伊藤 み ま 卓球。 <卓球>水谷隼・伊藤美誠が中国ペア下しV、五輪前に中国への警鐘―中国メディア|レコードチャイナ

プロフィール

伊藤 み ま 卓球

ただのドライブではなく、トッププレイヤーの想定を軽く超えていく圧倒的な回転量を誇っています。 2018年に開催された全日本卓球選手権で対戦した石川佳純選手、平野美宇選手ともに、伊藤美誠選手のバックハンドドライブの 回転を抑えきれずにオーバーミスするという場面がいくつもありました。 想定しているよりも回転量が多いため、回転に負けて打ち上げてしまう。 台に入ったとしても、ボールが浮ついているのでスマッシュで決められてしまう。 そんなシチュエーションが多かったように感じました。 石川佳純選手も平野美宇選手も世界を舞台に戦っているトッププレイヤーです。 経験上、相手の回転量を見極めることには長けています。 ですが、伊藤美誠選手のドライブは、その経験値を凌駕しています。 伊藤美誠選手のバックハンドドライブは、攻撃の起点であり強さの大きな特徴の一つとなっています。 さらに驚きなのは、伊藤美誠選手は回転のかけにくい表ソフトラバーでバックハンドドライブを打っているということ。 表ソフトラバーです。 主流の裏ソフトとは違い、突起が表面に出ているラバーですね。 表ソフトラバーの特徴は、「回転の影響を受けにくい」こと。 突起が出ているため、相手の打球の回転の影響も受けにくいラバーです。 回転の影響を受けにくい表ソフトラバーのメリットは、回転の読めないサーブを返しやすいことが挙げられます。 伊藤美誠選手も、フォア側のボールも回り込んでバックハンドで返したりいていますね。 ただ「回転の影響を受けにくい」ということは、 逆に言えば自分でも回転をかけにくいということです。 伊藤美誠選手がすごいのは、そんな裏ソフトラバーで世界のトップランカーも想定できないような回転をかけることができるという点。 卓球のセオリーを覆すような力技です。 この強引さが、伊藤美誠選手の強さの特徴だといえます。 普通の人では、真似できないスタイルです。 現在の卓球界で主流なのは、「裏ソフト」のラバーです。 主流となっている理由は、「回転がかけやすいから」。 卓球という競技の中で最も特徴的な要素と言えるのが、「回転」です。 レシーブをする時には、相手のサーブの回転を見極めないと返球することが出来ません。 そして、攻撃の要となるドライブは、上回転をかけることで成立します。 そのため、回転のかけやすい裏ソフトラバーは初心者からプロまで浸透しているんですね。 私が卓球部だった頃も裏ソフトラバーを使っていました。 簡単に言うと、スマッシュ(無回転)です。 ですが、普通のスマッシュとは違う特徴があります。 一般のスマッシュは、右腰をひねってテークバックをとって打ちます。 ラケットを振った後は敬礼のようになります。 みまパンチは、テークバックで腰をひねらずに落とします。 球の上がりばなを叩きます。 振った後は 相撲のツッパリのように押し出す形になります。 振るというよりも、押すイメージですね。 このイメージから、伊藤美誠選手自ら「みまパンチ」と名付けました。 バックドライブで相手の形成を崩して、変則フォアハンドのみまパンチを連発。 このスタイルで世界のトップランカーを打ち崩してきました。 朝日新聞社の取材では、みまパンチについて以下のようにコメントされています。 なんでも入る打ち方ができたら一番最高じゃないかと思いましたし、やっぱりそうやって打ちたくても、ボール的に打てない時があるので。 この二つが伊藤美誠選手の強さの特徴だといえます。 この二つを武器に、中国選手をはじめとしたトップランカーを翻弄し、撃破しています。 なぜここまでトップランカーが翻弄されてしまうのか。 その理由は、「 卓球のセオリーから逸脱しているから」。 伊藤美誠選手は、回転のかけにくい表ソフトラバーでバックハンドドライブ(上回転)を打ち、そして回転をかけやすい裏ソフトラバーでみまパンチ(無回転)を打っています。 卓球のセオリーとは逆をいくプレイスタイル。 これまでの卓球選手にはない独創的なプレイスタイルだといえます。 そのため、対戦相手は伊藤美誠選手のプレイに翻弄されて、対応する前に倒されてしまうのです。 歴戦のどの選手とも違う強さを持つ伊藤美誠選手。 そのプレイスタイルは、まだ研究されつくされてはいません。 未知の可能性を秘めた選手だということができそうです。 どんな点差が開いていても、試合をひっくり返す強い精神力を持っています。 誰に何を言われようと私は私。 自分は自分。 私らしく正々堂々と戦うだけ。 本気で何かと闘ってる人はそんな簡単に自分に負けたりしない。 何を言われても、何をされても実力がある人が勝つ。 私はその実力を求めて毎日頑張る。 と改めて思えた今日。 — 伊藤 美誠 Mima Ito MSLpN5xiejmc2Ho 上記は、伊藤美誠選手自身のツイートです。 トップ画面に固定していることからも、意識的に強く保とうとしていることが伝わってきます。 元から強かったのではなく、意識的に高めていこうとしている印象。 その向上心が強さの秘訣なのかもしれません。 スポンサーリンク スタイルチェンジで強さを身に着けた 引用元: 伊藤美誠選手の強さの特徴を紹介してきました。 その強さで、世界のトップランカーを相手に戦い続けています。 2016年のリオ五輪で女子団体として銅メダル獲得。 2017年ITTFワールドツアーグランドファイナル女子ダブルスで銀メダル獲得。 そして、2018年には劉詩文、丁寧、朱雨玲という中国の主力選手を連続で撃破。 スウェーデンOPで優勝しています。 なぜここまで強さを持つに至ったのか。 その理由は、 大胆なスタイルチェンジにあります。 省エネ卓球から、動く卓球に変えた 2016年にリオ五輪に出場して女子団体で銅メダルを獲得した伊藤美誠選手。 その翌年の2017年はプレッシャーに苦しんだそうです。 私の持ち味は楽しんでプレーすることなのに、全く卓球を楽しめなくなって……。 オリンピックのメダリストにふさわしい成績を残さなければ、という思いが強すぎたみたいで、いくら練習しても試合で勝てなくなりました。 引用元: 結果の出ない苦しい1年間の中、伊藤美誠選手は「自分は変わらなければならない」と本気で思ったそうです。 変わるために取り組んだのは、基礎練習だったといいます。 私のプレースタイルは「前陣速攻型」といって、卓球台からあまり距離を取らず速いピッチで連打するスタイルなので、あまり足を動かさない「省エネ卓球」とも言われてきました。 自分でもその自覚はあったんですけれど、プレーの幅も質も高めるにはもっと足を使って「動く卓球」をしていかなければならないと考え、最近はやっていなかったフットワーク練習などの基礎練習を徹底的にやりました。 引用元: 試合形式を好み、基礎練習に時間を割いてこなかったという伊藤美誠選手。 基礎練習でフィジカルを鍛えることによって、省エネ卓球から動く卓球へとスタイルを変化させていきました。 相手のミスを誘うプレーではなく、自ら得点をもぎとりに行く攻撃的なスタイルへと変化しました。 そして、2018年にはライバルの平野美宇選手の上をいく強さを身に着けました。 伊藤美誠選手の強さは、苦悩の末に手に入れたものだったんですね。 中国の研究の上をいく進化 対戦相手の過去データを徹底的に研究して攻略していく中国の卓球選手。 この手法で何人もの日本人選手が攻略されてきました。 ですが、伊藤美誠選手の大胆なスタイルチェンジに中国の研究はまだ追いついていないようです。 スタイルチェンジには時間もリスクもかかります。 伊藤美誠選手はリスクをとってスタイルチェンジをしたからこそ、現在の強さを身に着けました。 伊藤美誠選手の進化に対して、ライバルの平野美宇は「驚いた」「精神的ダメージがあった」とコメントしています。 現在は圧倒的な強さを誇る伊藤美誠選手ですが、今後はどうなるか分かりません。 中国の研究も進んでいるし、平野美宇選手もさらに強くなるはずです。 確実に言えるのは、世界の卓球のレベルが上がっていくということだけです。 スポンサーリンク 伊藤美誠選手の強さの分かる試合動画まとめ VS劉詩ブン(2018年スウェーデンOP準々決勝).

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【動画】【第4試合】卓球W杯団体戦 女子準決勝 伊藤美誠vsシンユビン

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卓球(テーブルテニス)とピンポンの関係は意外と知られていない。 結論から言えば、卓球はスポーツでピンポンは商品名である。 卓球の発祥は19世紀後半のイギリスに遡る。 当時、イギリスではテニスの大流行が起こり、それを室内のテーブルの上でやろうとしたのが卓球の始まりだと考えられている。 シャンパンのコルクを丸く削ったものをボールにして、タバコ入れの蓋をラケットにして打ち合ったなどという話が伝わっている。 1890年には世界で最初の卓球セット『パーラーテーブルゲームズ』が、翌年には『ゴシマ』が発売されたが、まだテーブルテニスという呼び名は定着していなかった。 テーブルの上でやるテニスだからテーブルテニスと呼ぶのは自然だし、そう呼んでいた人はいたが、サイコロを振ってテニスの真似事をするゲーム盤も『テーブルテニス』として売られていたくらいだから、テーブルテニスは必ずしも卓球だけを意味しなかった。 そもそも卓球はそれほど普及しなかったので、名前も定着しなかったのだ。 上に書いた世界で最初と2番目の卓球セットは、ともにほとんど売れず、現在までそれぞれ1、2台しか現物が見つかっていない。 それほど生産量は少なかった。 卓球の運命を変えたのは、ロンドンのあるメーカーがセルロイドのボール、今で言うピンポン球を使った卓球セットを売り出したことだ。 それまでの卓球セットのボールは、ゴムの表面に布や網を巻いたものであり、弾みも音もよくなかった。 これに対してセルロイドのボールは、楽し気な打球音を発しながら軽快に弾み、打球感も良く、ちょっとの回転で魔法のように曲がる。 しかもわずか2グラムと羽のように軽いため、室内で食器などに当たっても壊す心配がない。 すべてが完璧だった。 そのメーカー、ジェイクス・アンド・サン社は、この商品に『ピンポン(PING PONG)』と名づけた。 19世紀最後の年、1900年のことだ。 ここからピンポンの熱狂的なブームが巻き起こった。 人々は毎週のようにピンポンパーティーを催し、ピンポンに関する月刊誌や週刊誌、はては詩集まで発売される過熱ぶりだった。 ピンポンは、ビジネスマンや旅行者、そして軍隊によってわずか1、2年の間に世界中に広まった。 日本や中国にもこのときに伝わっている。 夥しい量の類似商品が発売され、それら全体がテーブルテニスと総称されるようになったが、ピンポンという呼び名があまりにも魅力的かつ見事にこの遊戯を表していたため、テーブルテニスと同じ意味でピンポンも使われた。 エスカレーター、カップヌードル、ウォークマンなどと同じ様に「商標の普通名詞化」がピンポンにも起こったのだ。 1922年にはイギリスピンポン協会が結成されたが、ピンポン大会を開こうとすると、ジェイクス・アンド・サン社が商標権を理由に「ピンポン大会を開くならすべての競技に当社の製品だけを使うべき」と主張した。 協会のメンバーは、そこで初めてピンポンが登録商標であることを知り、その場でピンポン協会を解散してテーブルテニス協会を結成、それが現在の国際卓球連盟(International Table Tennis Federation)の母体となった。 だから同連盟は今も卓球のことをピンポンとは絶対に言わない。 日本にも卓球は『ピンポン』として伝来し、しばらくはこの呼び名だったが、1918(大正7)年に宗教大(現・大正大)の千々和宝展が、卓上で行うことと「卓越」にも通じる良い字だということから「卓球」と名づけた。 商標権が理由ではなく、この親しみやすくも素晴らしいスポーツに相応しい、堂々たる名前が必要だと考えたためだった。 なお、中国ではピンポンをそのまま残してピンパンチュウと呼び、「兵兵球」(兵の下の払いを左右片方ずつ外したもの)という字を当てている。 参考文献:TABLE TENNIS COLLECTOR(国際卓球連盟)、ピンポン外交の陰にいたスパイ(ニコラス・グリフィン)、東卓六十年史(井坂信太郎)、卓球知識の泉(藤井基男).

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テレビが決して伝えない「卓球選手が曲がるサービスを出す本当の理由」(伊藤条太)

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伊藤美誠プロフィール 本名 伊藤美誠(いとう みま) 生年月日 2000年10月21日(19歳) 出身地 静岡県磐田市 身長 150cm(2016年4月現在) 血液型 O型 所属 スターツ 特技 スマッシュ(時速88キロ計測) 伊藤美誠さんは 2歳の頃に卓球を始めたんだそうです。 伊藤美誠さんはお母さんがコーチとして厳しく指導してきました。 そしてオリンピック選手へと成長したのです。 同じくかつて「天才卓球少女」と言われた 福原愛さんと比較されることが多いですよね。 伊藤美誠さんのこれまでの主な成績をみてみましょう。 出場年月 大会名 成績 2005年7月 全日本卓球選手権(8歳以下) 出場 2008年7月 全日本卓球選手権(8歳以下) 優勝 2010年7月 全日本卓球選手権(10歳以下) 優勝 2011年1月 全日本卓球選手権大会 初勝利 2011年9月 ITTFジュニアサーキット 優勝(ジュニアシングルス・カデットシングルス・カデット団体3冠) 2012年1月 ジャパントップ12卓球大会 出場 2012年4月 ITTFワールドツアー・スペインオープン 本戦出場 2012年12月 世界ジュニア選手権 出場 2014年3月 ITTFワールドツアー・ドイツオープン・スペインオープン 優勝(平野美宇とのダブルス) 2014年9月 アジアジュニア卓球選手権 優勝(平野美宇・早田ひなとの団体) 2014年12月 ITTFワールドツアー・グランドファイナル 優勝(平野美宇とのダブルス) 2015年1月 全日本選手権 ベスト8 2015年3月 ワールドツアー・スーパーシリーズ・ドイツオープン 優勝 2015年4月 世界選手権本番 ベスト8 2015年5月 ベラルーシオープン 優勝 2015年9月 アジア卓球選手権 準優勝(団体) 2015年12月 ITTFワールドツアーグランドファイナル 準優勝(平野美宇とのダブルス) 2016年3月 世界選手権 準優勝(石川佳純・福原愛との団体) 2016年4月 リオデジャネイロ五輪アジア予選 ベスト4 7歳で全日本卓球選手権(バンビの部=8歳以下)で優勝したのを皮切りに、現在まで実に華々しい活躍を続けています。 この活躍の裏には両親の強力なバックアップがあったといわれています。 伊藤美誠の父親はどんな人? 伊藤美誠さんの父親は名前など公表されていません。 伊藤美誠さんの父親については2つの説があります。 「シチズン卓球部監督・伊藤誠さん」説• 伊藤誠さんは青森県の出身で、1984年全日本選手権ジュニア(17歳以下)の部で優勝しています。 早稲田大学時代には日本代表にも選ばれる実力だったようですよ。 卒業後は現在卓球部の監督を務めるシチズンに入社しました。 選手時代には全日本選手権5位、1994年のジャパントップ12で優勝、1995年前期日本リーグ優勝など立派な成績を収めました。 現役を引退してからは、早稲田大学卓球部の監督を2008年~2011年務め、秋関東学生リーグ戦で優勝に導くなど指導者としての評価も高いです。 「DVDでわかる!卓球必勝のコツ50」という本も出していて、沢山の人に卓球を好きになってもらいたいと思っている方です。 伊藤美誠さんの「美誠」という名前は両親から一字ずつとって付けられたんだそうです。 ただ伊藤誠さんの年齢が伊藤美乃りさんよりずいぶん上だという事が気になります。 伊藤美乃りさんは1975年12月17日生まれの44才です。 伊藤誠さんは1967年生まれですから8歳くらい年上ですね。 父親は会社員でしたが、離婚後に磐田の家を出て名古屋の卓球用品店で勤務することになったんだとか。 その後継続して返済していた住宅ローンを払えなくなったことで自己破産に至ります。 ただ、離婚後も家族との交流はあり、 美誠さんの試合を観戦しに来ています。 以上、ふたつの説がありますが今後明らかになっていくかもしれませんね。 伊藤美誠の母親は卓球のコーチ! 伊藤美誠さんの母親は伊藤美乃りさんといい、メディアにもよく登場します。 若々しくて綺麗な方ですよね。 伊藤美乃りさん自体も元卓球選手です。 中学で卓球を始め、 高校時代にはインターハイに出場するほどの実力でした。 美誠さんが2歳の頃に卓球をやりたいと言い出したのだそうです。 夫婦で卓球をしていたところを美誠さんが見ていてやりたくなったんですって。 娘が自分から言い出したことを大切に思った美乃りさんは一生懸命厳しく卓球を教えました。 スパルタ教育だったそうですよ。 試合に負けた後は2時間も説教をしたんだとか。 当初は横浜市内に住んでいたのですが、卓球台を置くスペースがなかったようです。 そこで静岡県磐田市に自宅を建てて、リビングにメーカーから提供された卓球台を設置して練習していました。 スパルタというと厳しくて可哀想なイメージですが、そんなことはなくとても仲の良い親子関係のようですよ。 普通厳しくされると萎縮してしまいがちですが、伊藤美誠さんは厳しさに屈しない負けん気の強さがあります。 スパルタ練習の幼少期を過ぎて、美誠さんは更なる環境を求めて 大阪の中学校に入学することになります。 母親の伊藤美乃りさんは現在 卓球女子日本代表の正式なコーチとして美誠さんに帯同して、技術的・精神的なサポートをしています。 また美乃りさんは 整体師の資格を持っています。 美誠さんの身体のケアもしながらサポートしているんですね。 娘の美誠さんを何としても一流卓球選手に育てるんだという一貫した強い意志と愛情を感じますよね。 伊藤美誠の出身中学と高校は? 伊藤美誠さんの出身中学と高校について見ていきましょう。 伊藤美誠さんは静岡県の 磐田市立磐田北小学校を卒業しました。 中学校からはより良い卓球環境を求めて大阪に引っ越しをしました。 出身中学校は 淀之水学院昇陽中学校です。 高校はそのまま系列の 淀之水学院昇陽高校に進学しました。 昇陽中学・高校はスポーツに力を入れていて、卓球とバレーボールが全国的に有名です。 淀之水学院昇陽中学校・高校の生徒はトップ選手を育成する卓球クラブ・ 関西卓球アカデミーに所属して日々練習しているそうですよ。 以上、今回は伊藤美誠さんの父親や母親、出身中学校・高校についてお送りいたしました。 伊藤美誠さんのリオ五輪やその後の活躍から目が離せませんね。

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