噴火 イラスト。 宝永大噴火

気象庁|主な火山災害

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先生は世界のいろいろな火山を見たことがあるんでしょ? ぼくも火山を見に行くことはできる?• もちろんだよ。 活発な火山の火口には近づかないほうがいいけど、遠くからながめられる火山の景色もあるから。 たとえば、 湖になっていることも多い「カルデラ」は、緑や 紅葉 こうように囲まれた美しい景色を楽しめる場所が多いよ。 火山が生んだ美しい「カルデラ」の景色 画像提供:洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会• わぁ! きれい! この湖のあるところがカルデラなの?• カルデラはスペイン語で「なべ」という意味で、 火山の 噴火 ふんかによって大きく丸くへこんだ場所のことを言うんだ。 そこに雨水がたまって深い湖になっていることが多い。 これは北海道の 洞爺 とうや湖というカルデラ湖だよ。 上空から見たカルデラ湖 (北海道・ 洞爺 とうや湖) 画像提供:洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会• 深いおなべみたいな形をしているんだね。 火口とはちがうの?• カルデラは火口よりもサイズが大きいよ。 大きなカルデラはたいてい、いくつもの山が連なったところで起きているんだ。 長い年月の間に山々の地下に大量のマグマがたまり、それが一気に 噴 ふき出す 超巨大噴火 ちょうきょだいふんかで中がカラになり、 天井 てんじょうが 崩 くずれ落ちる。 そして地上にへこんだ部分=カルデラができるんだ。 カルデラはどこに行けば見られるの?• 日本では北海道・東北・九州に多いよ。 火山の 分布 ぶんぷと関係しているんだ。 下の絵の三角で 示 しめしたところが主要なカルデラがある場所だよ。 火山やカルデラのある場所 プレートがぶつかり合うところでは、一方が他方の下にもぐりこむ。 その 沈 しずみこんだプレートが100〜150キロメートルくらいの深さに達したところでマグマが作られ、その上にあたるところに火山はできる。 火山は 海溝 かいこうにほぼ平行して 分布 ぶんぷしていて、 海溝 かいこう側の火山を連ねる線を「火山フロント」という。 日本には火山が多いの?• 火山は太平洋を取りまくようにほぼまんべんなくあるから、日本に特に多いわけではないよ。 日本やインドネシアのように人口が集中している 地域 ちいきで 噴火 ふんかすると目立つから、火山国と言われたりするんだ。 噴火 ふんかのニュースを見ると「火山ってこわい!」と思っちゃうことも。 噴火 ふんかは見た目に 衝撃 しょうげき的だから印象に残りやすいけれど、 火山の一生の間で、 噴火 ふんかは 一瞬 いっしゅんのこと。 噴火 ふんかによって火山は成長し、高い山に雲がぶつかって雨が 降 ふり、 火山灰 かざんばいがつもってできた 豊 ゆたかな 土壌 どじょうが水をたっぷりふくんで、いろいろな植物が育つんだ。 そうなんだ! 火山があるおかげで、ぼくたちの生活が 豊 ゆたかになっていることもあるのかな?• うん、火山のめぐみはいっぱいあるよ。 たとえば今回 紹介 しょうかいしたカルデラのように、 火山は美しい景観を作り出してくれる。 日本の国立公園の半分以上は火山 地域 ちいきだし、世界的にも有名なナショナルパークや世界自然 遺産 いさんの多くは火山に関係しているよ。 へぇ! すごい!• 火山を作るマグマの活動は、いろいろな 鉱物資源 こうぶつしげんも生み出してくれる。 オリンピックのメダルに使われる金・銀・ 銅 どうも、ダイヤモンドもそう。 火山のおかげで 温泉 おんせんを楽しめたり、地下の熱を利用して発電できたり、火山の土は平地よりもミネラル分が多いため、おいしい野菜がとれたりもするよ。 火山のめぐみ• 火山は人の生活と関わりが深いものなんだね。 いろいろな火山のストーリーや歴史について、もっと知りたくなっちゃった。 カルデラも見に行ってみるね!.

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南から見た富士山の宝永火口、火口の位置:1(第一火口)、2(第二火口)、3(第三火口)、4(宝永山) 宝永大噴火は、歴史時代の富士山三大噴火の一つであり、他の二つはに発生した「の(800年 - 802年)」と「(864年 - 866年)」である。 宝永大噴火以後、現在に至るまで富士山は噴火していない。 特徴は噴煙の高さが上空20kmと推定される VEI5 のと大量のである。 実際に100 離れたにも火山灰が積もった。 ただしの流下は見られていない。 地下20km付近のマグマが滞留することなく上昇したため、脱水及び発泡と脱ガスが殆ど行われず、爆発的な噴火となった。 噴火がみられたのは富士山の東南斜面であり、合計3つの火口が形成された()。 これらは標高の高い順に第一、第二、そして第三宝永火口とよばれ、互いに重なり合うように並んでいる。 ただし麓から見ると最も大きい第一火口のみが目立つ。 なお、宝永山はが整備されているため登山が可能である。 第二火口 上部に宝永山の山頂 被害と復興 [ ] 火山灰は関東一円に降り注ぎ、農作物に多大な影響をもたらした。 被災地の管轄は、小田原藩以外は幕領や旗本知行地が多く細分されていたが、幕府は全国各藩への石高に応じた課税により資金調達し被災各地の復興に努めた。 では自力での復興は無理であると判断し、領地の半分を幕府に差しだし救済を求めた。 しかし、噴火から20年以上を経ても復興できない地域が多くあり、小田原藩の米の収量が元に戻るまで90年程を要した。 流域では、堆積した火山灰 富士山周辺で推定40cm により水位が上がり堤防が決壊し、水没する村が続出した。 に見出されたがの命を受けて享保11年(1726年)から復興に当たった。 富士山の噴火史 [ ] 浮世絵に見る宝永火口() 富士山の活動は3つの時代に分けられる。 一番古い 小御岳火山(こみたけ-)は今の富士山の場所で10万年以上前に活動していた。 その次に 古富士火山が8万年前頃から爆発的な噴火を繰り返して大きな山体を形成した。 その後1万年前(5000年前とする説もある)から現在の 新富士火山の活動に移行した。 新富士火山の噴火では大量のやなどの降下噴出物、、などの流出が特徴である。 平安時代は特に火山活動が活発で、19年 - 21年( - )に大量の火山灰を降らせたとに記載された 延暦の大噴火があり、貞観8年()には山腹から大量の溶岩(青木が原溶岩)を流出し現在のの元を形成したなど大きな噴火があった。 その後は小規模な噴火や噴気活動など比較的穏やかな時期が続いていた(詳しくは「 」を参照)。 時代背景 [ ] 噴火が起こったのはの治世(8年 - 6年・1680年 - 1709年)の末期で、江戸や上方の大都市ではと呼ばれる町人文化が発展していた。 噴火の前年には、15年()に起こったの討ち入り事件がの筆で人形浄瑠璃として初演された。 富士山に大穴を開けたこの大噴火は、綱吉やの悪政の証拠だとされ、これはであるが、当時はこのような天災地変は天地から生まれた財宝であるにし幕府の私腹を肥やした結果だとされていた。 宝永大噴火の推移 [ ] 詳細は「」を参照 噴火の始まる49日前の()に推定マグニチュード8. 6 - 9クラスと推定される宝永地震が起こった。 この地震の震源は定期的に巨大地震を起しているであり、日本最大級のものであった。 遠州沖を震源とすると沖を震源とするが同時に発生したとの見方もあった。 地震の被害は、、におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、による流失家屋2万戸に達した。 宝永地震の翌日卯刻(6時頃)、付近を震源とする強い地震()があり、、で強く感じられ、付近では社領の家が残らず潰れ、()頃から山麓で地響きが始まった。 また、この4年前、16年()に発生したの後にも、()頃から山鳴りが始まったことが『僧教悦元禄大地震覚書』に記されている。 噴火の始まり [ ] 宝永地震のと宝永火口付近直下の浅い地震活動が続く中、()の夜から富士山の山麓一帯ではマグニチュード 4から5程度の比較的強めの地震が数十回起こった。 23日(16日)の10時頃、富士山の南東斜面から白いのようなものが湧き上がり急速に大きくなっていった。 噴火の始まりである。 富士山の東斜面には高温のが大量に降下し家屋を焼き田畑を埋め尽くした。 夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷によるが空を飛び交うのが目撃された。 火山灰の降灰 [ ] この噴火により江戸でも大量のが降った。 当時江戸に居住していた儒者のは享保元年(1716年)頃に成立した随筆『』に降灰の様子を記している。 「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。 西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。 」 江戸でも前夜から有感地震があった。 昼前から雷鳴が聞こえ、南西の空から黒い雲が広がって江戸の空を覆い、空から雪のような白い灰が降ってきた。 また大量の降灰のため江戸の町は昼間でも暗くなり、燭台の明かりをともさねばならなかった。 別の資料では、最初の降灰はねずみ色をしていたが夕刻から降灰の色が黒く変わったと記されている(伊藤祐賢『伊藤志摩守日記』)。 2日後の()にも『黒灰下る事やまずして』(折たく柴の記)と降灰の状況が記されている。 ここで注目すべきは最初の火山灰は 白灰であったが、夕方には 黒灰に変わっていることで、噴火の最中に火山灰の成分が変化していた証拠である。 この時江戸に降り積もった火山灰は当時の文書によれば2寸 - 4寸 5 - 10cm であるが、実際にはもう少し少なかったと推定されている。 本郷キャンパスの発掘調査では薄い白い灰の上に、黒い火山灰が約2cm積もっていることが確認された。 この降灰は強風のたびに細かい塵となって長く江戸市民を苦しめ、多数の住民が呼吸器疾患に悩まされた。 当時のでも多くの人が咳き込んでいるさまが詠まれている。 これやこの 行も帰るも 風ひきて 知るも知らぬも おほかたは咳 (の「これやこの行くも帰るも別れつつしるもしらぬもあふさかの関」をふまえた歌) また、宝永4年当時の主はであったが、奈良県の大和郡山市教育委員会所蔵「豊田家史料」には宝永噴火の際に採取された火山灰が現存している。 これは柳沢家家老・により保管されたもので、享保9年にが大和郡山へとなり、現在まで伝わっている。 火山灰は二枚の紙によって包まれた状態で現存しており、包紙の記載から宝永噴火の際のものであることが確認される。 なお、宝永噴火が発生した宝永4年11月23日には吉保の子息である・が従五位下にされている。 噴火の推移 [ ] 宝永大噴火は宝永4年11月23日(1707年12月16日)に始まり()に終焉した。 この期間噴火は一様ではなく最初の4日は激しく噴火したが、その後小康状態をはさみながらの噴火が続いた。 以下噴火の推移を説明する。 11月23日(12月16日):昼前から噴火が始まる。 火口の近くには降下が大量に落下し江戸まで白っぽい火山灰が降った。 午後3時頃小康状態となるが夕方から再度激しくなる。 夕方からの降灰は黒色に変わり、火口近くにはが降下した。 噴火は夜も長い時間続いた。 ():朝方一旦静まるが、その後から江戸にかけて終日断続的に降灰。 11月25日(12月18日):前日同様朝小康状態のあと、断続的に噴火。 江戸にも降灰。 ():江戸では断続的な降灰が続くが、小康状態の期間が多くなってくる。 - ( - ):噴火の頻度や降灰量が減っていった。 12月8日(12月31日):夜になって噴火が激しくなる。 遅くに爆発が観測され、その後噴火は終焉した。 被災地の状況 [ ] 「」および「」も参照 現在のから(御厨地方)は最大3mに達する降下(噴火初期)、降下(中期から後期)に覆われた。 家屋や倉庫は倒壊または焼失し、食料の蓄えがなくなった。 田畑は『焼け砂』(スコリアや火山灰など)に覆われ耕作不能になり、用水路も埋まって水の供給が絶たれ、被災地は深刻なに陥った。 当時の領主・は被災地への食料供給などの対策を実施したが、藩のレベルでは十分な救済ができないことは明らかであった。 そこで藩主・はに救済を願い出た。 幕府はこれを受け入れ周辺一体を一時的に幕府直轄領とし、を災害対策の責任者に任じた。 また、翌年(1708年2月28日)には被災地復興の基金「諸国高役金」として、全国の領やに対し強制的な献金(石高100石に対し金2両)の拠出を命じ、被災地救済の財源とした。 江戸幕府が全国的課税を行ったのはこの時が初めてであった。 しかし集められた40万両のうち被災地救済に当てられたのは16万両(『折たく柴の記』)で、残りは幕府の財政に流用された。 宝永5年中に48万8770両余、1870目余が集まり、被災地救済に支出されたのは6万2500両余とする史料もある(『蠧余一得』)。 御厨地方の生産性はなかなか改善せず、約80年後の3年()には低い生産性に加えてが加わり、「御厨一揆」が起こった。 皮肉にも宝永大噴火の被害は世間の富士山への関心を高めた。 噴火の翌年の宝永5年(1708年)には再建された御厨地方の須走村に富士参詣客が殺到し、翌年も同様の傾向が続いた。 農業収入に頼れなくなった須走村ではだけでなく百姓まで巻き込んで客引きが過熱した。 だが、こうした傾向は御師の元締めであるやあくまでも農業の再建を目指す領主(幕府及びその後被災地の返還を受けた小田原藩)にとって望ましいことではなく、これを統制するために2年()に既存御師12名と御師活動を行う有力百姓5名の計17名で御師株が結成され、彼らのみが御師として神職待遇を受けることが認められ、他の百姓の御師としての活動は規制された。 宝永噴火後の酒匂川の洪水氾濫実績図(出典:富士山防災協議会) 二次災害 [ ] 噴火により降下した焼け砂は、富士山東側の広い耕地を覆った。 農民たちは田畑の復旧を目指し、焼け砂を回収して砂捨て場に廃棄した。 砂捨て場の大きな砂山は雨のたびに崩れて河川に流入した。 やでの例から推定して、噴火後の10年間で降下火砕物の半分程度が流出したとする研究がある。 特に流域では流入した大量の火山灰によって河川の川床が上昇し、あちこちに一時的なができ水害の起こりやすい状況になった。 噴火の翌年の()から翌日に及んだ豪雨で大規模なが発生して、酒匂川の大口堤が決壊し足柄平野を火山灰交じりの濁流で埋め尽くした。 これらの田畑の復旧にも火山灰の回収・廃棄作業が必要であった。 さらに、足柄平野での土砂氾濫は約100年繰り返された。 噴火から300年以上が経った現在でも、宝永火口の東側斜面ではスコリアや火山灰の二次的な移動が続いている。 この現象は主に特に冬季に発生する、さらにその融解によって発生した土石流よるもので、数年に一度の頻度で山麓の道路や構造物に被害が生じている。 宝永大噴火の特徴 [ ] 宝永大噴火はその規模の大きさ以外にも、火山の噴火について種々の興味深い情報を提供している。 宝永地震との関係 [ ] この噴火は日本最大級の地震の直後に発生している。 地震の前まで富士山の火山活動は比較的穏やかであったことが知られているが、大地震の49日後に大規模な噴火が始まった。 噴火は地震波によりマグマが発泡し生じたと考えられている。 地震の震源域となった南海トラフを東北に延長すると、を通って、富士山西麗の富士川河口断層帯と連続している。 宝永地震の翌日には付近を震源とする大きな余震が発生した。 富士山のマグマ溜り [ ] の噴火は、地下にあった高温が地表に出る現象である。 火山の地下には直径数km程度の液体マグマの塊( )が存在すると想定されている。 マグマ溜りは地下のもっと深いところからマグマの供給を受けて少しずつ膨らみ、噴火によって(中身が減ってしまい)収縮する。 地下のマグマ溜りから地上まで、マグマが上昇してゆく原因は大きく分けて3種類が考えられる。 1つ目は深所からのマグマの供給によってマグマ溜りが一杯になり内部の圧力が高くなってマグマが溢れること、2つ目は周囲の圧力によってマグマが押し出されること、3つ目はマグマ中に含有される揮発成分の分離(発泡)によって体積が膨張しマグマが溢れることである。 富士山の地下にもマグマ溜りが存在し、火山活動の原因となっている。 富士山周辺で観測される低周波地震はマグマ溜りがあると推定されている位置の周辺で発生している。 地震がマグマ溜りに及ぼした影響 [ ] 富士山のマグマ溜りは宝永地震の強震域にあり、富士宮の余震はマグマ溜りのごく近傍で発生した。 強震の影響として、大きな震動によりマグマ中の水分や二酸化炭素などの揮発成分の分離が促進された可能性が考えられる。 卑近な例で説明すると「ぬるい缶ビールを振り動かした」状態である。 また本震や余震の震源断層運動による地殻ひずみの変化が噴火を促した可能性もある。 噴出物の成分変化 [ ] 宝永大噴火では一連の噴火中に火山灰・降下物の成分が大きく変化したことが知られている。 江戸での降灰が最初『白灰』その後に『黒灰』に変わった。 火口周辺の降下物が『降下軽石』から『降下スコリア』に移行した。 この両方とも、降下物中のケイ酸()の含有量が変化したことを示している。 宝永大噴火は初めに富士山には珍しい二酸化珪素の多いデイサイト質マグマが噴出し、その後富士山本来の玄武岩質マグマの噴火に移行したと考えられている。 火山灰が白色から黒色に変化した原因はマグマ溜り中のマグマ成分の分化と想定されている。 宝永大地震前の富士山は約800年間大きな噴火活動が無かった(その間マグマ溜りには深所から少しずつ新鮮なマグマの供給を受けていた)。 マグマ溜りは徐々に冷えて凝固点の高い成分が結晶化してゆくが、比重が重い成分(鉄やマグネシウムを多く含む黒っぽい結晶)は沈降しやすいため、マグマ溜りの上部は比重の軽く白っぽいケイ酸成分が多く残っていた。 そのため噴火の初期には、マグマ溜りの上部にあったケイ酸成分の多い白い軽石や火山灰が放出され、その後富士山本来の黒っぽい火山灰や降下スコリアが放出された。 現代社会への教訓 [ ] 富士山降灰可能性図拡大図:富士山火山防災マップより(出典:富士山防災協議会)上図右列中央の拡大図 富士山が噴火した場合、社会に与える影響が大きい。 そこで国の防災機関や地方自治体を中心に学識経験者などが集まって「富士山ハザードマップ検討委員会」を設立し、万が一の際の被害状況を想定して避難・誘導の指針とした。 では過去の富士山の噴火を参考にしながら、様々な火山災害を予想している。 その中で火山灰被害の例として『宝永噴火の被害想定』が詳細に検討されている。 ハザードマップは中間報告(平成14年(2002年)6月)と検討報告書(平成16年(2004年)6月)の2回、調査結果をまとめた報告書が出されており、の防災部門のホームページや関係市町村のサイト で公開されている。 宝永大噴火では溶岩の流出などによる被害はなかったが、大量の火山灰が広範な地域を覆った。 平成16年(2004年)6月の検討報告書では、宝永大噴火と同規模の噴火が起こった場合、火山灰が2cm以上降ると予想される地域は富士山麓だけでなく現在の東京都と神奈川県のほぼ全域・埼玉県南部・房総半島の南西側一帯に及ぶ。 (右下図参照)。 この範囲では一時的に・が使えなくなり、雨天の場合はの不通やも起こる。 また長期にわたってに障害を起す人が出るとされている。 富士山東部から神奈川県南西部にかけては、噴火後に大規模な土石流や洪水被害が頻発すると想定されている。 ただしこの降灰可能性図が想定した宝永大噴火は21年()の噴火以後では最大の降灰量だったので、次の噴火もこの範囲に降灰するという意味ではない。 細かい灰はどこにでも侵入するため、やの故障の原因となると推定されている。 すなわちスイッチ類の接点不良や火山灰堆積による冷却不良が原因で過熱故障を起こすなど、様々な障害を及ぼすと予想されている。 類似の例として、中東の砂漠地帯では砂埃による電子機器の故障という大きな問題が存在する。 、で噴火によって集落一帯が埋没した跡が見つかった。 脚注 [ ] []• 山梨県環境科学研究所• - 内閣府 広報ぼうさい No. 37(2007年1月号),p. 18-19、2015年4月閲覧• 2009年10月の静岡大防災総合センターのらの研究による、3箇所、、、で噴火が見えたとするからコンピュータを用いた立体画像で割り出した値。 (2009年10月11日13S版26面)• 2巻 p. 23-, :, 日本火山学会• 古川晃子, 安田敦, 藤井敏嗣、「」『日本火山学会講演予稿集』 2003年 2003巻 p. 150-, :, 日本火山学会• 国土地理院. 2012年1月28日閲覧。 NHK「その時歴史が動いた 『富士山大噴火 江戸幕府・復興への闘い』」2008年1月30日• 渡辺尚志、「」『近世』 58巻 1995年 p. 236-239, 文英堂。 (図書の一部分)• 知野泰明、「」『土木史研究』 1990年 10巻 p. 33-40, :, 土木学会• 『江戸時代史 上』講談社学術文庫、1992年• 『図説 日本の歴史11. 江戸の開幕』集英社、1975年• :1707年宝永地震の新地震像(速報),歴史地震,26号,89. 個別に活動する震源域である複数の断層が同時に動くことは2011年のや同じ震源域の、海外では、など歴史上たまに見られるが、その際の地震規模は個々の断層が蓄積していたエネルギーの総和になるため、非常に巨大な地震となる。 都司嘉宣 1992• 小山真人 2009• 『柳沢吉保と甲府城』、p. 157• 『柳沢吉保と甲府城』、p. 157• 『柳沢吉保と甲府城』、p. 157• 『柳沢吉保と甲府城』、p. 157• 久光重平 1976• 高埜利彦『近世の朝廷と宗教』吉川弘文館、2014年 第II部第三章「富士参詣と御師」(『小山町史7 近代通史編』(1998年)第7章「富士山参詣」の加筆)• 安間荘 2007. 富士火山 2007: 285—301. 222-232, :, 東京地学協会• ・東京大学• 産総研地質調査総合センター第9回シンポジウム• 参考文献 [ ]• 『富士山 その自然の全て』 編、東亜同文書院、1992年、• 『活火山富士 大自然の恵みと災害』 ・読売新聞特別取材班、中公新書、2003年• 『富士山噴火とハザードマップ -宝永噴火の16日間-』 小山真人、古今書院、2009年、• 『怒る富士』 新田次郎、文藝春秋、1974年 のち文春文庫全2巻• 『富士山宝永大爆発』 永原慶二、集英社文庫、2002年、• 『富士山の噴火 -万葉集から現代まで-』 、築地書館、1992年、• 『日本貨幣物語』 久光重平、毎日新聞社、1976年、初版。 ASIN B000J9VAPQ 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 1886年の噴火は宝永大噴火同様、質の火山でが発生した事例である。 外部リンク [ ]• 永原慶二 - 消防防災博物館• 内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年3月.

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地球のダイナミズムが生んだ絶景!「カルデラ」のふしぎ

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注1: 避難・避難準備や入山規制の対象地域は、火山ごとに火山防災協議会での共同検討を通じて地域防災計画等に定められています。 ただし、火山活動の状況によっては、具体的な対象地域はあらかじめ定められた地域とは異なることがあります。 注2: 表で記載している「火口」は、噴火が想定されている火口あるいは火口が出現しうる領域(想定火口域)を意味します。 あらかじめ噴火場所(地域)を特定できない伊豆東部火山群等では「地震活動域」を想定火口域として対応します。 【噴火速報】 噴火速報は、噴火の発生事実を迅速に発表する情報です。 登山中の方や周辺にお住まいの方に、火山が噴火したことを端的にいち早く伝え、身を守る行動を取っていただくために発表します。 発表される情報の例は図のとおりです。 【留意点】 噴火速報は気象庁が常時観測している各火山を対象に発表しますが、以下のような場合には発表されませんのでご留意ください。 ・普段から噴火している火山において、普段と同じ規模の噴火が発生した場合 ・噴火が発生した事実を確認できない場合 【火山灰から身を守るための対策】 1.火山灰から身を守る• 火山灰を吸い込まない 防塵マスクを着用するなど、火山灰を吸い込まないようにしましょう。 火山灰はとても小さいので、空気と一緒に肺の奥まで入っていきます。 そのため、せきが増えたり、息苦しくなったりします。 鼻水やたんや気管支炎の人は、発作のようなせきや、胸のしめつけ感、ぜーぜーとした呼吸で苦しくなることがありますので、注意しましょう。 心臓に重い病気がある人も注意しましょう。 コンタクトレンズをはずす 火山灰が目に入ったら、手でこすらずに、水で流しましょう。 コンタクトレンズをはずしてメガネを使いましょう。 火山灰が目に入ると、ごろごろとした感じがしたり、目のかゆみ、痛み、充血が起こったりします。 ねばねばした目やにや、なみだが出ることもあります。 火山灰で目の表面に傷ができると、結膜炎になって、ヒリヒリしたり、まぶしく感じたりすることがあるので、気を付けましょう。 皮膚を守る 火山灰に触れると、皮膚が炎症をおこすことがあります。 痛くなったり、はれたり、ひっかき傷からばい菌がはいったりすることがあるので、注意しましょう。 運転はなるべく控える 火山灰が降ると見通しが悪くなって、横断歩道などの表示が見えにくくなります。 道路に火山灰が積もると滑りやすくなって、自転車や自動車のブレーキがききにくくなります。 たくさん積もると運転できなくなります。 2.安全に降灰の除去作業を行うために• 防塵マスクとゴーグルかメガネを着用 除去作業を行うときは、しっかりとした防塵マスクを常に着用しましょう。 また、目への刺激を防ぐため、コンタクトレンズを使わずにゴーグルまたはメガネを着用しましょう。 屋根は人が乗っても大丈夫か確認 やむを得ず屋根の火山灰を除去するときには、人が乗っても大丈夫火どうか確かめてから始めましょう。 火山灰は滑りやすいので注意 はしごや屋根の上は、表面が火山灰でとても滑りやすくなっているので、注意しましょう。 はしごはしっかりと固定しましょう。 命綱とヘルメットを着用しましょう。 作業は家族、となり近所にも声をかけて2人以上で行いましょう。 下水に流さない 火山灰は雨どいや下水に詰まりやすいので、流さないようにしましょう。 火山灰は、噴火の勢いで、溶岩が粉々に砕けたものです。 小さな石粒の集まりなので一つ一つはとても固く、しかも、とげとげしています。 そのため、目や肺に傷をつけることがあります。 詳しくはこちらの資料及び動画をご覧ください。

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