おしり たん てい 最 新刊。 2002−10〜

宅配レンタルとは?

おしり たん てい 最 新刊

2020. 25 2020. 25 2020. 18 2020. 27 2020. 31 2020. 26 2020. 18 2020. 19 2020. 14 2019. 10 (終了しました)2019年12月に毎週末ららぽーと立川立飛でゾロリの「なぞときスタンプラリー」が開催中! 2019. 10 2019. 29 2019. 15 2019. 13 2019. 16 2019. 05 2019. 04 2019. 04 2019. 03 (終了しました)都内34の公園で楽しめるアプリ「TOKYO PARKS PLAY」のコラボキャンペーン第2弾開催中! 2019. 07 2019. 17 2019. 24 2019. 15 2019. 05 2019. 08 2019. 14 2019. 31 2018. 28 2018. 18 (終了しました)まだまだゼッコーチョー!全国巡回中「かいけつゾロリ大冒険展」in 宮崎山形屋 2018. 14 2018. 12 (終了しました)ゾロリのスタンプラリーがららぽーと立川立飛で開催! 2018. 12 2018. 04 2018. 29 2018. 29 2018. 29 2018. 28 2018. 10 2018. 06 2018. 09 2018. 02 2018. 02 2017. 26 (終了しました)本日スタート! かいけつゾロリ大冒険展がジェーアール名古屋タカシマヤで開催。 2017. 05 (終了しました)年末年始は名古屋で開催! かいけつゾロリ大冒険展 2017. 27 2017. 24 2017. 22 2017. 23 (終了しました)ゾロリがPR大使に就任!東北道30周年記念キャンペーン 2017. 12 2017. 10 (終了しました)ケンタッキーのスマイルセットにゾロリが登場! オリジナルグッズがもらえます。 2017. 05 2017. 05 『かいけつゾロリの かいていたんけん』発売記念 原ゆたか先生サイン会開催続々決定! 2017. 05 (終了しました)「ゾロリの夏休みは本屋さんへいこう!」(企画:株式会社トーハン)特設ページ 2017. 26 2017. 21 30周年新刊発売記念、第1弾、原ゆたか先生サイン会開催! 2017. 24 2017. 13 2017. 13 2017. 2017. 13 2017. 10 「かいけつゾロリ」30周年記念映画 2017年冬に公開決定! 2017. 06 2017. 31 2016. 08 かいけつゾロリと年賀状をつくろう!「ネットで年賀状」、「スマホで年賀状」、LINE年賀状「ぽすくま」に登場!! 2016. 01 (終了しました)みんなを守る「かいけつゾロリ保険」できました。 この保険は、ほっとけーん! 2016. 01 2016. 25 2016. 16 2016. 11 おかげさまで、2017年で30周年!「かいけつゾロリ30周年フェア」読んだら、もらえる!応募者全員サービスのお知らせ! 2016. 14 ハロウィンイベント「ジャック・オー・ランド」に、かいけつゾロリの出演決定! 10月29日30日に横浜アリーナで開催です。 2016. 11 2016. 08 三陸鉄道に今年もゾロリがやってくる! 特製ラッピングゾロリ列車&ツアーイベントを開催します。 2016. 01 2016. 24 2016. 01 2016. 01 「かいけつゾロリ」実写版が遂に始動!ゾロリが本物のキツネに!? 2016. 18 2016. 09 2015. 24 (終了しました)かいけつゾロリから、クリスマスプレゼントをおとどけするぜ! 2015. 01 2015. 01 2015. 20 ゾロリが見つかると信じて、実施決定!!原ゆたか先生サイン会 2015. 19 2015. 13 2015. 01 2015. 15 映画かいけつゾロリ公開中! シルバーウィークは映画館へGO!! 2015. 08 お笑いコンビFUJIWARAが応援団長として登場! 映画かいけつゾロリ公開を記念し、完成披露試写会が行われました。 2015. 22 2015. 16 2015. 13 キャラクター紹介 [かいけつゾロリ]いたずらの王者をめざし、しゅぎょうの旅をつづけるキツネ。 しっぱいしてもいつも前向きで、へんそうと発明がとくい。 [ゾロリママ]ゾロリがちいさいころ、天国にいってしまったやさしいママ。 ゾロリにはみえないけれど、いつもそばでみまもってくれている。 [イシシとノシシ]ゾロリをそんけいし、でしとしていっしょに旅をしているイノシシのふたご。 イシシがおにいちゃんで、ノシシがおとうと。 [ようかい学校の先生]こわがられなくなったせいとたちのじしんをとりもどすため、ときどきゾロリにそうだんにくる。 ゾロリのことをそんけいしている。 [ブルル社長とコブル]ブルル食品の社長のブルルと、社員のコブル。 わるぢえをつかって、大もうけしようとたくらんでいる。 ゾロリも、なんどもだまされた。 [なぞの赤いひこうき]ゾロリが小さいころに、ゆくえふめいになったパパがのっていたひこうきににている。 ゾロリのまわりをとんでいることがおおく、もしかしたら、パパ?.

次の

おしりたんてい|ポプラ社

おしり たん てい 最 新刊

そういう肯定的な評価だけが先行し、このところ、整形する若い男女が、ぐんぐ んとふえている。 正確な数字はわからないが、浜松市内だけでも、この種の美容整形をする医 院が、急速に数をました。 しかも市の中心部の一等地に、それらがずらりと並ぶ。 身体コンプレックスはだれにでもある。 この私にもある。 ……あった。 私がそれを一番強く感 じたのは、オーストラリアで留学しているときだった。 当時、あの人口三〇〇万人のメルボルン 市でさえ、日本人の留学生は私一人だけだった。 目立つというよりも、いつも好奇の対象として 見られた。 そういう中、私は、私のサイズに合うズボンをさがすのに苦労をした。 結局、子ども サイズのズボンを買って、それをなおして使ったが、あのとき感じた屈辱感は、いまでも忘れる ことができない。 もしあのとき、足の長さをあと、一〇センチ長くする手術があったら、私はそれ を受けたかもしれない。 だから整形する人の気持ちがわからないわけではない。 しかし「賛成!」と言うには、あまり にも遠い距離を感ずる。 賛成か反対かと聞かれれば、当然、反対に決まっている。 だいたいに おいて、整形して何をなおす? 「なおす」といえば、まだ聞こえはよい。 実際には、「ごまか す」? 悲しいかな日本人の骨相は、もっとも貧弱というのが、世界の定説。 長い間、極東の島 国で、孤立していたのが原因らしい。 他民族と血の交流をほとんどしてこなかった。 私も含め て、顔のこわれた人や、崩れた人は多い。 ほとんどがそうではないのか。 そういう日本人が、 少しくらい顔をいじったところで、それがどうだというのか。 整形することについて、何かの哲学があれば、まだ救われる。 しかしそんな哲学など、どこに もない。 よい例が、あの厚底サンダル。 私はあの厚底サンダルが、若い女性の間で流行したと き、「日本人の短小コンプレックス、ここに極(きわ)まれり」と思った。 髪の毛を茶色にしたり、 肌を脱色したり、つまりは白人コンプレックスのかたまりのようなことばかりしている。 そしてそ の延長線上にこうした美容整形があるとしたら、「賛成」とは、とても言えない。 一つは、私たちを取り巻く、外面世界。 この宇宙そのものということにな る。 もう一つは、私たちの心の中にある、内面世界。 この内面世界も、外面世界の宇宙と同じく らい、広い。 もしそれがわからなければ、静かに目を閉じてみればよい。 そのときあなたは、暗 闇の向こうに、何を感じ、何を思うだろうか。 それが内面世界である。 この内面世界が広くなれ ばなるほど、相対的に外面世界は小さくなる。 ばあいによっては、ちっぽけな世界になるかもし れない。 あるいは「外面世界など気にしてどうなる」とさえ思うようになるかもしれない。 もう少し わかりやすい例で説明してみよう。 私はもう三〇年近く、自転車通勤をしている。 その自転車通勤をしていることについて、群馬 県のT市で公認会計士をしているK君(私と同年齢)はこう言った。 「そんな恥ずかしいこと、よく できるな」と。 彼に言わせれば、自転車通勤は、恥ずかしいことだというのだ。 そこで話を聞く と、彼はこう言った。 「ぼくらの仕事はメンツを大切にする仕事だから、自転車なんかに乗って いたら、それだけで相手にされなくなるよ」と。 実際には、彼は、黒塗りの大型乗用車で仕事先 へ行くという。 しかし私は一向に構わない。 自転車通勤をしていることを、恥ずかしいだとか、かっこう悪い ことなどとは、思ったこともない。 もしそういうふうに思う人がいたら、私はむしろそういう人たち を笑う。 もとはと言えば、健康ために始めた自転車通勤だが、あるときから、それを誇りにさえ 思うようになった。 「私は環境を破壊していないぞ」と。 もし本当に天国というものがあるなら、私 はまっさきに天国へ入る資格がある。 神様も私を一番に、迎えてくれるだろう。 「あなたは地球 環境を守るために努力しましたね」と。 自転車通勤を、恥ずかしいこと、つまりコンプレックスにするかどうかは、その人の考え方に よる。 もっと言えば、内面世界の広さによる。 いや、だからといって、私の内面世界が、その公 認会計士の友人より広いと言っているのではない。 たまたまこの分野については、私のほうが 広いというのだ。 だから気にしない。 人が何と言おうと、気にしない。 身体的なコンプレックスがあるかどうかを問題にする前に、その人自 身の内面世界はどうなのかという問題がある。 そういう内面世界が一方にあって、それでいて なおかつ外面世界を気にするというのであれば、それはそれとして理解できる。 が、その内面 世界がないまま、外面世界だけを気にして、コンプレックスを感ずるというのであれば、整形が どうのこうのということを問題にする前に、生き方そのものがまちがっている。 もし冒頭のような 論理がまかりとおるなら、どんな行為でも正当化されてしまう。 「大麻を吸ってみたら、いやな気 分を吹き飛ばすことができた」「いやなヤツを殺してみたら、胸がスーッとした」と。 それほど深く考えないで、流行だから茶パツにするというのなら、それはそれでよい。 流行だ から厚底サンダルをはくというのであれば、それはそれでもよい。 しかし整形を、それらと同じ に考えることはできない。 健康な体に、不必要なメスを入れるということ自体、自然に対する冒 涜(ぼうとく)行為なのだ。 自分の体は自分のものであって、決して、自分のものではない。 たと えばあなたの手を見てほしい。 あなたは自分の手を見て、あなたがその手を自分で作ったと、 本当に思えるだろうか。 あなたの体を見て、あなたがその体を自分で作ったと、本当に思える だろうか。 私は思えない。 思えないばかりか、ときどき自分の手や体を見て、不思議に思うこと がある。 「いったい、これはだれの手なのだろうか」「これはだれの体なのだろうか」と。 私は、 そういうものを勝手に作りかえることは、私を超えた私に対する、冒涜だと言っているのだ。 みんなコンプレックスの一つや二つは、もっている。 コンプレックスのない人など、いない。 し かしそのコンプレックスを戦うのは、自分自身の内面世界なのだ。 仮に身体的なコンプレックス があったとしても、戦うべきは、それをコンプレックスと思う自分自身なのだ。 理由は簡単だ。 仮にあなたの顔がこわれていたとしても、それを恥ずかしく思うのは、「顔」ではない。 あなたと いう内面世界の人間なのだ。 つまり戦うべき相手は、あなたの心なのだ。 繰り返すが、そういう 戦いが一方にあって、なおかつ外面世界を気にするのなら、話はわかる。 「人に迷惑さえかけなければ、何をしてもい い」という論理ばかりが先行したら、世の中はどうなる。 こうした美容整形医に高い道徳を求め ることはできないのか。 もとからそんな道徳のない人間が、医者をしている? 今、この日本で は、こうした「自由観」が、大手を振ってまかり通っている。 若者たちは、それに踊らされている だけ? ある意味で本当の犠牲者は、その若者たちなのかもしれない。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ + 子育て随筆byはやし浩司(202) 静かに考える時間 ある県会議員のスケジュールを見て、驚いた。 (かなり誇張して書いてはあったが……。 私は、その議員が忙しいこと に驚いたのではない。 驚いたのは、「この人は、静かに考える時間をどこで作っているのか」 と。 私もある時期、一か月に、休みがたった一日という状態で仕事をしたこともある。 朝から晩ま で仕事、仕事の毎日だった。 そういう自分を振り返ってみると、静かに考える時間など、どこに もなかったことがわかる。 いや、仕事をしながら、そのつど、何かを考えていたはずだが、実際 には、たいへん浅いレベルで、思考をループさせていたに過ぎない。 だから「考える」という意 味においては、ほとんど何も残らなかった。 静かに考えるということは、人間に与えられた、最高のぜいたくである。 ……この一文を書く とき、実のところ、最初は「多分、人間に与えられた、最高のぜいたくではないか」と書いた。 が、それを書きなおして、「最高のぜいたくである」とした。 こうしてものごとを断定するのは、そ れ自体、勇気のいることだ。 言い方をまちがえると、読者の反発をかう。 しかし何度も自分に問 いかけてみたが、やはり、「ぜいたくである」と断定してもよいのではないか。 だからあえて断定 する。 「静かに考えるということは、人間に与えられた、最高のぜいたくである」と。 ただし、考えるといっても、ループ状態になってはいけない。 たとえば私は先日、二〇年ぶり に、ある知人(六一歳)と会った。 昔、一緒に仕事をしたことがある人だった。 その人と一緒にタ クシーに乗っているときのこと。 その知人は、こう言った。 「何だかんだと言っても、日本はいい 国ですよ」と。 そしてそのあと、彼は、持論をあれこれ展開したが、私はそれを聞きながら、ま たまた驚いた。 その言葉にせよ、持論にせよ、それはそっくりそのまま二〇年前に聞いた内 容、そのものだったからである。 つまり彼は、その部分については、この二〇年間、まったく進 歩しなかったことになる。 こうしたループ性は、よく感ずる。 私自身も、だれかと話をしていて、それを感ずることがあ る。 不思議なことに、同じ人と会うと、同じような話になってしまう。 たとえば姉と会うと、そのた びに、どういうわけだか、話の内容はいつも、川の話になってしまう。 「今年は、鮎はとれた?」 「今年も川原は、キャンパーたちでにぎわった?」と。 そういうことはよくある。 そこで「静かに考える」には、ひとつの条件がある。 それはいかにして、そのループ性から抜 け出るか、である。 私のばあい、あくまでも参考的意見だが、つぎのようにして戦っている。 一 つは、同じことを考えない。 これは当然だ。 そしてもう一つは、そのつど、いつも心の実験をす る。 何か、心の分野で、いつも新しい実験をしてみる。 この方法は、私がまだ二〇歳そこそこ のころ、気がついた。 東京に行ったときのこと。 山手線に乗って、隣の駅に行くのに、私はわざと反対回りの電車に 乗ってみた。 時間があったということもある。 景色を楽しみたかったということもある。 東京の人 たちを観察してみたかったということもある。 ともかくも、最初はそうした。 そうしながら、自分の 心がどう変化するかを知りたかった。 あるときは、隣の駅に行くのに、山手線を三周くらいした ことがある。 今でもときどき、この方法を使う。 わざと歩いてみるという方法が多いが、そうすることで、そ れまで気がつかなかったことに気づくことがある。 先日も、市内へ行くのに、とんでもないほど 大回りをして行った。 さすがそのときは途中で疲れてしまい、途中からバスに乗ったが、私のば あい、そういうことをするのが楽しい。 つまりこうした変化を自分の中につくらないと、その段階で、あるいはある一定の段階で、思 考はループ状態に入ってしまう。 そして一度、そのループ状態に入ってしまうと、その段階で思 考は停止する。 あるいはその段階から退化する。 そういう意味では、思考というのは、「運動」 に似ている。 毎日練習するだけでは足りない。 (練習しなければ、退化する。 )新しい技術を身 につけ、それを磨かねばならない。 思考について言えば、静かに考える時間というのは、その ために、どうしても必要な時間ということになる。 冒頭の県会議員は、忙しいことを売り物に、自分の仕事ぶりを誇示しているのだろう。 それ はわかるが、やはり、県政のリーダーとして、どこかで静かに考える時間をつくってもらわねば 困る。 私ならたとえば、そういうスケジュールの中に、こう書く。 その感想を、著者Aに書いて送る」「昼食後二時間ほど、ベートーベンの第五を聞 きながら、しばらく瞑想(めいそう)する」と。 忙しいだけの政治家であっては、いけない。 私が書いた手紙や、その返 事などである。 幸い(?)気がつくのがはやかったので、多分、だれの目にもとまることはなかっ たと思う。 そのときのこと。 私はあるひとつの重大なことを悟った。 それは、パソコンは、絶対に 信用してはいけないということ。 パソコンを相手にするときは、パソコンをいつも「見知らぬ他人」と思うこと。 パソコンに何か 記録を残すときも、写真やデータを残すときも、見知らぬ他人にそうしていると思うこと。 メール だってそうだ。 このパソコンという電子装置は、よく故障をする。 そのたびに修理に出すことに なる。 そのとき、だれがそういったメールを読むか、わかったものではない。 私のばあい、さん ざんそういう苦い経験をしてきたので、そういった記録は、いっさい、パソコンの中には残さない ようにしている。 いや、その前に、読まれて恥ずかしいもの、見られて恥ずかしいものは、載せ ない、……というより、考えないようにしている。 が、その私信集を載せたとわかったときには、少なからず、あわてた。 それに気づいたの は、夜、寝るためにふとんの中にもぐり込んだあとだったが、私は起きて、すぐ削除した。 私信 には、当然、相手の住所や実名が書かれてある。 いくら恥ずかしくないといっても、それはまず い。 そこで気がついてみると、これはまさにパソコンの利点といってもよいが、私はパソコンを前 にすると、身が引きしまるというか、気が引きしまる。 「いいかげんなことは書けないぞ」という思 いが、いつしか、「いいかげんなことは考えないぞ」という思いに変わった。 そしてさらに気がつ いてみると、自分の考え方が、きわめてまじめになったというか、まともになった。 (勝手にそう 思っているだけかもしれないが……。 )が、それでも安心できない。 先週、数年前に買った、シャープのパソコンが故障した。 五年間保証に入っていたので、そ れで修理に出した。 ショップの人は、「多分、ハードディスクの故障でしょう。 取りかえになると思 います」と言った。 つまり私は修理に出す前に、つごうの悪いファイルやデータを消すことがで きなかった。 それで、心のどこかでひっかかりを覚えた。 とくに気になったのは、そのパソコン で、ある証券会社と電子商取り引きをしていたこと。 たいした額ではないからよいが、しかしそ の中には、私の電子認証番号と、パスワードも入っていた。 もし悪意のある人がそれを知った ら、その口座からお金を引き出すこともできる。 そこで教訓。 パソコンの中には、絶対に、他人に見られていけないものは、残さないこと。 メ ールでも、読んだら、即、削除。 必ず、即、削除。 いわんや文章にして残すものは、いつか、ど んな形かは知らないが、公開されるものという前提で残すこと。 絶対にパソコンは信用しないこ と。 少なくとも、私はそうしている。 そういうこともあって、このところ、老後の自分のことをよく考える。 まず健康面。 これは私が見た老人観だが、老人になったら、やせ気味のほうが健康を維持しやすいので は。 標準体重というのがあるが、あれはアテにならない。 若い人も老人も、同じ標準体重という のは、おかしい。 体を支える筋肉が弱 い。 で、私は今、六四キロ弱(標準体重では、適正体重の上限ギリギリ)。 これに(0・9)をかける と、五八キロという数字が出てくる。 このあたりが、私の標準体重ということか。 それはともかく も、肥満はいけない。 太った体をもてあまし、ヨタヨタと歩いている老人を見ると、 「どうしてあんなに太ってしまったのか」と思う。 もっともそのころ気づいても、遅い。 へたにダイ エットをすれば、体が本当に動かなくなってしまう。 つぎに考えるのが、精神面。 私は精神的に、それほど強くない。 一方、ワイフは強い。 ワイフ と見ていると、その精神力の強さに感心する。 ときどき「これが同じ人間か」と思うときさえあ る。 つまり私は、それくらい、弱い。 ありとあらゆる精神病を、まんべんなく、広く浅くしょいこん でいる感じ。 今は、何となく、自意識でそれを抑えてはいるが、しかしいつ、そのうちの一つが 噴きだすかわからない。 問題は、ひとりになったとき。 ワイフには、「ぼくが先に死ぬからね」と言っているが、もしワイ フが先に死んだら、どうする? そのときは、もう私は今の精神状態を保つことはできないだろ う。 多分、気がヘンになってしまう。 そういうときのために、心の準備と用意はしておかねばなら ない。 まあ、一番よい方法は、早めに老人ホームに入居し、そこで好き勝手なことをすること だ。 まわりの人とワイワイしているうちに、気がまぎれるかもしれない。 もちろん仕事と収入のことも考える。 仕事は、このところの大不況で、どうしようもない。 よく 「林先生でも、影響がありますか?」と言う人がいるが、私なんか、モロに受けている! 公務 員ではないのだ。 退職金も、年金も、天下り先もないのだ! こういう生活をしていると、私がカ スミか何かでも食べて生きていると思う人もいるかもしれないが、とんでもない誤解である。 サ ラリーマンの人より、はるかに状況はきびしい。 もっとも仕事は、収入のためというより、自分の心と頭の健康のためにつづける。 死ぬまでつ づける。 もしやめたら、とたんに、私は腐ってしまう。 心も頭もだ。 健康だっておかしくなるに違 いない。 今、かろうじて健康なのは、仕事のために自転車通勤をしているからだ。 だから赤字 になっても、仕事だけはつづける。 つづけるしかない。 こうして老後を考えていると、同時に、過去のことも、いろいろ思い出す。 「これからどうしよ う」と思うと、その一方で、「いろいろあったなあ」と。 私としては、自分のできることはすべてした ような感じなので、これから先、同じようなことをしても意味がないような気がする。 つい先日 も、ある出版社から教材作りの依頼を受けたが、断った。 あんなこと、これから先、何度繰り返 しても、時間のムダ。 教材ができるころには、どこかの教授様が、その教材の表紙に名を載せ ることになるだけ。 もうそういうくだらない、提灯(ちょうちん)もちは、したくない。 残り少ない人生だから、新しいことにチャレンジしてみたい。 今は、こうしてマガジンの発行に 全力を尽くしている。 この先、どうなるかわからないが、まあ、やるだけのことはやってみる。 結 果がどうなるかはあまり考えたくない。 ただひたすら、がむしゃらに、前に進むしかない。 「(北朝鮮の)主体思想はすばらしい」と。 「医療費がすべて無料だというのは、すばらしい」(某雑誌)とも。 しかし聞くところによると、あ の国では、ガンすらも、赤チンで治すというではないか。 そういう治療法だとしたら、いくら無料 でも、してほしくない。 今日のニュースを見ると、北朝鮮の核開発にふれ、アメリカが、年間五〇万トンの原油供給 を停止するという。 それは当然だが、日本も今まで、すでに百数十万トンもの食料援助をして いる。 韓国や中国は、もっとしている。 アメリカもしている。 そういう国に向けて、核開発をすると いうのも、どうかしているのでは? 日本はもちろん、韓国も、アメリカも、北朝鮮を侵略する意図など、毛頭ない。 ないことは、少 し、この国に住んでみればわかるはず。 それを百も承知の上で、ありもしない脅威をかきた て、その脅威を、金正日は、国内での独裁政権(読売新聞)を維持のために利用している。 あ のスパイ船にしても、そんなに日本のことを知りたければ、何も海の向こうからスパイなど送っ てくる必要はない。 堂々と観光客でくればよい。 北朝鮮のすることは、どれも、どこかトンチンカ ンというか、どこかピントがズレている。 しかしそれにしても核兵器とは! 亡命した研究者の話によれば、こうした核開発のほか、旧 ソ連などから手に入れた核兵器を、師団ごとに一個ずつもっているとか。 となれば、これは恐 ろしいことだ。 ミサイルに積めなくても、船には積める。 船に積んできて、そういう船を東京湾の 真ん中で爆発させれば、日本の経済は、それだけで完全にマヒしてしまう。 ニュースによれば、 「爆撃」とか「ミサイル」とか、空のことしか言っていないが「海」はだいじょうぶなのか。 拉致(らち)された被害者たちが今、日本にいる。 みんな、まだ何かにおびえているようだ。 何 でも、北朝鮮から監視役の同行者が二人ついてきたという。 これもとんでもない話で、どうして 日本人が日本にいるのに、北朝鮮人の監視役がついているのか! それに対して何もできな い日本政府の、弱腰には、ただあきれるばかり。 北朝鮮に家族などの人質をとられていること はよくわかるが、むしろそういう弱みを利用して、自分の弱腰を隠しているのではないのか。 何 も戦争をしろというわけではないが、ここまで日本もペコペコする必要はないと思う。 あるいはこ の歯がゆさは、いったい、どこからくるのか。 しかし忘れてはならないのは、悪いのは金正日であって、北朝鮮の人たちではない。 彼らと て、独裁政権の被害者なのだ。 もちろん日本に住む北朝鮮系の人たちには、さらに罪はない。 ひょっとしたら、日本にいる北朝鮮の人たちが一番苦しんでいるのではないか。 そういうことも ふまえて、私はあえて、金正日に言いたい。 「本当に北朝鮮という国を愛するなら、また南北統 一を願うなら、あなたが消えてなくなるのが、一番いいのです」と。 ありがとうございました。 ホームページもとても充実していますね、びっくりしました。 先生が作ったのですか? はっきりわかりました。 自分は「マズイ」ぞっと、思いました。 お話の中心は幼稚園に通う子どもの年齢だったのですが、 上の子は八歳で男、下の子は四歳で女です。 下の子は特に問題はないと思うのですが、 (上の子は)保育園の時からなんですけど嫌な事をいやと言わないみたいです。 だからたたかれたりしても、怒らないし、やり返したりしないみたいで、 保育園では年下の子には人気があったようですが (なにしても怒らない優しい子だったようです) 園長先生にもこのままだといつか爆発するよ!っといわれました。 本人に聞いたこともあるのですが。 (嫌な事されても言わないから) 「遊びだからいいんだ!」っと言っていて? 大人みたいっと思っていました。 家ではものすごくいやだーと泣くし妹とよく喧嘩をするし、 パパがあきれてうるさがるくらいの大声で泣きます。 でも、小学校に通ってもどうもたたかれたり、しているみたいで、 帽子のゴムをきられてしまったり、まあふざけているうちはいいんですけど、 エスカレートしたら困るなと思っています。 私が小学校の時に三、四年の頃いじめられていて本当にいやで、 先生にそれらの子と、別なクラスにして欲しいっとお手紙をだしたりしました。 クラスが変わってからは明るい人生でしたが、あの時のようになったら 困るなーと心配になります。 私が情緒不安定で怒りっぽいし、だから安心できなくって どっしりとできないのかなぁーっと思いました。 人の顔色をうかがうように、上手い事を言ってくれるのもそうなのかぁー。 っと思いました。 それをやはり私が自覚して気をつけるようにしないとだめなんだなぁー つくづく思いました。 まったく 自分の母親やパパから、よくそこがあんたの悪い所だよ、よくないよっとは言われても 実際に私の悩みの答えがそこにあるとは思わなかったです。 「子供がおびえるようになるよ。 」っと母に言われても 私は「?」なんで??? 「だってイライラが爆発してしまうと、、、 子供が忙しい時にあーでもないコーでもないとなると。 爆発しちゃうもん。 」「反省はしているけどさー。 」って感じでしたが。。 先生の言っていることがあんまりにも当たっているのでびっくりでした。 大泣きをしている時、ママを求めてぶそくりながらもわざとキーキーないている時は 「わかっているから」っと言って抱きしめてあげるようにしてはいます。 でも忙しくって大半は パパは「いいかげんにしろ」っと怒鳴るまでほって置いてしまいます。 あまえているのか、あまったれているのか? いまだに赤ちゃんの火がついたように泣いている時 どうやった安心できるのかと思ってしまいます。 パパもD君を怒りすぎて悪かったっと思っています。 太陽のお母さんになりたいのですが、大地の母になりたいのですが、 現実はそうもいかず。 反省 でもお話を聞く事はやっぱりいい事ですよね、知らない事いっぱいあるし そうなんだ-っと思うことが出来たし。 今回ぎくっと特にしてしまったので、いきなり長いメールになってしまったのですが。 下の子は上の子を見ているのか甘え上手です。 両方ともとっても可愛くって大好きです。 「勉強は何故しないといけないの?」っといつも上の子に聞かれます。 「K子ばっかり遊んでいてずるい」っと 宿題をする時間より遊んでいたいから、だっと言っています。 私は「知ることは面白いよ、字が読めれば本人の好きなプラモデルが自分で作れるし、 恐竜の本も自分で読めるよ」とは言ってみても、わかんないっと言っています。 できたとかやれるようになった喜びをいっぱい感じて欲しいし、と思うのですが 私は勉強が嫌いで高校でもう勉強はまっぴらご免って感じでした。 二〇歳の頃仕事をしながら宅建の勉強をした時に覚える事が面白いと思いまして、 あーもっと前に気が付いてやっていたらなぁーっと思いました。 去年はパソコンの勉強を会社でさせてもらい、朝早起きをして勉強する一年でした。 教室が夜の六時から八時週二回だったので子どもたちが寂しかったかも? でも充実していました。 大泣きをしている時いまさら恥ずかしいんだけど、どうしたらいいのでしょうか? 勉強は何故しないとっと聞かれた時の私の返事はマズイでしょうか? 夜寝る時には「D君が大好き、D君だーいじ、D君ちゃん大丈夫。 ママや パパがいるからね」っと、言っているのはかえって良くないのかしら? 安心できるかなぁっと思ってたまに言ったりするのですが、 学童保育に行っていてもどーも、いい子みたいでおとなしいようです。 家ではくそババーとか言っているし、威勢はいいのに。 でもそれは私の情緒不安定が悪かったのには参りました。 今先生の講演を聴けたきっかけを忘れずにしようと思いました。 ありがとうございました。 パパにも聞かせてやりたかったなぁと思いました。 二人で聞けばもっとD君について話ができるから。 またメールします。 (愛知県T市・R子より) +++++++++++++++++++++++ R子さんへ メールから浮かびあがってくるご家庭は、とてもすばらしいですね。 どこか全体にほのぼのと して、それでいて活気があって。 R子さんの、生き生きしたママぶりが、目に浮かんできます。 ま ったく問題ないですよ。 順にご質問について、考えてみます。 いやなことがあっても、「いや」と、はっきり言うことができないわけです。 しか し「がまん強い子」と誤解してはいけません。 このタイプの子どもは、ストレスを内にためやす く、そしてその分だけ、心をゆがめやすくなります。 ひねくれる、いじける、ぐずる、つっぱるなど の症状があれば、要注意です。 しかし一度、そういった行動パターンができると、なおすのは容易ではありません。 ただしここ で誤解していけないのは、そのパターンはだれに対しても、同じというのではありません。 子ど もは相手によって、パターンを変えますので、一部分だけをみて、それが子どものすべてと思っ てはいけません。 家の中で見せる様子と、友だちとの世界で見せる様子が、大きく違うというこ とはよくあります。 A君に見せるパターンと、B君に見せるパターンが、大きく違うということもよく あります。 だから一部だけを見て、「うちの子はダメ」とか、「心配だ」と思ってはいけません。 もちろん威 圧的な過干渉や、神経質な過関心が日常化すると、子どもの心は内閉しますが、(あるいは反 対に粗放化することもあります)、そういうケースでは、全体に行動や言動が萎縮します。 もし そうなら、それは子どもの問題ではなく、親の問題だということです。 一般に、ふつうでない家庭状況で育てられた子どもは、大きく分けてつぎの二つの経過をた どります。 ひとつは、そのままのパターンでおとなになるタイプ。 もうひとつは、その途中で、ゆ がんだ自分を、自ら、軌道修正しようとするタイプ、です。 たとえば親の過干渉で、精神そのものが内閉したような子どものばあい、そのまま内閉した ままおとなになるタイプと、その途中で、そうした自分を一度リシャッフルするタイプがあります。 リシャッフルといっても、ふつうのリシャッフルではありません。 心に受けたキズが大きければ 大きいほど、あるいはあとになればなるほど、はげしいリシャフルのし方をします。 はげしい暴 力をともなう家庭内騒動に発展することも珍しくありません。 子どもの成長ということを考えるな ら、一見、扱い方がたいへんなように見えるかもしれませんが、後者のほうが、好ましいという ことになります。 もちろんR子さんのケースがそうだと言っているのではありません。 これも一般論ですが、幼 児教育の世界では、「いい子」ほど、心配な子どもなのです。 親に向かって、「ババア」とか、「ク ソババア、早く死んでしまえ」と言う子ども、あるいはそういうことが言える子どものほうが、正常 だということです。 子どもの口が悪いことを、あまり深刻に悩まないこと。 言いたいだけ言わせ ながら、相手にしないようにします。 相手は、子どもなのですから。 そのうち、七%は、「いつもイライラする」と答えています。 だから、 ほとんどの母親は、子育てをしながら、イライラしていると考えて、まちがいないようです。 R子 さんだけが、例外ではないということです。 そこで大切なことは、そのイライラを、自分の範囲にとどめ、それを子どもにぶつけないこと。 ……と言っても、子育てはいちいち考えてするものではありません。 子育てはいわば、条件反 射のかたまりのようなものです。 たいていの母親は、「頭の中ではわかっているのですが、いざ その場になると、つい……」と言います。 子育てというのは、そういうものです。 あまり自分を責 めないように。 子どもにも適応能力があるので、その能力を信じてください。 情緒不安もある一 定の範囲なら、子どものほうがそういう親でも適応してしまいます。 子育てをしていて、イライラしたら、子育てそのものから離れる方法を考えます。 少し無責任 な言い方かもしれませんが、ときには、「なるようになれ!」と、子育てそのものから離れるよう な「いいかげんさ」も大切だということです。 またそのほうが、子どもも羽をのばすことができ、 かえって子どもの表情も明るくなります。 時期的に は、もうそろそろ落ちついてくるものと、思われます。 自意識(自分の意思)で、コントロールす るようになるからです。 ただこのタイプの子どもは、興奮性だけは残りやすく、そのため年齢が 大きくなっても、緊張したりすると、声がうわずったり、反対におどおどしたりすることがありま す。 興奮させないように。 食生活の面で、カルシウム分やマグネシウム分の食生活が、この時 期、たいへん効果的ですので、一度、ためしてみてください。 甘え方が自然で、親のほうが やさしくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの心の中にしみていくのがわかります。 R 子さんのお子さんは、「甘えじょうず」ということですので、心の問題はないとみます。 このままス キンシップを大切にして、お子さんたちが心を開いてきたら、それをいつもやさしく包んであげ てください。 一般に愛情豊かな家庭に育った子どもは、ぬいぐるみを見せたりすると、ほっとす るようなやさしさを見せます。 視線 がお子さんの目の高さにあるのが、よくわかります。 コツは、言うべきことはしっかり言いながら も、あとは「時」を待つということです。 その場で、「わかんない」とか言って、反応がなくても、あ せってはいけません。 子どもと接するときのコツは、言うべきことは言いながらも、そのときは、 わからせようと思わないこと。 イギリスの格言に、『子どもの耳は長い』というのがあります。 もと もとの意味は、「子どもはおとなのヒソヒソ話でも聞いてしまうから、注意しろ」という意味です が、私は勝手に、「子どもの耳は長く、耳に入ってから脳に届くまで時間がかかる」と解釈して います。 参考にしてください。 欧米では、「ベッドタイムゲームの時間」として、たいへん大切にしています。 日本でも就眠 儀式といいますが、子どもは毎晩、眠りにつく前、同じ行為を繰り返すという習性があります。 まずいのは、子どもをベッドへ無理に追い込み、電気を消してしまうような、乱暴な行為です。 子どもの情緒が不安定になることがあります。 R子さんのやり方でよいと思います。 概して言え ば、日本人は、元来スキンシップの少ない民族です。 遠慮せず、ポイント的に濃厚な愛情を表 現してみてください。 ベタベタの愛情表現がよいわけではありません。 要するに、子どもを安心 させるようなスキンシップを大切にします。 以上です。 R子さんの子育てで、参考にしていただければ、うれしく思います。 まったく信じない。 信じないが、UFOだけは別。 信ず るも信じないもない。 私は生涯において、三度、UFOを目撃している。 一度は、ワイフと一緒に 目撃している。 (あとの二度については、目撃したのは私だけだから、だれにも話したことがな い。 文として書いたこともない。 ここにも書かない。 ) が、私には、こんな不思議な体験がある。 結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、こう してものに書くのははじめて。 だから前もって断っておくが、これはウソではない。 ここにはウソ は書かない。 こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑われる。 損になる ことはあっても、得になることは何もない。 事実、「林君も自分の仕事を考えたら、そういうこと は人には言わないほうがよいよ」とアドバイスしてくれた人もいる。 それはわかっているが、しか しあえて書く。 あと一か月ほどで、日本へ帰るというときのことだ った。 オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。 私は友人のD君にビーチハウス(海 の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。 ビーチハウスは、ローンという港町の手前、一〇キロ くらいのところにあった。 避暑地として有名なところで、そのあたりには、「グレートオーシャンロ ード」という名前の街道沿いに、無数の別荘が点在していた。 ある日のこと。 D君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。 私とD君は、そのサンドイッチをも って、ピクニックにでかけた。 「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬 Cape Otway に行 こう」ということになった。 時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出かけたと思う。 あともう少し で、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になったのを覚えている。 小高い山の中に入 って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチを食べた。 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。 彼らがいうブッシュ(や ぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。 私たちは岬へつくと、百メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。 そして車の外へ 出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。 そのときのこと。 どちらが言ったわけではない が、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。 背丈の短い雑草が、点々と生えているよ うな殺風景な岬だった。 ほかに見えるものといえば、灯台だけだった。 たしか、「オッツウェイ 岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこかにあったように思う。 私たちは地 面に正座してひざまづくと、そのまま体を前に倒した。 そして地面に顔をあてたのだが、そこで 記憶がとだえた。 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。 横を見ると、D君も地面から顔を離 すところだった。 私とD君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。 ほとんど会話はなかったと 思う。 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。 そしてほどなく、アポロベイという 港町に着いた。 港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地だった。 私たちはそのひとつの レストランに入って、ピザを食べた。 日はとっくに暮れていた。 まっ暗といったほうが正確かもし れない。 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。 そのとき私とD君は、D君の両親 の住むジーロンの町の家にきていた。 そこで、ベッドに入って寝る前に、私はD君に、こう切り 出した。 胸の中でモヤモヤしているものを、吐き出したかった。 「D、どうしてもわからないことがある……」 「何だ、ヒロシ?」 「いいか、D、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」 「そうだ」 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。 時間にすれば、三〇分もかから なかったと思う」 「そんなものだな、ヒロシ」 「でね、D、そのオッツウェイ岬で、同時に二人とも眠ってしまった。 そんな感じだった。 あるい は眠ったのではないかもしれない。 同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔を離した。 覚え ているだろ?」 「覚えている……」 「それでだ。 ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。 そしてあのアポロベイの町で、夕食 を食べた。 ぼくはそれがおかしいと思う」 「……?」 「だってそうだろ。 オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走っても、一時間 はかからない。 が、アポロベイへ着いたときには、外はまっ暗だった。 時刻にすれば、夜の七 時にはなっていた。 ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだろうか」と。 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後一時か二時だったと思う。 それ以上、遅い時 刻ではなかった。 が、そこからアポロベイまで、一時間はかからない。 距離にしても、三〇キロ くらいしかない。 が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮れていた! どう考え ても、その間の数時間、時間がとんでいる! 私はその話をD君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。 D君も同じように感じたら しい。 さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞いた。 D 君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写真などを、そ のつど届けてくれた。 一枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、そこには、ハバが数 百メートルもあるような巨大なUFOが写っていた。 ただしそのカメラマンのコメントによると、写 真をとったときには、それに気づかなかったという。 さらにそれから五、六年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコミで伝え られるようになった。 いわゆる、「誘拐」というのである。 私はあの日のあの経験がそれだとは 思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理的に説明することができない。 簡単に言 えば、私とD君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったということになる。 そして同 時に、何らかのきっかけで起きたということになる。 しかも数時間も! しかし現実にそんなこと があるだろうか。 私はその前にも、そのあとにも、一度だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠 ってしまったことなど、ない。 電車やバスの中でもない。 寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬 間に眠ってしまったようなことは、一度もない。 私とD君は、UFOに誘拐されたのか? 今になってもときどきD君と、こんな話をする。 「ぼくたちは、宇宙人に体を検査されたのかも ね」と。 考えるだけで、ぞっとするような話だが……。 繰り返すが、私たちがあの夜見 たものは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。 それに「この世のもの」でもない。 飛び去 るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込むかのようにして消えて いった。 飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。 私はワイフとその夜、散歩をしていた。 そのことはこの原稿に書いたとおりである。 その原稿 につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。 この点については、 ワイフも同意見である。 つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並んで飛んでいるのに 気づいた。 そのときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。 が、しばらくすると、その窓を 取り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあがってきた。 そのときは、夜空に目 が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今から思うと、空から浮かびあがってきたの かもしれない。 つぎの原稿が、その夜のことを書いたものである。 見たものは見た。 巨大なUFO、だ。 ハバが一、二キロはあった。 しかも私とワイフの二人で、 それを見た。 見たことはまちがいないのだが、何しろ二五年近くも前のことで、「ひょっとしたら ……」という迷いはある。 が、その後、何回となくワイフと確かめあったが、いつも結論は同じ。 「まちがいなく、あれはUFOだった」。 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。 時刻は真夜中の一二時を 過ぎていた。 そのときだ。 何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並ん で飛んでいるのがわかった。 私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思 った。 そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。 あとで聞くとワイフも同じことをしていたとい う。 が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。 その丸いものを囲む ように、夜空よりさらに黒い、「く」の字型の物体がそこに現れたからだ。 私がヨタカだと思った のは、その物体の窓らしきものだった。 「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反 対の方向に、音もなく飛び去っていった。 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。 その物体が基地のほうから飛んできたから だ。 が、どの部所に電話をかけても、「そういう報告はありません」と。 もちろん私もそれがUFO とは思っていなかった。 私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、 まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。 が、このことを矢追純一氏 (現在、UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。 当時私は アルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。 矢追氏はその番組の ディレクターをしていた。 あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。 私とワイフは、その 中の一枚の写真に釘づけになった。 私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったから だ。 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。 人間だけが宇宙の生物と考 えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。 そしてその宇宙人(多 分、そうなのだろうが……)が、UFOに乗って地球へやってきても、おかしくはない。 もしあの夜 見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘 う。 闘っても意味がないが、闘う。 私はウソを書いてまで、このコラムを汚したくないし、第一ウ ソということになれば、私はワイフの信頼を失うことになる。 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。 この話をすると、「君は 教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。 君の資質が疑われる」と 言う人もいる。 しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。 文を書くといっ ても、教育評論だけではない。 小説もエッセイも実用書も書く。 ノンフィクションも得意な分野 だ。 東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。 うち四冊は中国 語にも翻訳されている。 そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えて いる。 たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。 だからこそあえて、 私はそれについて書いてみた。 みなさんは、どうですか? そんなことを考えていると、秋の夜、星空を見あげるのも、楽しくなりますね。 まあ、「林もとき どき、バカなことを書くものだ」とお笑いくださればうれしいです。 そうそう私とワイフと見たUFO ですが、新聞記事に書いたあと、二人、同じものを見たという人が、連絡をとってきました。 こ の話は、またいつか……! +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ + 子育て随筆byはやし浩司(208) The one who blesses others is abundantly blessed. トップページの一番下に、それがある。 私はそのコーナーを、アメリカのあるキリスト教団体(無宗派)が発行するフリーソフトを利用し て、構成している。 興味のある方は、一度、訪れてみてほしい。 私はクリスチャンではないが、そのデザインのすばらしさに、いつも圧倒される。 自分も、いつ かそういうホームページにしたいと思っている。 どうすれば、こういうカードができるのかとも、考 える。 少なくとも、私がつくるホームページとは、格段の差がある。 そのカードの一つに、こんな ことが書いてあった。 「他人を祝福するものは、祝福される」と。 英語では、「The one who blesses others is abundantly blessed. 」となっている。 さて、いつもの、英語のレッスン。 ここで「ブレス」という単語が二度出てくる。 こうした単語の訳 で気をつけなければならないのは、正確な訳というのは、そもそも無理だということ。 生活習慣 というか、宗教的バックグラウンドがまるで違う。 で、大型辞書を調べてみると、つぎのようにあ った。 「他人を幸福にし てあげれば、自分も幸福になれるということね」と。 ワイフには、恐ろしい才能がある。 私が三 〇分も悩んだ英文の訳を、あっという間につけてしまった! たしかにそのとおりで、この英語を、「他人を祝福するものは、祝福される」と訳すと、どうも意 味がはっきりしない。 「ブレス」を、「恵む」と訳すと、まだわかりやすい。 「他人に恵みを与えるも のは、豊かに恵みを与えられる」と。 しかしそれでも、よくわからない。 そこであれこれ、思いを めぐらす……。 が、「他人を幸福にしてあげれば、自分も幸福になれる」というのは、わかりや すい。 いや、そのことを教えてくれたのは、二男だかもしれない。 幼稚園児のときは、私の勤め先の幼稚園 へ通っていたが、見ると、いつもほかの子どもが乗った三輪車をうしろから押していた。 それに 乗りたいため、順番を待っている子どもが、別のところで列をつくっていた。 そこである日、私 は二男にこう言った。 「たまには、お前が押してもらいなよ」と。 すると二男は、にこにこ笑いな がら、こう言った。 「パパ、ぼくは、このほうが楽しいよ」と。 その二男は、高校を卒業するまで、私たちと一緒に生活したが、家事をよく手伝ってくれた。 男の子だったが、掃除も洗濯もしてくれた。 料理もしてくれた。 ワイフは、よく、「Sは、女の子だ ったらよかったのに」と言っていた。 その二男は、一度も大声を出して、怒鳴ったことも、暴れた こともない。 その二男のことで、よく覚えているのは、二男が高校一年生になったときのことだ。 入学式のあと、しばらくすると、毎日、学校から帰ってくると、ランニングに行くようになった。 「ほほう、高校生になると、変わるもんだな」と思っていたら、ワイフがこう言った。 「ちがうのよ、 あなた。 Sはね、体の弱い友だちのために、毎日、伴走しているのよ」と。 二男は、その友だちと、ワンゲル部に入部する予定だった。 しかし希望者が多くて、選抜テス トがあるという。 その友だちは、体力がないため、その選抜テストで落とされそうだという。 それ で二男が、その友だちを励ますために、伴走を始めた。 私はその話を聞いて以来、二男を、「息子」とか、「子ども」とかは、思わなくなった。 一人の対 等の人間と思うようになった。 が、実は、この話には、その前の部分がある。 二男は、生徒会の学年代表に選ばれた。 そこで彼が最 初にはじめた運動が、朝のあいさつ運動だった。 毎朝、ひとりで校門の前に立ち、そこを通る、 先生や生徒にあいさつをした。 しかしやがてこの運動は、生徒会にとりあげられ、つづいて職員会議でもとりあげられた。 そ して「あいさつ運動」が、内申点として評価される「ボランティア活動」となった。 どうしてあいさつ 運動が、ボランティア活動になるのかは、よくわからないが、ともかくも、そうなった。 この静岡県では、高校入試が人間選別の関門になっている。 しかも入学試験は、ほとんど内 申点で決まるしくみになっている。 で、それが内申点として評価されると決まったとたん、校門 の前には、その点数がほしくて集まった、生徒たちがずらりと並ぶところとなった。 あとで二男 はこう言った。 「みんな、あいさつなんかしていなかったよ。 ただ立っていれば、内申点がよくな るから、立っていただけだよ。 みんなヤジを飛ばしたり、からかっていただけだよ」と。 そのあとしばらくして、二男は、こういう結論を出した。 「パパ、受験勉強なんてくだらないよ。 そんなことまでして、みんな、いい高校に入りたいの?」と。 私は二男の言葉に、返す言葉がな かった。 「そうだね」と言うのが精一杯だった。 そしてそのまま、二男は、本当に、受験勉強をし なくなってしまった。 ワイフは少なからずそれにあわてたが、私は気にしなかった。 二男は六歳のとき、一度死に かけている。 二男がそのとき助かったのは、まさに奇跡だった。 以来、何があっても、二男に対 しては、「こいつは生きているだけでいい」と思うようになった。 それが子育ての「柱」になった。 そのときもそうだった。 私は「こいつは生きているだけでいい」と思いなおすことで、それを乗り 越えた。 ……乗り越えることができた。 二男は自転車に乗り、あちこちの高校を自分で見てき た。 そして選んだ高校が、地元でも、A、B、C、DとつづくEランクの高校だった。 「何もそこまで レベルを落とさなくても……」と思ったが、二男は「そこでいい」と。 が、ここでいくつか事件が起 きた。 二男はE高校を選んだが、「二男と同じ高校に行く」と言い出した仲間が続出したのだ。 それ に困ったのが、彼らの親たちだった。 そのうちの何人かの親たちから、つぎつぎと、電話がか かってきた。 そしてこう言った。 「どうか、うちの子を、E高校へ誘わないでほしい」「うちの子もE 高校へ行くと言い出し、困っている」「お宅の息子がどこの高校へ入るかは、お宅の問題です。 行くなら、どうかお宅の子、ひとりで行ってください」と。 私は二男を呼び、「友だちを誘うな」と言うと、「ぼくは何も誘っていない。 あいつらが勝手に、 ついてくるだけだ」と。 私は二男を信じた。 二男は、そういう人間ではない。 その伴走していた相手というのは、そういうふうにして二男についてきた、仲間の一人だっ た。 私と違って、女の子にももてた。 中学三年生のときには、三男のファン クラブまででき、その名簿には、一六〇人の女子の名前が記されていた。 (これはホイト!)だ から三男が歩くときは、いつもそのあとにゾロゾロと、女の子の親衛隊がついてきた。 その三 男が、生徒会長に選ばれたときのこと。 家族で祝賀会を開いていると、二男が何をひがんだの か、「ぼくだって、生徒会長くらい、なれる」とポツリと言った。 そこで私は、「あのな、言うのは簡単だけど、実際になるのは、むずかしいぞ」と。 私も中学三 年生のとき、生徒会長に立候補して、落選した経験がある。 が、その言葉を二男は、真(ま)に 受けてしまった。 が、彼は自分では、生徒会長には立候補しなかった。 すでにそのとき、文化 委員長として、学校祭の指揮をとっていた。 そこで三男は、仲間のA君を立候補者にたてて、会長選挙に臨んだ。 二男の立場は選挙責 任者だった。 で、A君は、みごと当選。 が、そのあと、しばらくしてから、A君の母親が、私のワイ フにこう言ったという。 「あの子が、あそこまで明るくなれたのは、おたくのS君(二男)のおかげ です。 ありがとうございました」と。 ワイフからその話を聞いたとき、私は目頭が熱くなった。 二 男は、まさに「他人に恵みを与えることで、恵みを得た」ことになる。 こう書くと、聖職 者の人には怒られるかもしれないが、聖書といっても、それほど気を張って読む必要はないの ではないか。 読み方によっては、ごくふつうの常識を書いてあるだけのような気もする。 だから 「聖書」「聖書」と、重箱の底をほじるような解釈は、あまり意味がないのではないか。 私たちの 心の中には、神や仏の教え以上の、「常識」というものが、すでに備わっている。 人間が、何十 万年もかけてつくりあげた常識だ。 鳥は水の中に入らない。 魚は陸にあがらない。 その常識の おかげで、私たちは、この何十万年という、気が遠くなるほどの時間を生き延びてくることがで きた。 私たちは、その常識の声に耳を傾ければ、よい。 それでよい。 人に親切にしたり、やさしくし たりすれば、心地よい響きがする。 人に意地悪をしたり、人をいじめたりすれば、いやな響きが する。 それが常識だ。 まず自分の中の常識の声に静かに耳を傾ける。 あとはそれに従って懸 命に生きればよい。 それですべての行動が決まる。 他人を幸福にしてあげれば、自分も幸福になれる。 ……考えてみれば、これも常識ではない か。 どこもまちがっていない。 ごくごく当たり前の、常識ではないか。 その先、それを実践するか どうかは、人間の問題ではなく、それはひとえに、その人個人の問題ということになる。 しかしダーウィンの進化論は、外形的進化論をい う。 あらゆる生物は、外界に適応するため、進化しつけたというのが、それ。 しかしもうひとつ忘 れてはならないのは、内形(心)的進化論である。 この進化論は私が考えたものだが、あらゆ る生物は、種族を後世に残すため、精神面や心理面、感情面での進化も遂げてきた。 もし同 族の仲間を殺すことに快感を覚えるような生物であれば、その進化の過程で、とっくの昔に滅 亡していたことになる。 あるいは生まれたばかりの子どもに、親がかわいさを覚えないような ら、その種族はとっくの昔に滅亡していたことになる。 こうしてあらゆる生物は、その内形(心) を進化させてきた。 つまり人類が今、ここに存在するということは、そもそも人間が、少なくとも 仲間の人間に対しては、善なる存在であるからにほかならない。 その善なる心が、私がいう 「常識」である。 ++++++++++++++++++++++++++++++++ 付録 三男について書いた原稿を添付します。 中日新聞で発表した原稿です。 見ると三男からのものだった。 登頂した日付と時刻に続いて、 こう書いてあった。 「一三年ぶりに雪辱を果たしました。 今、どうしてあのとき泣き続けたか、そ の理由がわかりました」と。 一三年前、私たち家族は富士登山を試みた。 私とワイフ、一三歳の長男、一〇歳の二男、そ れに七歳の三男だった。 が、九合目を過ぎ、九・五号目まで来たところで、そこから見あげる と、山頂が絶壁の向こうに見えた。 そこで私は、多分そのとき三男にこう言ったと思う。 「お前に は無理だから、ここに残っていろ」と。 ワイフと三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざし た。 つまりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。 今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことらしい。 その日も、大学の 教授たちとグループを作って登山しているということだった。 ワイフが朝、新聞を見ながら、「き っとE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。 が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめ つけられた。 あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。 私たちが登山していく姿を見な がら、三男はどんな思いでいたのか。 そう、振り返ったとき、三男がワイフのズボンに顔をうず めて泣いていたのは覚えている。 それは心に刺さったトゲのようなものだ。 しかしそのトゲにも、刺さ っていることに気づかないトゲもある。 私はこの一三年間、三男がそんな気持ちでいたことを知 る由もなかった。 何という不覚! 私はどうして三男にもっと耳を傾けてやらなかったのか。 何 でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。 私はやはりあ のとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだった。 重苦しい気持ちでワイフにそれを伝えると、ワイフはこう言って笑った。 「だって、あれは、E君 が足が痛いと言ったからでしょ」と。 「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、E君が痛いから歩けな いと泣いたのよ。 それで私も残ったのよ」「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと言ったわけではない のか?」「そうよ」と。 とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。 軽い風だった。 さっ そくそのあと、三男にメールを出した。 「登頂、おめでとう。 よかったね」と。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ + 付記 子育てで失敗したと思っている、あなたへ 子育てで、失敗なんかありませんよ。 とことん「許して、忘れる」。 それだけをただひたすら繰 り返してください。 ただひたすら、許して、忘れるのです。 あとは時間が解決してくれます。 鉄の ように固かった心も、やがて氷のように溶け始めます。 それを信じて、ただひたすら、許して忘 れる、です。 子育てに、根比べはつきもの。 決して負けてはダメですよ。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ + 子育て随筆byはやし浩司(209) ++++++++++++++++++++++++++++ Sさん(四八歳母親・浜松市在住)の報告より 親子断絶のトンネルから、やっと抜け出たような気持ちです。 重苦しい、よどんだ空気から解放されたような喜びを感じます。 やっと我が家にも、親子の会話が戻ってきました。 ++++++++++++++++++++++++++++ 子育ては根比(こんくら)べ 子育てはまさに、根比べ。 小さい根比べ、大きい根比べ。 それが無数につづいて、またまた 大きな根比べ。 まさにその連続。 しかし恐れることはない。 愛さえあれば、何も恐れることはな い。 愛さえあれば、必ず、勝つ。 勝って、鉄のようにかたまった子どもの心でも、必ず溶かすこ とができる。 まったく会話のない父子がいた。 現在、父親は今、満五〇歳。 息子は満二五歳。 もとはとい えば家庭騒動が原因だが、そのまま家族の歯車そのものが狂ってしまった。 その父子は、息 子が中学生になるころから、まったく会話をしなくなってしまった。 いっしょにテレビを見ていると きも、食事をしているときも、父親のほうは、それなりに何かを話しかけるのだが、息子のほう は何も答えなかった。 父親の姿が見えたりすると、息子は、そのままスーッと姿を消したりし た。 はじめのころは、「何だ、その態度は!」「うるせエ〜」というやり取りもあったが、それもし ばらくすると、消えた。 やがて息子は、お決まりの非行コース。 ときおり外出しては、そのまま何時間も帰ってこなか った。 外泊したこともある。 真夜中に花火をあげて、近所の人に苦情を言われたこともある。 コ ンビニの前でたむろしたり、あるいは友人のアパートにあがりこんで、タバコを吸ったり、ときに はシンナーも吸ったりした。 親子の間は、ますます険悪なものになっていった。 が、そのとき父親は、仕事の過労も重なって、一か月入院。 そのときから、父親のほうに、大 きな心の変化が生まれた。 息子が高校一年生のときだった。 それまでは息子のこととなると、 すぐカリカリしていたが、まるで人が違ったかのように穏やかになった。 「一度は、死を覚悟しま したから」と、母親、つまりその父親の妻がそう言った。 が、一度こわれた心は、簡単には戻らない。 息子は相変わらず非行、また非行。 やがて家の 中でも平気でタバコを吸うようになった。 夜と昼を逆転させ、夜中まで友人と騒いでいることもあ った。 茶パツに腰パン。 暴走族とも、つきあっていた。 高校へは何とか通ったが、もちろん勉強 の「ベ」の字もしなかった。 学校からは、何度も自主退学をすすめられた。 しかしそのつど、父 親は、「籍だけは残してほしい」と懇願した。 ときどき爆発しそうなときもあったが、父親はそうい う自分を必死に押し殺した。 あとになって父親は、こう言った。 「まさに許して忘れるの、根比べ でした」と。 息子は高校を卒業し、専門学校に入ったが、そこは数か月でやめてしまった。 そのあとは、 フリーターとして、まあ、何かをするでもなし、しないでもなしと、毎日をブラブラして過ごした。 母 親のサイフから小づかいを盗んだり、父親の貯金通帳から勝手にお金を引き出したこともあ る。 しかし父親は、以前のようには、怒らなかった。 ただひたすら、それに耐えた。 父親は、息 子の意思でそうしているというよりは、心の病気にかかっていると思っていた。 「これは本当の 息子ではない。 今は、病気だ」と。 そうアドバイスしたのは私だが、この段階で、「なおそう」と考 えて無理をすると、このタイプの子どもは、つぎの谷底をめざして、さらに落ちてしまう。 今の状 態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、対処する。 そうして一年たち、二年がたった。 この段階でも、親子の間は、いつも一触即発。 父親が何 かを言おうとするだけで、ピリピリとした緊張感が走った。 息子は息子で、ささいなことでも、何 でも悪いほうに悪いほうにとった。 しかしそれでも父親はがんばった。 まさにそれは、血がにじ み出るような根比べだった。 「息苦しい状態がつづきましたが、やがて、息子がいても、いなくて も、気にせず、自分たちの生活をマイペースでできるようになりました。 それからは多少、雰囲 気が変わりました」と。 私はいくつかのアドバイスをした。 その一つ、何をしても、無視。 その一つ、「なおそう」と思う のではなく、今の状態を悪くしないことだけを考える。 その一つ、ただひたすら許して、忘れる、 と。 無視というのは、息子が何をしても、気にしないこと。 生活態度がだらしなくなっても、ムダな ことをしても、親の意思に反することをしても、気にしないことをいう。 子どもの存在を忘れるほ どまでになればよい。 今の状態を悪くしないというのは、「今のままでよい」と、あきらめて、それを受け入れることを いう。 ここにも書いたように、この段階で無理をすると、子どもは、つぎのどん底をめざして、ま っしぐらに落ちていく。 「許して忘れる」は、英語では、「フォ・ギブ(与えるため)・アンド・フォ・ゲッツ(得るため)」とい う。 「愛を与えるために、許し、愛を得るために忘れる」ということ。 その度量の広さこそが、親 の愛の深さということになる。 父親はそれに従ってくれた。 そしてさらに一年たち、二年がたった。 息子はいつの間にか、二 四歳になった。 突然の変化は、息子に恋人ができたときやってきた。 父親は、その恋人を心底 喜んでみせた。 家に招いて、食事を出してやったりした。 それがよかった。 息子の心が、急速 に溶け始めた。 穏やかな表情が少しずつ戻り始め、自分のことを父親に話すようになった。 父 親はそれまでのこともあり、すぐには、すなおになれなかった。 しかし息子が自分の部屋に消え たあと、妻と抱きあってそれを喜んだという。 こうしたケースは、今、たいへん多い。 「こうしたケース」というのは、親子が断絶し、たがいに 口をきかなくなったケースだ。 そしてその一方で、子どもは親のコントロールのを離れ、そこで 非行化する。 しかしこれだけは覚えておくとよい。 「愛」があれば、必ず、子どもの心を溶かすこ とができる。 そして子どもは立ちなおる。 で、あとは根比べ。 まさに根比べ。 愛があれば、この 根比べは、必ず、親が勝つ。 それを信じて、愛だけは放棄してはいけない。 ただひたすら根比 べ。 今まで無数のケースを見てきたが、一度だって、この方法で、失敗したケースはない。 どう か、どうか、私の言葉を信じてほしい。 今、その息子は、運送会社で、倉庫番の仕事をしてい る。 母親はこう言った。 「とにかく息子の前では、夫婦で仲よくしました。 そういう姿は、遠慮せ ず、息子に見せました。 息子に安心感を与えるためにです。 それがよかったのかもしれませ ん。 もともと息子の様子がおかしくなったのは、夫に愛人ができたことによる、家庭騒動が原因 でしたから……」と。 子どもはまだ後先のことがわからないから、そのときど きで、あまり考えないで、「やる」とか、「やりたい」とか言う。 しかしあまりそういう言葉は信じな いほうがよい。 子どもが、音楽教室などへ行くのをしぶったりすると、「あんたが行くと言ったか らでしょ。 約束を守りなさい」と叱っている親を、よく見かける。 が、それは酷というもの。 で、慢性的な過負担がつづくと、やがて子どもの心はゆがむ。 ひどいばあいには、バーントア ウトする。 症状としては、気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減退、朝起きられない、自責の念 が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴える ようになるなどが、ある。 もっともこれは重症なケースだが、子どもは、そのときどきにおいて、 ここに書いたような症状を薄めたような様子を見せることがある。 そういうときのコツがこれ、 『負担は、少しずつ減らす』。 たとえば今、二つ、三つ程度なら、おけいこ塾をかけもちしている子どもは、いくらでもいる。 音楽教室に体操教室、英会話などなど。 が、体の調子が悪かったりして、一つのリズムがおか しくなると、それが影響して、生活全体のリズムを狂わせてしまうことがある。 そういうとき親 は、あわててすべてを、一度にやめさせてしまったりする。 A君(小二)がそうだった。 A君は、もともと軽いチックがあったが、それがひどいものもらいになってしまった。 そこで眼 科へ連れていくと、ドクターが、「過負担が原因です。 塾をやめさせなさい」と。 そこで親は、そ れまで行っていた塾を、すべてやめさせてしまった。 とたん、A君には、無気力症状が出てき た。 学校から帰ってきても、ボーッとしているだけ。 反応そのものが鈍くなってしまった。 子どものばあい、突然、負担を大きくするのもよくないが、突然、少なくするのもよくない。 こうい うケースでは、少しずつ負担を減らすのがよい。 おけいこごとのようなものについても、様子を みながら、少しずつふやす。 ひとつのおけいこが、うまく定着したのを見届けてから、つぎのお けいこをふやすというように、である。 そして減らすときも、同じように数か月をかけて、徐々に 減らす。 でないと、たいていのばあい、立ちなおりができなくなってしまう。 A君のケースでは、そのあと、無気力症状が、一年近くもつづいてしまった。 もし負担を徐々 に減らしていれば、もっと回復は早かったかもしれない。 さらにしばらくして、こんなこともあっ た。 以前のような子どもらしい活発さをA君が取り戻したとき、親が、「もう一度……」と、音楽教室 へ入れようとしたことがある。 が、それについては、今度はA君は狂人のようになって暴れ、そ れに抵抗したという。 もちろんそのため、A君は、勉強全体から遠ざかってしまった。 今も、も う、それから数年になるが、遠ざかったままである。 子どもというのは、一見タフに見えるが、その心は、ガラス玉のようにデリケート。 そしてこわ れるときは、簡単にこわれる。 もしそれがわからなければ、あなた自身はどうなのか。 あるいは どうだったかを頭の中に思い浮かべてみるとよい。 あるいはあなたならできるか、でもよい。 た いていその答は、「ノー」である。 「何?」と聞くと、さりげなく、「韓国へ行ってきた」と。 「韓国!」と驚くと、「修学旅行だった」と。 私がはじめて韓国へ行ったのは、一九六八年。 また日韓の間に国交のない時代で、私たち はユネスコの交換学生として、韓国へ渡った。 行きは博多から、船でプサンへ向かった。 その プサンでは、高校生のブラスバンドに迎えられた。 そういう時代と比較するのも、ヤボだが、し かし「修学旅行」とは! そういう話をしていたら、ワイフの料理教室仲間の一人が、ヨーロッパを一周してきたという。 地中海では、ギリシア、イタリアと回って、スペインまで行ったという。 その仲間というのは、今 年六〇歳の女性。 どこか脳の活動が、低調になってきたと噂(うわさ)される女性である。 「(旅 行などして)だいじょうぶだったのか?」と聞くと、「ツアーで、添乗員もいたから」と。 私が留学したころには、たとえば東京、シドニー間の航空運賃だけでも、往復四二万円だっ た。 当時のお金で四二万円である。 大卒の初任給が、やっと四、五万円という時代だから、今 の貨幣価値になおすと、二〇〇万円ということになる。 そういう時代だから、「外国へ行く」とい うことには、それなりの意味があった。 またそれなりの覚悟をもって、行った。 が、今はちがう。 高校生が修学旅行で、そして六〇歳の女性が、ツアーで行く。 そこで私はハタと考え込んでし まった。 私は二〇歳代のころは、毎月のように外国を飛び歩いていた。 毎週、日本と香港、あるいは 台北を往復したこともある。 二四歳のときでも、香港までの往復旅費が一二万円だったと記憶 している。 ちょうど大卒の初任給の二倍だった。 だからそれなりの利益を考えて、仕事をした。 つまり外国へ行くということについて、そもそもの真剣味が違った。 貿易の手伝いをするだけで はなく、情報を集めたり、友人をつくるというのも、大切な仕事だった。 現地の人に積極的に話 しかけ、住所と名前を聞き出す。 そして日本へ帰ってくると、こまめに手紙を出したり、プレゼン トを送ったりした。 長い前置きになったが、私が「ハタと考え込んだ」というのは、この点にある。 問題意識がま るで違う。 冒頭にあげたK君に、「韓国はどうだった?」と聞くと、「日本と変わらなかった」と。 「食べ物は?」と聞くと、「まずかった」と。 いや、K君を責めているのではない。 私の時代とはあ まりにも違うので驚いた。 そこで私はこう考えた。 私は今でも、つまりこの年齢になっても、外国へ行くと、郷里の言葉で言うと、「元(もと)を取 る」ということを、まっ先に考える。 元を取るというのは、投下した資本に見あうだけの、利益を 得るという意味である。 これは私の体にしみついたクセのようなもの。 「利益」といっても、金銭 的なものだけではない。 自分の頭の中を、できるだけひっかき回して帰ってくる。 自分の頭の 中がバチバチと火花を飛ばしてショートするのを感ずるのは、私にとっては楽しい。 いわんや、 観光気分で、のんびりと、ヨーロッパを回るなどということは、私にはできない! そこで改めて、子どもの世界をながめてみる。 子どもを伸ばすためには、というより、子ども 自身が伸びるためには、問題意識がなければならない。 この問題意識をいかにもちつづける か、あるいはもたせるかということが、重要なポイントとなる。 問題意識がなければ、目や耳の 中に飛び込んできた情報は、ただの色や形、音にすぎない。 もしそうなら、お金がもったいない というより、時間がもったいない。 もちろんK君はK君なりに、何かをつかんで帰ってきたのだろ うが、しかし率直に言えば、私の時代とは明らかに違う。 「外国へ行ってきた」という意識そのも のが、はるかに薄い。 それがよいことなのか悪いことなのかは、別にして、若い時代は、もっと 問題意識をもってもよいのではないか。 韓国へ行ってきて、「日本と変わらなかった」というので は、あまりにもさみしい。 しかし、だ。 ワイフにこの話をすると、ワイフはこう言った。 「旅行だもん、いいじゃない。 楽しん でくれば……」と。 なるほど。 しかし私には、どうしてもそういう考え方ができない。 いつも元を取 るということばかり考える。 これも戦後という、あのひもじい時代を生きた人間の後遺症かもし れない。 それにかわって、家族もそれぞれ が対等の人間関係で結ばれるという時代がやってきた。 しかし意識というのは、そうは簡単に は変わらない。 ……変えられない。 今でも、旧世代の中には、親の威厳や権威の重要性を説く 人は多い。 若い人でも少なくない。 中には、武士道や戦前の軍人訓までもちだして、それを説く 人もいる。 こういう人にとっては、日々の子育ては、まさに「孤独との戦い」ということになる。 ある女性(60歳)はこう言った。 「林さん、子どもなんて育てるもんじゃないですよね。 息子は 横浜の嫁に取られてしまいました」と。 その女性は、息子が結婚して、横浜に住んでいること を、「取られた」というのだ。 私はなぜその女性が、そういう心理になるのか、最初は理解でき なかった。 意識のズレというのはそういうもので、意識がたがいにズレているときは、たがいに 理解できない。 あるいはその意識にハマっている人は、自分が正しいと思うあまり、自分と違う 意識をもっている人を否定する。 いや、私も、どちらかというと、その女性に近い年代なので、 その女性の気持ちが、まったく理解できないというわけではない。 中国の若者たちの生活ぶりを伝えていたもの だが、その中の何人かの若者が、こう言っていた。 「私は親に産んでもらい、育ててもらいまし た。 その恩返しをするため、給料の何割かは、親に仕送りをしています」と。 私が驚いたのは、 中国の若者たちが、そういった意識をもっていたことではない。 そのように答える様子が、三〇 年前の自分自身と、まったく同じだったからだ。 実のところ、私はそうだった。 私もそういう意識 にしばられ、今のワイフと結婚する前から、収入の約半分を、毎月実家に仕送りしていた。 だれに命令されたわけではない。 当時としては、それが常識だったが、その経済的負担感と いうより、その社会的重圧感は、相当なものだった。 私も生まれながらにして、父や母に、「産 んでやった」「育ててやった」「大学を出してやった」と、それこそ耳にタコができるほど聞かされ た。 そういうもので自分の体ががんじがらめに、しばられた。 重圧感というのは、それをいう。 が、考えてみれば、これほどおかしな意識はない。 私も三人の息子を育てたが、その過程 で、一度だって、「産んでやった」とか「育ててやった」という意識をもったことがない。 ワイフも 「ない」と言う。 むしろ子どもたちがいたおかげで、どれほど生活が楽しく、潤(うるお)ったこと か。 教えられたことも多い。 感謝することはあっても、感謝されることは何もない。 だいたい子ど もをもうけるについても、私とワイフはいつも相談して決めた。 三人の息子たちが、ちょうど三 年目ごとに生まれたのは、そのためだ。 つまり子どもを産むのを決めたのは、私たちの意思に よる。 そして産んだ以上、育てるのは、親の義務ではないか。 親がいるから子どもがいるという考え方は、観念論に根ざした考え方といってもよい。 一方、 実存的な考え方では、「生まれてみた。 そして父と母を認識した」と考える。 どちらが正しいと か、正しくないとかいうことではない。 ただ親は子どもを選べるが、子どもは親を選べないという こと。 「産んでやった」「育ててやった」と言うのは、親の勝手だが、生まれ出る子どもは、自分 の意思で生まれるのではない。 自分の意思で生まれたのでないのに、生まれたら、「産んでや った」と言われる。 考えてみれば、これほどおかしな話はない。 いや、私も学生時代、よく母に そう反論したことがある。 が、母のそういうときの決り文句は、いつも同じだった。 「そういうバチ あたりのことを、よく言うな!」「産んでやった親に向かって、何てこと言うの!」だった。 私たちはたしかに子どもを産み、子どもを育てる。 しかしそれは子ども自身のためであって、 親のためではない。 あるいは人類全体のためかもしれないが、親のためではない。 また親の ためであってはならない。 理由は簡単だ。 子どもといっても、一人の人間。 決して親の所有物で はない。 モノではない。 そもそも「産んでやる」とか、「育ててやる」とかいう対象ではない。 だか ら、「私の息子」「私の娘」と、「私の……」をつけること自体、まちがっている。 「あなたの人生は、あなたのもの。 たっ た一回しかない人生だから、思う存分、この広い世界をはばたきなさい。 親孝行? ……そん なバカなこと、考えなくてもいい。 家の心配? ……そんなちっぽけなこと、考えなくていい。 あ なたはあなたの人生を、まっすぐ前だけ見て、前に進みなさい」と。 それでこそ親は、親として の義務を果たしたことになる。

次の

2002−10〜

おしり たん てい 最 新刊

2020. 25 2020. 25 2020. 18 2020. 27 2020. 31 2020. 26 2020. 18 2020. 19 2020. 14 2019. 10 (終了しました)2019年12月に毎週末ららぽーと立川立飛でゾロリの「なぞときスタンプラリー」が開催中! 2019. 10 2019. 29 2019. 15 2019. 13 2019. 16 2019. 05 2019. 04 2019. 04 2019. 03 (終了しました)都内34の公園で楽しめるアプリ「TOKYO PARKS PLAY」のコラボキャンペーン第2弾開催中! 2019. 07 2019. 17 2019. 24 2019. 15 2019. 05 2019. 08 2019. 14 2019. 31 2018. 28 2018. 18 (終了しました)まだまだゼッコーチョー!全国巡回中「かいけつゾロリ大冒険展」in 宮崎山形屋 2018. 14 2018. 12 (終了しました)ゾロリのスタンプラリーがららぽーと立川立飛で開催! 2018. 12 2018. 04 2018. 29 2018. 29 2018. 29 2018. 28 2018. 10 2018. 06 2018. 09 2018. 02 2018. 02 2017. 26 (終了しました)本日スタート! かいけつゾロリ大冒険展がジェーアール名古屋タカシマヤで開催。 2017. 05 (終了しました)年末年始は名古屋で開催! かいけつゾロリ大冒険展 2017. 27 2017. 24 2017. 22 2017. 23 (終了しました)ゾロリがPR大使に就任!東北道30周年記念キャンペーン 2017. 12 2017. 10 (終了しました)ケンタッキーのスマイルセットにゾロリが登場! オリジナルグッズがもらえます。 2017. 05 2017. 05 『かいけつゾロリの かいていたんけん』発売記念 原ゆたか先生サイン会開催続々決定! 2017. 05 (終了しました)「ゾロリの夏休みは本屋さんへいこう!」(企画:株式会社トーハン)特設ページ 2017. 26 2017. 21 30周年新刊発売記念、第1弾、原ゆたか先生サイン会開催! 2017. 24 2017. 13 2017. 13 2017. 2017. 13 2017. 10 「かいけつゾロリ」30周年記念映画 2017年冬に公開決定! 2017. 06 2017. 31 2016. 08 かいけつゾロリと年賀状をつくろう!「ネットで年賀状」、「スマホで年賀状」、LINE年賀状「ぽすくま」に登場!! 2016. 01 (終了しました)みんなを守る「かいけつゾロリ保険」できました。 この保険は、ほっとけーん! 2016. 01 2016. 25 2016. 16 2016. 11 おかげさまで、2017年で30周年!「かいけつゾロリ30周年フェア」読んだら、もらえる!応募者全員サービスのお知らせ! 2016. 14 ハロウィンイベント「ジャック・オー・ランド」に、かいけつゾロリの出演決定! 10月29日30日に横浜アリーナで開催です。 2016. 11 2016. 08 三陸鉄道に今年もゾロリがやってくる! 特製ラッピングゾロリ列車&ツアーイベントを開催します。 2016. 01 2016. 24 2016. 01 2016. 01 「かいけつゾロリ」実写版が遂に始動!ゾロリが本物のキツネに!? 2016. 18 2016. 09 2015. 24 (終了しました)かいけつゾロリから、クリスマスプレゼントをおとどけするぜ! 2015. 01 2015. 01 2015. 20 ゾロリが見つかると信じて、実施決定!!原ゆたか先生サイン会 2015. 19 2015. 13 2015. 01 2015. 15 映画かいけつゾロリ公開中! シルバーウィークは映画館へGO!! 2015. 08 お笑いコンビFUJIWARAが応援団長として登場! 映画かいけつゾロリ公開を記念し、完成披露試写会が行われました。 2015. 22 2015. 16 2015. 13 キャラクター紹介 [かいけつゾロリ]いたずらの王者をめざし、しゅぎょうの旅をつづけるキツネ。 しっぱいしてもいつも前向きで、へんそうと発明がとくい。 [ゾロリママ]ゾロリがちいさいころ、天国にいってしまったやさしいママ。 ゾロリにはみえないけれど、いつもそばでみまもってくれている。 [イシシとノシシ]ゾロリをそんけいし、でしとしていっしょに旅をしているイノシシのふたご。 イシシがおにいちゃんで、ノシシがおとうと。 [ようかい学校の先生]こわがられなくなったせいとたちのじしんをとりもどすため、ときどきゾロリにそうだんにくる。 ゾロリのことをそんけいしている。 [ブルル社長とコブル]ブルル食品の社長のブルルと、社員のコブル。 わるぢえをつかって、大もうけしようとたくらんでいる。 ゾロリも、なんどもだまされた。 [なぞの赤いひこうき]ゾロリが小さいころに、ゆくえふめいになったパパがのっていたひこうきににている。 ゾロリのまわりをとんでいることがおおく、もしかしたら、パパ?.

次の