世界 に 一 つ だけ の 花 歌詞。 今更ですが。。。”世界で一つだけの花”の歌詞を教えて下さい!!!

『世界に一つだけの花』はお釈迦様(ブッダ)の教え「唯我独尊」だった!

世界 に 一 つ だけ の 花 歌詞

「世界に一つだけの花」 歌の歌詞に秘められた仏教 SMAPというオンリーワンの花も、枯れてしまうという事に気付いた時に、なぜ仏教っぽさを感じたかというと・・・!? 昔、祖母から言われた「いろはにほへと」の意味を思い出したからです 今は、「あいうえお」で五十音を覚えますが、戦前ぐらいまでは、「いろはにほへと」で覚えていたそうです。 そして、それが禁止になった理由の一つだと思うのですが、実は、「いろはにほへと」というのはは、とても短いお経なのです。 色は匂へど (いろはにほへと) 散りぬるを (ちりぬるを) 我が世誰そ (わかよたれそ) 常ならむ (つねならむ) 有為の奥山 (うゐのおくやま) 今日越えて (けふこえて) 浅き夢見じ (あさきゆめみし) 酔もせず (ゑひもせす) これだけ見ても、意味はあんまり分かりませんよね。 インターネット寺院の彼岸寺は、こんな解説をしています。 美しく咲き香る花々も散ってしまう。 この世でいつまでも変わらないものなどあるのだろうか。 様々な因縁によって起こる出来事を今この人生で乗り越えよう。 決して儚い夢を見たり、酔いしれたりすることなく。 彼岸寺 もっとザックリ言うと・・・!? どんな花も枯れるように、この世は変わり続けているんだから、一時の幸せに酔いしれずに不幸があっても受け入れましょう、という感じの意味ですね。 それに気づいて、「世界に一つだけの花」って、こんな仏教的な解釈もできるのかもしれないと思いました。 そして、そんな解釈に気づいた私は、「俺もなかなかヤルな!」と、やや酔いしれる感じになっていたのですが、念のためにググってみたところ・・・!? この歌は、どうやら作詞・作曲の槇原敬之さんが、かなり仏教を意識して作られた歌らしいという事が分かったのです。 まさに、私も「いろはにほへと」の様に、酔い知れている場合ではありませんでした。 「世界に一つだけの花」の槇原敬之が、 歌の歌詞に込めた仏教の教え 世界に一つだけの花を作った槇原敬之さんは、1999年に覚せい剤を使用したという事で逮捕されてしまいました。 その後、槇原さんは、転落した人生を考えるなど、理由は色々とあるのでしょうが、お坊さんと交流を持つ様になったそうです。 その時に、お経の一説の「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という部分に感銘を受けたそうです。 この意味はというと・・・!? 「(極楽浄土の)池に咲いている蓮の花はその大きさが車輪のようであり、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を、それぞれ放つ」 つまり、意味は「世界に一つだけの花」と同じ様に、赤い花が青い花になる事はないし、なる事も出来ないというような意味です。 槇原さんは、そんな仏教の教えと、「星の王子さま」からインスピレーションを受けて、「世界に一つだけの花」を完成させました。 その後の快進撃は、日本人の多くが知っているように、シングルカットされて、300万枚の大ヒットとなっていくわけです。 やはり、ヒットには、ヒットの法則じゃないですけど、この歌は単純な流行歌とは違う時代を超えた普遍的要素が入っていたという事なのですね。 「スマップという国民的スター」、「槇原敬之さんのリアルな人生の葛藤と」、「1000年以上も語り継がれた仏教の教え」という、3つが合わさったら良い曲にならないわけがないという感じかもしれません。 そうかんがえて、改めて、「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という仏教用語を見てみると・・・!? 何だか、SMAPが森くんを含めた、6つの蓮の花に見えてくるような気がしてきますね。 っと、いう感じで、もっと宗教っぽい事を書こうかと思いましたが、 これ以上行くと、そうとう宗教じみて来て、怪しい度合いの一線を超えてしまいそうなので、これぐらいにしておきます(笑) 私が当初思った、「いろはにほへと」の感じではありませんでしたが、いずれにせよ、「世界に一つだけの花」は仏教っぽい歌のようです。 まとめ SMAPの「世界に一つだけの花」を聞いていたら、スマップという巨大で美しかった花も枯れてしまうのか(解散)と思ってしまった。 それが、仏教の「色は匂えど散りぬるを」的な感じがしたので、そんな意味のあるのかなと思ってググってみたところ、実は「世界に一つだけの花」は、かなり仏教に影響を受けた歌だったらしい。 私が感じた「いろはにほへと」の一節ではなかったものの、「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」というお経と、「星の王子さま」にインスピレーションを受けた歌らしいです。 やはり、国民的大スターのスマップ、槇原敬之のリアルな葛藤、仏教の教えという3つが集まったから、この歌は発売から10年以上もたって色あせない歌なのだろう。 都市伝説 関暁夫の都市伝説』 雑誌『PEN(映画評論コーナー)』など.

次の

♪歌詞【世界に一つだけの花】SMAP

世界 に 一 つ だけ の 花 歌詞

SMAPの名曲世界に一つだけの花 SMAPの「世界に一つだけの花」は2003年にSMAPの35枚目のシングルとして発売されたのですが、SMAPの曲の中でも代表曲であり、社会に多大な影響を与えた曲ですね^^ 「世界に一つだけの花」の作曲を、シンガーソングライターの槇原敬之さんが手がけたことでも話題になりましたね。 「世界に一つだけの花」が発売されてから、もう13年経ちました。 SMAPを好きな人はもちろん、嫌いな人や興味のない人でも耳にしたことがあるはずですし、たぶん「世界に一つだけの花」と思い出がリンクする人は多いのではないでしょうか。 ナンバーワンにならなくてもいい もっともっと特別なオンリーワン とても印象的な歌詞ですよね。 これを含め「世界に一つだけの花」の歌詞の本当の意味といわれているんです。 ただそれも幾つかの説があるんですよね^^; ひとつ目は、 如来蔵の思想。 当時、作曲をした槇原敬之さんは不祥事を起こし、刑に服した経歴があるんですが、その時芸能活動を謹慎している状況だったんです。 その反省の時に住職から聞いた話から「世界に一つだけの花」の歌詞が思い浮かんだそうなんですね。 それが如来蔵の思想で、簡単にいえば、 万物のあらゆる物事に価値を認める というもの。 ふたつ目は、 ゆとり教育の讃歌。 上記で挙げた有名な歌詞の一節でも分かるように、一番が全てではなく、個性(オンリーワン)を伸ばそうと言っています。 競争社会から抜け出し、自分らしく個性的に生きていこう、という解釈ができてしまうんですね。 したがって、解釈する人の中にはニート万歳の歌詞って考える人もいるようです・・・^^; まぁ確かに競争、努力を放棄して、自分らしくっていうふうに考えてしまうと、競争社会からドロップアウトした人の体の良い歌詞にも聞こえてしまいますが、ただこれは歌詞の一部分を取るからそう聴こえるんだと思います。 最後が 本当の意味のオンリーワン ふたつ目の解釈も、この部分に注目するとまた違う意味が見えてくると思います その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい ナンバーワンにならなくてもオンリーワンで良いっていうのも単純に競争しないで自分らしくっていうのではなく、自分の花(個性や自分らしさ)を咲かせるために努力をしていこうと、言っていると思うですよね。 ナンバーワンにならなくても~って言う歌詞が強烈なインパクトを持っていたので、努力しない、我慢しないでいいんだって捉えてしまうかもしれませんが、オンリーワンになるためには努力は絶対に必要ですよね^^ なので、オンリーワンが逃げ口上として使うのは、本当の意味でのオンリーワンではなく、 個性を磨くために、または自分らしく生きるために努力する 事でオンリーワンになれるだと思います^^ また競争社会で心身共にすり減らしてきた人たちにとっては、 肩の力を抜いていいんだよ、もっと自分の心に正直に生きてもいいんだよって、社会に揉まれている人たちへの讃歌だとも思っています。 世界に一つだけの花の現在の売上は? 「世界に一つだけの花」はの現在売上ですが2016年の1月の分裂、独立騒動以降、売上が伸びっているようで、現在は300万枚を超えています! そしてSMAPの解散発表後もオリコンで14日3位、15日4位、16日9位、17日3位、18日には1位になっているんです。 ちなみに18日だけで1万枚売れたとか。 そして「世界に一つだけの花」が1万枚売れて織り込んで1位になった18日は中居正広さんの誕生日だったそうで、中居正広さんにとってはとても複雑な気持ちかもしれませんね。 この現象はファンの気持を訴える手段として「世界に一つだけの花」の購買が進んでいるのと、やはりSMAPが、SMAPのこの歌がすきだからという気持ちがあると思います。 恐らく少なくても年内、解散までに「世界に一つだけの花」の売上は上がっていくでしょう。

次の

世界に一つだけの花 SMAP 中国語歌詞ピンイン

世界 に 一 つ だけ の 花 歌詞

Amazonのアーティストページより:編集部 Wikipediaには、この曲は2002年つまり平成14年7月に出たアルバムの収録曲だったとある。 まさに 平成を代表する楽曲ということだろう。 また「作詞作曲した槇原敬之によると、依頼を受けて最初に提出した作品をボツにされ、締め切りが迫る中で書き上げたという」とも書いてある。 筆者は「徒花」と書いた。 「徒花」を辞書で引くとこうある。 「咲いても実を結ばずに散る花。 転じて、実(じつ)を伴わない物事」と。 さぞ大勢いるであろうフアンの方々には申し訳ないが、実は筆者はこの歌の歌詞がどうにも好きになれない。 そのこととその理由とを友人に話すと、ほぼ異口同音にこういう反応が返って来る。 曰く、「お前は臍が曲がっている」、「あなたは考え過ぎよ」、「素直じゃないねえ」等々。 好きになれない理由を書く前に、先ずはその歌詞をおさらいしよう。 (太字は筆者) 「世界に一つだけの花」 NO. 1 にならなくてもいい もともと特別な Only one 花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている それなのに僕ら 人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのに その中で一番になりたがる? そうさ 僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる 頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね やっと店から出てきた その人が抱えていた 色とりどりの花束と うれしそうな横顔 名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた 誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように そうさ 僕らも世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから NO. 1にならなくてもいい もともと特別なOnly one さて、筆者がこの曲の歌詞をなぜ好きになれないかだが、先ずは蓮舫の「2位じゃだめなんですか?」を思い出すからだ。 2009年9月から2012年12月末まで3年余り続いた、あの悪夢の民主党政権の幕開け飾ったTV中継入りの事業仕分けで官僚らを前にいい放った一言だ。 筆者も国民の多くも唖然として耳を疑ったはずだ。 が、どうだ、「世界で・・」の歌詞も、槇原流の誤魔化しで「もともと特別なOnly one」と続けることで巧みに論点ずらしをしているものの、歌い出しから「NO. 1にならなくてもいい」と蓮舫と同じことをいっている。 確かにこの歌の歌詞全体から受ける印象は 一見もっともらしい。 しかし、 一見もっともらしいけれども よくよく考えるとどこかおかしいことが世の中には間々ある。 作者本人も「最初に提出した作品をボツにされ、締め切りが迫る中で書き上げた」と述べている。 つまりは深く考えることなくそれらしい言葉を並べて書き飛ばした訳だ。 「もともと特別なOnly one」もそれに当たる。 diversity(多様性)などという言葉が使われるはるか以前から、それこそ人類が誕生した時から全員が違う個性の人間であることは自明のことだ。 が、それは 磨かざる原石の違いの類であって、 磨かれた玉としての違いではない。 「NO. 1にならなくてもいい」とは、すなわち 磨かなくて良いといっている、あるいは聞き手が無意識にそう解釈していることに他ならないのではあるまいかと筆者は思う。 が、向上心を失い努力をしなければ人間は進歩しない。 「鶏口牛後」というではないか。 小さい集団だろうがトップを目指すべきなのだ。 「人間はどうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で一番になりたがる?」も一見もっともらしい。 が、果たしてそれは悪いことだろうか。 筆者はそうは思わない。 なぜなら 人のふり見て我がふり直せないようでは向上心を持続することは難しい。 要は 妬み嫉みがいけないだけだ。 まして比べるのは生きている者や周囲にいる者に限らない。 それは 偉人の伝記を読んで感動することを考えればすぐに判ること。 本を読むだけでなく、報道を見たり他人の話を聞いたりして感動し、そういう人間になりたい、そういう職業に就きたいと思う、これだって比べることに相違ない。 最後に一番もっともらしいが、一番おかしいと思うところ、それは「花屋の店先に並んだいろんな花」という部分だ。 なぜなら、 花屋の店先に並ぶのはそもそも選ばれたエリートの花だけだ。 見た目の悪いのや雑草の類はそもそも花屋の店先には並ばずに放って置かれる。 こういった一見もっともらしいがよく考えるとおかしい、皮相的で浅薄な歌詞や言句が持て囃され、地道な努力や勤勉さが ダサいと疎まれる、そういった側面が 平成という時代にあったことは否めまい。 ゆとり教育が取り入れられたり、教育勅語が否定されたりするのも、これに一脈通じるだろう。 弱者の権利が声高に叫ばれるのも同様で、黙ってはいても日本人には元々 惻隠の情が備わっている。 そういった風潮が 平成の後半を覆った長い経済低迷や世界と比べての学力低下を生んだのではないか、と筆者には感じられてならない。 令和は、日本人みなが、立派な他者と比べてそれを妬むのでなく、素直に我が身を振り返り自らを磨く努力を地道にするような、そんな時代にしたいものだ。 台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。

次の