船村 徹。 追悼の森/船村徹さん死去

船村徹の歌詞一覧リスト

船村 徹

戦後歌謡界を代表する作曲家で2月16日に心不全のため亡くなった船村徹(享年84)の名曲を、レーベルを越えて収録した『追悼 船村徹 大全集(全108曲)』が、6月7日にリリースされた。 船村徹は、1932年6月12日、栃木県生まれ。 戦後、アメリカのポピュラー音楽に夢中になり作曲家を志した。 東京音楽学校(現・東京音楽大学)「別れの一本杉(春日八郎)」で脚光を浴びると、翌年より日本コロムビア専属作家となり「哀愁波止場(美空ひばり)」「王将(村田英雄)」などのヒット曲を放った。 78年にフリーになって以降も「兄弟船(鳥羽一郎)」「風雪ながれ旅(北島三郎)」など昭和歌謡を代表する作品を発表している。 近年は、1997年に日本作曲家協会会長、2004年に日本音楽著作権協会会長など音楽界の要職を務め、2015年には故郷日光市に「日本のこころのうた船村徹記念館」がオープン。 2016年の文化勲章受賞は、作曲家としては山田耕筰に続いて2人目となり、長年の功績がたたえられている。 『追悼 船村徹 大全集』は、そんな船村の名作をレーベルをこえて集大成した6枚組CD-BOXだ。 戦後日本の歌謡界を代表する作曲家の偉大な足跡を、全108曲からたどる作品となっている。 郷 ふるさとありて DISC-2. 海 海の男と女の話 DISC-3. 情 心にしみる情け歌 DISC-4. 巷 都会の人模様 DISC-5. 彩 七彩の歌種 DISC-6. 歌巡礼 船村徹自演集 [ 代表作の一部 ] 別れの一本杉 春日八郎 昭和30年 あの娘が泣いてる波止場 三橋美智也 昭和30年 早く帰ってコ 青木光一 昭和31年、コロムビアでの最初のレコード どうせひろった恋だもの コロムビア・ローズ 昭和31年 柿の木坂の家 青木光一 昭和32年 東京だョおっ母さん 島倉千代子 昭和32年 ダイナマイトが百五十屯 小林旭 昭和33年 哀愁波止場 美空ひばり 昭和36年 王将 村田英雄 昭和36年、37年レコード大賞特別賞 なみだ船 北島三郎 昭和37年 ひばりの佐渡情話 昭和37年 おんなの宿 大下八郎 昭和39年 矢切の渡し 細川たかし 昭和58年、レコード大賞大賞 宗谷岬 ダ・カーポ 昭和52年 兄弟船 鳥羽一郎 昭和57年 おんなの出船 松原のぶえ 昭和54年 風雪ながれ旅 北島三郎 昭和55年 女の港 大月みやこ 昭和58年 みだれ髪 美空ひばり 昭和62年 北の大地 北島三郎 平成3年、レコード大賞大賞.

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船村徹さん原点に親友の作詞家高野公男さん

船村 徹

作曲家 船村 徹 さん死去 2017年(平成29年)2月16日 死去 享年84歳• 作曲家 船村 徹 さん死去 戦後歌謡界に大きな足跡を残した作曲家で文化勲章受章者の 船村 徹(ふなむら とおる)さんが 2017年(平成29年)2月16日午後0時35分、心不全のため死去した。 84歳だった。 本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。 1953年(昭和28年)、作曲家デビュー。 日本人の心に寄り添った数々の名曲を生み出し、演歌の世界で、並ぶものがない大御所の作曲家として活躍。 「別れの一本杉」(春日八郎)や「王将」(村田英雄)など、約5000曲を手掛けた。 また、北島三郎や鳥羽一郎ら多くの歌手を育てたことでも知られる。 2016年には作曲家としては山田耕筰以来二人目の文化勲章を受賞した。 本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。 作曲家、歌手。 日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。 横綱審議委員会委員。 「日本会議」会員でもある。 戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。 大学在学時、米軍キャンプ専門のバンドでそのリーダーを務めたこともあったという。 大学在学時に、作詞家の高野公男(1956年に肺結核のため、26歳の若さで死去)と組み作曲の活動を開始。 1953年、雑誌「平凡」コンクール曲第一席「たそがれのあの人」がレコード化され、作曲家としてデビュー。 作曲家としての本格的な作品は「別れの一本杉」(歌:春日八郎 - 1955年発表)。 その後も、「ご機嫌さんよ達者かね」、「あの娘が泣いている波止場」(歌・三橋美智也)などが連続ヒットした。 1956年、キングレコードからコロムビアレコードに移り、「柿の木坂の家」、「早く帰ってコ」(歌:青木光一)が大ヒット。 「王将」 歌:村田英雄)は戦後初のミリオンセラーを記録した。 1993年、日本作曲家協会理事長に就任。 1997年、吉田正の後を受けて第4代会長に就任、2005年に遠藤実へバトンタッチするまで務めた。 作曲家として知られているが、「演歌巡礼」の活動の際、自ら歌唱する事もある。 2015年4月27日には栃木県日光市今市に「日本こころのうたミュージアム・船村徹記念館」がオープンした。 また、同館のオープニングセレモニーには親交の深かった北島三郎や鳥羽一郎、舟木一夫、由紀さおり、大月みやこ、瀬川瑛子など多くの著名人が参加した。 2017年2月16日午後0時35分、神奈川県藤沢市の病院にて心不全のため死去。 84歳没。 特記事項 妻は元歌手の能沢佳子、長男は作曲家・編曲家の蔦将包(つた まさかね)、長女は作詞家の真名杏樹、次女は元女優の福田渚子。 愛弟子は、北島三郎、鳥羽一郎、大下八郎、ムーディー松島、香田晋、静太郎、天草二郎、走裕介、村木弾。 女性歌手には森サカエ、森若里子などがいる。

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船村徹

船村 徹

作曲家 船村 徹 さん死去 2017年(平成29年)2月16日 死去 享年84歳• 作曲家 船村 徹 さん死去 戦後歌謡界に大きな足跡を残した作曲家で文化勲章受章者の 船村 徹(ふなむら とおる)さんが 2017年(平成29年)2月16日午後0時35分、心不全のため死去した。 84歳だった。 本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。 1953年(昭和28年)、作曲家デビュー。 日本人の心に寄り添った数々の名曲を生み出し、演歌の世界で、並ぶものがない大御所の作曲家として活躍。 「別れの一本杉」(春日八郎)や「王将」(村田英雄)など、約5000曲を手掛けた。 また、北島三郎や鳥羽一郎ら多くの歌手を育てたことでも知られる。 2016年には作曲家としては山田耕筰以来二人目の文化勲章を受賞した。 本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。 作曲家、歌手。 日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。 横綱審議委員会委員。 「日本会議」会員でもある。 戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。 大学在学時、米軍キャンプ専門のバンドでそのリーダーを務めたこともあったという。 大学在学時に、作詞家の高野公男(1956年に肺結核のため、26歳の若さで死去)と組み作曲の活動を開始。 1953年、雑誌「平凡」コンクール曲第一席「たそがれのあの人」がレコード化され、作曲家としてデビュー。 作曲家としての本格的な作品は「別れの一本杉」(歌:春日八郎 - 1955年発表)。 その後も、「ご機嫌さんよ達者かね」、「あの娘が泣いている波止場」(歌・三橋美智也)などが連続ヒットした。 1956年、キングレコードからコロムビアレコードに移り、「柿の木坂の家」、「早く帰ってコ」(歌:青木光一)が大ヒット。 「王将」 歌:村田英雄)は戦後初のミリオンセラーを記録した。 1993年、日本作曲家協会理事長に就任。 1997年、吉田正の後を受けて第4代会長に就任、2005年に遠藤実へバトンタッチするまで務めた。 作曲家として知られているが、「演歌巡礼」の活動の際、自ら歌唱する事もある。 2015年4月27日には栃木県日光市今市に「日本こころのうたミュージアム・船村徹記念館」がオープンした。 また、同館のオープニングセレモニーには親交の深かった北島三郎や鳥羽一郎、舟木一夫、由紀さおり、大月みやこ、瀬川瑛子など多くの著名人が参加した。 2017年2月16日午後0時35分、神奈川県藤沢市の病院にて心不全のため死去。 84歳没。 特記事項 妻は元歌手の能沢佳子、長男は作曲家・編曲家の蔦将包(つた まさかね)、長女は作詞家の真名杏樹、次女は元女優の福田渚子。 愛弟子は、北島三郎、鳥羽一郎、大下八郎、ムーディー松島、香田晋、静太郎、天草二郎、走裕介、村木弾。 女性歌手には森サカエ、森若里子などがいる。

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