブとの交流戦を開催。 スタッフ・所属選手 [ ] 監督• 吉田仁 所属選手• 参照 過去の主な所属選手 [ ]• 成績 [ ] 2017年度• 第67回全日本実業団バドミントン選手権大会2回戦• 第71回ダブルス予選2回戦(竹内宏気・大越泉)• チャレンジリーグ男子2部優勝 2018年度• 第68回全日本実業団バドミントン選手権大会準々決勝• 第61回全日本社会人バドミントン選手権大会シングルス4回戦(三枝力起)• チャレンジリーグ男子1部優勝 2019年度• 第73回全日本総合バドミントン選手権大会• ダブルス本戦1回戦(大越泉・三浦將誓)• シングルス本戦1回戦(三枝力起)• 混合ダブルス本戦1回戦(大越泉・(ヨネックス))• 母体となる「4REAL」は2012年に札幌市で設立され 、2017年からは移転し、同年と翌2018年に準優勝を果たす。 トリノ・バンクーバー五輪女子日本代表監督だったを始めとする同チームの4名にの一員として平昌五輪に出場したが加入。 練習拠点は引き続き北見のままする。 チームの初戦は8月2日から5日まで開かれたどうぎんカーリングクラシック2018。 日本代表決定戦を制す。 パシフィックアジア選手権本大会でも日本男子として2年ぶりとなる優勝。 で4REAL時代含め初優勝。 同年、初出場となるで3位決定戦で敗れメダルを逃すも2016年大会(SC軽井沢クラブ)と並ぶ日本男子最高タイとなる4位。 セカンドは大会オールスターに選ばれた。 スタッフ・所属選手 [ ] 所属選手• (スキップ)• (サード)• (セカンド)• (リード)• (リザーブ) 成績 [ ] 2018—19シーズン• :優勝• :予選敗退• ワールドカーリングツアー(WCT)軽井沢国際:準優勝• :優勝• :4位• (GSOC)チャンピオンズカップ:予選敗退 2019—20シーズン• :優勝• :準優勝• GSOCナショナル:予選敗退• :優勝• :優勝 コンサドールズ『月下美人』 [ ] 60歳以上の女性によるシニアチアリーディングクラブ。 当初はとともに試合を盛り上げる単発イベントだったが、2011年より通年スクールとして開講。 コンサドーレパートナーアスリート [ ] 「北海道とともに世界へ」というスローガンを掲げ、このコンセプトに合致するサッカー以外の選手を「コンサドーレパートナーアスリート」と称してコンサドーレ北海道スポーツクラブが協力に当たる。 第一号はトライアスロンの細田雄一選手。 (ボートレース、釧路市出身) 国際試合 [ ] 詳細は「」を参照 2011年6月にの姉妹都市ので開催された「It's Daejeon国際サッカー大会」に出場。 本大会がクラブ初の国際試合となる。 親善試合 にでと親善試合を行った。 試合は1-0で敗北した。 なお、は前半は札幌の選手として後半はの選手として出場した。 提携クラブ [ ]• 2013年締結• 2013年締結• 2014年締結• 2016年締結• 2019年締結 クラブ経営 [ ] 北海道と札幌市からの融資と補助金 [ ] 1998年、北海道と札幌市からそれぞれ5億円の融資を受けた。 1999年に、札幌市から毎年9000万円のが開始された。 2001年には、札幌ドームの年間3000万円近くする使用料を札幌市が負担し、補助金を間接的に受けるかたちとなった。 2000年には、北海道からの補助金が開始された。 北海道からの補助金は、2000年から2007年は毎年1億円、2008年からは毎年減少して2015年は6600万円となった。 2008年の減資と2012年の増資 [ ] 2008年5月に、債務超過解消に向けて約20. 5億円の減資を実施し、あわせて増資により2億8421万円の資金を調達した。 その結果、債務超過が解消された。 同年4月28日付けで札幌市は、コンサドーレ札幌についての住民監査請求を受けている。 その中で、貸付金や補助金等に係る札幌市の支出額全額(貸付金と補助金の合計で約17億円)が損害にあたるという主張がされた。 監査請求の回答書には、全国のJリーグ31チームのうち21チームが自治体から補助金を受け、2007年だけの総額で約7億円が自治体からJリーグに補助金として支出されていることが記載された。 2012年、債務超過を解消するため8070万円の増資を行った。 Jリーグライセンスへの対応 [ ] で2014年末時点で債務超過がないことがリーグ戦参加資格の財務基準となり、超過債務状態のコンサドーレ札幌は2013年9月30日付けで、2014年度末までに債務超過を解消する方法についてJリーグクラブライセンス事務局に具体的に提出することが求められた。 その後、コンサドーレ札幌は2013年度と2014年度の2年連続で単年度黒字を達成し、債務超過も解消した。 決算 [ ] 損益 [ ] 年度 所属 収入 広告料 入場料 配分 物販 その他 費用 人件費 管理費 利益 純利益 出典 1996 JFL 465 1,257 -792 -793 1997 JFL 851 1,841 -990 -984 1998 J 1,088 332 421 125 209 1,669 843 307 -581 -970 1999 J2 1,047 331 303 150 264 1,415 642 226 -368 -215 2000 J2 1,192 397 420 177 197 1,358 545 216 -166 75 2001 J1 1,867 517 710 273 367 1,936 798 257 -69 158 2002 J1 1,794 570 711 160 353 2,016 853 196 -222 -87 2003 J2 1,572 416 481 242 133 301 1,881 740 224 -309 -194 2004 J2 1,375 422 378 206 57 312 1,235 318 202 140 357 年度 所属 収入 広告料 入場料 配分 物販 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益 出典 2005 J2 1,254 404 403 173 - 274 1,391 1,202 498 188 -136 55 2006 J2 1,177 445 358 113 101 261 1,527 1,319 607 208 -350 -156 2007 J2 1,255 433 464 144 88 214 1,442 1,214 537 228 -187 6 2008 J1 1,618 605 520 261 106 232 1,770 1,497 787 273 -152 -28 2009 J2 1,548 561 355 118 71 514 1,683 1,437 699 246 -135 -42 2010 J2 1,132 440 305 107 65 280 1,366 1,119 500 247 -234 -116 年度 所属 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益 出典 2011 J2 1,297 399 310 102 41 69 445 1,383 513 205 166 56 0 67 443 -86 17 2012 J1 1,347 475 397 209 44 69 222 1,468 495 254 176 58 0 71 485 -121 -38 2013 J2 1,071 432 330 103 54 77 152 1,236 359 212 176 59 0 70 430 -165 6 2014 J2 1,328 589 390 103 31 90 215 1,374 430 243 162 57 0 71 482 -46 47 2015 J2 1,420 613 424 100 20 101 263 1,536 550 271 173 53 0 81 489 -116 3 2016 J2 1,902 882 457 107 22 173 261 1,978 703 285 205 63 0 142 580 -76 0 2017 J1 2,676 1,070 622 488 25 183 288 2,685 1,206 351 214 63 0 161 690 -9 33 2018 J1 2,988 1,306 636 392 25 189 440 3,233 1,502 327 268 168 0 143 825 -254 -165 2019 J1 3,599 1,440 779 585 26 259 510 3,826 1,698 376 261 68 0 188 1,235 -227 -149 資産 [ ] 年度 純資産 累積損益 資本金 出典 1996 -707 -793 1,500 1997 -407 -1,777 2,184 1998 -531 -2,747 2,216 1999 -735 -2,960 2,226 2000 -644 -2,890 2,243 2001 -173 -2,730 2,556 2002 -260 -2,820 2,556 2003 -455 -3,010 2,556 2004 -98 -2,650 2,556 年度 総資産 総負債 純資産 累積損益 資本金 出典 2005 1,126 1,168 -42 -2,598 2,556 2006 983 1,181 -198 -2,754 2,556 2007 983 1,175 -192 -2,748 2,556 2008 1,196 1,132 64 -731 795 2009 1,022 1,001 22 -773 795 2010 840 937 -97 -892 795 2011 847 927 -80 -875 795 2012 751 788 -37 -913 876 2013 685 716 -31 -907 876 2014 741 726 16 -860 876 2015 693 674 18 -858 876 2016 1,054 1,035 19 -857 876 2017 1,394 942 452 -824 1,076 2018 1,867 1,192 674 -988 1,287 2019 1,906 1,381 525 -1,138 1,287 メディア [ ] 雑誌 [ ]• 毎月25日 350円で販売• オフィシャルガイドブック 毎年3月初旬 道新スポーツ1,200円で販売 テレビ [ ]• 内「Bravo! スポーツ」()• ・内「GO! コンサドーレ」()• ・内「イチスポ」()• 内「みんスポ」()• (北海道文化放送)• コンサにアシスト! コンサドーレ!! Challenge! Consadole() 過去• コンサ梟の穴(北海道放送)• (北海道放送)• (北海道放送)• VIVA! ジョカトーレ(北海道放送)• もっと! 朝からコンサドーレ(札幌テレビ)• (札幌テレビ)• (札幌テレビ)• コンサドーレ(北海道テレビ)• VIVA! コンサドーレ(北海道テレビ)• (北海道文化放送)• (北海道文化放送)• 月曜サポスタ(J:COM札幌) ラジオ [ ]• (HBCラジオ)• 白い恋人Presents週刊コンサ・マニア!! (HBCラジオ)• フォルサ・コンサドーレ()• にーはち. スポーツ(AIR-G')• CONSA Ole()• コンサドーレ GO WEST! Radio CONSADOLE(三角山放送局)• コンサタウン()• WITH-CONSADOLE()• VIVA! コンサドーレ() 過去• トクラジ9(FMノースウェーブ)• コンサ! ラジオブログ()• 炎のサポーター()• コンサライブ(FMアップル) 新聞 [ ]• 燃えろ! コンサドーレ の通信簿() 音楽 [ ] 「」(、、が参加、2019年、 WESS RECORDS) MV [ ] One Hokkaido Project「私たちの道」(宮澤裕樹、荒野拓馬、進藤亮佑が参加) シーズン前キャンプ地 [ ] チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおり。 参加対象は1997-98年のJリーグ2シーズン通算の順位ポイントによるものだったが、1997年シーズンは下部リーグJFLにいた札幌には1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されなかった。 佐藤洋平、森秀昭、大森健作、ビジュ、アウミール、伊藤優津樹、エメルソン、播戸竜二• 当時は引き分けを挟んでも連勝記録として認定されていたため、J2記録となる16連勝として記録されていた。 ワールドカップによる中断前のリーグ戦は4月20日の第7節までで終了だったため、も利用できず、中断前のホームゲーム3試合は高知、室蘭、函館での開催だった。 札幌市でホームゲームを開催したのは4月30日、厚別でのヤマザキナビスコカップ第2節、その次はリーグ再開後の7月24日1stステージ第10節、札幌ドームにおける同年初の公式戦ホームゲーム開催であった。 実数値では、、リーグ戦16チーム30試合時代に湘南が記録した年間通算13が最低。 名塚は本来Jリーグの監督をするのに必要なS級ライセンスを保持はしていないが、新監督が決まっていることもあり特例で監督代行になった。 第12節アウェー熊本戦は4月に起きたの影響で試合延期。 そのため第12節で3位に落ちたが続く第13節で再び首位となった• 1997年のから当時1部制のJリーグへの昇格の1回を含む• 例えばの場合、予選が2月に組まれており、コンサドーレが進出する可能性のあった日本第3代表ならびに第4代表は2月19日にホームゲームを行うものとされていた。 第26節のレノファ山口戦からロゴ入りユニフォーム着用。 は2010年大会をもって廃止。 準優勝• 北海道カブスリーグ2部参入戦で2位となり 昇格 出典 [ ]• 北海道コンサドーレ札幌. 2017年1月29日閲覧。 日本プロサッカーリーグ. 2016年1月31日閲覧。 北海道コンサドーレ札幌オフィシャルサイト. 2018年9月6日閲覧。 日本プロサッカーリーグ. 2019年5月24日閲覧。 コンサドーレサポーターズ持株会. 2019年6月22日閲覧。 2015年11月28日閲覧。 北海道フットボールクラブ 2014年2月1日. 2014年2月7日閲覧。 北海道コンサドーレ札幌20年史 11-14P(北海道新聞社)• 北海道観光情報 2018年11月6日閲覧。 (2018年5月6日付) 日刊スポーツ 2018年11月6日閲覧。 株式会社北海道フットボールクラブ 2017年2月19日閲覧。 2012年2月2日. 2012年3月2日閲覧。 Jリーグ公式サイト 2012. 2016年1月16日閲覧。 2016年1月16日閲覧。 2016年12月22日. 北海道コンサドーレ札幌《公式》. 2018年1月10日. スポナビハワイ. 2018年2月15日. 北海道コンサドーレ札幌《公式》. 2018年9月6日. 北海道コンサドーレ札幌《公式》. 2018年9月8日. Jリーグ公式HP. 2018年8月29日. 北海道コンサドーレ札幌《公式》. 2018年12月18日. 北海道コンサドーレ札幌《公式》. 2018年12月7日. の広島、の浦和に続いてである。 北海道コンサドーレ札幌《公式》. 2020年4月6日. 北海道コンサドーレ札幌《公式》. 2020年5月29日. 日刊スポーツ. 2020年7月12日. 日刊スポーツ. 2020年6月5日. 2020年4月7日に開所式を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため開場が延期され、日本代表よりも先に札幌が利用することとなった。 プレスリリース , 公益社団法人日本プロサッカーリーグ, 2013年9月30日 , 2015年11月10日閲覧。 2013年12月27日. 2014年1月21日時点のよりアーカイブ。 2015年11月10日閲覧。 2018年11月10日. 2019年3月22日閲覧。 2011年1月16日 コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。 2013年1月16日 コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。 2014年1月16日 コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。 2016年5月26日 北海道コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。 北海道150年事業実行委員会. 2018年1月18日閲覧。 プレスリリース , カッパ公式サイト, 2018年12月8日 , 2019年2月3日閲覧。 コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2007 コンサフィールド東川 p45• 北海道コンサドーレ札幌. 2016年4月22日閲覧。 2017年2月1日 北海道コンサドーレ札幌 2017年2月2日閲覧。 北海道コンサドーレ札幌 2018年10月14日 2018年10月14日閲覧。 2016年5月1日 北海道コンサドーレ札幌 2017年2月2日閲覧。 日本サッカー協会. 2014年8月15日閲覧。 Jリーグ公式サイト. 2013年12月10日閲覧。 プレスリリース , , 2015年8月7日 , 2015年10月26日閲覧。 2016年8月28日. 2016年11月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年6月12日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 2016年8月20日閲覧。 2016年8月20日閲覧。 2016年8月20日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月30日閲覧。 北海道コンサドーレ札幌. 2017年3月24日. 2017年3月25日閲覧。 北海道コンサドーレ札幌. 2018年3月26日. 2018年3月31日閲覧。 山东鲁能泰山足球俱乐部mp. 2016年11月25日. 2016年11月26日閲覧。 FC 's-Gravenzande. 2017年8月15日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年9月8日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 2016年11月19日. 2016年11月22日閲覧。 2016年11月19日. 2016年11月22日閲覧。 2016年11月19日. 2016年11月22日閲覧。 2016年11月19日. 2016年11月22日閲覧。 2016年11月20日. 2016年11月22日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 2016年11月20日. 2016年11月22日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年9月8日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年9月8日閲覧。 consaofficial 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年9月8日閲覧。 北海道サッカー協会. 2017年11月8日閲覧。 北海道サッカー協会. 2017年11月8日閲覧。 北海道サッカー協会. 2017年11月8日閲覧。 北海道サッカー協会. 2017年11月8日閲覧。 プレスリリース , 株式会社明光ネットワークジャパン, 2014年2月14日 , 2017年6月26日閲覧。 オホーツク地区サッカー協会. 2019年2月11日閲覧。 , 一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブ, 2014年12月17日, 2016年9月12日閲覧。 , スポニチ, 2015年3月3日付, 2016年9月12日閲覧。 , 毎日新聞, 2016年5月10日付, 2016年9月12日閲覧。 , 北海道新聞社, 2016年5月12日付, 2016年10月26日閲覧。 札幌地区サッカー協会. 2016年8月27日閲覧。 - スポーツ報知(2017年4月9日)• - 北海道コンサドーレ札幌・公式サイト(2017年4月10日)• - 北海道コンサドーレ札幌・公式サイト(2017年5月19日)• (2017年5月20日閲覧。 2017年9月1日• (2020年1月29日閲覧)• プレスリリース , 2018年7月22日 , 2018年7月29日閲覧。 伝書鳩. 2018年7月21日. 2018年11月28日閲覧。 47NEWS. 2017年8月29日. 2018年11月28日閲覧。 北海道新聞. 2018年7月23日. 2018年10月7日閲覧。 毎日新聞. 2018年7月24日. 2018年7月29日閲覧。 サンケイスポーツ. 2018年10月1日. 2018年10月7日閲覧。 日本経済新聞. 2018年11月10日. 2018年11月28日閲覧。 毎日新聞. 2019年2月18日. 2019年2月24日閲覧。 SANSPO. 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