人は考える葦である。 「人間は考える葦である」の続き。パスカルの名言・格言|Time Hacker

ブレーズ・パスカル

人は考える葦である

もくじ(CONTENTS)• 「人間は考える葦である」 フランスの思想家パスカルは、代表作パンセの中で、「 人間は自然のなかでもっとも弱い一茎の葦にすぎない。 だが、それは考える葦である」と述べています。 広大な宇宙や悠久の時間の流れと比べれば、人間は「一茎の葦」の様な弱い存在にすぎないと。 しかし、その弱い存在である人間には「考える力」があり、その力を発揮することができれば、偉大な存在になれると… 常に何かを考えている人間 私たち人間は四六時中、様々な事を考えています。 「朝ごはんは何にしようか…」「忘れ物は無いか…」そんな日常的なことから「自分は将来どうなりたいのか…」「彼女にプロポーズすべきか…」人生の選択に関わる大きな事まで、とにかくいろいろ考えています。 自分が考えた通りの人間になる 私は、つくづくこう思います。 「人は、自分が考えた通りの人間になると…」 ポジティブな考えを持って毎日を過ごせば、明るく楽しい人生が待っています。 逆にネガティブな考えを持って毎日を過ごせば、暗くつまらない人生が待っています。 「そんな事信じられない」そう思う方もいるかもしれません。 でも本当にそうなのです。 試しに、「休日を楽しく充実した一日にする方法」について紹介します。 楽しい一日にする方法.

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人はなぜ考えるのか?考えない人との差は圧倒的になる|Anne's Note

人は考える葦である

考察 葦(よし)とは、イネ科の植物である。 () 別にパスカルは、葦以外の物で例えても良かったわけであり、葦にこだわる必要はない。 人間も葦も、ライオンも鳥も、アリもたんぽぽも、『一本の葦』と同じく『 自然のうちで最も弱いもの』なのだ。 『自然のうちで最も』と言っているのに、その『最も』がこうも多く当てはまるなら、一体どれが『最も弱い』のか、という疑問が浮かんでしまうが、それは話が逸れてしまっている。 ここまで考えれば、この『葦』はただの例えで表現されたことがわかるはずだ。 人間もその他の生命も、同じように『 一本の葦と同じく、弱い存在』なのである。 それは野に咲く花と同じ。 風が吹けば散るのが運命だ。 女も男も皆同じ。 だが、その『最も弱いそれぞれの生命』の中で、 『考えることが出来る』のは、人間だけである。 だとしたら群を抜く。 文字通り、横一線に並ぶその群から、頭一つ抜けた存在が、人間なのである。 だとしたらその唯一その他の生命に差をつける『抜群』の能力、『考える』ということは、とても貴重だ。 私は10代の頃、『考えること』を放棄した時期があるが、あの時はあまり『人生を生きている』という実感が無かった。 空虚で、空っぽで、物足りない。 しかし 父親の死に直面して思考を取り戻した時、私の目からはしばらく封印していたはずの涙が一つ、こぼれた。 それは、『考えた』からだ。 父親との思い出を。 忌み嫌っていたはずの彼の人生の尊さを。 今日も明日も、考え抜こうではないか。 それが人生を生き貫いてみせる、人間の意地であり、意志だ。

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パスカル『人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最も弱いものである。だがそれは考える葦である。』

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スポンサーリンク 考えることが大好きだった幼少期 私は子供の頃から1人でいる時は、ずっと考えるのが当たり前でした。 小学生の頃は、 『週刊かがくる』という子ども向けの科学雑誌を読むのが好きなくらい世の中のハテナについて考えるのが好きだったのです。 人間は生き物ですから、動物です。 しかし、動物と違って私達人間は考えること ができます。 これは、普通のことのように感じますが、 実はすごく素晴らしいことです。 人は考える葺である 『人間は1本の葦にすぎず、自然の中では最も弱い者である。 だがそれは考える葦である』 『パンセ』より 「人間は考える葦」これはパスカルの有名な言葉ですね。 以下、解説を入れておきます。 無限の宇宙と比較したら、人間はちっぽけな葦のように頼りない存在。 宇宙が人間を殺すことなんて一雫の露ほどの力でいいんだ。 でも、それを知っている人間は「考える葦」であって、それを知らない宇宙よりも素晴らしいんだよという事です。 解説『眠れないほどおもしろい哲学の本-富増章成より』 人間がなぜ新しい商品や技術を生み出し、世の中をもっと上手くしていけるのか、それは 考える力が備わっており、考えることを止めない人がいるからです。 バリ島の現地の人達はのんびりしています。 空港から目的地まで車を走らせる90分間、私は車の窓からたくさんのバリ人を見てきました。 道端で座っておしゃべりしている若者。 怠そうに店番をしている人。 時間が止まっているかのようでした。 この人達は何を考えて生きているのだろう? 教育水準も高いわけでもないと案内の運転手に聞いていましたし、結婚できる年齢になれば結婚して、たくさんの子どもを持つ。 そして、仕事をして暮らす。 人はそれぞれですが、皆んな同じような人生だと、少なくともあの時私には見えたのです。 知識があっても、それを使わなければ知識がないように、 考える能力があっても、それを使わないのであれば持っている意味がないのではと私は感じました。 もちろんまだ幼い子ども仕方がありませんが、成人になってもしっかり考えられない人があまりにも多いです。 考える努力をせず、感情のままで生きていて人を脅かす人をみると、なんて子どもっぽいのだろう と思ってしまいます。 考えるのがめんどくさい人は甘えてる 大学生の頃、 「人は考えることよって、ようやく人になる」と気づいた出来事 がありました。 ある授業テキストの中の会話で、マイセン ドイツのブランドの食器 が話に出てきました。 そこで、値段はいくらみたいな話になっていたのです。 その内容の予習時にある疑問が浮かんだのです。 それは、このお皿とグラスって、日本円でいくらだろう?ということです。 また、「教授もなんだか質問してきそうだぞと思いました」 私は予習時や、授業前は教授がどんな問いかけをしてくるかある程度シミュレーションしたものです。 そこで、 当時のレートを確認し、授業前に計算していたのです。 すると、狙った通り、教授が「今1ユーロ日本円でいくらか分かる人?」と聞いてきたのです。 私は手を挙げて答えたのですが、実は誰も手を挙げていませんでした。 私はなぜ他の学生は疑問に思わなかったのだろうと思いました。 「考えるのがめんどくさい」それは甘えです。 考える力が至っていないのです。 そのため、考えない人は生きることができないとも思います。 何も考えずに生きても日本では生活ができるのかもしれませんが、 仕事が覚えられず解雇されたり、人に騙されたり、行き当たりばったりになってしまいます。 シンプルにまとめると、 考える能力は人間だけに与えられたスキルだから、それに感謝して、もっと考えましょうということです。 動物のように何も考えずに感情の赴くまま生きている人の人生より、遥かに「人間の持つ力を発揮している!」と思いませんか? ちなみにこちらはすごく参考になった本です。

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