肝臓 癌 余命 1 ヶ月。 末期癌最後の症状や余命1ヶ月の症状とできるだけ楽になる方法

肝臓がん末期闘病記ブログ|2004年(平成16年)3月に余命3ヶ月の宣告を受けてから16年が経ちました

肝臓 癌 余命 1 ヶ月

何を言っているのだ? と思う方もいるでしょう。 ただしかし、末期がん、と言っても、時期的に絶対的な基準があるわけではありません。 一般には、すでに有効な治療がなく、余命もあまり長くないと「推測される」場合が当てはまりますが、 その長さは予測と裏腹に変化をすることもあります。 たいていは、次第に様々な症状が増えてきますし、生活動作も障害されてきます。 できるだけ苦痛な症状を抑えたほうが良いのは確かです。 それなので、 末期の中でも、可能な限り早期に、緩和ケアの担い手の関与を受けるに越したことはありません。 治療病院でも、緩和ケアチームや外来などがありますから、有効活用すべきです。 末期ガン最後の症状とは? ように、実は余命が数日となった際に、痛みよりもしばしば問題になる症状があります。 余命1ヶ月ほどだと、見た目には元気なようにすら見える場合があります。 しかし余命が短い週単位~日単位となって来ると高い頻度で起こる症状があるのです。 それは せん妄です。 せん妄とは、重篤な身体状態を背景に、薬剤など多様な因子が引き金となって、意識の変容や意識障害を起こし、患者さんによっては混乱や興奮をきたす病態です。 手術後にも起こることが知られていますが、末期がんの状態においては「 極めてよく」認められるものです。 余命数日となる以前のような、末期中の末期ではない状態ならば、昼夜のリズムを薬剤で付けたり、抗精神病薬など混乱や興奮を抑える薬剤を用いることで改善の余地はありますが、亡くなる前の時期になると、そもそも全身状態の不良さや様々な臓器の障害など、せん妄を起こす要因は多様に存在していることが通常です。 それなので、もとのはっきりとした意識状態に戻すことはほとんどの場合困難となります。 最後に必要なのはモルヒネではなく鎮静剤 痛いと言っても純粋な痛みとは限らず 意識が障害され、あるいは意識変容・混濁が起こると、患者さんはつじつまが合わないことを仰ることが増えたり、眠っているように見える時間が増えたりします。 うわ言のように痛い痛いと仰ることもありますが、痛みの部位などを訴えることができず、ひたすら痛いと繰り返しているような場合は、純粋な痛み、というよりは、意識混濁に伴う症状でうなされていることに近い、とも考えられます。 実際、余命数日の身の置き所がないように見える苦しみに関しては、モルヒネなどに代表される医療用麻薬の効果は薄いのです。 そのような場合は、意識の水準をより落とし、眠っているようにすることで苦痛緩和をする「鎮静」という医療処置を行います。 死に至らしめて苦痛緩和する手段ではないため、安楽死ではありません。 また多くは余命数日に施行を検討するものであり、無理やり眠らせるわけではありません。 特に余命数日は、そのようなせん妄からの苦しみが強く、それが医療用麻薬も含めた薬剤で緩和できないことが多いため、鎮静薬(例えばミダゾラムなど)が使用検討されるのです。 見守る側はどうしたら良い? 多くの方にとって、亡くなってゆく方をみる機会はあまり多くないでしょう。 それなので、わからないのが当然で、動揺なさったり不安になったり、気持ちが上下するのは「当たり前」で、医療者はそのことをよくわかっています。 特に、がんの終末期は経過が急に見えることが多く、前回の来訪時とまるで状態が変わって見える…ということもむしろ当たり前のようにあるものですし、 特に薬剤を使っていなくても、意識の変容や混濁は(全身状態を背景に)起きてくるものです。 よく医療者とコミュニケーションを図って疑問点を氷解させ、またご家族間でもよく話し合って、一人ひとりにご無理がないようにローテーションを組むなどして傍にいらっしゃることが良いと思います。 たとえフルに緩和ケアの技術を駆使したとしても、最後の数日はゆく方も見守る方も大変な時期であることも多いでしょう。 それでもできることは何かしら必ずあります。 誰もがいつかは迎える瞬間ではありますが、それができるだけ穏やかに、そして望んだものでありますように、それを強く願う次第です。 2020年4月12日• 2020年3月5日• 2020年1月19日• 2019年12月28日• 2019年8月16日• 64,695ビュー• 61,984ビュー• 61,423ビュー• 36,213ビュー• 9,430ビュー• 8,987ビュー• 7,645ビュー• 6,094ビュー• 5,220ビュー• 5,204ビュー カテゴリー•

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末期癌(がん)の余命一週間の症状は

肝臓 癌 余命 1 ヶ月

私の父は、昨年6月に胃癌がみつかり、肝臓にも小さな転移があり今日まで入院と通院で抗がん剤治療をすすめてきました。 一時は肝臓も胃の方も癌が小さくなり、順調に進んでいたのですが(2月の検査時)今回、肝臓の検査をしたところ大きな癌がたくさんあり今日、突然肝臓癌の末期と宣告されました… このまま、抗がん剤も何もしなかったらもって1ヶ月。 副作用の強い抗がん剤をしたら数ヶ月は抑えられると。 先生いわく、肝臓の癌が急に大きくなったのは、抗がん剤によって抑えられてたのが一気に爆発して大きくなったのだと… こんな事ってあるのでしょうか。 今になって体力の落ちるばかりの抗がん剤の恐ろしさに疑問を感じました。 今は、腹水も黄疸もなく特に痛みはないようですが、何も治療しなければもって1ヶ月と言われ、どうしたらよいのかわからない状態です。 本人はとても落ち込みやすい性格なので余命の事は話してありません。 免疫療法など試したほうがよいのか、延命目的で抗がん剤投与したほうがよいのかとても悩んでます。 インターネットでいろいろ調べていますが、情報が多すぎて何を最後の望みで信じたらよいのかわからず困惑してしまってます… 同じように末期の状態で回復された方など、治療法などいろいろと教えていただけたらと思います。 お力貸してください。 よろしくお願いします。 お気持ちよくわかります。 私は父をガンで亡くし、姉は末期ガンの治療中です。 私も父には余命を告げませんでした。 私達がしたことは、父にとって何をしてあげるのが1番良いことなのかを考えたのです。 意識もなく機械で無理やり生かされていたり、抗がん剤を使って体力も落ち、もがき苦しみながら最後を迎えるのは、見ている家族も辛いですが本人が一番辛いはずだし、本人が望んでいることではないと思ったのです。 苦しませずに最後を迎えさせたいという事をお医者さんにも告げ、治療方法はお任せしました。 最後の最後は痛みをとる為、少量のモルヒネを使用していました。 だからといって、pu-tyさんのお父様にも・・・ということでは決してありません。 こういった考えもあると言う事だけです。 事前にお医者さんに相談をしてからって事になりますが、カバノアナタケ・サルノコシカケ・レイシ・鮫の軟骨などの漢方も試してみるのも 良いのかもしれません。 森林浴も良いそうです。 木があり、川や滝がある場所は免疫効果もあると効きました。 決して安いものではないし、効くかどうかはわかりませんが、試してみるのも1つの方法だと思います。 そのお陰かどうかはわかりませんが、父も余命宣告から半年近く長く生きてくれましたし、末期ガンの姉も通常の生活を送っています。 セカンドオピニオンって言う方法もありますので、お父様とって 最善の方法を見つけてあげて下さい。 アドバイスらしいアドバイスはできませんが、 世の中には質問者様のように困っている人、藁にもすがる思いの人、 そういう人の心に漬け込んで商売をしている輩が多いのが事実です。 人の命ましてや肉親の命は、お金に換えられるものではありませんからね。 だからといって根拠も実績もない治療法に多額の投資をされるのは良い判断とはいえません。 否定もできませんが。 「私の周りの人が~を試したら治りました!」「医師に余命2ヶ月と言われたのに~療法が効いて5年生きました。 」というのは根拠や実績とは到底呼べません。 予後の告知についてや抗がん剤も含めた今後の方針ですが、これが正解というものはありません。 ・強い抗がん剤治療をする。 何より一日も長く生きて頂く。 ・余命よりQOLを優先する。 なるべく苦しまないで欲しい。 ・最初は落ち込むだろうが、大まかな余命を伝えることによって残りの人生の過ごし方を考え、有意義に生きて欲しい。 ・絶望させたくないので余命については最期まで触れない。 上のは、あくまでも考え方の一例です。 まずやドクターとの信頼関係をより良いものにし意見を交わし、その上で質問者さんが最良と判断した選択をするのがいいと思います。 がん診療であれば、残念ながらよくあることです。 肝臓がんとかかれていますが、おそらくは転移性肝がん(胃癌の肝転移)だと思います。 昨年6月からと考えると約10ヶ月。 抗がん剤の治療は一定の効果がありますが、抗がん剤に効きやすい癌細胞を殺しているうちは腫瘍は小さくなるのですが、効かない癌細胞が残されていき、それが主になって増殖し始めると、同じ抗がん剤が突然効かなくなります。 現在の医学の限界であり、起こるべくして起こったものともいえます。 抗がん剤を変えれば、あるいはもう少し効果が期待できるかもしれません。 ですが、感じておられるように体力を奪うことになりかねません。 免疫療法やなんとかワクチン、健康食品の類は、あたればよく効くのでしょうが、年末ジャンボ以下の確率と思われたほうがいいでしょう。 私見ですが、緩和医療を考える時期なのかもしれません。 Q 今現在、39歳の兄が肝臓癌の末期状態で余命1ヶ月と言われた所を 1ヶ月半程がんばっています。 私は近畿に在住していて兄は鹿児島に入院しています。 昨年、大腸癌が見つかってそこから肝臓へ転移して 今を迎えているのですが、兄は独り者で面倒を見てくれるのは 病気がちな母しかおらず、わたしも出来る限り時間を作り 帰っていましたが正直今の状況だといつ帰っていい物なのか わかりません・・・ 今すぐ帰りたいところなのですが 心も体もボロボロで仕事もそう長々とは休めない状態です。 どの様な症状が出たら危ないサインなのでしょうか? 母によると兄の状態は意識ははっきりしていますが腹水がたまり 3日前程から下半身が相当腫れて来て歩くのが難しくなって 尿も出ずらい状態だそうです。 こういうことを書いてる自分に嫌悪感を覚えますが どなたかわかる方がいらっしゃいましたら教えてもらえると幸いです。 A ベストアンサー 家族が全く同じ状況だったものです。 肝臓の機能が低下すると足に水が溜まってきます。 足が膨らんでぱんぱんになります。 そうなったらもう長くはないはずです。 本人が苦しくなった場合、死の数日前に早めにモルヒネを大量に投 入して意識をなくした状態にするかもしれません。 会うのであればその前がいいと思います。 意識をなくすかどうかは本人が決めることだと思います。 死の直前は呼吸の仕方が変わります。 肩で息をするようになります。 ただそうなってからは1時間も持たないかもしれません。 最後は心臓の持久力次第なので、医者にもわからないと思います。 意識をなくす前に一度お別れの挨拶をして、後は死後でもやむを えないと考えたほうがいいのではないでしょうか。 Q 末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。 これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。 母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。 肝臓にも転移しており既に手遅れでした。 今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが 4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。 あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。 肺へも転移し、咳がひどいです。 今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。 急に食欲もなくなりました。 一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。 母はこれからどうなっていくのでしょうか。 苦しみが増しますか? 意識は最後まであるものですか? 自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか? この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。 文章がうまくまとまっていなくてすみません。 少しでも心の準備ができればと思います。 宜しくお願いします。 A ベストアンサー 「人はがんでは死なない」という言葉があります。 がんが特別な毒素を出すわけではありません。 では、なぜ、人はがんで死ぬのか? それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、 その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。 様々な症状の一つには、疼痛もあります。 これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。 気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。 肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用 が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。 大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。 腎臓の機能が低下すれば…… 脳の機能が低下すれば…… つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、 ということです。 何が起きても不思議ではない、ということです。 「苦しみが増しますか?」 軽くなるということはないでしょう。 出てきた苦しみを押さえるということになります。 「意識は最後まであるものですか?」 わかりません。 先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている 場合もあります。 「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」 状況によりますが、オムツということも考えてください。 尿はカテーテルを留置することになります。 残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、 「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを しないという選択肢もあります。 末期症状は、医師や看護師がよく知っています。 まずは、医師や看護師と相談してください。 「人はがんでは死なない」という言葉があります。 がんが特別な毒素を出すわけではありません。 では、なぜ、人はがんで死ぬのか? それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、 その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。 様々な症状の一つには、疼痛もあります。 これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。 気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。 肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化... A ベストアンサー 兄が脳腫瘍で亡くなりましたが、そのときの状況でも。 病院で血圧を測定する機械に触れましたが、上が60を切ると機械が電子音を出して緊急性を表していました。 また、血中の酸素濃度が95%を下回ると危険な状態と言えるようです。 逆に言うと、95%を上回るように酸素を送り込む必要があります。 こういった状態のとき、脈拍数は180と非常に高い数値を示していました。 血圧や血中酸素濃度が低いにもかかわらず脈拍数が落ちてきたら非常に危険だと言えるでしょう。 本当に死の直前では、呼吸が見るからに弱弱しくなり、呼吸が止まることがどんどんと多くなりました。 呼びかけると思い出したかのように呼吸を始める感じでしたが、まさに「息を引き取る」という表現そのままに死へ至りました。 全体としては、「血中酸素濃度の低下」「急激な血圧の低下」「呼吸の力強さの低下」の順で危険度が増す感じでした。 あくまで脳腫瘍の例ですが、参考になればと思います。 Q 義母が末期癌です。 大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。 自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。 入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。 2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。 食事はほとんど取れていません。 薬を飲むために数口食べるのがやっとです。 いびきをかいて眠る時間が多くなり(昼夜逆転している感じです)せん妄らしき意識障害もしばしばみられます。 微熱も続いています。 数日前からは痰がよくからむようになってきました。 息苦しい時もあるようです。 目も見えにくくなっているようです。 このような病状なのですが、どういう状況にあると考えればいいのでしょうか。 主治医の先生に聞いても的を得た答えを得られずにいます。 また今後はどういう状態に気をつければいいのでしょうか。 少しでも楽になるように、私たち家族は何をしてあげればよいのでしょうか。 どんな小さなことでもいいです。 ご存知のことがあれば教えていただけないでしょうか。 どうぞよろしくお願いします。 義母が末期癌です。 大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。 自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。 入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。 2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。 食事はほとんど取れていません。 薬を飲むために数口食べるのがやっとです。 いびきをかいて眠る時間が多くなり(昼夜逆転している... A ベストアンサー 各症状について、可能性のあることを書きます。 足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。 足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。 下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最も考えられますが他の場所への転移、浸潤、潰瘍形成などによる出血の可能性もあります。 せん妄、抑うつ、不安等などの精神症状は癌の末期にはしばしば出現します。 疼痛コントロールがうまくいっていないときは出現の頻度も当然高くなります。 熱については、一般的に感染に伴うものと癌による腫瘍熱の二つが最も考えられます。 痰や呼吸困難は、呼吸器感染症の合併もしくは心不全徴候などの可能性があります。 この状態であれば御本人の苦痛をいかに取り除くかは、ご家族ばかりでなく医療側の比重が大きくなると思います。 まずは、御本人の意識を保った状態で苦痛を取り除くことが目標ですが、それが困難になればある程度鎮静させ意識レベルを落とすことも必要になります。 肺に転移しているようですが、呼吸不全が進行してくると酸素投与だけでは呼吸困難が改善されないこともあり、そのような場合は体力の消耗がはげしく悪循環に陥りますから、積極的に鎮静させます。 結果的に、ご家族との直接の会話はなくなることも多いですが、話すことができなくても完全に意識をなくしているとは限りませんから、気持ちの平安のためにも御本人に話しかけてあげることが大切だと思います。 最終的な症状は、血圧が下がる、尿の出が悪くなる、呼吸が浅くなるなどです。 自分で痰を出すことができなくなると、常に痰が詰まることによる窒息が心配になります。 喘鳴が強くなったときは、すぐに痰の吸引をしてもらうようにして下さい。 各症状について、可能性のあることを書きます。 足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。 足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。 下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最... Q 私の祖父(83歳)が末期癌で、今日、「今年もてば良い方だ(余命4カ月弱)」を告げられたそうです。 父はショックを受けていました。 祖父はたまたま、他の病気の診察でCTを撮ったときに運良く別の科の医師が癌を発見してくれました。 去年、肺気胸に2回もなり、市民病院で何度もレントゲンを撮ったり、CTも取ったのに。 先週もペースメーカーの診察を受けてレントゲンを撮ったのですが、何も言われなかったそうです。 なんか不思議です・・・。 1年で全身にまで転移するのでしょうか? 祖父はまだ頭もはっきりしているので、長生きしてほしいと思っていました。 最近、「足の付け根が痛い!」と言い出しているそうです。 父は癌からきているんじゃないか、骨にまで転移してるのではないかと思うそうです。 これは初期症状のはずですか? 紹介状を書いてもらって、9月6日に市民病院へ持って行くそうです。 そして、検査をするか決めるそうです。 検査も相当苦しいそうで、父はどうせ長く生きられないのなら、残りの時間を自宅で、今まで通りの普通の生活をさせてやりたいと思っているそうです。 余命を告げられ、とてもショックでした(涙)今も頭がボーっとしています。 毎日でも会いに行きたい気分です。 末期癌で全身に転移しているのに、『症状が無い』ことってあるのでしょうか?20年以上前に胃癌の手術で、胃を半分取ったので、38キロ前後と細いですが、食欲も変わりないようです(主に栄養ドリンク)。 足の痛みが出たのは最近ですが、外出もしたいようで元気です。 これから苦しむことになるのでしょうか? 祖父母は今、2人暮らしなので、心配です。 祖母には、まだ癌のことは伝えていません。 長文ですみませんが・・・宜しくお願いします。 私の祖父(83歳)が末期癌で、今日、「今年もてば良い方だ(余命4カ月弱)」を告げられたそうです。 父はショックを受けていました。 祖父はたまたま、他の病気の診察でCTを撮ったときに運良く別の科の医師が癌を発見してくれました。 去年、肺気胸に2回もなり、市民病院で何度もレントゲンを撮ったり、CTも取ったのに。 先週もペースメーカーの診察を受けてレントゲンを撮ったのですが、何も言われなかったそうです。 なんか不思議です・・・。 1年で全身にまで転移するのでしょうか? 祖父は... A ベストアンサー 私の大切な母も御祖父様と同じような年齢で同じように病院の別の検査で癌が見つかりそして先日、天寿を全うされました。 娘の私が体験したことは高齢者の末期癌は確実に死の宣告をされたも同じことです。 藁にもすがる思いでできる限りの手を尽くしましたが癌の進行はあまりにも速いのが現実です。 私たちの一日の時間と患者の一日の体力が落ちるスピードの速さは何百倍の速さで進行しているようでした。 要するに昨日と今日では全く別の症状で患者も家族も苦しみます。 現在、御祖父様の体に痛みが無いとのことですが確実に痛みは来ますし食事も食べれなくなります。 体力が落ちれば体の機能も低下します。 きつい言葉で書き記しましたが私も医師から告知を受けちょうど3カ月で他界しました。 奇跡を信じてあれもこれもと手を尽くし高額の健康食品も健康飲料も結局は効きませんでした。 飲みにくいのと飲むことのストレスで今想えば反省だらけです。 癌に効く薬は抗がん剤だけのようです。 母は持病のリウマチですでに強い薬を服用していることも有り免疫を上げる治療も難しく抗がん剤治療は出来ませんでした。 御祖父様が自宅で闘病生活をされたいとのお考えなら要介護認定を受けているのでしたら早速、ケアーマネージャーを通して往診の医師と看護ケアの手続きをして下さい。 少しでも普通の生活に近い生活をさせてあげる場合は家族の協力が無いと無理です。 最終的に点滴の交換やら排泄など家族が手を掛けます。 緩和ケア病棟をエントリーするのも大切だと思います。 私の場合は緩和病棟(ホスピス)は県内14棟の内、受付不能病棟多数。 1~2ヵ月先の外来予約待ち、その後空きがあれば入院可能と言われたのが13棟です。 残り1棟は数日中には入所可能だがとても古く、病院まで距離も遠く、私の場合は母の最期は県立病院の個室で最後の一月を過ごしました。 告知を受けて一月後に家族で1週間の沖縄旅行に行きました。 この時まで体力もあり痛みもなく本当に奇跡を信じていました。 帰宅後数日で体力は落ちて行きました。 今後の御家族の方向性に少しでも役立てて頂けると幸いです。 私の大切な母も御祖父様と同じような年齢で同じように病院の別の検査で癌が見つかりそして先日、天寿を全うされました。 娘の私が体験したことは高齢者の末期癌は確実に死の宣告をされたも同じことです。 藁にもすがる思いでできる限りの手を尽くしましたが癌の進行はあまりにも速いのが現実です。 私たちの一日の時間と患者の一日の体力が落ちるスピードの速さは何百倍の速さで進行しているようでした。 要するに昨日と今日では全く別の症状で患者も家族も苦しみます。 現在、御祖父様の体に痛みが無いとのことですが... Q よろしくお願いします。 もし出来れば、医療関係の方のアドバイスを求めています まず、私は匿名ですが、「nao913」です。 質問履歴を公開にしています。 このカテゴリ:「家族」の欄で、何度も投稿しています。 goo. html を参考にしてください。 さて、一昨日、母が主治医から余命1週間と宣告されました。 尿の量が減っているな、と思っていましたが、 肝硬変末期の上に「腎不全」が来たみたいです…… 人工透析が1週間できなければ、どうなるか素人でも解りますね…… 今の父に人工透析をしても意味が無いことも素人でも解ります。 そこで、質問なのですが、 父は、肝硬変末期で、3回、腹水を抜いて、 それでも、またお腹も両脚も腫れています。 こんな父が、穏やかに最期を迎えることが出来るでしょうか??? 腎不全の最期というのは、どういうものなのでしょうか??? 遅れましたが、私は父の長男(42歳)です。 私は父の病院へは、車で25分で行けます。 しかし、弟は東京に居り、関西のK市の、この病院には、 どんなに早くても3~4時間かかります。 父の最期に弟も居させたいと思ってもいます…… どうか、アドバイス、よろしくお願いします。 もし出来れば、医療関係の方のアドバイスを求めています まず、私は匿名ですが、「nao913」です。 質問履歴を公開にしています。 このカテゴリ:「家族」の欄で、何度も投稿しています。 goo. html を参考にしてください。 さて、一昨日、母が主治医から余命1週間と宣告されました。 尿の量が減っているな、と思っていましたが、 肝硬変末期の上に「腎不全」が来たみたいです…… 人工透析が1週間できなければ、どうな... A ベストアンサー お返事読ませて頂きました。 6です。 お父様と、まだ会話が出来るのですね!ご家族への感謝、何気ない会話…。 へんな言い方かもしれませんが、お父様・ご家族ともに、今の現状を充分分かった上での会話という感じがして、切なく、でも温かい気持ちになりました。 ある意味、それは幸せなことかもしれませんね。 最後の時、これほど濃厚な時間を過ごせるご家族はそう多くないかもしれません。 きちんとお別れができて旅立てる方は、そうはいらっしゃらないように思います。 でも、心の準備がお互い出来ているからこそ、お辛い部分もあるでしょうね。 血圧もまだまだ大丈夫、尿もちゃんと出ているようですね。 意識もまだ保たれておられるようですし、あとは苦痛の少ないことを心から祈ります。 質問者様も、休める時はしっかり休まれて下さい。 お返事は無理なさらないで下さい。 Q 母が2年前に肝外胆管癌になりました。 今年60歳になります。 私は嫁にいっており、一緒に暮らしていません。 母は仕事は介護士(休職中)旦那は居ますが家庭内別居です。 戸籍以外ではほぼ一人暮らしと同じ状態です。 長文になりますがどうかお付き合い頂ければと思います。 2年前の3月に黄疸と発熱により発症しました。 なかなかはっきり分からず大学病院にて、分かりました。 2年前の5月に肝臓を半分とる摘出手術を12時間かけてし、癌は取り除かれたのですが、1つか2つはの残ってしまい、その後抗がん剤をする事になりました。 症状は腹水が溜まったのと、食欲不振でした。 ただ思ってる程体調は悪くなかったです。 (片方だけにしたのは、正直ただの腹水を回避するだけの手術。 できる限り体に負担をかけらないとの事で片方になりました。 この時点ではもう片方は腫れていなかった) そして、この時に余命3ヵ月。 持って半年と言われました。 正直とても半年だと思えない感じでした。 卵巣摘出後は回復も早く2週間で回復しました。 退院後は引き続き、抗がん剤を点滴に戻し続けてました。 体調不良として、食欲不振など多少あったもの、仕事に行きなんとか過ごしていました。 年末に白血球の数値が悪くて出来ない時が2回くらいありました。 (白血球を増やす薬も服用はしていました)そんな中、今年の2月頃もう片方の卵巣がかなり大きくなっており摘出しました。 症状は前回と同じ程度。 術後も順調でしたが、3日後から熱が出だし、胆管に膿が溜まって炎症をおこしてしまいました。 ここで胆膿ドレナージをやり管を付けて胆汁が外に流れるようにしていました。 その後、要するに胆管のつなぎ目??のところが肝臓摘出したときに繋いでる為細くなっており、そこが狭くなって胆汁が流れが悪くなり発熱が起きてるとの事。 その後、今年4月~5月あたりにかけて 間2週間くらい空けて2回胆管を広げる為口から管を入れてやる処置をやりました(名前が分かりません。。 )結果、2回とも失敗に終わりました。 どうしても入らないので出来ないとの事でした。 その後は胆管が腫れてきたら刺すしか方法はない。 (これは胆膿ドレナージの事ですか?) こんな状況で、5月何もせずに退院しました。 ただ体調は悪くなく、胸のあたりが少し痛むのでロキソニンが処方されていました。 自宅に帰り1ヵ月くらい休んで、また仕事を中旬から仕事に復帰予定でした。 その際、胸の下のあたりの痛みが少し強くなり始めて、強めの痛み止めを処方されていました。 それが医療用麻薬 オキシコンチン 5m 1日 2回 それを飲み出してからふらつきが酷く、血圧が下がり、血小板の数値も悪くなり1人で病院に行く途中かなり酷い状態になってしまい、病院になんとかたどりついて倒れてしまいました。 (途中記憶は曖昧です) そのまま即入院になったのですが、麻薬を始めたばかりだとその様な事があると言われました。 2、3日は言ってる事も良く変わらない状態で、意識はありますがベットで寝てる事がほとんどで1週間過ごしました。 発熱も39から37度を行ったりきたりを毎日。 抗生剤点滴やって下がる。 また上がるの繰り返し(食事も無し、トイレも管、体重も減)その間、先生から説明を受けたの受けたのですが、胆管に膿が溜まっている。 胸の痛みは、膿が原因か癌の痛みかまだ今の所はっきりはしない。 このまま急変する事も考えられる。 会わせたい人がいれば今のうち。 とう、感じでした。 勿論、来るとこまで来てしまったんだなと思っています。 それか3週間ほど経ちますが思ったより、回復してきています。 トイレは自分で行ける。 ただそれ以外はふらつきが有るようで、ほとんど歩いてない状態。 5分粥ですが食事もゼロだったのが3分の1か2は食べれるように。 メール、電話は出来る様に。 ゆっくりやればメールも打てるように。 現在の状況はは熱が毎日繰り返し38度程度出て下がっての繰り返しなのと、先週から黄疸が少し出だしました。 白目が黄色くなってきています。 今後不安なのが3ヵ月過ぎて治療もする事が無ければ病院を出なければ行けない事は承知してます。 母を家に帰すこと考えていません。 一人で家に帰す事できません。 家族の事情で我が家に連れて来る事は出来ません。 介護相談などをやっている看護師さんと少し話もしました。 最後はどうするか家族としての希望など。 緩和病棟なども考えましたがとても金額的な事も厳しく、考えていません。 その様な状態で、最後行ける病院はどのような所でしょうか? 頭に入れて置きたいのと、探せるもならな探しておきたい気持ちもあります。 今は本人も癌だという事実は勿論理解はしてるのですが、余命までは考えて無いのとまた仕事に行けると思っています。 私は正直社会復帰は厳しいと考えています。 先生の見解では、恐らく1個目に卵巣摘出から9月で丸1年を考えるととても生命力が強く良く治療も頑張った。 本人は思ってる以上病気の重大さに気づいていない。 それが生命力に繋がり良かったのかもしれないと言ってました。 私も同じ意見です。 家族としては、痛くなく逝って欲しい、ただそれだけです。 これだけでは、何とも言えないかも知れませんがあと何日くらい、何ヶ月くらい生きられるのでしょうか? これから先どのような症状が展開されるのでしょうか? 同じような胆管癌になった家族をお持ちの方、医療関係者の方どんな事でも良いです。 最後どような感じで逝くのでしょう? 同様な症状が出たら次危険な状態でしょうか?教えて頂ければありがたいです。 たんたんと、冷静に感じられる文章かも知れませんが、もう十分涙も流しました。 私達にこれから起こる事を知っておきたいという気持ちと現実的に逝ったあとの事を考えてないといけません。 宜しくお願いします。 母が2年前に肝外胆管癌になりました。 今年60歳になります。 私は嫁にいっており、一緒に暮らしていません。 母は仕事は介護士(休職中)旦那は居ますが家庭内別居です。 戸籍以外ではほぼ一人暮らしと同じ状態です。 長文になりますがどうかお付き合い頂ければと思います。 2年前の3月に黄疸と発熱により発症しました。 なかなかはっきり分からず大学病院にて、分かりました。 2年前の5月に肝臓を半分とる摘出手術を12時間かけてし、癌は取り除かれたのですが、1つか2つはの残ってしまい、その後抗がん剤をする事... Q 何度もこちらで質問をさせていただいております。 今まで質問させていただいておりました状況から180度変わってしまい、家族で困惑している状態で質問をさせてください。 私の実父は5年前に末期の前立腺がんが発覚し、その時点で余命1年と言われました。 そして担当医から言われるがままに放射線、抗がん剤、ホルモン剤などのがん治療を行い、なんとか4年命を長らえることができました。 しかしある時からまったく効果がなくなり、1年前の7月「あと1ヶ月程度の命ですからご自宅で看とられてはいかがですか?」と病院から匙を投げられ、自宅近くの総合病院に転院、あと1ヶ月なら自宅で過ごさせてあげたいという家族の思いから自宅介護が始まりました。 退院後は病院にいるときよりも体調は良さそうでしたが、痛みを取るための麻薬が多いため、常に意味の分からないことを話し、幻覚もみていましたが、訪問介護の方がとても良くしてくださって、時々とんでもない大騒ぎを起こすことはありましたが、とりわけ穏やかに過ごすことができました。 そして余命一ヶ月と言われ、あれから1年が過ぎようとしていた今年7月。 呼吸困難、血圧低下、意識不明となり救急搬送、そのまま入院となりました。 そのときの内科の担当医から重度の肺炎を起こしており、あと1週間もてば…と言われました。 いつも側で見てきた私たちも「今回は本当にヤバい」と思い、家族4人交代で常に父の側にいました。 入院中は飲食は全くできず、意識は朦朧しており、せん妄がかなり強く出ており、1日1日弱っていく父をみんなで手を握りながら穏やかに過ごせるように努力をしてきました。 そして本日、早朝から担当医から急遽呼び出しを受け、入院のきっかけになった肺炎(肺に膿が溜まりそれに膜が張っている状態)でしたが、継続的に抗生物質を投与したことにより、肺炎がおさまって来たので、今日明日中に退院してくださいと言われました。 しかし父は2ヶ月近く一切の飲食を行っていないため身体は骨と皮のみ。 自力で立ち上がることも自分で歯を磨くことも顔を洗うこともできません。 意識は朦朧としていることはありますが、1週間ほど前から母や子供である私達に涙を流しながら「今まで面倒を見てくれてありがとう」「夕べ親父と兄貴がきて(どちらも昨年亡くなっています)俺たちと一緒に暮らそうって言ってくれたんだ」と言ったりして、顔は今までの苦しみから解放されたかのような穏やかな表情をしておりました。 しかし本日は一転。 今まで見たことないような鬼のような形相をしており、血圧計や心電図などを外していました。 言葉は怒鳴って話しますが何を言っているか意味が分かりません。 飲食は本日よりリハビリの一環で口内洗浄用のスポンジに水を湿らせて口の中に水分を与えるということは始まりましたが、リハビリ師に「嚥下ができないため固形物を飲み食いできる状態ではない」と言われました。 鼻から酸素投与をしておりますが、本日より外す方向で投与量を少なくしているとのことでしたが、とても呼吸が苦しそうで、時々肩で呼吸をしています。 また尿について、尿道に管を通し直接尿を出していますが、ここ1週間ほどは尿パックには血液のみというくらい真っ赤な尿がたまっています。 (麻薬投与により本人は痛みなどはありません)また尿量も入院時の半分以下になっています。 血圧は高い日もありますが平均60/40前後です。 (あがっても70くらい) また本日内科の担当医から聞いた話ですが、「泌尿器科の〇〇先生のお話では父の前立腺がんの進行はあと1年は大丈夫であろうという見立てです」と言われました。 (〇〇先生は父の担当医ではありません) 根本的な話ですが入院時一切の延命措置はしない、命を長らえるための治療は行わない。 ただ痛みだけは取ってあげてください。 という話をしたため、それ以降血液検査やレントゲンなどの検査を1ヶ月以上全くしていません。 本日の担当医も「レントゲンや血液検査などはしていませんが、熱が下がっているので肺炎は収まっている」と言っていました。 泌尿器科の先生は1年前の転院時に行った検査資料でお話をされていると思います。 父と話がしたいし、生きていてくれることはとてもうれしく思います。 でもこんな状態で父はまだ生きていけるのでしょうか? 私たち家族はどのような選択をしていけば良いのでしょうか? 退院/転院させることで、父を苦しめることになるのではないか?と思えて仕方がないのです。 頭の中が混乱しており、状況説明がうまくできていないと思いますが、どなたか教えてください。 宜しくお願い致します。 何度もこちらで質問をさせていただいております。 今まで質問させていただいておりました状況から180度変わってしまい、家族で困惑している状態で質問をさせてください。 私の実父は5年前に末期の前立腺がんが発覚し、その時点で余命1年と言われました。 そして担当医から言われるがままに放射線、抗がん剤、ホルモン剤などのがん治療を行い、なんとか4年命を長らえることができました。 しかしある時からまったく効果がなくなり、1年前の7月「あと1ヶ月程度の命ですからご自宅で看とられてはいかがです... A ベストアンサー 初めて記入させていただきます。 お父さまのことさぞ心を痛めてらっしゃるでしょうね お察しします。 質問がパッと目に入り、少し迷いましたが、 母を肝臓がんで亡くし、現在私も乳がんの再発で治療しており 何かお役に立てるかと思い、投稿しました。 医療関係者ではないので、専門的なことはわかりませんが お父さまは厳しい状態のようですね。 今後のこととなれば、母の場合は、厳しい状態ではありましたが 亡くなる前日、いえ当日の午前まで普通に話もし食事も取りました。 ただ、父に呼ばれ嫁ぎ先から帰って一晩泊まった次の朝、 1日のほどんどを眠り続ける母に、モルヒネを少し少なくしてもらったらどうか? つらければすぐ追加が可能だそうだからと、提案すると母は聞いてくれました。 ですが、その後苦しみ始め、すぐモルヒネを頼みましたが、その前に呼吸が停止したのです。 すぐ、送還して呼吸は取り戻しましたが、まもなく亡くなりました。 私は乳がんの手術後4年で再発し、抗がん剤治療が始まりました。 胸のリンパ節への再発で、手術もできない場所です。 いろいろ自分で調べたところ97%の確率で死に至ることを理解しました。 それから4年が過ぎました。 放射線と抗がん剤治療の後、私のがんは消滅し(寛解 ないとは言えないが、見えない状態)お医者さんも首をひねっています。 もちろん、治療は続きます。 今後また姿を現す可能性は高いでしょう。 実際近所のママ友は2000年初発2008年再発で、先頃亡くなりました。 私はというと、今は元気に生活し、仕事もしています。 長々書きましたが、何が言いたいかというと、がん患者の場合どのような早さで病状が進むのか、 人によってものすごく差があるということです。 お父さまにしても、いつ頃まで生きられそうだという、たとえ医者の言葉でも 当てにはならないと思います。 私の周辺で、医者の予測が当たった人など、少ないくらいです。 確かに厳しい状態ですが、今できる、いいと思うことをやられたらいいのでは と思います。 他の回答者の答えにもありましたが、あなた自身もよい選択をしておられるように思います。 ただ気になるのは、そんなに弱ったお父さまを『今日明日にも』退院させようとすることが 理解できません。 病状が静かに安定しているならまだしも、怒鳴ったり、呼吸が苦しそうなど 目が離せない状態で、今動かすことがいいとは思えません。 同じ病院にホスピスなどがあり。 速やかに動かせるならいいかもしれませんが。 こんな状態で動かすのはおかしいということを、主治医に話してみてはどうでしょうか。 移転先を探すのもなかなか大変なことですし。 なぜ、急に退院させようとするのか真意を聞けるといいかもしれません。 難しいかもしれませんが...。 認知症による徘徊など、病気ではないものに対して退院を迫るということは聞きますが お父さまは、医学的な治療(痛みをとるだけでも)が必要な患者ですから 退院を強制することはできないはずだと思います。 お役に立てたかどうかわかりません 看護もたいへんでしょうが、合間には体を休めて下さいね。 ご自分の健康も大切ですから。 お父さまが少しでも楽になられるよう祈っています。 初めて記入させていただきます。 お父さまのことさぞ心を痛めてらっしゃるでしょうね お察しします。 質問がパッと目に入り、少し迷いましたが、 母を肝臓がんで亡くし、現在私も乳がんの再発で治療しており 何かお役に立てるかと思い、投稿しました。 医療関係者ではないので、専門的なことはわかりませんが お父さまは厳しい状態のようですね。 今後のこととなれば、母の場合は、厳しい状態ではありましたが 亡くなる前日、いえ当日の午前まで普通に話もし食事も取りました。 ただ、父に呼ばれ嫁ぎ先から帰っ... Q 私の伯父のことですが、事の始めは伯父が自宅でろうそくの火が足に燃え移り両足にかなりのやけどをおい2ヶ月間も外科にその治療に通っていました。 ある日週に2回通っている老人施設で入浴サービスを受けようとしたとき担当から体に黄疸がでていることを指摘され病院で診察したところ肝臓ガンの末期と診断されました。 肝臓のど真ん中にかなり大きくあるとのことで手術しても無理だといわれました。 その後入院し点滴治療のみで二週間すごし黄疸が引いてきたので一度退院しましたが、すぐに食欲がなく体のだるさがましてきて黄疸が出てきたので再度入院し現在にいたっています。 現状は入院しているのですが点滴もせず、薬を投薬するのみで日に日にやせ、元気がなくなりオムツになってしまいまいました。 今日担当医に私の母が治療はどうなっているのか、このままただ病院で食事をさせるだけでどうなっているのかと聞いたところ急に慌ててエコーを取ったそうでその先の説明や治療の方針については一切聞けませんでした。 ここで質問ですが、このようにガンが大きく手術で全摘出できない場合の患者はこのまま何もせずにだんだん症状が悪化していくのを待つのみなのでしょうか。 ちなみに伯父は現在75歳です。 やけどのときに通っていた病院の対応といい(おうだんがでていたのはわかっていたのに放置していたこと)、手遅れだと何もしない医者の対応といい本当に怒りでいっぱいです。 来週早々に転院させる予定でいますがなにかよいアドバイスや体験談があったらどなたか聞かせてください。 私の伯父のことですが、事の始めは伯父が自宅でろうそくの火が足に燃え移り両足にかなりのやけどをおい2ヶ月間も外科にその治療に通っていました。 ある日週に2回通っている老人施設で入浴サービスを受けようとしたとき担当から体に黄疸がでていることを指摘され病院で診察したところ肝臓ガンの末期と診断されました。 肝臓のど真ん中にかなり大きくあるとのことで手術しても無理だといわれました。 その後入院し点滴治療のみで二週間すごし黄疸が引いてきたので一度退院しましたが、すぐに食欲がなく体のだるさがま... A ベストアンサー 私の父が肝臓癌で亡くなりました(59歳) 癌が見つかった時はすでに末期で肺に転移をしていたので 全く何もできない状態でした。 6月に入院してる病院の検査で発見したのですが すでに年内まで厳しいという状況で10月に他界しました。 父は何度もその病院に入院に検査をし、 3月にも検査をしてるはずなのに癌だと言われず、 突然の癌宣告に病院に不信感一杯で無理やり退院しました。 その時は総合病院でしたが、退院して自宅の近くの 内科の先生に通ってました。 入院施設も無い小さな病院でしたが、先生が親身に話しを聞いてくれて とても満足でした。 手遅れだと何もしないと書かれてますが、何もできない状態なのかも知れませんね。 私の父は持病で喘息も持ってた為モルヒネが使えませんでした。 病院に入院するのを拒んでたので自宅で看護をする事になり レンタルのベットや在宅看護サービスを利用しました。 と言っても、ベットが届き看護婦さんが来た時に亡くなりました。 父は結果的にはどちらの病院でも治療という治療は受けてませんが 先生との信頼関係という事を考えると後から通った病院の先生のおかげで 残された時間を有意義に過ごせたと思います。 質問者さんの叔父様については納得できる病院が見つかるといいですね。 私の父が肝臓癌で亡くなりました(59歳) 癌が見つかった時はすでに末期で肺に転移をしていたので 全く何もできない状態でした。 6月に入院してる病院の検査で発見したのですが すでに年内まで厳しいという状況で10月に他界しました。 父は何度もその病院に入院に検査をし、 3月にも検査をしてるはずなのに癌だと言われず、 突然の癌宣告に病院に不信感一杯で無理やり退院しました。 その時は総合病院でしたが、退院して自宅の近くの 内科の先生に通ってました。 入院施設も無い小さな病院でした... Q 昨年12月末に父が入院、手術を受け、大腸がん末期(ステージ4)と言われました。 手術の時に胃ろうを付け、それからは吐き気がひどく、飲み物のみで食事は全くできませんでした。 抗がん剤も1クールしましたが、一時期 脱水症状、呼吸や血圧の低下、高熱などがあり危なかったため、今は抗がん剤も止めています。 余命数ヶ月かも、との告知を受けて、あれから3ケ月が経ちました。 最近、昼間もずっと寝ています。 家族が部屋にいても、目を開けるのはほんの数回、それも数分でまた寝てしまいます。 今まで胃ろうから黒かったり、透明だったりの胃液が出ていましたが、ここ数日は本当に真っ黒となりました。 透明だった吐く胃液も黒いです。 最近、小腸ろうもつけましたが、これは白いです。 おしっこの管も今週よりつけられ、点滴も3~4種類と多くなりました。 足がときどきパンパンにむくみます。 先日は、せん妄も現れはじめ、時々おかしな事をいって、看護師さんや母を困らせました。 しかし、ここ数日は本当に四六時中寝ています。 大学病院に入院のため、主治医はかなり忙しく、なかなかつかまりません。 同じような大腸がんの症状を経験したご家族の方にお聞きしたいです。 このような症状は本当に最後の時が近いのでしょうか? 教えてください。 昨年12月末に父が入院、手術を受け、大腸がん末期(ステージ4)と言われました。 手術の時に胃ろうを付け、それからは吐き気がひどく、飲み物のみで食事は全くできませんでした。 抗がん剤も1クールしましたが、一時期 脱水症状、呼吸や血圧の低下、高熱などがあり危なかったため、今は抗がん剤も止めています。 余命数ヶ月かも、との告知を受けて、あれから3ケ月が経ちました。 最近、昼間もずっと寝ています。 家族が部屋にいても、目を開けるのはほんの数回、それも数分でまた寝てしまいます。 今まで胃ろ... 最初は余命半年と言われ、家族も皆、今一体何をすれば良いのかという状態にいきなり追い込まれました。 本人の辛い気持ちも癌の痛みも遺志も何一つわかってあげられないまま、宣告から1ヶ月半で旅立ちました。 最後に一番そばについてた母の言ってた事ですが、最期の方は、尿が醤油のように真っ黒だったそうです。 私が知ってる部分の最期に近い時の事は、浮腫、よく眠る、食べられないのに吐く、はばたき振戦 こんな字だったかな? 寝ている最中に、いきなり目だけ開けて、あちこちを見回す…とかでした。 父は最後まで、周りの一番気になる事を話してたらしいですが、長く多くは語らなかったです。 多分薬のせいで頭がボーっとなっていたせいだと思いますが。 「大学病院の担当医」かも知れませんが、聞きたい事はナースに言伝してでも、ちゃんと聞いた方がいいと思います。 でないと、後々後悔が残ります。 実際父も、意識がハッキリしてる時だけは、「担当医がこれからの事、何も言ってくれない…」と不安がってました。 父には、短いとわかってても頭の中にはほんの少しだけでも「これから」があったんだと思います。 何も言わなかった担当医が家族を呼び出し、多分後一週間位だと聞いた時には、もっと早く聞きたい事を聞いて、教えてもらっておけばよかったと後悔しました。 母はさじを投げられたとも言ってました。 結局一週間ももたず、容体が急変し、5日でした。 どうか、出来るなら担当医から詳しく聞いて、なるべくそばについていてあげてください。 最後に、私が書いたことが、不安を更にあおることになったのであれば、お許しください。 同じ「癌」を患った人が家族にいた人間として、1日でも長く生きられる事をお祈りしています。 最初は余命半年と言われ、家族も皆、今一体何をすれば良いのかという状態にいきなり追い込まれました。 本人の辛い気持ちも癌の痛みも遺志も何一つわかってあげられないまま、宣告から1ヶ月半で旅立ちました。 最後に一番そばについてた母の言ってた事ですが、最期の方は、尿が醤油のように真っ黒だったそうです。 私が知ってる部分の最期に近い時の事は、浮腫、よく眠る、食べられないのに吐...

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末期がんの余命1ヶ月の症状と家族ができること。

肝臓 癌 余命 1 ヶ月

全身が痩せる• 頭の機能の低下 体が痩せることは 「悪液質」と呼ばれるものです。 悪液質とはカヘキシーとも呼ばれ、何らかの疾患を原因とする栄養失調により衰弱した状態を指します。 がん患者の共通点として「痩せている人が多い」というのがこの悪液質が原因です。 健康であれば痩せることは難しく、ダイエットも難しかったのに、がんになるとあっという間に筋力が衰え、痩せていきます。 頭の機能も徐々に低下し、意識もぼんやりしたものになっていきます。 そのため、家族や周囲が思っている以上に、終末期のがん患者は死を恐れることはなくなっていきます。 参考 参考 余命1ヶ月の症状 余命1ヵ月の目安となる症状は以下のとおりです。 薬によって軽減できない足のむくみが出てくる。 急に食事がとれなくなる、歩けなくなる。 会話に整合性がとれなくなる、かろうじて会話ができる状態になる。 がんの種類や進行具合によって個人差がありますが、余命1ヶ月になると、これらの症状が現れ始めます。 会話もかみ合わなくなったり、新聞や本が読めなくなったりします。 友人や知り合いなど、ご家族以外で顔をあわせておきたい、会いたい人はこの時期にお見舞いに行くのが時期としてはギリギリです。 参考 薬によって軽減できない足のむくみ。 循環機能の低下や水分のバランスが崩れ、 足にむくみができるようになります。 薬(利尿剤)で軽減できることもありますが、改善されない、効果が薄くなると、余命1ヶ月程度と判断される場合があります。 妻も足のむくみが生じました。 院内用のスリッパが履けなくなるほどパンパンにむくんでいきました。 このときは既に移動は車椅子でしたが、妻は「もう足の感覚が薄い。 足と地面の間に水風船があるみたい」と言っていました。 急に食事がとれなくなる、歩けなくなる。 今までできた食事や徒歩での移動などが急にできなくなると、残された時間は1ヶ月程度と判断することが多くなります。 ほんの数メートル室内を歩き回っただけでぐっすり眠ってしまうくらい疲れてしまうこともあるので、移動はサポートをするようにしましょう。 この時期になると気分転換の散歩も車椅子をおすすめします。 海沿いの散歩は潮風で体を疲れさせてしまうので特に注意が必要です。 しかしながら、 散歩の気分転換は患者さんにとって精神的に大きなリラックス効果をもたらします。 寝たきりになってしまうまでは、体調をみながら車椅子でも散歩をできる限り続けましょう。 食事は医師の許す範囲で、できる限り本人が食べたいものを消化しやすい形にして作ると良いでしょう。 薬の副作用などで、口内炎になっていると飲み込むのも辛くなります。 体力も落ちてきて、食器を持つのも辛くなってくきますので、その場合は流動食にしたりなど、食事介護が必要になります。 このころの食事介助についてはこちらに書きましたので読んでください。 参考 会話に整合性がとれなくなる、かろうじて会話ができる状態。 妻は余命1ヵ月と診断されるちょっと前から、会話に整合性がなくなってきました。 意味のない話をずっとし続けたり、 会話の内容とまったくあわない受け答えをしたりするようになりました。 薬の副作用も多少はありましたが、会話らしい会話は少なくなってきました。 患者さんが何か大切なことを言い残したいという場合は、この時期の前に伝えのこせると良いかもしれません。 余命1週間の症状 痛みを抑えるために眠らせる処置を勧められることもあるので、家族としてやっておきたいことは、余命2ヶ月くらいまでに終えておきましょう。 また、患者さんとの最期の別れ、看取りをどうするかも考える時期です。 参考 参考 表情が乏しくなる。 妻の場合、死期が近づくと、 表情の変化が乏しくなりました。 こうなってから最期まで、笑うことはありませんでした。 「いたい…いたい…」と痛み、苦しみを訴える時だけ、苦しげな表情になった以外は、無表情が多くなり、たまに視線をあわせる程度になりました。 この時期になると、家族にもお別れがもう数日なんだな、とわかってきます。 会わせたい人や友人の面会はこのころがぎりぎりで、できればもっと早いほうが良いかもしれません。 参考 水が飲めなくなる 余命一週間になると、 水すら飲めなくなってしまうといった症状が現れることがあります。 本人に「飲みたい」という意思はあるのですが、口に含んでも飲み込むことができずに口から垂れ流してしまう状態になってしまうのです。 妻の場合は、ストローや吸飲みを使っても、吸い上げる力が残っていませんでしたので、脱脂綿やコットンに水を含ませ、唇からほんの少しずつ流し込むしかできませんでした。 (あまり多く流し込むと誤飲する危険があるため) 妻に最後に飲ませたのは紅茶でした。 脱脂綿に含ませ、流し込むと、おいしそうに飲んで、かすれた声で「おいしい…」と言ってくれたのを思い出します。 呼びかけに反応しなくなる。 余命1ヶ月を過ぎたあたりから、 呼びかけへの反応が薄れてきます。 亡くなる1週間前ぐらいになると、眠っている状態で声をかけても、肩を軽くゆすっても起きてくれなくなることが多くなっていきます。 薬で鎮静をかけている状態もありましたが、頭の機能低下に伴い、周囲の呼びかけに対する反応は薄くなると考えてよいでしょう。 反応が薄くなるといよいよお別れのときを覚悟せざるを得ません。 このときは「逝かないでくれ」というより、「どうか苦しまず安らかに旅立って欲しい」という気持ちが強かったのを覚えています。 愛する人が最期まで苦しむのだけは耐えがたかったのです。 まとめ 「この症状が始まったから余命1ヶ月」「こうなったからもう1週間くらい」という完全な指標はありません。 症状や全身状態、治療状況、本人の体力で前後します。 急変も十分に考えられます。 容態が安定して1ヶ月以上延命した人もいます。 急な痩せ、呼びかけへの反応、会話の流れなどから少しずつお別れの時間が迫ってくることを判断するしかありません。 末期症状にには「急変」もあります。

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