きじ うま。 第37回 ふるさと探訪 きじ馬 考(3)

雉子車

きじ うま

熊本県南部に位置する人吉市の郷土玩具として有名な「きじ馬」。 壇ノ浦の戦いに敗れて球磨地方に移り住んだ平家の人々が、都をしのんで、作りはじめたのが発祥といわれます。 昔は大分や福岡、熊本など地域ごとの特徴があるきじ馬が作られていていたそうですが、現在もっとも有名なのは、人吉のきじ馬です。 写真は、ちいさな根付ですがいろいろなサイズがあり、もともとは子どもが外で引いて遊んでいたのだそう。 大きなものは全長70cmもあり、上に乗って遊べるそうですよ。 ちょっとわかりづらいですが、背中には肥後椿が描かれています。 大きな目が愛らしいですね。 男の子には「きじ馬」を、女の子には肥後椿が描かれた同じく名物の「花手箱」というのが人吉土産の定番です。 人吉を旅すれば、きっといろんなところできじ馬モチーフのものを見つけられると思います。 ほのぼのとしたかわいさのあるきじ馬を探してみてください。

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No.316 きじ馬と木うそ-九州・木の郷土玩具-

きじ うま

きじ馬 左 と木うそ 右 はじめに 当館が所蔵する郷土玩具の中から、九州を代表する木の玩具、きじ馬と木うそをご紹介します。 どちらも素朴で野趣 やしゅ あふれる姿形の中に、とてもチャーミングな表情を持っています。 産地、作者ごとに異なるその造形のおもしろさを見比べながら、それらを生み出し楽しんだ人々の暮らしを思い浮かべてみてください。 1、きじ馬 きじ馬は、きじ車とも呼ばれ、木で作った胴体に車輪を付けて転がせるようにしたおもちゃです。 郷土玩具の世界では、九州独特の玩具として、東北のこけしと対比され注目された存在です。 1 きじ馬のかたち それでは今回の展示資料を、きじ馬の形状をもとに、いくつかのグループに分けてみましょう。 分類は、車輪の数と、背の鞍 くら 状の凸部を指標とします。 北山田 きたやまだ のきじ馬 大分県玖珠郡 くすぐん 玖珠町 くすまち。 産地の旧村名である北山田の名で呼ばれます。 素材はホオノキで無彩。 昭和26年頃、北山田郵便局長の高橋善七さんが、この地に伝わるきじ馬の再興を思い立ち、大工・中村利市さんにその製作を依頼しました。 中村さんが作るきじ馬は、郷土玩具愛好家の間で評判となり、玖珠・日田 ひた 地方のきじ馬は大いに注目を集めることになりました。 北山田では、かつて庄屋の家に男の子が生まれたとき、そのお祝いに上野由左衛門という人がきじ馬を考案したと伝えています。 戦前、子どもたちは、きじ馬に紐 ひも をつけて曳 ひ き回ったり、跨 またが って坂道をすべり降りたりして遊んだといいます。 清水寺 きよみずでら のきじ車 福岡県みやま市。 瀬高町本吉 せたかまちもとよし の清水寺の門前で売られる参詣土産です。 清水寺を開いたのは伝教大師 でんぎょうだいし 最澄 さいちょう で、大師をその場所に導いたのが一羽の雌雉子 めすきじ であったため、参詣者はきじ車を求めて土産にすると伝えています。 収集家の間では、早い時期からよく知られ、九州の名玩 めいがん として名を馳 は せました。 ちなみに、最も古いきじ馬の記録と言われているのが江戸時代後期、文政年間の好事家 こうずか たちの会合の記録『耽奇漫録 たんきまんろく 』です。 そこに「雉子車」「筑後柳川産子とものもて遊ひもの」とあるのが、清水寺のきじ車だと考えられています。 谷尾崎 たにおざき のきじ車 熊本県熊本市谷尾崎町。 キジの鳴き声から、谷尾崎ではこれをケンケンと呼びます。 かつては村の多くの人々がその製作に携わり、秋冬の間に作りためたものを、高麗門 こうらいもん の市など、熊本市内の初市で売っていました。 アカマツの枝の自然の形をそのまま利用するため、同じ形のものはありませんが、逆にそれが特徴となり、一見して谷尾崎のものとわかる個性になっています。 2 きじ馬の呼び名と色彩 きじ馬は、土地によってさまざまな名前で呼ばれていたようですが、おおまかには、きじ馬ときじ車という二つの呼び方に分けられるでしょう。 グループAとBの二輪タイプは、どちらかというときじ馬と呼ばれることが多いようです。 両者を代表する北山田のきじ馬、人吉のきじ馬は、いずれも山間部のきじ馬です。 どちらもとても頑丈な作りで、大型のものも作られました。 これは、子どもたちがきじ馬に跨 またが り、まさに馬乗りになって遊んだことと関係ありそうです。 いっぽう、グループCとDの四輪タイプは、比較的小型で華奢 きゃしゃ な作りのものが多く、曳き回して遊ぶのに適した作りです。 両者を代表する清水寺のきじ車、谷尾崎のきじ車を見ても、きじ =雉子 のイメージがより強く出ていることがわかります。 また、市 いち で売りさばくことのなかった北山田のきじ馬が白木 しらき のままであるのに対し、市で売ることを想定した他のきじ馬が鮮やかに彩られているのも、興味深い点だといえるでしょう。

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旅行記 ・きじ馬を訪ねて − 熊本県人吉市

きじ うま

人吉のきじ馬 雉子車(きじぐるま)とは、木製玩具の一種。 「きじ馬」とも言う。 素朴な作風が特色。 きじ馬の「きじ」は「雉」と「木地」のダブルミーニングを持っていると言われる。 地方独特の玩具であり、野鳥のを模して木材を削って造り、車輪と紐を付属させ、屋外で牽引して遊ぶ。 産地は、、に集中するが、やでも僅かに製作される。 発祥の地は阿蘇を中心とする山岳地帯とされる。 を中心に見られると比較されることがあり、こけしは屋内で遊ぶ静的な玩具であるのと対照に、雉子車は屋外で遊ぶ事を主眼とする動的な玩具であるという要素に、北国と南国の対比が反映されているという。 雉子車が九州地方にのみ見られる理由として、雉子が神話などで縁起の良い鳥として信仰されていた説や、日本国外の文化からの輸入、平家の残党などの山奥での隠遁生活と信仰から生まれた説などが挙げられる。 最初は山間の集落でのみ作られていたが、やがて里に伝播するようになった。 それに伴い、彩色が施されたものが登場し、それまで人が乗れるほど大型の品が殆どであったものが軽量化、小型化するようになった。 雉子車の種類は、福岡県を中心に製作される清水系、熊本県などで生産される人吉系、大分県などで生産される北山田系の3つの系統に分類される。 材料 [ ] 、、、、、、、の木などが材料とされる。 系統 [ ] 清水系 [ ] 瀬高町にある清水観音の参詣土産として生産される。 雑木を輪切りにした四ツ車を、赤色、青色で塗った木製の雉子に付ける。 の住職、隆安法印が年間に創作したという。 背中に子供の雉子や三つ俵を背負った種類もあり、時代から登場した。 清水山には、やが山中で迷った折、雉子に道案内をされて霊木を見つけたという伝説があり、雉子は霊的な鳥の象徴として、早くから雉子を模した玩具が造られていた。 人吉系 [ ] 松の木を輪切りにした車輪が2つ付属している。 頭部に「大」の文字が記されているのが特徴。 大きさに多様性があり、かつては子供が乗って遊べるほどの大きさのものが造られていた。 創案したのは平家の落ち武者だと言われている。 車体には赤い椿の花が描かれていることが多い。 これは人吉一帯によく咲く花であり、また平家の赤旗を由来とするものとも言われる。 全国規模で販売され、熊本県の代表的な郷土玩具の一つとなっている。 北山田系 [ ] 大分県玖珠郡で生産される。 半ばに誕生した。 北山田という名は町村合併以前の旧名に由来する。 尾の部分が平らになっており、車輪は2つ。 種類によっての毛をたてがみとして挿しているものがある。 外見は雉子というよりも馬に似ている。 構造は単純だが、の陶工が称賛するなど、荒削りだが洗練された造形美を持つ。 脚注 [ ] []• 郷土玩具辞典・98項 参考文献 [ ]• 「郷土玩具辞典」()• 畑野栄三「全国郷土玩具ガイド」().

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