国家 総動員 報。 国家総動員報 ランキング

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国家総動員法とは? (第1次近衛文麿内閣 出典:) 国家総動員法とは、 1938年 昭和13年 に第1次近衛文麿内閣のもとで制定された戦時法です。 1937年に始まった 日中戦争の拡大に対応するために定められました。 戦時には国防のため、国内のすべての人的資源・物的資源を統制・運用する権限を政府に与えるという内容で、事実上「白紙委任状」に近いものでした。 政府はこれをもとにさまざまな勅令を定め、 国民生活のすみずみまで統制する総力戦体制を整えていきました。 1945年に第2次世界大戦が終わると、国家総動員法は廃止されました。 国家総動員法の制定理由 国家総動員法を制定した直接の理由は、1937年に始まった 日中戦争が長期化していたことにあります。 中国側の抵抗が予想以上に激しく、戦争終結に向けためどが全く立たない中で、財政的な負担だけが膨らんでいきました。 日中戦争が始まった直後から、第1次近衛文麿内閣は臨時資金調整法や輸出入品等臨時措置法を制定し、国内の経済統制を強めてはいたのですが、戦争が長期化したため、国内の統制をさらに強めなければならなくなります。 そうした中で、第1次近衛文麿内閣は、国民全員に戦時意識を植え付けるキャンペーンとして 国民精神総動員運動を提唱し、貯蓄や国債応募、国防献金、物資節約などを呼びかけ始めます。 これがのちに 「ぜいたくは敵だ!」や 「欲しがりません勝つまでは」といった戦時中の有名なスローガンにまで発展していくことになるものです。 (銀座の立て看板 出典:Wikipedia) また、これと同時に、 企画院という内閣直属の官庁が設置されます。 この企画院が実際に戦時経済の計画や調整を行うことになります。 国家総動員法も企画院が中心となって立案したものです。 (企画院 出典:Wikipedia) 1 兵器、艦艇、弾薬などの軍用物資 2 衣服、食糧、飲料、飼料 3 医薬品、医療機器、医療器具、その他の衛生用物資、家畜衛生用物資 4 船舶、航空機、車両、馬、その他の輸送用物資 5 通信用物資 6 土木建築用物資、照明用物資 7 燃料、電力 8 上に挙げたものを生産・修理・配給・保存するのに必要な原料、材料、機械、器具、装置、その他の物資 9 上に挙げたもの以外で勅令で指定する物資 このように、政府が統制・運用できるものが事細かに書かれています。 しかも、9つ目の項目にあるように、 政府が勅令さえ定めれば、統制・運用できるものの範囲を後から拡大することができます。 このあたりが「白紙委任状」と呼ばれる理由の一つです。 実際、国家総動員法に関連する勅令として、さまざまな勅令が定められました。 例えば、 国民徴用令。 軍需工場などの労働力を確保するために、厚生大臣に対して強制的に国民を徴用できる権限を与えた勅令です。 はじめは建築技術者850人が徴用される程度でしたが、1941年以降は大規模になります。 さらに、1945年には他の法令と統合され、 国民勤労動員令となり、敗戦時には徴用された国民は総計616万人に上っていました。 また、 生活必需物資統制令では、米や燃料などの生活必需品の生産・配給・消費・価格が全面的に統制されました。 これによって、国民は配給割当ての切符で生活必需品を入手しなければならなくなります。 そして1941年にアジア・太平洋戦争が始まると、 物資統制令に引き継がれました。 この他にも、 価格等統制令、 新聞紙掲載制限令、 国民職業能力申告令など、さまざまな勅令が定められました。 このようにして、国家総動員法は国民生活のすみずみまで統制していくことになります。 国家総動員法の問題点 (昭和13年法律成立を報じる新聞 出典:) 国家総動員法の問題点は、大きく2つ挙げることができます。 実際の法律の運用がかなりの部分で政府の自由な裁量にゆだねられていたため、政府にとって都合の良いようにこの法律が使われ、これ以後の戦争拡大を止めることができませんでした。 この点は、当時すでに帝国議会で問題になっていました。 企画院が中心となって提出した国家総動員法の法案を議論する中で、衆議院の議員からは 「前例のない広範な委任立法で政府は猛省を必要とする」「非常時に名を借りた天皇大権干犯の法案である」といった厳しい批判が起こりました。 また、法案の審議中に政府側の説明委員として発言した陸軍省の役人が、議員から発言資格を疑問視する意見が出たときに「黙れ!」と叫んで問題となった場面もありました。 このように前代未聞の白紙委任状のような法案だったため、審議は大きく荒れましたが、結局は軍の圧力に押し切られて、衆議院では全会一致で法案が通過します。 また、貴族院でも一部の議員が反対したものの賛成多数で通過してしまい、国家総動員法は成立することになりました。 国家総動員法そのものは、政府が国内の資源、資本、労働力から貿易、運輸、通信に至るまで、すべての人的資源・物的資源を統制する経済政策に関わる法律でした。 ですが、 さまざまな勅令が追加された結果、国民を軍需工場に徴用したり、ストライキを禁止したり、言論や集会を制限したりするなど、国民からさまざまな自由を奪うものになっていきます。 この法律のせいで戦争に反対する言論は封殺され、全国民が強制的に戦争に協力させられる体制ができあがっていきます。 まとめ.

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国家総動員法

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第2次世界大戦期の日本の体制の根幹となった法律で,1938年 昭和13 に第1次内閣のもとで制定され 4月1日公布,5月5日施行 ,戦時国家総動員,すなわち〈戦時 戦争に準ずるを含む に際し国防目的達成の為国の全力を最も有効に発揮せしむる様人的及物的資源を統制運用する〉広範な権限を政府に与えた。 その各条は総動員業務のための国民の,従業者の労働条件との予防と解決,物資の生産,修理,,使用等,や輸入とそれらの制限,総動員物資の使用・,会社の設立・・や利益処分等の制限や禁止,・事業場・の管理や収用,設備投資の・拡張とその制限禁止,出版物の記事の制限禁止,さらに国民登録,技能者養成,物資備蓄,総動員業務の計画と,試験研究など広範な分野にわたって必要な命令を出しうるとし,損失補償やも規定していた。 出典 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について の解説 日中戦争後、第二次世界大戦中に行われた網羅的動員統制法で、1938年(昭和13)4月公布、5月施行。 日中戦争勃発 ぼっぱつ 直後、第一次近衛文麿 このえふみまろ 内閣は臨時資金調整法、輸出入品等臨時措置法などの経済統制法規を制定し、さらに戦争拡大に伴って臨戦体制を強化し、国民精神総動員運動を展開、企画院を設置した。 その企画院を中心に立案された国家総動員法案は、電力国家管理案とともに38年の第73議会に提出され、衆議院では民政党の斎藤隆夫、政友会の牧野良三 りょうぞう ら自由主義者といわれた議員が「前例のない広範な委任立法で政府は猛省を必要とする」「非常時に名をかりた天皇大権干犯 たいけんかんぱん の法案である」などと厳しい批判的な質問を行ったが、軍の圧力に押し切られて全会一致で通過した。 社会大衆党が法案の実現を強く主張して注目をひいた。 貴族院では一部議員が反対したが、多数で通過となった。 法案審議中、政府説明委員として発言した陸軍省軍務局軍務課員佐藤賢了 けんりょう 陸軍航空兵中佐が、議員から出された同中佐の発言資格を問う疑義に対して、「だまれ!」と一喝して問題となり、杉山陸軍大臣が遺憾の意を表した。 この法律は、戦時においてすべての資源、資本、労働力から貿易、運輸、通信その他あらゆる経済部門に国家統制を加え、国民の徴用、争議の禁止、言論の統制など、国民生活を全面的に国家の統制運用に服せしめる権限を政府に付与した授権法であり、いわば政府への白紙委任状であった。 日中戦争中に、同法に基づく勅令として、国民徴用令、国民職業能力申告令、価格等統制令、生活必需物資統制令、新聞紙等掲載制限令その他の統制法規がつくられ、41年3月大幅な改正が行われて罰則なども強化された。 太平洋戦争に突入すると、その適用は拡大され、国民生活を全面的に拘束した。 [長 幸男] 【ファシズム】より … こうした新しい伝達手段に裏打ちされて,国民の文化生活は,管理され抑圧されたものでありながら,しかし活力ある充実の様相をしばしば呈することができた。 イタリアや日本の国家総動員法,ドイツの帝国文化院法,さらには日本の大政翼賛会や文学報国会など,文化生活にかかわる法律や機構は,異分子を排除し〈協力〉を強要するための制度には違いないが,そうした制度は,必ずしも〈上から〉強圧的に制定されたものではなかった。 1938年4月1日施行の日本の国家総動員法は,戦争と侵略の遂行に不可欠な基本法であったが,一般国民に対する強制や罰則を含まず,これら国民にはもっぱら自発的な協力が期待されていたにすぎなかった。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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国家総動員法と大政翼賛会とは?わかりやすく解説。軍国主義への道

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国家総動員法とは? (第1次近衛文麿内閣 出典:) 国家総動員法とは、 1938年 昭和13年 に第1次近衛文麿内閣のもとで制定された戦時法です。 1937年に始まった 日中戦争の拡大に対応するために定められました。 戦時には国防のため、国内のすべての人的資源・物的資源を統制・運用する権限を政府に与えるという内容で、事実上「白紙委任状」に近いものでした。 政府はこれをもとにさまざまな勅令を定め、 国民生活のすみずみまで統制する総力戦体制を整えていきました。 1945年に第2次世界大戦が終わると、国家総動員法は廃止されました。 国家総動員法の制定理由 国家総動員法を制定した直接の理由は、1937年に始まった 日中戦争が長期化していたことにあります。 中国側の抵抗が予想以上に激しく、戦争終結に向けためどが全く立たない中で、財政的な負担だけが膨らんでいきました。 日中戦争が始まった直後から、第1次近衛文麿内閣は臨時資金調整法や輸出入品等臨時措置法を制定し、国内の経済統制を強めてはいたのですが、戦争が長期化したため、国内の統制をさらに強めなければならなくなります。 そうした中で、第1次近衛文麿内閣は、国民全員に戦時意識を植え付けるキャンペーンとして 国民精神総動員運動を提唱し、貯蓄や国債応募、国防献金、物資節約などを呼びかけ始めます。 これがのちに 「ぜいたくは敵だ!」や 「欲しがりません勝つまでは」といった戦時中の有名なスローガンにまで発展していくことになるものです。 (銀座の立て看板 出典:Wikipedia) また、これと同時に、 企画院という内閣直属の官庁が設置されます。 この企画院が実際に戦時経済の計画や調整を行うことになります。 国家総動員法も企画院が中心となって立案したものです。 (企画院 出典:Wikipedia) 1 兵器、艦艇、弾薬などの軍用物資 2 衣服、食糧、飲料、飼料 3 医薬品、医療機器、医療器具、その他の衛生用物資、家畜衛生用物資 4 船舶、航空機、車両、馬、その他の輸送用物資 5 通信用物資 6 土木建築用物資、照明用物資 7 燃料、電力 8 上に挙げたものを生産・修理・配給・保存するのに必要な原料、材料、機械、器具、装置、その他の物資 9 上に挙げたもの以外で勅令で指定する物資 このように、政府が統制・運用できるものが事細かに書かれています。 しかも、9つ目の項目にあるように、 政府が勅令さえ定めれば、統制・運用できるものの範囲を後から拡大することができます。 このあたりが「白紙委任状」と呼ばれる理由の一つです。 実際、国家総動員法に関連する勅令として、さまざまな勅令が定められました。 例えば、 国民徴用令。 軍需工場などの労働力を確保するために、厚生大臣に対して強制的に国民を徴用できる権限を与えた勅令です。 はじめは建築技術者850人が徴用される程度でしたが、1941年以降は大規模になります。 さらに、1945年には他の法令と統合され、 国民勤労動員令となり、敗戦時には徴用された国民は総計616万人に上っていました。 また、 生活必需物資統制令では、米や燃料などの生活必需品の生産・配給・消費・価格が全面的に統制されました。 これによって、国民は配給割当ての切符で生活必需品を入手しなければならなくなります。 そして1941年にアジア・太平洋戦争が始まると、 物資統制令に引き継がれました。 この他にも、 価格等統制令、 新聞紙掲載制限令、 国民職業能力申告令など、さまざまな勅令が定められました。 このようにして、国家総動員法は国民生活のすみずみまで統制していくことになります。 国家総動員法の問題点 (昭和13年法律成立を報じる新聞 出典:) 国家総動員法の問題点は、大きく2つ挙げることができます。 実際の法律の運用がかなりの部分で政府の自由な裁量にゆだねられていたため、政府にとって都合の良いようにこの法律が使われ、これ以後の戦争拡大を止めることができませんでした。 この点は、当時すでに帝国議会で問題になっていました。 企画院が中心となって提出した国家総動員法の法案を議論する中で、衆議院の議員からは 「前例のない広範な委任立法で政府は猛省を必要とする」「非常時に名を借りた天皇大権干犯の法案である」といった厳しい批判が起こりました。 また、法案の審議中に政府側の説明委員として発言した陸軍省の役人が、議員から発言資格を疑問視する意見が出たときに「黙れ!」と叫んで問題となった場面もありました。 このように前代未聞の白紙委任状のような法案だったため、審議は大きく荒れましたが、結局は軍の圧力に押し切られて、衆議院では全会一致で法案が通過します。 また、貴族院でも一部の議員が反対したものの賛成多数で通過してしまい、国家総動員法は成立することになりました。 国家総動員法そのものは、政府が国内の資源、資本、労働力から貿易、運輸、通信に至るまで、すべての人的資源・物的資源を統制する経済政策に関わる法律でした。 ですが、 さまざまな勅令が追加された結果、国民を軍需工場に徴用したり、ストライキを禁止したり、言論や集会を制限したりするなど、国民からさまざまな自由を奪うものになっていきます。 この法律のせいで戦争に反対する言論は封殺され、全国民が強制的に戦争に協力させられる体制ができあがっていきます。 まとめ.

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