強くなって守りたい仲間がいるから。 人は何か守るものができたとき、強くなれるような気がした。

井上康生さん「勝敗という概念を超えた価値がインハイにはある」 「2020インターハイ」中止の危機を救え!高校生の熱い夏を守りたい(公益財団法人 全国高等学校体育連盟 2019/10/23 投稿)

強くなって守りたい仲間がいるから

残り6時間となりました。 本日の23時終了ですが、その時間まで残りの時間もでき得る限りの手を尽くしてインターハイの現状や意義を発信していきます。 どうかあと少し、情報拡散やご支援等で皆様のお力を貸してください。 シドニーオリンピックではオール一本勝ちで金メダルを獲得した井上康生さんに、高校時代のインターハイ出場の話や、困難の乗り越え方、指導者としての信念など、様々な切り口からお話をお伺いしました。 ぜひご一読ください。 私は、「柔道で強くなって、日本一・世界一を目指したい」という想いを持って宮崎県から神奈川県の東海大学付属相模高校に進学しました。 小中学校でも全国大会出場経験がありましたから、自分自身が誰よりも強くなってオリンピックでメダルを取りたいという思いは確かにその頃からありました。 ただ、インターハイで活躍した選手が世界に羽ばたいていく例はたくさんありますから、そういう点では非常に意識していた部分はありました。 東海大相模では、幸運なことに1年生からインターハイに出場させていただいて、先鋒として大役を任された団体戦では優勝しました。 2年生の時には、個人戦でオール一本勝ちでの優勝でした。 しかし、3年生では個人・団体共に県大会で敗れてしまいインターハイ出場が叶わず悔しい思いをしました。 「世界一」というのが具体的に目の前にひらけたきっかけがインターハイ優勝という出来事でしたし、挫折や苦悩を味わって成長できたのもインターハイという目標に届かなかった経験があったからこそだと思います。 実際に3年生の時の悔しさは、大きな情熱と努力に繋がり、全日本ジュニア大会などでの優勝へ導きました。 本当にインターハイがあったからこそ今の自分があると思いますね。 インターハイというのは、出場することも難しいし、勝つことも難しい。 だからこそ最大限の努力を発揮することができる。 目標や夢があるからこそ全力で練習に励むことができると思います。 練習を共にする仲間、恩師、家族に支えられながら成長できるというのは他にはない大きな経験になりますよね。 私にとって、誰よりも家族が理解者であり応援者でもありました。 特に母親はビデオカメラを片手に、いろんな大会に来てくれていましたね。 インターハイ1年目が富山、2年目が神戸、他の大会でも全国どこへでも応援に駆けつけてくれました。 母親は、私が21歳の時、シドニーオリンピックで優勝する前年に亡くなりましたが、常に私の1番のサポーターでした。 高校の先生から「今までの選手たちには『やれ』という言葉は伝えていたけど、『やめろ』と伝えたことがあるのはお前が初めてだ」と言われるくらい、稽古に打ち込んでいましたね。 全体の稽古が終わっても残って練習して、夜もトレーニングに行って、周りから本当に異常なやつだと思われるくらい、高校時代は特にやり込みました。 柔道を大好きでしたし、世界の頂点に立つんだという気持ちが、 「人が一本休んでいる間に自分は一本多くやる」といったことに自分をとにかく駆り立てていました。 井上康生さんのように人一倍努力できることが最重要ですか。 様々だと思います。 とてつもなく練習をできる選手は、誰が見てもわかりやすく強くなる。 しかしその3分の1の練習量で強くなる選手もいるんですよね。 そういうタイプは洞察力や分析力などの能力に秀でていることがある。 抜群に身体能力が高い選手もいますし、逆に身体能力はないけど人の意見にも耳を傾けてそれを着々と実戦で積み上げて力にできる選手もいます。 他の競技は正直わからないですが、 柔道は持てる能力を幅広く活かして勝ち上がっていけるところが面白いと思います。 今は情報化社会で、一流の選手の戦い方が簡単に手に入りますよね。 検索すれば動画サイトですぐに出てきますから、視覚から吸収したことを先生に聴きながら実践できるので、覚えは早いと思います。 それで若い十代の選手たちも活躍できる時代になってきています。 しかし、技ばかりに頼っても、逆に力に偏っても、勝ち続けることはできません。 技術とトレーニング、質と量のバランスが重要であることを伝えています。 私が大切にしているのは3つで、1つ目が、誰よりも強くなりたい、日本一になりたいという「熱意」。 誰よりも強く自分自身を信じること。 2つ目は、困難な状況であっても、考え抜いて工夫をすることをやめない「創意」。 最後が、自分が日々練習できる環境にあることへの感謝を仲間や先生、親に対して忘れないで熱心に取り組む「誠意」。 「熱意、創意、誠意」という「三意の精神」を大事にしています。 幼い頃から三意を明文化して自分の中に持っていたわけではないのですが、「精力善用 自他共栄」の精神を重んじる柔道を通じて、自然に身についたと思います。 他に私自身が指導者として大事にしている理念が、 「最強かつ最高の選手の育成」です。 どんな相手をも打ち破り頂点に君臨できる選手であり、且つ、規律や相手を慮る心を持つことができる選手であること。 強ければ何でもいいという訳ではもちろんないです。 指導者として、柔道を通じて柔道界ひいてはスポーツの世界、さらにその先にある社会にどう貢献していくことができるかを考えています。 私の場合、大学生の時にシドニーオリンピックで金メダルをとったあと、アテネオリンピックで負けるんですよ。 またそこから4年後、北京オリンピックに出場するまでの道のりもそれまでとは違いました。 今まで勝てていた相手に勝てなくなったり、かかっていた技がかからなくなるというような苦しい状況を非常に味わいました。 日々は変化していますし、何があっても現状を受け止めるしかないかなと思います。 その上で、 自分自身の原点に戻ることは意識しました。 自分はどういう人間なのか、どんな選手になりたいのか、目指す柔道は何か。 感覚だけでは壁に当たった時の対処法は見出せないですから、そうやって意識的に紐解いて一つ一つ修正していくんです。 正直言って、インターハイで終わる子もいると思うんです。 結果に関わらず競技を続けるか否か迷う子もいる。 ただ、 目の前のことには必ず全てを出し切って、いい意味で泥臭く、青春をかけてもらいたいです。 やりきった先に、初めていろんな世界が開かれると思います。 長期的な視点を持つことも大事ですけど、未来の選択肢はその瞬間を大事にしているからこそ見えてくるものですから、それは忘れずに迷わず全力で日々戦ってもらいたいと思います。 インターハイは、各開催地が協力し、大勢のボランティアを含めた人たちが情熱を注ぎ、手作りとまでは行きませんが本当に一人一人がたくさんの汗をかいて運営してくれている有難さがありますよね。 規模が違うかもしれませんけど、来年の東京オリンピックと同じような感覚を毎年味わえるというのは、高校生たちが競技者としても人間としても、大きく成長できたりいろんな学びや気づきが生まれたりする大会だと感じています。 行政や大きな組織だけに頼るのではなくて、民間というか一人一人と一緒につくれる環境というのは必要だと思いますね。 負担が偏ってしまうとどんどん開催地域が手を挙げにくくなってしまう。 スポーツやスポーツを通じたイベントはたくさんの人々の支えがあって成り立つもので、ただ「勝ち負け」だけを切り取ってしまうと、本質を理解するのも難しくなってしまいます。 スポーツが若い人たちにとって価値あるものであることを、世の中からより認識されるようになってほしいですね。 インターハイには、運営面で頑張る地域住民や学生、選手を支える家族や仲間、恩師の存在、練習を通じて得られる成長など、勝敗という枠を超えて幅広い視野で見てもらうことができれば、この大会にも改めて大きな価値が認められるのではないかと思います。 宮崎県出身。 柔道六段。 5歳から柔道を始め、東海大学付属相模高校では、全国高校選手権で個人・団体ともに優勝を果たし、3年生時には山下泰裕以来の高校生での全日本選手権出場という快挙を達成する。 東海大学へ進学後、99年のバーミンガム世界選手権に初出場して初優勝し、翌2000年のシドニーオリンピック100kg級では見事金メダルを獲得した。 その後、全日本選手権と世界選手権をともに3連覇し、04年のアテネオリンピック100kg級にも出場。 その他にも、全日本選抜体重別選手権や講道館杯、嘉納治五郎杯などの大会で数々のタイトルを持つ。 卒業後は綜合警備保障に所属し活躍を続けるが、08年の全日本選手権への出場を最後に現役を引退。 指導者の道を選び、スコットランドで2年間の留学生活を経験。 11年3月に綜合警備保障を退職し、4月からは東海大学体育学部武 道学科専任講師(現在:准教授)、東海大学柔道部副監督に就任する。 12年11月に全日本柔道男子監督に就任し、リオテデジャネイロ・オリンピック大会では日本男子代表の全階級がメダルを獲得するという快挙を達成した。

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GONG WANIMA 歌詞情報

強くなって守りたい仲間がいるから

ここ7年間は研究費を捻出しているものの原価改善で吸収していた しかし、この4年間で販売台数をリーマン・ショック前のレベルまで挽回。 同時に研究開発し、設備投資費を低減して固定費を圧縮し、2013年3月期は為替が1ドル83円の超円高にもかかわらず1兆3208億円の営業利益を確保。 しかし、出血を止めるだけでは本当の意味での体質強化にはなっていなかった。 体重を落としただけで、必要な筋肉まで落としてしまった時期だった。 そこでこの7年間は「もっといいクルマ作り」を加速させるための投資や、CASE対応により固定費が増加したが、原価改善などで吸収しながら体質強化を行なってきた。 しかし最初の3年間は、意志ある踊り場として真の競争力強化を目指したが、思うような成果を得られなかったと吐露。 この時、最大の課題は長い年月で社員に根付いてしまった「トヨタは大丈夫」という意識と、その意識からくる仕事への取り組みだと気づいたが、平時の改革の難しさにもぶつかったという。 そのトヨタらしさを取り戻すためには、副社長廃止をはじめとした役員組織体制の抜本的な見直し、労使・従業員との本気・本音でコミュニケーションを取るなど、これまでの常識を壊すところから始められた。 もちろんこの変革に対して社内外から「そこまでしなくても」という声もあったが、理想の形で次世代にタスキを渡したいという思いでやり続けた。 次の世代からは未来に時間を使ってほしい。 過去を振り返るのは自分で最後にしたい、というのが豊田社長の理念だという。 特に未来への種まきには思い入れがあり、アライアンスによる仲間づくりを積極的に推進。 資本関係で傘下に収めるのではなく「志を同じくする仲間」をリスペクトしながら、仕事を通じて連携する。 トヨタグループとしても「ホーム&アウェイ」戦略と考えを改め、ともに強くなる方法に切り替え、モビリティカンパニーへの変革に向けて、古いセオリーから脱却し、新時代の新しいトヨタのセオリーを構築していくことを目指すとしている。 その結果として、コロナ危機との闘いである2021年3月期の見通しは、販売台数195万台と20%減にはなるものの、営業利益は5000億円の黒字を確保できると算出。 「この数字を達成できれば、これまでの企業体質を強化してきたことがうまくいった結果だと言えると思う」と明かした。 トヨタがずっとこだわり続けていること 続いて豊田社長はトヨタが長年ずっとこだわっている「国内生産300万台体制の死守」について言及した。 どんなに経営環境が厳しくなっても、日本にはモノ作りが必要であり、競争力を磨く現場が必要であるという信念で、石にかじりついて守り続けてきたという。 もちろんこれはトヨタだけを守るのでなく、関わりのあるサプライチェーンの雇用と日本の自動車産業の技術者も守ることにつながると考えているという。 今回の新型コロナウイルスの感染拡大において、世界中で必要なものが必要な時に手に入らないという事態に陥ったが、豊田社長は知人からそれを「マスク現象」と聞いたという。 「よりよいモノをより安く作る」ことはモノ作りの基本だが、安さだけを追求することの危うさを危惧。 モノ作りの本質は人作りであり、人はコストではなく改善の源で、それがモノ作りを成長・発展させる原動力であるとした。 自動車業界だけで日本の就労人口の約1割を占めている。 また人工呼吸器のような自分たちで作れないようなものは、TPSを活用して生産性向上を支援した。 こういった動きをすぐに取れるのは、モノ作りにこだわってきたからで、それは毎年300万台を作ることではなく、世の中が困ったときに必要なものを作れる、そんな技術と技能を習得した人財を守ってきたのだと豊田社長は言う。 もちろん、それを守り続けること、やり続けることは決して簡単な話ではないとして「今の世の中、『V字回復』ということがもてはやされる傾向があるような気がしております。 雇用を犠牲にして、国内でのモノづくりを犠牲にして、いろいろなことを『やめること』によって、個社の業績を回復させる。 それが批判されるのではなく、むしろ評価されることが往々にしてあるような気がしてなりません。 『それは違う』と私は思います。 企業規模の大小に関係なく、どんなに苦しい時でも、いや、苦しい時こそ、歯を食いしばって、技術と技能を有した人財を守り抜いてきた企業が日本にはたくさんあります。 そういう企業を応援できる社会が、今こそ、必要だと思います。 ぜひ、モノづくりで、日本を、日本経済を支えてきた企業を応援していただきますようお願い申し上げます」と結んだ。 最後にもっとも大切だと考えていること ここまでトヨタが強くなってきた話をしてきた豊田社長だが、実は強い企業にしたいと思ったことは1度もなく「世の中に人々から頼りにされ、必要とされる企業になりたい」と考えて舵を取ってきたという。 大切なのは、何のために強くなるのか? どのようにして強くなるのか? で、世の中の役に立つため、世界中の仲間と、ともに強くなりたいと考えてきたのだという。 「池のまわりを散歩していると、鳥や亀や魚が忙しそうに動き回っている。 人間以外の生き物はこれまで通りに暮らしている。 人間だけが右往左往している。 人間が主人公だと思っている地球という劇場の見方を変えるいい機会かもしれません」という手紙を豊田社長はゴールデンウイーク中にもらったとのことで、同感したという。 そしてこれからは、地球や社会やステークホルダーと共に生きていく。 ホームプラネットの精神で企業活動をしていくこと。 今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなった今、当たり前のものなど何1つなく、どこかで誰かが頑張ってくれているおかげなんだと気づかされたという。 人類はお互いに「ありがとう」と言い合える環境を作り、企業も人間もどう生きるかを真剣に考え、行動を変えていく大きなラストチャンスを与えられているのかもしれないと語った。 そのために役に立てることは何でもするつもりだと、固い決意で締めくくった。

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人は何か守るものができたとき、強くなれるような気がした。

強くなって守りたい仲間がいるから

GONG 作詞 KENTA 作曲 KENTA 唄 WANIMA 広い海を今日も進む 信じた思いが旗を掲げて まだ知らない世界の先に きっと繋がる未来を描いて 近道なんてもったいない これからも冒険は続くのでしょう いつも胸の中で笑う声が 迷う心をとばして 振り返れば近くにいる どんな時も恐れず舵を切って 他の誰かには譲れない これからも挑戦は続くのでしょう 嵐の夜に弱さを知れば 一人じゃ何も出来なかった 言葉はいらない 疑いもしない 涙一つ見せない あの日を超えるまで 誰にも奪えない真っ赤な炎 命ある限り 生き抜いた先に 見つけ 手に入れたいもの 出逢えた喜びが気付けば 誇りになっていたこと それぞれの夢が一つに繋がる 旅はまだ途中だろう 募る想い強く動く鼓動 生まれてきたこと 恨んでいた時も あったけれど 沈んだ毎日温もりをくれた今でも忘れない 強くなって守りたい仲間がいるから 狙い定め ためらうことなく ただド真ん中を 運命のイタズラ 激しい渦の中 受け継ぐ意志が遠退いていく ギリギリでひたすら 本気以外中途半端だ 重ねた日々が繋がっている 決意の朝に覚悟を決めた 涙一つ見せない あの日を超えるまで 誰にも奪えない真っ赤な炎 約束の場所で待っている頃 命ある限り 生き抜いた先に 見つけ 手に入れたいもの 出逢えた喜びが気付けば 誇りになっていたこと それぞれの夢が一つに繋がる 旅はまだ途中だろう 募る想い強く動く鼓動 生まれてきたこと 恨んでいた時も あったけれど 例えば世界を敵に回してもかまわない 守り抜くんだよ 自由だって 見てみたい明日があるから 狙い定め ためらうことなく ただド真ん中へ 見に行こう Hey!! まだ知らぬ町へ 見に行こう Hey!! 仲間を増やして? に行こう Hey!! もっともっと 逢いに行こう Hey!! 生まれた町まで 逢いに行こう Hey!! 久々宴だって 逢いに行こう Hey!! All Rights Reserved 「 」では、著作権保護の観点より歌詞の印刷行為を禁止しています。 WANIMAさん『GONG』の歌詞をブログ等にリンクしたい場合、下記のURLをお使いくださいませ。 或いは、下記タグをコピー、貼り付けしてお使いください。 WANIMAさん『GONG』の歌詞 ゴング words by ケンタ music by ケンタ Performed by ワニマ.

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