がん闘病ブログ。 悪性リンパ腫だった娘の闘病体験 命の大切さを伝えたい

がんになりました【がん闘病ブログ】

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勇敢にガンと戦う人々は、その厳しい闘病生活を記録に残そうとします。 それは、これから先、自分と同じようにガンと戦う人たちに勇気を与えたいという想い、また、自分が生きた証をこの世に残したいという切なる想いによるものではないかと思います。 死を目前にして彼らは諦めることなく、むしろさらに強く生きようとします。 それは彼らが人間の生の本質が「希望」にあるということを知っているからに他なりません。 今回は、そんな癌と勇敢に戦っている人たちが綴った闘病ブログを紹介します。 自分に降りかかった悲しい現実と向き合う方たちの力強いメッセージは、今まさに同じような境遇に置かれた患者さんやそのご家族に勇気を与えるものだと思います。 blogspot. 検査入院から手術前後まで詳しく書かれています。 biglobe. htm 排尿困難がきっかけとなり前立腺癌がみつかり全摘出手術。 完全無治療に至るまでになった方のブログです。 blog. fc2. 子育てしながら闘病しているママのブログです。 webry. 再発するも前向きに闘病している模様をみることができます。 blog. fc2. 胃がんの手術、治療、家族や生活のことを書かれています。 blog. fc2. 前向きな姿勢で癌と戦う姿が印象的です。 最近再発が診断され治療中です。 明るくて優しいうさこさんのブログ。 病気に立ち向かう勇気をもって治療にはげむ記録。 exblog. seesaa. 癌闘病ブログは、随時追加更新してゆきます。

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がんで死ぬより、抗がん剤の副作用によって殺されたと思われる多くのケースを見てきたからだ。 特に70歳以上の高齢者に処方される抗がん剤の標準治療は、副作用が薬効を上回っているケースが多いように思う。 そもそも抗がん剤の効果の有無を調べる治験は、18歳~70歳の若い層を対象に行われてきた。 ところが、今や全てのがん患者の6割が70歳以上と言われている。 したがって、70歳以下の標準治療を70歳以上に適用するのはどだい無理がある。 私は、高齢者には標準治療の量を減らして処方するのが常識と思っている。 実際私は標準治療量を受けたばかりに抗がん剤による腎障害で血液中のナトリウム(塩分)が腎臓から漏れる低ナトリウム症(意欲低下、食欲低下、不整脈、ふらつき、さらには意識障害)になった。 減塩から断塩のゲルソン食をしている私には塩分調整の難しい生活になった。 多発転移のステージ4から寛解に至る道のりはきつかった。 睡眠 9時就寝による睡眠を確保した。 良質の睡眠は、腸の免疫を元気にする力がある。 睡眠不足はリンパ球を減らし免疫力を落とす。 睡眠不足による免疫力低下は睡眠薬の副作用より大きい。 筋肉を鍛える、骨を鍛える 毎日ラジオ体操と1時間のウォーキング。 歩けば着地の重力効果を受け骨は丈夫になる。 腸腰筋は大腿骨の頚部に付着しているから歩けば腸腰筋は鍛えられ腰痛は消失、排便良好、睡眠の質も良くなる。 いいことだらけだ。 最近の研究では、骨と筋肉からがんの増殖を抑えるメッセージ物質が出ていることが証明されつつある。 ゲルソン断塩食療法 搾りたての野菜ジュースを毎日2L飲んだ(ニンジン2㎏、野菜2~3kg)。 牛乳、バター、卵、肉など二足動物、四足動物のたんぱく質を絶ち、イカの刺身とししゃもに限定した。 そして低ナトリウム血症を是正するギリギリの塩分摂取に抑え癌の住みにくい体質に向け努力した。 正式ゲルソンは厳しすぎてできなかったが実行可能な簡易ゲルソンを考え出し頑張った。 妥協した簡易ゲルソンでも効果を実感した。 リンパ球を維持する 抗がん剤治療中、白血球に含まれるリンパ球(免疫力)を1000個以上に保った。 治療中リンパ球が1000個以下に低迷すると抗がん剤の延期または減量を主治医にお願いした。 しんどい時は予定の抗がん剤点滴を休んだこともある。 低用量の抗がん剤 私が選んだのは標準治療の半分量以下の低用量抗がん剤治療だった。 しかも、古くて安い薬ばかりで新薬ではなかった。 抗がん剤は患者のがん種の特性にマッチしないと高額な新薬でも効かないのだ。 最近はがんの遺伝子検査でどのがんにどの抗がん剤が効くか適性を探す時代となった。 これから 医師仲間から今生きていることが不思議だと言われるほど悪性度の高い尿管がんだから治りきることはあるまい。 大学病院、がんセンターだからとまるごと信用してはいけない。 診断まではよいが、治療法については他の医師にも相談し、自分も勉強し、自分が納得する治療選択をすべきである。 これからも情報収集し、このブログを通して伝えていきたい。 2010年6月、アップダウンの強い往復40kmのサイクリングに挑戦した。 祝杯のビールの後、トイレで真っ赤な血尿にびっくりした。 慌てて受けた検査結果で尿管がんと診断。 早めの手術と抗がん剤による化学療法を勧められた。 妻の7回忌を済ませた直後の発病であった。 三度の食事にすら大変な独居老人にとって、がんと戦えるのか、疑問と不安がいっぱい。 結局のところ、71歳の自分は無治療を選択した。 医師仲間から、君はどうかしていると叱責されたが、自分の選択の間違っていることを認めつつ、生きたくないパワーのまま時間が経ち、リンパ節転移が始まった。 2013年5月、大学病院で右腎臓、右尿管、一部膀胱の摘出手術、腸骨リンパ節の郭清手術を受けた。 2013年6月、随分迷ったが術後の抗がん剤治療を受けることにした。 1回目の3種類の抗がん剤GCP治療は受けたがあまりにしんどくギブアップした。 2回目の点滴治療は受けず自己判断で退院した。 2013年8月、骨転移、腸骨リンパ節転移、肺転移疑い、親しい内科医から余命1年の告知を受けた。 2013年9月、主治医のいない不安な日々であったが友人の紹介で新しい主治医(呉共済病院)との出会いを得た。 ・放射線治療2回 ・抗がん剤治療25ヶ月 2016年2月、新しい主治医のもと、2年半の闘病を経て、とりあえずの寛解をもらった。 闘病中、がんに「がんこちゃん」の愛称を付けた。 予期せぬ出会い 突然の血尿 寝ても覚めても 私の心を占拠し 心の苦しみ 体の苦しみまで 私を虜にした どうしようもない出会い しかし君は私の一部 5年の葛藤が過ぎ 今君はどこにいる 不気味な寛解 2016. 難しく考え難しく生きるとしんどいばかり、、、生きている間は小唄のように、これからの人生を楽しみたい。 約2年休んでいたブログを再開したのはがん治療の原則は病気を隠さず、広く情報を入手したいからだ。 私はいずれ来るだろう再発に備え免疫治療への道を探っている。 2 020 年 1月 他力でなく自力で必死に生きなきゃダメですよ 膀胱再発から紆余曲折の試練はありましたが念願のオリンピックイヤーを迎えることができた。 闘病ブログは一休みしたいと思っていたが見放され癌の人たちが増えそれどころではなくなった。 最近の相談電話ではステージ 4で多臓器転移が多発し自ら積極的治療を放棄した人が増えている。 その一方で無意味ではと思われる抗がん剤治療、放射線治療を続けている人もいる。 かって病院経営をしていた頃、私も御多分に漏れず経営に無知だった。 その頃お世話になった方を正月明け早々お見舞いに伺がった。 明らかに緩和医療の段階なのに抗がん剤と放射線治療を受けておられた。 私なら裸足で逃げ出すよと一日も早い退院を勧めた。 自己免疫という最後の砦を破壊するのは、 1)抗がん剤、 2)放射線、 3)痛み、 4)サルコペニア、 5)栄養不足などである。 本人に確たる意思があれば避けることができるものばかりだ。 1 月 9日 3回目の膀胱内視鏡手術 TURで トラブル 3回目の TURのため聖マルチン病院入院、膀胱腫瘍切除後抗がん剤注入。 手術は腰椎麻酔下に 9ヶ所生検、 3mm大腫瘍は筋層まで切除、腫瘍周囲の表面は直径 2cm範囲を電気メスで焼却した。 翌日血尿が続き後出血の可能性があるので様子を見ていたが 1000ccを越える出血は膀胱内血塊を作り無尿となった。 血圧低下、頻脈、深夜緊急手術となった。 平素は 3泊 4日だが 5泊 6日の入院となった。 思ったより回復は早く翌週から仕事に復帰できた。 いただいたご質問への返事 がん補助療法 みなさんから私にいただいたコメントは秘書から連絡があると見る程度である。 治療法がなくなった見放され癌、自ら治療を放棄した末期癌の人たちに参考にしていただきたいと取り組んでいる治療法がある。 その効果は立証されていないが私は何がしかの治療効果はあると考えており体に負担のないものを選んでいる。 そのひとつがフェンベンダゾールでありメラトニンであり丸山ワクチンなどである。 新しく知りえた知識を追加しており、に載せている。 最近癌友を見舞って感じること、、抗がん剤副作用に対する知識は自分の命を守るカギ 私の闘病ブログは個人的なものだが、それでも間違った情報を発信しないよう用心している。 私自身医師でありながら闘病を通し医師を信用することの難しさと怖さを知った。 癌患者にとって最後の砦は自己免疫だと思っている。 この最後の砦である自己免疫の状態に関心を持ち注意を払ってくれる医師は少数派に思えてならない。 もうひとつ怖いと思うのは癌治療専門医と標榜しながら抗がん剤の副作用の本当の怖さを知っているのだろうか、知っていても他人事なのだろうかと不安になる医師もいる。 あちこちの病院に癌友の見舞いに行く度にひどいと思うのは入院治療計画書の記載内容の簡単すぎることだ。 家族同伴の席で記載不足を補う具体的な説明があったのならよいのだが、、本人に聞いても家族に聞いても抗がん剤の名前すら言えない人がいる。 医師は忙しすぎるのだろうがそれにしても手抜きが目立つ。 血液検査結果を見せてもらうが 白血球分画(好中球、 リンパ球、単球)の意味すら患者本人に説明されていないことがある。 抗がん剤の副作用は骨髄抑制による貧血、白血球減少による易感染性、リンパ球減少による自己免疫の低下、血小板減少による出血傾向(鼻血、歯茎出血、皮膚紫斑)、そして肺炎、なかでも間質性肺炎は怖い。 細菌性肺炎や間質性肺炎の早期発見と鑑別にはCRP、SP-A、SP-D、KL-6はとても大切な採血検査である。 抗がん剤による肝障害や腎障害は見落とされることはまずあり得ない。 リンパ球減少による自己免疫の低下と初期の間質性肺炎は見落とされやすく、この二つは闘病中頭から離してはいけない。 入院中定期的に血液検査がある。 この検査結果はきちんとファイルして保存すべきである。 そしてリンパ球数は通常1000個以上あるのだが、恒常的に 1000個を切るようであれば要注意。 700前後で休薬を検討。 500以下では抗がん剤を即中止しないと助からない場合がある。 入院中ナースがやってきて指先で酸素濃度を測ってくれる。 2020年3月 3月に入り3~4ヶ月ごとに行うBCGの膀胱内注入療法をやってきた。 昨年5月から始めたこの治療は3月2日に9回目、9日に10回目となった。 生の結核菌40mgを膀胱の中に入れる治療について話は聞いていたが自分が被験者になり、しかもベテランに入りつつあるとは人生は不思議だ。 BCGは結構強烈だ。 頻尿と排尿痛に苦しめられる。 人為的に急性の結核膀胱炎を起こすわけだから体全体に変化が来る。 BCG注入当日1日で体重が2kg増える。 原因は全身の浮腫だ。 10日の夜体重は78. 3kgあったが夜6回の排尿1800ccで翌朝の体重は76. 5kg、それでも下肢には浮腫がまだ残っている。 翌11日私は出勤した。 息子達から親父は自分らより元気、前向きと言われる。 私が行っている丸山ワクチンとBCGを併用して免疫力を高める治療の実践例は日本では極めて珍しく初めてではないだろうか。 高須克弥氏にも丸山ワクチンとBCG療法をお勧めしたい。 結核菌療法の効果は好中球とリンパ球の比率に表れた。 私のコロナ対策 世の中はコロナ一色、私の外来も患者さんとの間を透明ビニールで仕切り2mの距離を開けて診察している。 最も危険な老医師対策だとスタッフが張り切って手作りしてくれた。 闘病中の方で体力十分と言い切れる方は少ないと思う。 マスクの他に何かコロナウイルス対策の飲み薬はありませんかと聞かれることがある。 メディアで報じられている通り効きそうな薬は政府が流通規制をかけ政府管理にしようとしているため手に入りにくくなっている。 現時点で私が自費診療で入手できたのはフオイパン錠、タミフルカプセル、ストロメクトール(イベルメクチン)である。 ストロメクトールは感染症に関与してきた医療機関が優先されており一般の病院、クリニックでは自費診療でも入手は難しくなっている。 フオイパン、タミフル1人分自費で4,100円、ジェネリックで約2,000円と誰でも手の届くコストではある。 私は微熱が出たら迷わず10~14日間内服しようと思っている。 政府はアビガンに力を入れているが後進国では安価なメラトニンを推奨している。 内服量1日40㎎以上は日本人にとっては多い量に思える。 点滴と膀胱カテーテルの入った状態で付き添いなしは大変だがコロナで皆同じ、気持ちは壮健爽やかだ。 人間誰しもいつかは病を患う。 発病して10年ステージ4から寛解を経て再発し7年。 かつては多くの患者さんの手術、そして今は脳過敏症治療の仕事に恵まれ納得の人生をさせていただいている。 私には特上無関心とはいえ子供にも恵まれ孫8人に恵まれ十分幸せと思っている。 残された時間は私を頼っておいでになる患者さんの苦しみに微力ながら役立てれば無上の幸せ。 入院計画書では10日のところ我儘なお願いし3日目の早朝退院、瀬戸大橋を渡り私を待っていてくださる患者さんのため朝一番に明神館に駆けつけた。 いつも通り診療。 名医 西光雄先生、スタッフの皆さんに感謝🙏😊 2020. 15記.

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両親の影響を受け幼少期からミュージカルや演劇が大好きだったという深浦加奈子さん。 1980年、大学在学中に小劇団に入団し女優としてのキャリアをスタートさせました。 人が演じたがらない悪役や癖のある難役を好んで演じ舞台関係者には知る人ぞ知る女優となっていきました。 しかし、深浦加奈子は30歳過ぎてもアルバイト生活という苦しい生活でした。 苦労を重ねて掴んだ憧れの女優業だからこそ、絶対に失いたくなかったのです。 深浦加奈子は、女優としてこれからという時に、ガンになってしまったのです。 死を目前にしながらも女優を諦めなかった! それでも、深浦加奈子は ウィッグをつけて演技を続けました。 周囲も全く気づかないほどでした。 2006年8月18日、肝臓癌の診断が下され、 手術が不可能な状態で、放射線治療をうけました。 そして5年目の2008年、肺がんに・・・・。 死を目前にしながら女優を諦めていなかったのです。 そして最後の演技、前向きに生きる水商売の女の2時間にわたる芝居を演じきったのです。 それも、共演者にも気づかれずに・・・・。 深浦加奈子は、演じることの喜びを噛みしめていたといいいます。 そして、最後の舞台から半年後、2008年8月25日、イスに座ったまま病院で亡くなったのです。 「今」を精一杯生き抜いた深浦加奈子 仕事を辞めて、娘の芸能人としての女優業を支え続けてきたお母さんの言葉です。 深浦加奈子は、天命として授かった芸能人としての女優業を最後まで演じきったのです。 つまり「今」を精一杯生き抜いたのです。 人生の幸福度は、人生に起こる質や達成度で決まるものではありません。 たとえ、深浦加奈子のように死を目前にしても、ひとつの事柄に対して命がけで取り組むことができれば、その人の人生は光り輝くのです。 進行性乳がんで闘病中だった小林麻央も を立ち上げて、多くの人に生きる勇気と感動を与えました。 それはおそらく小林麻央が、進行性乳がんを退けて、今を精一杯生き抜いたからではないでしょうか?.

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