いちげん さん。 一源三流(いちげんさんりゅう)

「一見さんお断り」の意図はなんなんですか?

いちげん さん

これは一種のエッセイ小説のような趣の作品です。 主人公のいらだちや心の揺れはよく伝わってきて、その味わいが一番の良さです。 主人公のシャイな感じが清心さの原因でしょうか。 京子の独特な強さは比較的よく出ていますが、主人公の目を通しての描写故の限界があって、今ひとつ鮮やかではありません。 しかし、東京で何があったのが、なぜ京都に来たのか、なぜ母親は主人公との関係を黙認しているのか、 そういった事を想像させるだけの要素は含まれていて、この辺がもっと積極的に展開されていると、京子が主人公の全く別の小説になったかと思います。 それだけの魅力があります。 あと気になるのは、主人公が京子の母親に抱く微妙な感情の描写です。 京子への感情より、この方が深いような気さえします。 あっさりと出てくるだけに非常に気になります。 主人公のいらだちは、普通の人間として接してもらえず、なにか珍しい物でも見るような、好奇なまなざしで見られることから来ています。 これは京都に限らないでしょう。 むしろここで登場する無神経な人々は、京都の人というよりは外国人にやたらと劣等感を抱いていながら何か親しくしてもらいたいというような卑しい根性を持った日本人一般です。 たまたま舞台が京都のためにそんなふうに思われるかも知れませんが、京都の人の冷たさはもっと救いがないと思われます。 それにしてもここで描かれている同志社の国文科は気の毒です。 こんな大学なら誰も行きたがらないでしょう。 友人が国文への転学部試験を受けたときの先生の意地悪な話を思い出しました。 "この街にたった一人でも自分を見ない人ー僕と普通に接してくれる人ーがいることは、言葉では言い表せないほどの心の安らぎだった"1996年発刊、第20回すばる文学賞を受賞し映画化もされた本書は、見る、見られる。 京都を舞台にした旅好きの異邦人と目の不自由な二人の織りなす繊細な恋愛小説。   個人的には、京都を舞台にした小説を探す中で、本書の存在を最初は知らなかったのですが。 著者が"ちょっと上の"大学の先輩にあたることを知って、興味をもち手にとりました。   さて、本書は1990年の京都において、スイス出身の留学生として大学で日本近代文学を学ぶ"僕"と朗読ボランティアを通じて知り合った神秘的かつ魅力的な全盲女性"京子"との1年余りを描くフィクションとしてのラブストーリーなのですが。   最初に【2人の関係性】で率直に感じたのは、直接こそ言及されないとは言え、作中で、古書コレクターとしての"僕"が『鍵』の初版本について述べていることもあって、やはり【谷崎潤一郎の『春琴抄』や世界観はかなり意識していたのかな?】という印象でした。 そして、必然的にラストの展開も同様になるのかとハラハラとさせつつも、こちらは意外にも "僕"の決断自体は賛否があるとしても 爽やかな形で結末を迎えた事に、ちょっと胸を撫で下ろしたり。   一方で、同志社大学での著者の実際の在学経験が色濃く反映していると思われる"僕"が【若者特有の自意識過剰さ】は多分にあるとしても、京都に溶け込もうと努力しているにも関わらず、受け入れられずに終始"ガイジン"として見られ、扱われる事にイライラと疎外感、結果として【死んだ街】として失望する姿には、本当に京都は書き手によって様々な姿に描かれるなという新鮮さと同時に、インバウンド政策もあり、当時に比べると数倍にも海外から旅行客が訪れるようになった今は【一体どのように映るのだろうか?】そんな事を考えたりしました。   京都を舞台にした恋愛小説を探す誰かに、あるいは『見る、見られる』マイノリティな関係性理解を深めたい誰かにもオススメ。 作者自身をモデルにしたと思われる、京都の大学にやってきた留学生の主人公は、ボランティアで朗読したのをきっかけに盲目の日本人、京子と付き合うことになる。 スイス出身の作者が日本語を勉強して日本語で書いたという、世にも珍しい恋愛小説。 古本屋さんなどでは間違えて洋書コーナーに置かれてることが多いけど、日本語で書かれたので本当は「和書」の棚にあるのが正解です。 ちょっと夏目漱石とかを連想させる純文学っぽい雰囲気なんだけど、そこに留学生の視点やユーモア溢れる文体が組み合わさって独特でいい感じ。 特に日本人には浮かばない比喩のセンスがすごく好き。 汚い台所を描写するのに「ゴキブリが自殺しそうな台所」と言っていたり。 だが、主人公と京子は順調に仲良くなっていくものの、ちょっと昔の日本が舞台だから市民の外国人に対する目が特別。 電車内のオヤジは意味のわからないカタコト英語で話しかけてくるし、日本語の歌をカラオケで唄えば特別な目で見られるし、学生の群れには「ハロー!ハロー!」を連呼される。 この生きにくい社会の中で、自分を素直に受け入れてくれたのが盲目のヒロインだけだったという皮肉! そして日本に愛想をつかした主人公は、最終的に突然、あることを決心します。 日本の純文学には救いのないラストも多いけど、このふたりが選んだ行動は応援したい! 主人公が京都の(日本の?)悪口を言うところが露骨で、主人公というより作者本人が喋ってるように見えたのはちょびっと不満。 でも、そこを除けばすごく好きな一冊です。 日本批判の要素はあっても、これはあくまでも恋愛小説。 ふたりの生き方をゆっくり楽しみましょう。 それにしてもタイトルのセンス上手すぎ。 最初は「いちげんさん」なんて恋愛小説らしくないと思ったけど、読んでみればこれは「いちげんさん」以外考えられない。

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訪日客バブルと日本人の京都離れ コロナで回帰「いちげんさんお断り」の哲学【#コロナとどう暮らす】(京都新聞)

いちげん さん

この作品記事はが望まれています。 ください。 書誌情報 [ ]• 単行本は、出版。 版は、出版。 英語訳は「Ichigensan - The Newcomer」として、に英国の大猿ブックスより出版。 映画 [ ] 第1回助成作品。 1月ロードショー。 鈴木保奈美の初ヌード作品である [ ]。 キャスト [ ]• :中村京子• :中村百合子• :助教授• :貝塚組の親分• スタッフ [ ]• 監督・脚色・企画・編集:• 製作者:、、• 撮影:• 美術:• 衣装:、• 録音:• 音楽:• 主題歌:S. feat 「Moonlight Dream」• 製作:、 外部リンク [ ]• - (英語)• - (英語).

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Josip Lazić

いちげん さん

古都・京都は新型コロナウイルス感染拡大前、多くの外国人観光客であふれ「外貨」を稼いだ半面、混雑など「観光公害」に悩まされていた。 コロナ感染拡大で祇園などを行き交った訪日客の姿は激減し、19日に都道府県間の移動自粛が解除されても、回復の未来図はまだ描けない。 ポストコロナの観光をどう見据えるのか。 そのヒントは、京都の花街・祇園に息づく「いちげんさんお断り」の哲学にあった-。 (京都新聞社) 大通りから一歩入った細い路地。 宵闇の中を、つなぎ団子模様のちょうちんがぼんやりと光る。 350年の歴史を持つ京都の花街・祇園。 大仰な看板や装飾はなく、古くから続くお茶屋や飲食店が静かに軒を連ねる。 そんな祇園のお茶屋で、営業自粛を強いられていた4月中旬、新たな試みがあった。 祇園甲部のお茶屋「大ヌイ」の若女将・村上斗紫(とし)さん(34)が親交のある人たちの協力を得て、パソコンやスマホのビデオ会議アプリ「Zoom」を使った「Zoomお座敷祇園チャンネル」を試験的に開設。 「オンライン飲み会」とは一線を画し、無償で、参加者は画面越しに舞妓の舞踊や花街文化にまつわる語らいを楽しんだ。 参加者はかねてからの顧客で、村上さんがSNSで友だち認証した人たちだ。 若女将が認めた人だけへの「限定公開」。 京都特有の「いちげんさんお断り」はオンラインでも踏襲した。 「もちろん女将さんたち、芸舞妓さんが培ってきたお座敷が何物にも代えられない、一番大切なもの。 でもコロナで京都に来られない状況が起きてしまった。 これまでのお客さまを大切にしつつ、どう花街の文化をつなげていくのか、ネットとの付き合い方も考えざるを得ないのでは」。 祇園の伝統をポストコロナの状況下でどう守るのか、村上さんは模索している。 「いちげんさんお断り」というと、京都以外の人は京都人の「いけず」なイメージを思い浮かべるかもしれない。 テレビのバラエティー番組のデフォルメされた宣伝効果もあり、京都人にはどこか「排外主義」的な印象がつきまとう。 コロナの感染拡大前、祇園は多くの外国人観光客でにぎわっていた。 インバウンドにより宿泊施設や飲食店などが潤った一方、文化の違いによるマナー違反も発生。 ごみや騒音、芸舞妓の無断撮影などだ。 「道沿いの玉垣に寄りかかる」「軒先などの私有地に入る」「巽橋・新橋の欄干に腰かける」…こんな行為はNG!と、祇園新橋地区の景観づくり協議会はチラシやホームページなどでマナー違反の具体例を挙げて啓発。 外国人観光客に理解を求めてきた。 祇園町南側地区の地元協議会は、英語や中国語に対応できる警備員を配置するなど、観光公害対策に腐心してきた。 昨秋は私道での無許可撮影に「1万円申し受けます」と記した高札を設置した。 一方、こうした取り組みに対し、ネット上では「京都はいちげんさんお断りだから」「観光でもうけているのに、排外主義だ」との批判も散見される。

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