浜崎あゆみ オールナイトニッポン。 浜崎あゆみ と 松浦勝人

浜崎あゆみって歌が下手になっちゃったんですか?友達が言って...

浜崎あゆみ オールナイトニッポン

ぼくが浜崎あゆみのCDを始めて買おうと思ったのは、彼女がテレビ番組で 「A Song for XX」という曲を歌っているのを聞いたのがきっかけだった。 浜崎あゆみがすごかったというのは本当か? ・A Song for XX ・浜崎あゆみのオールナイトニッポンの内容 ・いつか人を信じられるように ・「氷脈の城」 ・人を信じることっていつか裏切られ この時の彼女は初のベストアルバム「A BEST」の宣伝に精を出していた。 その一環として、TV番組で集中的にこの歌を歌っていた。 この歌は彼女の1stアルバム「A Song for XX」のタイトル曲だったが、思い入れの強い曲ということで「A BEST」の一曲目に収録されていたし、「A BEST」の宣伝としても大いに活躍していたようだ。 この頃の彼女(SEASONS〜Dearestあたりくらいまで)の声がぼくは最も好きだった。 悲痛で、苦しそうで、まるで泣くように歌っているみたいだと思った。 そんな声が、絶望的な歌詞の意味を余計に駆り立てて説得力を持たせていた。 そして容姿的にも最も洗練されていた時期であるように思う。 さらにはこの時代の孤独を極めた歌詞を、ぼくは愛していた。 つまり、どれをとってもこの時代の彼女は、ぼくの中で美しさの頂点を極めていた。 そんな時代の彼女が「A Song for XX」を歌う姿は衝撃的だった。 まずその歌詞に感銘を受けずにはいられなかった。 その内容を書き起こしてみようと思う。 ナレーション『目を閉じると、ラベルのはげ落ちた黄色いカセットテープが見えた。 少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの楽しげな会話。 多分、何かの童話だったように思う。 そして、物語が終盤にさしかかったころ、一緒に聞いていたはずの母親の姿が見えない。 庭先で響いたクラクションに、窓の外をのぞくと、そこにはボストンバッグをかかえ、玄関を出ていく男の背中を見送る母親の姿があった。 これが、彼女の中にある、最も古い記憶だ。 1978年10月2日。 福岡で生まれた、浜崎あゆみ。 小さい頃から人見知りが激しく、他人とコミュニケーションを取るのが、苦手な子供だったという。 彼女を理解するには、彼女にとってたった一人の家族だと言える、彼女の母親について話しておくべきだろう。 彼女の母親は、母親である事よりも、一人の自分として生きている女性だった。 保育園に娘を迎えに来るのは、どの母親よりも遅いくせに、若さと派手さにかけては、どの母親よりも上。 ある意味で、それは自分勝手な母親と言えるのかもしれない。 しかし、娘である浜崎あゆみにとって、彼女は、最初から、母親でも家族でもなく、「マミー」という、まったくオリジナルの存在だった。 手料理を食べたこともない。 一緒に眠ったこともない。 ましてや、寝物語に童話を読み聞かせるなどという、どこの子供にもあるような当たり前の風景も、浜崎あゆみとマミーの間にはない。 浜崎は言う。 「マミーはいつも泣いていた。 でも、どうして泣いているかを尋ねたことは、一度もない」という。 お互いに、たった一人の家族でありながら、そういう絆を、どちらからともなく拒否してきた浜崎あゆみとマミー。 常に一定の距離を保っての生活の中で、彼女は学んだ。 「一人きりで生きていく」ということを。 「知らない方がいいこともある、知っちゃいけないこともある」ということを…。 ところで、彼女は父親の顔を知らない。 もちろん、母親に、家にいない父親についての何かを尋ねたことなど、一度もない。 でも、浜崎あゆみは知っている。 彼女の中にある、一番古い記憶。 あの日、黄色いカセットテープを聞きながら、窓の外に見た風景こそ、両親が離婚する瞬間だったのだということを。 マミーが黙って見送った男性こそ、自分の父親なのだということを。 そのことに気付いてから、彼女は来る日も来る日も無機質な子供部屋で、一人、あの黄色いカセットテープの中の物語を、繰り返し聞いたという。 少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの、楽しげな会話。 しかし、あれほど聞いたはずなのに、今では、あの物語がどういうものだったのか、まったく思い出せない。 浜崎あゆみが、その小さな手で、何度も何度もラジカセのスイッチを押しながら、繰り返し、聞いていたものは、一体、何だったのだろう。 もしかすると、彼女はその答えを探し続けながら、今日も一人きりで歌い続けているのかも知れない』 浜崎あゆみ「えー、今、聞いていただいたのはですね、あゆの子供の頃のことなんだけど、みんな、どう思ったかなぁー?と思うんですけど。 別に、あのー、ドラマチックにしようと思ってとかね、そういうのは全然なくて。 あの、正直に、こっちのスタッフの方に、お話しして、みなさんが作っていただいたテープなんですけれどね。 まぁよくあるバラ珍みたいなトーンだよね。 そういうドキュメンタリーのような感じって言われるんだけど、あゆにとっては、別に、これが、すごく普通で、お父さんがいないっていうこととか、うちの両親が離婚したっていうことは、特別な事だとは思ってなくて、すごく普通なことだと受け止めてきてて。 で、うちの母親の歳もね、あゆは知らなくて。 マミーに、『今、いくつなの?』って聞いたこともないし、多分、聞いても、彼女は、『えー、あたし、25』とか、多分、そんな感じで返してくると思ってるから、聞いたことないんだけど。 格好もすごく派手でねぇ、みんなによく『お姉さんですか?』って言われるような外見の人で。 すごく、自分勝手に生きてて、良く言えば、すごく自由に生きてる。 あゆっていう娘がいることを、忘れてるのか、気にしないようにしているのかわかんないけど、すごく自由に、一人の女性として生きてるって感じがして。 あゆにとってはね、この20年間、「お母さん」っていう風に感じたことはなくて、いつも、「マミー、マミー」って呼んでて。 それは、名前が「まゆこ」っていうからっていう理由からでもあるんだけど、「マミー」って呼んでたのね。 で、マミーをね、すごく、あの、あゆの面倒とかを見たり、自分の親の面倒を見たりとかする人じゃなかったんだけど、その代わり、あゆが、すごく悪いことをしたり、すごくいいことをしたりした時に、怒らないし、ほめない。 ほんとに何も言わなかった。 だから「あ、あゆも自由にやっていいんだな」って、だから、あの人はあの人で「自由に生きてるんだなぁ」と思ってたし、そう解釈してたのね。 で、中学の時にね、あゆがあんま学校に行ってなかったのね。 で、普通に言えば、まぁ何だろうな?学校にあんまり来ない子。 ヤンキーだったり不良だったりするのかな?別にそこまでいってたつもりはないんだけど、先生から家に電話があって。 ちょっと浜崎さんね、最近学校来ないんで、なんとかしないといけないってんで、うちの親が呼び出しかかったんだけど、うちの親はね『じゃわかりました。 すぐ行きます』って言って、電話切ったのね。 しばらくすると、あゆが職員室で待ってるじゃない。 そうすると、うちの担任の電話が鳴るのよ。 そしたら、うちの親がね『すいません、私、おなか痛くなっちゃって行けないの。 ごめんね』って言って、電話切っちゃったんだって(笑)。 そんで、『お前のお母さんはね、どうなってるのかわかんないけど、お前もかわいそうだな、大変だな』って言うのよ、うちの担任が。 それが何か、妙にくやしくてね「あんたうちの母親の事知らないくせに、なんなのよ」と思って、くやしかったんだけど、まぁ別に、そんなマミーをあゆは、腹が立つとも思った事はなくて。 確かに、周りの人はすごく色んな事言った。 うちの隣に住んでたおばさんとかね、同じマンションの人とかは、ほんとに、あそこのね、子供とは付き合うのやめなさいとか、すごく言われて、転校させられそうになった事も、何度もあったの。 『友達になるのやめなさい』って言われて。 それを、あゆは悲しいと思った事もないし、そう言われて友達でいるのをやめようと思う人がいるなら、それでいいと思ったし。 それを悲しいと思った事はなかったけど、あゆは、何だろう……マミーが、そういうね、マミーがそういう態度を取っている事によって、あの人はあの人なりに、一生懸命、きっとそういう孤独な愛情の中で育ってきた人なんだと思ったし、あゆに対しても、私は、あゆのことは何も干渉しないよって、私は自由に生きていくし、その代わりあなたも自由に生きていきなさいって、あなたが何かをした時は、あなた自身が責任を取りなさいって言われてるような気がしたから、すごくあの人の生き方に納得ができてて。 最近、もう、全然会わないし、話したりもしないんだけど。 でも、すごく、いろーんな意味で、今になってみれば、この年になってやっとね、私はあの人から学んだ事が、すごく多いし、浜崎まりこという、一人の女性として、私は20年間、あの人を見て生きてきて、あたしはこんな風な人間になりたくないと思ったし、あたしはこの人と同じような間違いはおかしたくないと思ったし、そういう意味で、母親から学んだ事はすごく多くて。 ごめんね、鼻声で。 好きな所も、嫌いな所も、はっきり言って、ひとつもなくて、それは多分、あの人を一人の人間として見たこともないからだと思うんだけど。 まっ聞く人は、分かる人には分かると思うんだけど、今、話した本人のことをね、あゆなりに、「詞」にしてみましたので聞いて下さい。 ・いつか人を信じられるように ぼくは当時「A Song for XX」の歌詞を、いつもこう変えて心の中で歌っていた。 人を信じて自らの心を打ち明けたなら、人に裏切られるという思いがずっとあったのだ。 そしてきっとそれは、今なお存在しているのかもしれない。 生まれながらの運命や宿命は、そう簡単に変えられるものではない。 それは容易いことではないかもしれない。 困難を極めるだろう。 けれど彼女が歌っている歌詞のように、前へと進んでいくしかないのだろう。

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浜崎あゆみ と 松浦勝人

浜崎あゆみ オールナイトニッポン

ぼくが浜崎あゆみのCDを始めて買おうと思ったのは、彼女がテレビ番組で 「A Song for XX」という曲を歌っているのを聞いたのがきっかけだった。 浜崎あゆみがすごかったというのは本当か? ・A Song for XX ・浜崎あゆみのオールナイトニッポンの内容 ・いつか人を信じられるように ・「氷脈の城」 ・人を信じることっていつか裏切られ この時の彼女は初のベストアルバム「A BEST」の宣伝に精を出していた。 その一環として、TV番組で集中的にこの歌を歌っていた。 この歌は彼女の1stアルバム「A Song for XX」のタイトル曲だったが、思い入れの強い曲ということで「A BEST」の一曲目に収録されていたし、「A BEST」の宣伝としても大いに活躍していたようだ。 この頃の彼女(SEASONS〜Dearestあたりくらいまで)の声がぼくは最も好きだった。 悲痛で、苦しそうで、まるで泣くように歌っているみたいだと思った。 そんな声が、絶望的な歌詞の意味を余計に駆り立てて説得力を持たせていた。 そして容姿的にも最も洗練されていた時期であるように思う。 さらにはこの時代の孤独を極めた歌詞を、ぼくは愛していた。 つまり、どれをとってもこの時代の彼女は、ぼくの中で美しさの頂点を極めていた。 そんな時代の彼女が「A Song for XX」を歌う姿は衝撃的だった。 まずその歌詞に感銘を受けずにはいられなかった。 その内容を書き起こしてみようと思う。 ナレーション『目を閉じると、ラベルのはげ落ちた黄色いカセットテープが見えた。 少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの楽しげな会話。 多分、何かの童話だったように思う。 そして、物語が終盤にさしかかったころ、一緒に聞いていたはずの母親の姿が見えない。 庭先で響いたクラクションに、窓の外をのぞくと、そこにはボストンバッグをかかえ、玄関を出ていく男の背中を見送る母親の姿があった。 これが、彼女の中にある、最も古い記憶だ。 1978年10月2日。 福岡で生まれた、浜崎あゆみ。 小さい頃から人見知りが激しく、他人とコミュニケーションを取るのが、苦手な子供だったという。 彼女を理解するには、彼女にとってたった一人の家族だと言える、彼女の母親について話しておくべきだろう。 彼女の母親は、母親である事よりも、一人の自分として生きている女性だった。 保育園に娘を迎えに来るのは、どの母親よりも遅いくせに、若さと派手さにかけては、どの母親よりも上。 ある意味で、それは自分勝手な母親と言えるのかもしれない。 しかし、娘である浜崎あゆみにとって、彼女は、最初から、母親でも家族でもなく、「マミー」という、まったくオリジナルの存在だった。 手料理を食べたこともない。 一緒に眠ったこともない。 ましてや、寝物語に童話を読み聞かせるなどという、どこの子供にもあるような当たり前の風景も、浜崎あゆみとマミーの間にはない。 浜崎は言う。 「マミーはいつも泣いていた。 でも、どうして泣いているかを尋ねたことは、一度もない」という。 お互いに、たった一人の家族でありながら、そういう絆を、どちらからともなく拒否してきた浜崎あゆみとマミー。 常に一定の距離を保っての生活の中で、彼女は学んだ。 「一人きりで生きていく」ということを。 「知らない方がいいこともある、知っちゃいけないこともある」ということを…。 ところで、彼女は父親の顔を知らない。 もちろん、母親に、家にいない父親についての何かを尋ねたことなど、一度もない。 でも、浜崎あゆみは知っている。 彼女の中にある、一番古い記憶。 あの日、黄色いカセットテープを聞きながら、窓の外に見た風景こそ、両親が離婚する瞬間だったのだということを。 マミーが黙って見送った男性こそ、自分の父親なのだということを。 そのことに気付いてから、彼女は来る日も来る日も無機質な子供部屋で、一人、あの黄色いカセットテープの中の物語を、繰り返し聞いたという。 少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの、楽しげな会話。 しかし、あれほど聞いたはずなのに、今では、あの物語がどういうものだったのか、まったく思い出せない。 浜崎あゆみが、その小さな手で、何度も何度もラジカセのスイッチを押しながら、繰り返し、聞いていたものは、一体、何だったのだろう。 もしかすると、彼女はその答えを探し続けながら、今日も一人きりで歌い続けているのかも知れない』 浜崎あゆみ「えー、今、聞いていただいたのはですね、あゆの子供の頃のことなんだけど、みんな、どう思ったかなぁー?と思うんですけど。 別に、あのー、ドラマチックにしようと思ってとかね、そういうのは全然なくて。 あの、正直に、こっちのスタッフの方に、お話しして、みなさんが作っていただいたテープなんですけれどね。 まぁよくあるバラ珍みたいなトーンだよね。 そういうドキュメンタリーのような感じって言われるんだけど、あゆにとっては、別に、これが、すごく普通で、お父さんがいないっていうこととか、うちの両親が離婚したっていうことは、特別な事だとは思ってなくて、すごく普通なことだと受け止めてきてて。 で、うちの母親の歳もね、あゆは知らなくて。 マミーに、『今、いくつなの?』って聞いたこともないし、多分、聞いても、彼女は、『えー、あたし、25』とか、多分、そんな感じで返してくると思ってるから、聞いたことないんだけど。 格好もすごく派手でねぇ、みんなによく『お姉さんですか?』って言われるような外見の人で。 すごく、自分勝手に生きてて、良く言えば、すごく自由に生きてる。 あゆっていう娘がいることを、忘れてるのか、気にしないようにしているのかわかんないけど、すごく自由に、一人の女性として生きてるって感じがして。 あゆにとってはね、この20年間、「お母さん」っていう風に感じたことはなくて、いつも、「マミー、マミー」って呼んでて。 それは、名前が「まゆこ」っていうからっていう理由からでもあるんだけど、「マミー」って呼んでたのね。 で、マミーをね、すごく、あの、あゆの面倒とかを見たり、自分の親の面倒を見たりとかする人じゃなかったんだけど、その代わり、あゆが、すごく悪いことをしたり、すごくいいことをしたりした時に、怒らないし、ほめない。 ほんとに何も言わなかった。 だから「あ、あゆも自由にやっていいんだな」って、だから、あの人はあの人で「自由に生きてるんだなぁ」と思ってたし、そう解釈してたのね。 で、中学の時にね、あゆがあんま学校に行ってなかったのね。 で、普通に言えば、まぁ何だろうな?学校にあんまり来ない子。 ヤンキーだったり不良だったりするのかな?別にそこまでいってたつもりはないんだけど、先生から家に電話があって。 ちょっと浜崎さんね、最近学校来ないんで、なんとかしないといけないってんで、うちの親が呼び出しかかったんだけど、うちの親はね『じゃわかりました。 すぐ行きます』って言って、電話切ったのね。 しばらくすると、あゆが職員室で待ってるじゃない。 そうすると、うちの担任の電話が鳴るのよ。 そしたら、うちの親がね『すいません、私、おなか痛くなっちゃって行けないの。 ごめんね』って言って、電話切っちゃったんだって(笑)。 そんで、『お前のお母さんはね、どうなってるのかわかんないけど、お前もかわいそうだな、大変だな』って言うのよ、うちの担任が。 それが何か、妙にくやしくてね「あんたうちの母親の事知らないくせに、なんなのよ」と思って、くやしかったんだけど、まぁ別に、そんなマミーをあゆは、腹が立つとも思った事はなくて。 確かに、周りの人はすごく色んな事言った。 うちの隣に住んでたおばさんとかね、同じマンションの人とかは、ほんとに、あそこのね、子供とは付き合うのやめなさいとか、すごく言われて、転校させられそうになった事も、何度もあったの。 『友達になるのやめなさい』って言われて。 それを、あゆは悲しいと思った事もないし、そう言われて友達でいるのをやめようと思う人がいるなら、それでいいと思ったし。 それを悲しいと思った事はなかったけど、あゆは、何だろう……マミーが、そういうね、マミーがそういう態度を取っている事によって、あの人はあの人なりに、一生懸命、きっとそういう孤独な愛情の中で育ってきた人なんだと思ったし、あゆに対しても、私は、あゆのことは何も干渉しないよって、私は自由に生きていくし、その代わりあなたも自由に生きていきなさいって、あなたが何かをした時は、あなた自身が責任を取りなさいって言われてるような気がしたから、すごくあの人の生き方に納得ができてて。 最近、もう、全然会わないし、話したりもしないんだけど。 でも、すごく、いろーんな意味で、今になってみれば、この年になってやっとね、私はあの人から学んだ事が、すごく多いし、浜崎まりこという、一人の女性として、私は20年間、あの人を見て生きてきて、あたしはこんな風な人間になりたくないと思ったし、あたしはこの人と同じような間違いはおかしたくないと思ったし、そういう意味で、母親から学んだ事はすごく多くて。 ごめんね、鼻声で。 好きな所も、嫌いな所も、はっきり言って、ひとつもなくて、それは多分、あの人を一人の人間として見たこともないからだと思うんだけど。 まっ聞く人は、分かる人には分かると思うんだけど、今、話した本人のことをね、あゆなりに、「詞」にしてみましたので聞いて下さい。 ・いつか人を信じられるように ぼくは当時「A Song for XX」の歌詞を、いつもこう変えて心の中で歌っていた。 人を信じて自らの心を打ち明けたなら、人に裏切られるという思いがずっとあったのだ。 そしてきっとそれは、今なお存在しているのかもしれない。 生まれながらの運命や宿命は、そう簡単に変えられるものではない。 それは容易いことではないかもしれない。 困難を極めるだろう。 けれど彼女が歌っている歌詞のように、前へと進んでいくしかないのだろう。

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浜崎あゆみがすごかったというのは本当か? 〜A Song for XXの真実〜

浜崎あゆみ オールナイトニッポン

先行きも全く不透明で、日本国民は今後の生活とコロナウイルス感染の恐怖と向き合っている方がほとんどです。 そんなさなか、 岡村隆史さんのオールナイトニッポンでの発言が、大きく取り上げられてしまいました。 普段の平和な時代でのことならば、ひょっとしたらスルーしていたかもしれません。 ましてや、深夜帯のラジオでの発言ですので。 しかし、この発言が大炎上してしまい、収拾がつかない状態にまで発展していきそうで、番組降板の署名活動まで始まってしまいました。 この先の、岡村隆史さんの動向が心配されるところですが、これまでのいきさつと、今後の展望について注目していきたいと思います。 Contents• 岡村隆史さんはどのような発言をしたのか? パンパンに膨らんだ桃の缶詰スペシャル! や さん、そしてリスナーの応援を受けて開封! 岡村さんが裸の訳は? そしてaikoさんが作った のきっかけは? 🔽タイムフリーで! さんaikoさんありがとうございました! その発言の内容とは 「新型コロナウイルスの影響で収入が減った女性が、収束後に短絡的な収入を得るために風俗入りする可能性がある」と語ったことです。 また 「いい子が入るから今は風俗を控えましょう」と発言し、女性軽蔑とも取れる内容で番組終了直後から「女性軽蔑」「不謹慎」「取り消すべき」との声が寄せられていました。 オールナイトニッポンでの発言に関する岡村隆史さんの謝罪 23日のオールナイトニッポンの発言から4日後の27日にはニッポン放送が公式サイトにて謝罪コメントを発表し、29日には岡村隆史さんが所属する吉本興業のウェブサイトにおいてともに謝罪しました。 そして、4月30日のオールナイトニッポンにおいて前回の発言に対してマイクを通して謝罪し、以下のようなコメントを読み上げました。 「先週の僕の発言によって、たくさんの人たち、特に女性の人たちに不快感を与えたことを深くおわびします。 本当に申し訳ございません。 僕の口から直接伝えたいと思い、この場でおわびします。 コロナウイルスの中で多くの方が不自由な中で、経済的に生活が苦しく、やむを得ず風俗業に就く方に心ない発言をしてしまいました。 本当に申し訳ありませんでした。 20年以上パーソナリティーをやっていて、大変な発言をしてしまった。 情けないです。 それが本当の正直な気持ちです。 本当に申し訳ございませんでした」。 引用:岡村隆史のオールナイトニッポンより そして、23日から30日に至るまでの苦悩を以下のようにコメントし、今後もラジオを続けていくことを決意しています。 「正直、今日の放送をどうしたらいいか、ずっと悩んでいました。 自分でも分からなくなってしまっていました。 いろいろな方から連絡をいただいた。 普段、連絡取っていない(高校時代の)サッカー部の仲間でリスナーからも連絡をいただきました。 吉本の養成所に入った時の講師の先生からも『お前の言ったことは駄目なんだ』と言われました。 本当に、その通りだと思います。 僕がひとつ、やらなければいけないことは、しっかりと反省して、今日のラジオを一生懸命やることだと思いました。 ご批判もあると思いますが、ご理解ください。 お願いします」 引用:岡村隆史のオールナイトニッポンより 相方の矢部浩之さんが公開説教 矢部浩之さんは2014年9月にコンビで出演することを辞めて以来5年半ぶりにオールナイトニッポンに登場し、以下のようにコメントをしました。 「緊急事態、情けないよ。 出会ったのは先輩と後輩だけど、きょうは相方として話しに来ました」と切り出し「表ではあるのよ。 本番中とか人がいるとこでは謝られるのよ。 内弁慶なところあるやんか。 覚えてるのよ。 体を壊して5ヶ月で帰ってきて、最初に『めちゃイケ』の収録して、終わってからあんたからメールが来たのよ。 『すべて笑いに』って一行。 いやいや、もうちょいあるやろ。 オフのところが大事なんじゃないかな。 お笑いコンビの前に人間で出会ってるから。 そういう事を見たくなくて距離を取ったとこがあるのよ」 引用:岡村隆史のオールナイトニッポンより とまずは岡村隆史さんの性格を指摘しました。 この発言から、矢部浩之さんも、以前からどこかひかかることがあったということがわかります。 その後、「一言でいうたら、天然やし、逃げ癖があるのよね。 よくオレが目にしてたのは、目上の方とかに誘われると『お願いします、ぜひ行かせてください』って言って、でも楽屋に戻ってからマネージャーに『仕事って言って断って』って。 それ自分で言えよと。 誘われた直接の人には言わない。 これは逃げだと思う。 根っこの性格かもしれないし」 引用:岡村隆史のオールナイトニッポンより 以上のような内容で、相方としての意見を伝えていました。 溜まりに溜まってた思いをぶつけてしまったという印象もある発言でもあるように感じました。 そして、「簡単に言ったら天然やろうなと。 わざとじゃない。 楽屋でスタッフからコーヒー持ってこられて『ありがとう』がない。 昔は気づかなかったかもしれないけど、今はコンビの仕事も少なくて、たまに会うから、余計に感じる。 恋愛の番組で俺が『結婚がうまくいく秘訣』を聞かれて、『ありがとうとごめんなさいを言う』と答えたら、俺に『白旗あげたんか』と言った。 女性を敵として見ているのか」と性格の問題面に言及。 「結婚して子供がいたら、家族はチームや。 お母さん監督で、いっぱい褒めていっぱい怒って。 こっちは冷静にその様を見ている。 ありがとうとごめんなさいが大事だと身に染みているから。 それを『白旗』って。 それって性格やねんな」 引用:岡村隆史のオールナイトニッポンより と根本的な部分をただしていました。 現実が見えていない、そして何より周りが見えていないということでしょうか。 矢部浩之にとっては、結婚云々よりも、まずは人間としてきちんとしてほしかったのかもしれませんね。 矢部浩之さんが公開説教をした真意とは 矢部浩之さんは岡村隆史さんがラジオから発信したことについて以下のように発言し、相方ならではの残念な部分を指摘しています。 「ラジオを続けるのはすごいと思うよ。 オレなんて途中でリタイアしたから、辞めた人間に言われたくないだろうけど、リスナーはみんな岡村隆史が大好きでイエスマンよ。 注意してくれる人がほとんどいなくなってきた。 スタッフ含めて、全員が空気をそうしたんですよ。 知らん間に芸歴も長くなって、偉くなってもうたから」 引用:岡村隆史のオールナイトニッポンより これは、少し天狗になっているということを指摘したかったのでしょう。 誰も何も言わないから、それでいいというものではないということがいいたかったのかもしれません。 そして、岡村隆史さんも改めて謝罪するなどしましたが、最後は二人で「わーわー言うとります。 お時間です。 さようなら。 」とおなじみのフレーズで締めくくりました。 番組から降板させるように署名活動が始まる さすがに、ラジオでの発言といい、女性軽蔑の行為は許されるわけでなく岡村隆史さんをNHKの番組から降板させるように署名活動が始まりました。 署名サイトの「Change. org」では、女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しNHK『チコちゃんに叱られる』の降板及び謝罪を求める署名活動を行っています。 その中にあるコメントは以下の通りで、 「社会に多大な影響力を持つ一流のお笑い芸人が、女性軽視だけでなく、経済的困難により売春をせざるをえない若い女性の搾取を促す発言をしたことに対し、私たちは絶望しています。 」 また、岡村隆史さんと吉本興業に対して要求され、署名数は2日で8000人以上もいるほどです。 要求された項目は以下の2つで、 岡村氏が所属する吉本興業の所属タレントが以後女性軽視及び若い女性の性的搾取を促す発言しないよう徹底した対策を講じることと岡村氏は子供の視聴率が高いNHK教養バラエティ番組のチコちゃんに叱られるのMCの降板をすることです。 なぜなら、女性軽蔑の発言をする人物が子供に影響を与える番組でMCを務めるのは不適切であると考え、大河ドラマの「麒麟がくる」にも出演していますが「チコちゃんに叱られる」のほうが影響が多いと考えられます。 結局は岡村隆史さんと風俗の話には因果関係があったのか? 芸能リポーターは岡村隆史さんのラジオでのこれまでの発言の中に風俗の関係は頻繁にあり、リスナーにはおなじみの話題だと話しています。 ただし、現在は新型コロナウイルスの感染拡大で日本だけでなく世界中で大きく影響が出ていますが、件の発言が女性の困窮を歓迎するような内容になって炎上したようです。 そして、 署名活動などが拡大するとNHKも対応を考えざるを得なくなり、岡村隆史さんは厳しい状況に追い込まれてしまいました。 とくに、『チコちゃんに叱られる』は女性や子供に人気があった番組と言われています。 一番してはいけない失言をしてしまったということは否めません。 結局は本人の不適切な発言がこのような事態を引き起こしてしまいましたが、やはりこればかりは自業自得だと言わざるを得ないかもしれません。 現在はせっかくのゴールデンウイークにもかかわらず新型コロナウイルスで自粛ムードで多くの人は楽しめないストレスを抱えていますし、ここにこのような水を差す発言は非常識極まりないと思われても仕方がなさそうです。 岡村隆史さんのサービス精神が仇となった? 岡村隆史さんのことを養護するわけではありませんが、ファンとしては責めたくないという気持ちは少しは出てきてしまいます。 ファンを楽しませようという思いは人一倍強い方だと信じています。 今回の発言も、リスナーからの悩みに答えようと、思わず本音が出てしまったのかもしれません。 コロナによるストレスを少しでも和らげてあげたい一心で、そのリスナーに寄り添いすぎてしまったのが失敗だったようです。 サービス精神が、仇となってしまった典型的なケースです。 しかし、今回の発言は、決して許されることではないのも事実です。 岡村隆史さんオールナイトニッポンでの発言の影響についてのまとめ 岡村隆史さんといえばナインティナインで愉快に話す姿が好みでしたが、さすがにこのような水を差すような発言にはショックを受けました。 このことに関しては風俗店の関係者も激怒し、新型コロナウイルスの直撃で大きな痛手になった上での発言ですし子供たちにも悪影響を及ぼしそうです。 番組の降板はオールナイトニッポンだけでなくNHKでも署名運動云々よりもやるべきであり、ラジオでの1つの発言とはいえ責任を取ってもらいたいと願っています。 風俗はお金を稼げるというイメージがありますが、実際には必ずしもそうではないことが事実です。 このような状況の中で岡村隆史さんの発言はさすがに神経を疑うもので、 厳重な処分を求めたいですが吉本興業でも宮迫博之さんや田村亮さんの闇営業や徳井義実さんの税金未納問題とダメージを受けています。 テレビやスポーツ紙は吉本興業に付度して岡村隆史さんの発言を取り上げないようで、炎上がさらに広がることを恐れているようです。 今後は、岡村隆史さんはこのような問題発言をしたのですし、出演するすべての番組を降板させるなど厳しい処分をしないといけないのですが、吉本興業としては風評被害を恐れてまるく収めそうなことも否めません。 今後の岡村隆史さんの動向に注目 また、過去にラジオでも風俗の話をすることや相方の矢部浩之さんの口からも性格に問題があることが発言され、意外性はなかったのかもしれません。 ただし、ラジオは多くのリスナーがいますし不快にさせると逆効果になり、責任を取ってもらうようにすべきだとも思います。 現在は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で多くの芸能人も仕事を失っていますし、自粛ムードの中で国民も苦しんでいます。 ラジオは世間を鼓舞するために行われることが普通ですが、このような問題発言をされれば一気に信用を失ってしまいます。 関係者はさすがに悔しくてつらい日々を過ごすことになりますが、 岡村隆史さんはオールナイトニッポンに関しては続けたいと決意してますし次の回ではどのようなコメントが出るのか注目されるところです。 現在は大河ドラマの『麒麟がくる』にも出演していますが、影響が出ないようにしてほしいと思います。 俳優としての評価も非常に高く、これから更に活動の場を広げていくというときでしたので、非常に残念です。 ラジオでの発言だからこそ、慎重にしてほしいですし、リスナーの信用を失うのは一瞬です。 多くの人から注目を集めている方だけに、一つ一つの発言に責任を持ってほしいと思いました。

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